2章 第5話 鉄腕令嬢の問題

「……腹違いの妹なんだ」


 舎弟ではないそうです。


 間に挟まるやつがいたせいですっかり冷静になった俺たちは、お互いがもう大人であることを思い出してしまった。

 俺は貴族だしアンネは犯罪集団の親玉だ。もうぶん殴るだけであらゆる問題を解決できる立場ではないのだった。


 仕切り直し。

 座りましょう。


 ……俺とアンネとクリスティーナが座るのはまあ当然なんだが、なぜか当たり前のような顔をして俺の隣に仮面のメイドが腰掛ける。いや顔はわかんねーんだけど絶対なんの疑問もなく席に着いたよねレイチェルさん。


 お前今顔を隠してメイドとしてここにいるんだから、アンネの舎弟その一とその二 (俺を案内してきた馬上槍みたいな頭をしたやつと、さっき門番をしてた弁髪の大男)みたいに立って後ろに控えてろよ。


 しかし腹違いの妹。なるほど面倒クセェ気配がするじゃねーの。


 俺は借金があるのと妹の治療に手を尽くしてもらってる都合でローゼンバーグ大公のメンツは潰せない立場にある。


 っていうか貴族は基本、位階が上の貴族のメンツを潰せない。


 つまりなにがなんでもクリスティーナ嬢を連れ帰ることは確定なのだが、実妹となるとたとえアンネをぶん殴ってクリスティーナ嬢を連れ去っても、アンネは手段を選ばず取り返しに来るだろう。妹だもんな。わかる。


 なので譲歩を引き出すためにも事情を聞くことにした。


 あごをしゃくって続きを促せば、アンネはじっとりとこっちを見たあとに、なぜかデッカイため息をついてから語り始める。


「……なにを語らせたいのかはわからないけど。クリスティーナはそのうち家に帰すつもりではある」


「お姉様!?」


 当のクリスティーナは帰る気なさそうだが、アンネが『帰す』と言うなら帰ることになるだろう。


 まあしかし、そうなると事態の原因は十割クリスティーナの方にある。


 ということは説得すべきは妹の方だ。俺は家出少女クリスティーナに視線を向けた。悲鳴上げないで。怖くないよ。


「そもそもクリスティーナ嬢はなぜスラムに? ご実家での生活になにかご不満があるのでしたら、私が微力を尽くしますが……」


「ウィル、お前……そんなしゃべり方ができたの……?」


 しかし横からしゃしゃり出てくる女がいた。アンネである。


「ウルセェな。今はクリスティーナお嬢さんと話してんだよ。引っ込んでろ。……ああ失礼。悲鳴を飲み込まないで。大丈夫。私はほら、エインズワース伯爵家の当主です。貴族なんですよ。怖くないよ」


「逆効果だよばか」


「だからウルセェんだよ。テメェに話してねぇだろうが」


「テメーのツラが怖くてクリスティーナが過呼吸になってるからいったん黙れっつってんだよ。ばか」


「馬鹿馬鹿ウルセェな! いいから黙ってろ! ぶっ殺すぞ!?」


「テメーがまともに人の話聞く気がねぇから悪いんだろうが!? ぶん殴るぞ!?」


「ケンカしないで!」


「「してねぇよ!」」


 クリスティーナお嬢さんが悲鳴じみた声を上げるせいで、俺とアンネは声をそろえて言ってしまった。仲良しみたいになっちゃったじゃねーか。ぶっ殺すぞ。


 あまりにも話が進まないので観念して質疑応答をアンネに投げることにした。

 アイコンタクトで察したらしいアンネはうなずいて、それからクリスティーナ嬢へと向き直る。


「クリスティーナ、悪いけど、私はもう実家とは無関係。……そもそも、公式には十五年前に私は事故死したことになってるし……」


 アンネは俺に説明する意味合いもあってだろう、彼女の身に起こったことを散りばめながら、『いかに自分がクリスティーナと無関係か』を語り始めた。


 アンネはホールディン侯爵の愛妾の子だそうだ。

 それが六歳のころ、クリスティーナの実母……アンネにとっての継母ままははの陰謀で殺されかけたらしい。


 しかし馬車に轢かれて川に流されたアンネはしぶとく生きていた。そのさいに四肢をダメにしたのは不運だったが、アンネを拾ったのが変態だったことは幸運だった。


 その変態は職人系変態であり、『生身より優れた魔法金属の四肢』の開発に人生を懸けている変態だった。


『四肢が無事なら拾わなかった』とまで言われたらしい━━というあたりでクリスティーナが気絶しかけた。話がお嬢さんにはちょっとショッキングだったからな。なぁそう思うだろう普通に聞いてるレイチェルお嬢様。


 ……ともあれそこで『鉄腕』を手に入れたアンネは、ただ義肢を提供してもらうのも悪いと思って、自分でいくらか稼ごうとした。

 しかしそもそも貴族のお嬢さんな上に両腕両脚があきらかにヤベーモンなので通常の職にはつけず、ふらふらとスラムに流れ着いたところ、当たり前のように襲われ、当然のように撃退し、気付けばファミリーの頭になっていたそうだ。


 で、その後は俺も知ってる通り。ケンカをふっかけてくる小規模ファミリーをぶっ倒してるうちにファミリーの規模が大きくなり、そのうち俺のファミリーとぶつかって、壮絶な殴り合いのあとに俺たちは連合を組んだ。


 俺とアンネともう一人のファミリーが組んだ連合が一時期スラムを支配していたのだが、それはまた別なお話だ。


 そして俺が去ったあと、アンネの情報網にホールディン家がスラムを探っていることが引っかかったらしい。


 どうにも自分が『あの時、事故死したアンネローゼお嬢様なのではないか』と思われているらしく、まあそれは正解なんだが、ともかく今さら家に戻れとか言われても困るので、ハッキリ縁を切るために実家に行ったらしい。


 クリスティーナ嬢とはその時に出会っていくらか会話し、しばらくは文通もしてたらしい。


 しかしスラムの雲行きがまた怪しくなってきたこともあり、クリスティーナ嬢と縁があると敵対ファミリーに知られると面白くないので連絡を絶ち、なんやかんやで危機は脱して今にいたる、ということだった。


 つまりクリスティーナからの事前連絡はなく、保護したてなのでクリスティーナがスラムに出向いてまで自分に会いにきた理由もまだわかっていないらしい。


「……こんな場所に貴族のお嬢さんがいるのは目立つし、よくない噂も立つ。すぐにでも帰った方がいいと、私は思っている」


 アンネは俺と向き合うとガラの悪い口調になるが、目下の者にはこんなふうに噛んでふくめるような、一言一言区切ってゆっくり発音するような話し方になる。


 無表情でなにを考えているかわからないと言われることもあるアンネだが、顔立ちが幼いので、必要以上に怖がられないという特徴がある。ずるい。


 ともあれアンネの言いたいことは理解したろうが、クリスティーナは不満そうな顔だ。


「実は……わたくし、婚約が決まったのです」


 おめでとう、と言える雰囲気ではなかった。

 このタイミング、その表情で述べる『婚約』が、望まれたもののはずがないからだ。


「三十も歳上の、顔も見たことがない、男爵様ということで」


 あーこれはまずいですよ。


 貴族位は王族、大公を雲の上として公・侯・子・伯・男の順番になっている。この位階は貴族以外が思うよりずいぶん『絶対』で、よっぽどのことがない限り格上の家から格下の家に嫁入りするということはない。


 その男爵がめちゃめちゃ有能で商売で超成功してるとかそういう話なら納得できなくはないのだけれど……俺の情報網には引っかかってねぇな。


 まあ一応聞いてみるか。


「その嫁ぎ先の男爵殿は、なにか大きな商売で成功されているとかは、ないのですよね?」


「ヒッ……は、はい。その……長い間続いた男爵家だったようですが、今代でお取りつぶしが決まっているようで……」


「あ〜……なるほど……」


 口ぶりからすると準男爵……平民が功績を挙げて一代限りの男爵位を賜ったのともまた違う。普通に改易予定だ。


 あと俺が話しかけるたびにいちいち悲鳴上げるのやめてもろても……


 ちょっと傷ついていると、横からゴンと鉄腕に叩かれた。呼びかけたかったんなら口で言え。痛いだろうがよ。


「なぁ、ウィル」


「なんだよアンネ」


「……私には貴族社会のことはよくわからない。クリスティーナの状況は、いい? 悪い?」


「それを答えるには確認がいる。えーっとクリスティーナ嬢、話しかけるけど怖がらないでくださいね? その縁談は、誰が持ってきたもので?」


「お、お母様です……」


「実母?」


「ええ……」


「最近、弟が生まれたとか、養子をとったとか、あります?」


「弟は生まれましたけど……」


 思わず顔を覆った。


 アンネが鉄腕で肩をごつごつ殴ってくる。


「なんだよいてェんだよぶっ殺すぞ」


「ウィル、どういう状況か説明しろ」


「……つまりね。クリスティーナ嬢のお母様はね、新しく生まれた弟の方に家督を継がせたいので、クリスティーナ嬢が邪魔になった。だから、改易予定の男爵に嫁入りさせようとしている」


「……それは、悪い話?」


「えーっと、わりとぶっちぎりで。で、これはまあ、その〜あくまでね? あくまで一般論というか、慣例からの予測というか、そういうものなんだけどね? ……その『弟』の父親、ホールディン侯爵じゃないくさいんだよな」


「アァ!?」


「俺にすごむんじゃねーよぶっ殺すぞ。……たぶんだけど、若い浮気相手がいて、そいつとのあいだにできた子が、クリスティーナ嬢の弟なんじゃないかなーって。いや、情報も根拠もないよ。でもこういう形で実子を格下の、しかもすぐ潰れる家に嫁がせて処分するって、そういう事情以外ねぇんだよな〜って」


「……ちょっとあのクソババアぶん殴って来る」


「まあまあお待ちなさいよアンネローゼお嬢様」


「ぶん殴るぞ!?」


「まだ全部俺の予想だからさ。クリスティーナお嬢様、その、あなたのお母様と特に親しくしてらしてる、若くて顔がいい男性とか、いらっしゃったりは……? 仕事ができないくせに奇妙に厚遇されてる、みたいな特徴があったりするかもしれないんですが」


「……」


 顔が『いる』って言ってるわ。

 しかもめちゃめちゃ具体的に思い浮かんでる目ぇしてる。


 あ〜〜〜気付かないフリすりゃよかった〜!

 侯爵家のスキャンダルとか知りとうなかった〜!


 よし、気付かなかったことにしよう。


「まあ私には詳しくわかりかねますが色々な事情があるということかもしれませんねそれではクリスティーナ嬢このまま家に帰りましょうか」


「おい、ウィル」


「聞こえない」


「私はあの家と縁を切った。継母にも恨みはないんだ。……大怪我させられた上に死んだ扱いされたけど、結果的に手足は生身よりもいいものもらったし、スラムでも……充実してたから。恨んでない」


「あーあーあーあーあー聞こえない聞こえない聞ーこーえーなーいー」


 身の上話をするんじゃねぇ。

 断りきれなくなるだろうが。


「でも、『これ』はダメ。……義理の娘の私ならともかく、実の娘にこの仕打ちは、さすがに、許せない」


「聞こえねぇぞ」


「……クリスティーナの人生がめちゃくちゃにされようとしているのを、見過ごせない。でも、私は貴族の世界のことを知らない。だから、ウィル」


「その先を言うならマジでぶっ殺すぞ」


「ぶっ殺されてもいいから、クリスティーナを助ける手伝いをしてほしい」


 こいつさ〜〜〜〜〜〜!

 ほんとにこいつさ〜〜〜〜〜〜!


 手足ぐしゃぐしゃにされて川に流されてスラムで生きてきたくせにさ〜〜〜!


 なんでこんなに人格が歪んでねぇんだよ!!


 いやまずテメェを殺しかけたことで継母を恨めや! 人の器デカすぎか!? 俺なら絶対許さねぇよ!?


 クソ! 面倒クセェこと頼みやがって!


 ここまで言われて断ったら俺が俺の器の小ささを思い知らされるだろうが!


 俺は確かに人の器が小せぇのは自分で認めるよ!? けどね! なるべく思い知らされたくはねぇんだよ!


「先生、あたしも手伝うぜ!」


「黙ってろクソガキメイドォ! なんでちょっと楽しそうなんだよ! 俺はなァ! 俺の気分が悪い時に誰かが機嫌よさそうにしてると猛烈に殺意が湧くんだよォ!」


 言葉にしたら俺への評価が最悪な感じになっちゃったじゃねーかよ! ぶっ殺すぞ!


 ふぅ。


「……で、着地点はどこにするつもりだよ」


「ウィルは昔から急に落ち着くね……」


「うるせぇ。で、アンネ……とクリスティーナお嬢様。あんたらはなにを目指してる? 顔も知らない男爵との婚約取り下げか? それとも好き放題しまくってる継母をぶっ殺してぇのか? あるいは侯爵家を乗っ取ってこれ以降好き放題されないようにしたいか?」


「どこまでできるの?」


「目標を定めてから考えるに決まってんだろうが。ああ、でもな、生命的にぶっ殺すのはおすすめしねぇぞ」


「やっぱ騎士団が本気になるか?」


ちげぇよ。よっぽどの場合を除いて、貴族にとって『死』は、死後に格好がついちまうモンなんだ。なぜなら死者を悪く言う貴族は貴族社会で排斥される。ありきたりな悲劇トラジティをかぶせられて『名誉の死』にされる」


「最悪なクソババアでも?」


「最悪なクソババアにも夫がいて娘がいるだろうがよ。死者を貶めることによって生者を蔑む行為を貴族はしねぇんだよ。それは高貴ではないとされるから。だから……生きたまま恥をかかせることが、最高の罰になる。つまり━━貴族の本体は『名誉』だ。これは生命より優先される。そういう価値観が貴族社会にはある」


「……もしも、名誉を殺したいと言ったら、ウィルは協力してくれるの? それはウィルがここに来た目的の邪魔にならない?」


「今さら? ……まあ、邪魔にゃならねぇんだろうなァ……」


 そもそもクリスティーナが家を抜け出してスラムに来たのも、クソババアに仕組まれてる可能性もあるしな。醜聞を立てた方が格下の家に嫁がせる大義名分が立ちやすいし。


 貴族社会は大義名分が重要だ。ランクの低い家に娘を嫁に出すのは通常であれば親の手腕やらなんやらを疑われるが、娘自身に醜聞があればなんとなく許される。


 となるとローゼンバーグ大公に『秘密裏に娘を連れ戻してほしい』ってのはホールディン侯爵の個人的なお願いか……侯爵夫人クソババアはむしろ娘に醜聞が立つことを望んでそうだしな。


 娘をただ連れ帰っても、たぶん夫人が大騒ぎして『娘はスラムになんか行ってません』ってことにはできねぇし……


 この事件の本質は家出人捜索じゃねぇじゃん。侯爵家夫妻の後継をめぐる確執の解決じゃんね。あと大公は侯爵側。敵は夫人。

 大事なこと隠して依頼するんじゃねーよぶっ殺すぞ。


「で?」


 答えがないので問いかける。


 アンネは赤い瞳を燃えるように輝かせて、答える。


「クソババアをぶっ殺す。貴族的に? というの?」


「そのためにお前はどこまでならできる?」


「なんでもする」


「クリスティーナお嬢様は? このままいくと『状況に流されただけです』じゃ済まない事態になりますよ。そこまで致命的に実母と敵対していい?」


「……わたくしのことは別としても、お姉様を酷い目に遭わせたあの人は、どこかで裁きを受けるべきだと思います。それでわたくしに累が及ぼうとも、受け入れる覚悟はあります。そもそも……」


「?」


「わたくしは、わたくしがいなくなったあの家で、母が自由に振る舞っては、ホールディン侯爵家が『高貴なる者の責務』を果たせなくなると考えます。だからお姉様に家に戻ってもらい、母を監視してもらおうと説得をしにここに来たのです。ですから、母を除くために協力は惜しみません」


 聖人か〜?

 親が歪んでるほど子の性分がまっすぐになるとか、そういうことがあるのかもしれなかった。つまり俺が歪んでるのは親がまっすぐすぎるせいだな。ヨシ!


 ともあれ二人の承諾と協力は得られたわけで。


「じゃあ、解決だ」


 アンネもクリスティーナも首をかしげていた。

 視界の端の方で仮面をつけたレイチェルも首をかしげていたが、お前は今後の展開予想できてなきゃダメだろ。お前、全部の情報持ってるじゃん。

 宿題にするので次までに考えておくように。


 この事態は三手で終わるんだよ。しかもクソババア側に一切の手番を回さない三手で。だからもうおしまいなんです。

 なにせこっちには反則級の手札があるからなあ。お前が誰よりもその手札のことを認識して威力を理解してなきゃならんのだよ、レイチェル・ローゼンバーグお嬢様。

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