2章 第6話 鉄腕令嬢、爆誕

 ローゼンバーグ屋敷に戻れば、すぐさま大公との面会が叶った。

 完全に待ち構えられていたようで、なんかもう『そこまで事態の推移を完璧に予想できるならテメェで全部やれ』って感じだ。


 そのへんのことを『伯爵の身でありながら大公のお時間を何度も頂戴するのは心苦しく存じます。この事態は私などよりも大公のお力でより迅速かつ完璧に解決できたものと、私には思えてなりません』という言い回しで皮肉ると、大公はこう答えた。


「私の腕は二本しかありませんが、仕事を任せられる器用な指先はいくらでも欲しいのですよ」


 忙しい&俺がどこまで使えるか見てみたかったんだってさ。


 大公と応接間でテーブルを挟んで向かい合う時にはだいたい胃が痛い事態が進行しているので俺としては席に着かずに辞したいのだが、大公に「まあ、お茶でも」と言われて断れる伯爵はいない。


 クソ重い胃をさすりながら席に着くと、当たり前のように人払いがなされた。屋敷に入った時に使用人がレイチェルに色々意味のない報告をしてたのも、レイチェルがこの部屋に来ないための配慮だったんだろうね。もうみんな死ね。


 金髪をなでつけた四十がらみの男は、忙しくしているとは思えないほど優雅な所作でお茶を勧め、俺が飲むと一口飲み、ゆったりと言葉を発し始めた。


「それでエインズワース卿、クリスティーナ嬢の姿がないようですが?」


「はて? クリスティーナ嬢はずっとご実家にいらしたはずですが……」


 そういう依頼なのでそういうものとして話すのだ。

 面倒クセェな貴族会話。


 ローゼンバーグ大公は俺の言い回しに満足したように口の端を吊り上げて、言葉を続ける。


「なるほど。しかし侯爵夫人が『娘がスラムに行った』などという勘違いをなさるかもしれませんね。それについてはどうお考えですか?」


「娘さんはたしかにスラムで発見されましたね。ただし、クリスティーナ嬢とは違う娘さんですが。きっと、勘違いなさったのでしょう。無理もありません。血がつながっていないとはいえ、死んだと思った……いえ、『殺した』と思っていた義理の娘がスラムで見つかったのですから……多少の放言があろうとも、それに注目なさる方はいらっしゃらないでしょう」


「ふむ」


「ところで夫人が十五年ほど前に、侯爵の実の娘であるアンネローゼ嬢殺害を目論んだ証拠に心当たりはございますか?」


「……ないでもない、というところでしょうか。なにせ十五年も前ですからね。それ一つで罪の立証が叶うほどのものはないかもしれません」


「殺されかけたアンネローゼお嬢様が生きていて、侯爵夫人を糾弾するとしたら?」


「そこまでのことが起こるのならば、ローゼンバーグ大公家の名において私も証拠品の正確性を証明できるでしょう」


 案の定全面協力を約束してくれたので、お膳立てはこうして完璧に整い、侯爵系にまつわる騒動は一件落着。

 もう俺にできることはないので、あとは事態の推移に任せて家に帰るとしよう。ああ疲れた……



「……つまり、なんだ。どういうことになったんだってばよ」


 エインズワース領へ帰る馬車の中で、仮面のメイドメスガキが首をかしげている。

 俺としてはもう一言だってしゃべりたくない気分なのだった。馬車は揺れてケツは痛いし、今回の事態は精神に重い疲労感としてのしかかってくることが多すぎたから。


 それでも『わからない』には対応しようとしてしまうのがエインズワース家の『青い血』なので、俺はぐったりした体を深呼吸一回でしゃべれるぐらいまで気合いを入れて、仮面のメイドメスガキへの授業を開始する。っていうかもう仮面いいだろ。気に入ったのかよ。


「事態の解決のために、俺がさせたことは三つだ。一つ、アンネとクリスティーナがやりとりしていたという手紙が残っていたなら、焼き捨てて完全に隠滅させること。なんでこれが必要だったと思う?」


 ここで秒で『わからない』とか言ったらしばき倒すつもりだったのだが、レイチェルはきちんと考えるそぶりを見せた。

 教育にはやる気が重要だ。口を開けて答えを待ってるだけの雛鳥に『教育』はできない。質問しておいて考える気がないというのは、教わる側の態度として論外だと断じてしまっていい。


「……やりとりを『なかったこと』にする?」


「賢いぞレイチェル。そう、まずは二人の接点を『なかったこと』にした。状況証拠や使用人の記憶の上では二人は接点もあったし文通もしてたが、これで物証はない。物証がないなら、偉いやつの一声で記憶もなくなる。それが貴族社会だからな」


 ちなみにその『偉いやつ』はバックにローゼンバーグ大公をつけたホールディン侯爵だ。

 この二人が認めない事実に対して侯爵夫人が騒いでも、鼻の入り口にこびりついた鼻くそみてぇなもんだ。吹けば飛ぶ。


「そしてローゼンバーグ大公が偶然持っていた『侯爵夫人が十五年前に義理の娘を殺した証拠』を提出していただくこと。これが二つ目」


「へぇ。パパ、ンなモンよく持ってたな」


「いや……持ってるわけねぇだろ……捏造してもらったんだよ」


「……なあ、そんなに簡単に捏造できるんなら、証拠なんか意味ねぇじゃん」


「証拠の捏造は簡単じゃねぇよ。あの大公がおかしいんだ」


 公的書類はたいてい神殿が管理している。

 あらゆる『証拠品』もまた、神殿の承認がなければただのゴミであり、この『神殿の承認を受ける』というのはめちゃくちゃ難しい。


 ところがローゼンバーグ大公は神殿に顔が利く。

 ……さすがに重犯罪を堂々とやってそれを逃れるとかはできないと思うが、神殿を納得させられる『正義』がある事件において、正義側で行動する限りは証拠作り放題くさいんだよな。


 神殿の『正義』はちょっとどころじゃなく厄介なんだ。まあこれは今はいいか。


「で、最後に、『スラムで発見された、死んだはずのアンネローゼお嬢様が、実家に戻って侯爵夫人の罪を叫び、家に戻る』」


「……証拠の捏造と殺人未遂の糾弾が夫人をハメるのに必要なのはまぁわかるんだけどよぉ……『クリスティーナとアンネローゼの接点をなかったことにする』のと『アンネローゼが家に戻る』のはなんでなんだ?」


「いや、母親を糾弾しに戻った娘がそのまま『糾弾終わったんでスラムに帰りますね』で通るわけねーだろ。そもそも貴族に復帰しねースラムの女の発言に力なんてねーんだわ。だからアンネが家に戻らないと継母ままははの罪を糾弾しても意味がない。スラムの女が騒いだ程度で揺らぐのは、貴族のメンツが許さねぇんだよ」


「……ああ、メンツの問題なのか。ってことは、手紙を燃やすのは、侯爵のおっさんのほうのメンツの問題か?」


「理解力が高いじゃねーか。えらいぞ。『すでに発見されていた娘をスラムに置きっぱなしにしてた』となると、侯爵のメンツが立たない。だから、アンネは『今になって急に発見され、帰ってきた』ことにする必要があった」


「…………めんどくせ〜〜〜〜」


「お前に弟か妹が生まれない限り、十年後ぐらいに『証拠捏造』の役割を担うのお前だぞ。めんどくせぇかもしれないけど、こういうのは覚えろ。まあ、そのへんは俺よりローゼンバーグ大公が教えるべきなんだが……」


 あのおっさん、普段は有能な黒幕なのに、娘のことになるとマジでポンコツパパだからな……


 なんでここまでこのメスガキとの付き合いを怖がってんのかね。

 死んだっつーレイチェルママになんかあんのか?

 ……まあ、大公家の裏事情とか知りたくもねぇや。


「……ともかく、お前には一般教養から足りてねぇからな。なるべく常識的なことからじっくり教えてやりてぇんだが……集中できない症状についてはどうすっかなーってとこだ」


「……すまねぇな先生。あたしもまじめにやりてぇんだけどよ」


「やる気があるのはわかってんだ。謝るんじゃねぇよ。……時間制限があるんでのんびりもしてらんねぇけどよ。急かしたところでうまくいくもんじゃねぇ。凹むなよ。お前は間違っちゃいねぇし、できないわけでもない。ただ集中できないだけだ」


「……」


「ま、なんにせよだ。ホールディン侯爵家にまつわる騒動はこれでもう全部終わりだな。帰ってカリキュラムを試しつつ、ようやくお前の教育に本腰入れられそうだ。あとは使用人が帰ってくりゃいいんだがな」


「なぁ、先生……アンネ姐さんは大丈夫なのかよ? これまでスラムにいて、いきなり貴族家に戻るんだろ? 色々大変じゃねぇか?」


「心配ねぇよ」


 あれだけひどい目に遭って全然歪まねぇヤロウだ。

 あいつの体で一番丈夫なのは、鉄腕でも鉄脚でもなく、心に通った一本の芯に違いないのだから。


「……先生はよぉ、アンネ姐さんのこと信じてんだな」


「あとお前『アンネ姐さん』ってなんだよ。いつからあいつの舎弟になった?」


「い、いや、あたしは先生の舎弟だよ!? でも先生の友達ダチなんだろ!? だから『姐さん』って呼んでるだけでよォ……!」


「いやまず、お前は俺の舎弟でもねーよ。俺は教師でお前は生徒じゃん。あと自分の服装見てみろ。どこからどう見てもメイドだよ。お前がメイドとしての職分忘れすぎて俺が趣味で若い女にメイド服着せて連れ歩いてるみたいになってるじゃん。ぶっ殺すぞ」


 スラムの連中は仮面メイドが怪しすぎて触れないようにしてたけど、街中で仮面メイド連れてるの、周囲の視線が痛すぎたからね?


 ……などと騒いで話題を逸らすことに成功する。

 いや、たしかにアンネのことは信じてるのかもしれない。

 でもまあそれを言葉にして認めるのは、あまりにも恥ずかしく、めちゃめちゃ悔しいので絶対に嫌なのだった。


 あいつと俺は顔を合わせたらにらみあって殴り合うぐらいでちょうどいい。

 そもそも侯爵令嬢になったあいつに伯爵である俺が会う機会ももうないだろうから、この話も、俺たちの関係も、もう本当にここでおしまいなのだ。


 知らないところで酷い目にあって実家から追放されていた令嬢が、あるべき場所に戻りました。

 この話は、それで全部、終わりなのだった。



 って思うじゃん?


「ウィル、また来たよ」


 短かかった赤毛を伸ばし始めたアンネローゼお嬢様がなんのアポもなく家に侵入していて、俺は思わず爆発しそうになるよね。


「あの、アンネローゼ様……他の貴族のお屋敷をたずねる際には、事前に手紙で許可を……あと未婚の侯爵令嬢が男性伯爵の家に足繁く通うのもちょっと……あと」


「うっさいなぁ……」


「うっさい!? うっさいって言った!? 俺、すごく常識言ってるんだけど!? ぶっ殺すぞテメェ!」


 アンネローゼは貴族暮らしが嫌でよく逃げてくる。


 これが俺にとって完全にマイナスかというと全然そんなことないのがマジでぶっ殺してぇところなんだが、侯爵令嬢アンネローゼとの付き合いがあるせいで俺に仕事の斡旋をしぶっていた連中が急速に付き合いを深めようとしたりしてくる。


 なにせアンネローゼ・ホールディン侯爵令嬢は今や『時の人』だ。


 貴種流離譚━━というのか。

 継母の卑劣な陰謀によって家を追放された御令嬢が、奇跡的な出会いを果たし(義肢職人のことだ)、数奇な運命をたどり(スラムでのあれこれだ)、最後には自分を追い落とした継母を糾弾するという話は、社交界で噂にのぼらない日はなく、演劇の題目にまでされたのだった。


 まァ、俺に社交パーティーの招待状は来ねぇから伝聞なんだけどな!


 そのアンネが足繁く俺の家に通っているので、俺の家に来れば社交嫌いのアンネローゼお嬢様に会えると評判であり、アンネに会うために俺に声をかける連中が増えているのだった。


 ところで、ねぇ、まだ使用人帰って来ねぇんだけど。連日増える手紙の処理が全部俺の仕事に上乗せされてるんだけど。社交パーティーとか誘われても出てるヒマねぇんだよォ!


 クソ忙しい。しかし侯爵令嬢にお越しいただいてもてなさないわけにもいかない。メイドは働かすと仕事が増えるので、俺が庭にテーブルセットを並べ俺がお菓子を作り俺がお茶を淹れておもてなしをする。


 と、どうだ。侯爵令嬢アンネローゼ様は、抜けるような青空を見上げ庭園をなでる風に赤い髪を揺らしながら、眠そうな目で一言、こう述べる。


「……ちょこまかされると気持ち悪いから、座ったら?」


 ぶっ殺すぞ!?


 OMOTENASHIしてんだけど!?


 あんまりにもムカつくのでホールディン侯爵に『お前の娘さァ! 俺んちにめちゃめちゃ来るんだけどォ! 手綱ァ! 握れやオッサン!』をめちゃくちゃ丁寧にした文章をつづった手紙を送った。


 するとどうだろう、俺はアンネローゼお嬢様の家庭教師にされてしまった。死ね。


 しかもこれまた『生徒の方が教師の家に来る』タイプの家庭教師なのだった。それ学校って言うんだよ。通学できるなら通えや。あるでしょ貴族用の学校。騎士学校とかもさぁ。


 まぁお金くれるから断りませんでしたけど!


 ……しかしアンネにまつわるアレコレがどれもこれも俺にとっていい方向に転がっていてクソムカつくのだが、生徒が増えたのも悪いことではなかった。


 レイチェルに集中力が生まれたのだ。


 どうにも競い合う相手ができたのがいいっぽい。

 常識力、学力、教養においてレイチェルとアンネはだいたい同じ(スラムで育った女と常識力が同じ貴族令嬢がいるらしい)なので、おおむね一緒のカリキュラムを課すことになる。


 そうして試験なんかをして成績の上下が数字になると、負けた側がいたく奮起するのだ。


 ……競い合う仲間。


 レイチェルの実家は、『競争相手』を得るにはデカすぎた。

 みんな大公家令嬢に遠慮してしまって、レイチェルに勝ちをゆずってしまうのだ。


 だがアンネは勝ちをゆずらない。

 というかコイツも負けず嫌いなので、全力で潰しにかかる。


 レイチェルは、それが嬉しいようだった。


 そんなふうにアンネがことごとくいい影響を運んでくるのだが、それは喜ばしいことと認めつつ、コイツのお陰で状況が上向いて来たと認めるのは絶対にイヤ。


 人の器が小さいのだった。


 これは本当にどうにかしたいと願いつつも、願い続けた結果が今なのでまあ人生まるまるかけてどうにかしていくしかない問題なのだった。


 ところで俺んちに来てないで社交パーティーとか言った方がよりよい教師役を見繕ってもらえるんじゃないですかねェ? とあてつけ気味に聞いてみたところ、すさまじくイヤそうな顔でアンネはこう答えた。


「社交パーティーは出なきゃいけないのはわかってる。でも、ダンスをしなきゃいけないらしいから」


 たしかにダンスは『付け焼き刃感』がモロに出る。

 まあしかし侯爵家がダンスコーチを雇えないということもなかろうに。


「でも、手が」


 そういえば【鉄腕のアンネ】は実家に復帰したところで鉄腕のままなのだった。

 アンネは英雄視されているが、それはそれとして実際にその鉄腕に触れるのを怖がる貴族も多いのだろう(ダンスコーチはだいたい貴族だ)。


 しょうがねぇからダンスも俺が教えるしかないのだろう。


 本来、女性パートのダンスを男性が教えるというものなかなかないのだけれど、この場合は他にどうしようもない。


 なにせ今のところアンネの手をとれるのが俺ぐらいしかいないのだ。


 マジでしょうがねぇ話だ。だからしばらくは俺がエスコートしていくことになるのだろう。

 まあスラムでぬくぬくしてたコイツを貴族社会に戻した責任も感じないでもない。このぐらいのアフターフォローはすべきかなというのは、納得できないでもなかった。


 アンネローゼは殺されかけたが生き延びて実家に戻った。


 しかしハッピーエンドとはいかなかったようだ。ここからがアンネの勉強の始まりであり、どうしようもないほど俺は教師なので、教えを求められれば『嫌』とは言えない。


 だからこの話はまったく『めでたし、めでたし』とは締められない。


 どちらかというと『はじまり、はじまり』で、社交界で話題の貴種流離譚みたいに格好よくもなく劇的でもなく、ただぼんやりと続いていく、俺たちの新しい日常でしかないのだった。


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2章終了。

続きがまた思いつくといけないので連載中のままにしておきます。

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ヤンキー女騎士を倒したら舎弟メイドになった話 稲荷竜 @Ryu_Inari

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