05 父と子

 武蔵。

 入間川御陣。


 関東公方・足利基氏は、突然の父・足利尊氏の訪問に唖然としていた。

 京にいて、兄・義詮と共に南朝に対しているはずではなかったのか。


「楠木、騎虎の如し」


 尊氏はそうこぼすと、さりげなく同席していた関東執事・畠山国清に視線を移した。

 いたたまれず、国清は席を外した。


「……勘のいい男だが、出しゃばり過ぎるところが、玉にきずだ」


 瑕どころではない。

 そう思った基氏だが、厳かに沈黙を保ち、尊氏の次の言を待った。


「……さて」


 尊氏の眼光が鋭くなる。


「……越後の上杉憲顕。繋ぎ連絡を取っているようだな」


 上杉憲顕。

 足利家重鎮の身であったが、先の観応の擾乱じょうらんにおいて、足利直義ただよしに味方して、それゆえに尊氏から放逐された身の上で、今は越後にて、その勢力を保っていた。


「……お聞き及びでしたか」


 基氏は間者の存在を示唆したが、尊氏はちがうと首を振った。


「予のよ。そしてとがめるわけではない」


 基氏は遠慮がちに語り出す。

 上杉憲顕に対し、北朝へ――幕府へ戻るよう、働きかけていたこと。

 そしてそれはただ戻るのではなく、ひとつの条件を付していた。


「それが――父君の死後、ということにしてあるのです」


 そうすることにより、憲顕に今しばらくの自重を求め、かつ、南朝に憲顕を動かす可能性を匂わせ惑わせるためである。


「そうか」


 尊氏は、自身の死に触れられても、それは大したことではない、とでも言いたそうに、鷹揚に頷いた。


「実は、基氏の方でせねば、予の方から言うつもりであった」


「何と」


「……そも、唐土もろこしでよくあるよ」


 尊氏が言うには、当代がその末期に功臣を敢えて落魄らくはくさせ、次代がをすくい上げて恩を売るやり方は、唐などでよく見られたらしい。


「だが基氏、そうすると今の関東執事の畠山国清はことになるぞ。それに、越後への抑えとして宇都宮と芳賀を上野こうずけに置いているが、それも……」


「ご懸念には及びません」


 基氏はうやうやしく頭を下げた。

 実際、基氏は上杉憲顕を迎え入れるにあたり、畠山国清を討ち、宇都宮家の軍を退けている。


「……ならばよし」


 尊氏は大儀そうに立ち上がった。立ち上がると、すこしよろめく。

 基氏は思わず近寄って、支えた。


「……すまん」


「いえ」


「予もじきに親房卿を追うことになろう」


「そんな」


「気遣い無用ぞ。だからこそ、憲顕の件、良いと言うたのじゃ」


「…………」


「なあ基氏」


 尊氏は自分を支える息子の肩を軽く叩いた。


「人は皆死ぬ。それを知っているからこそ、生きる。必死に。だがその生は、生者のためにあるべきだ。予はそう思う」


 虚空をにらむ尊氏。

 その視線の先には、まるで故・北畠親房がいるかのようであった。


「……この時代、誰も彼も皆、後醍醐の帝のために必死だった。帝の死後もだ。死者のために生きる……やりたい奴はやれば良い。だが、予は付き合いきれんな。それで死者が笑うというのか。やり切れんな」


 尊氏はとため息をつく。


「直冬は……あれは武士にすべきではなかった。今さらながら。あれは今、直義という死者のために生きている」


 その妄念と対決してやるのが、あれの父としての最初にして最後の務めやもしれぬ、と尊氏は呟いた。

 そしてその呟きに瞑目する基氏に笑いかけた。


「すまんの。そして基氏、これがおそらく予と汝の最後の話となろう」


「………」


「義詮、基氏、お前たちは自分たちの、生者のために生きよ。予のために生くるな」


 それこそが、この乱世を終わらせるだろう……と尊氏はひとりごち、そして入間川を去っていった。

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