エピローグ

 アルノルト殿下がアルトゥール公爵家の令嬢を名指しで指名した。その事実に会場がざわつき、アンジェリカは「なんですって!?」とみっともなく声を上げる。


「わ、わたくしに同行を求めるとは、一体どういうことですか!?」

「言葉通りの意味だ。詳しくは別室で説明する予定である」

「わたくしはなんらやましいことはありません。お尋ねになることがあるのなら、どうかこの場で仰ってください!」


 アンジェリカは、その言葉が自らの首を絞めていることに気付かない。アルトゥール公爵夫人がなにか言いかけたが、アルノルト殿下が「いいだろう」と了承してしまった。


「では事実を伝えよう。そなたの部屋で見つかった小瓶から、トリアの涙が検出された」

「なっ!? わ、わたくしの部屋に、そのようなものがあるはずありません!」

「だが事実だ。中身はなくなっていたが、底に残っていた雫からその成分が検出された」


 使用済みの毒、では一体どこで使ったのか――と、この場にいるほとんどの者が思い浮かべたはずだ。それはアンジェリカ自身も同じだったようで、その顔が青ざめていく。


「わ、わたくしではありません! これはきっとなにかの間違いです! そうだ、わたくしの部屋以外からは、トリアの涙は見つかっていないのですか!」

「……ふむ。じつはというと、もう一つ瓶が見つかっている」


 私の方が後から明かされる。

 その順番からして、私の方が疑いは少ないのだろう。もしそうじゃなければ、連名で呼ばれるか、私が先に名前を呼ばれていたはずだ。

 そんな風に考えていると、


「――エリス・ウィスタリア」


 アルノルト殿下に名前を呼ばれて我に返る。


「お呼びになりましたか?」


 考え事をしていた私は、一瞬遅れてこてりと首を傾げた。

 正直、この状況でその反応は似つかわしくなかったと思う。周囲から、ちょっとこの子、頭の中がお花畑過ぎませんか? 見たいな目で見られた。

 だが、アルノルト殿下は私の目を見て、静かに告げた。


「もう一つのトリアの涙は、そなたの部屋で見つかった」――と。


 公爵家の令嬢に続き、大侯爵の令嬢の部屋からも毒が見つかった。これには、アルノルト殿下でも抑えられないほどのざわめきが広まり、そして――


「では、犯人はエリス様に違いありませんわ!」


 私に濡れ衣を着せようとした彼女だけど、自分が濡れ衣を着せられる覚悟はなかったようだ。必死に私が犯人だと訴える彼女は……お世辞にも美しいとは言えないわね。

 私は困ったわ――といった顔で無言を貫いた。


「アンジェリカ、それが事実かどうかはこれからの調査で明らかになる。まずは……エリス、キミの部屋から見つかったのはこれだ」


 アルノルト殿下の指示で、騎士の一人がいくつもの小瓶が入った箱を見せた。


「それだけの毒を所持していたのなら、彼女が犯人に決まっているではありませんか!」

「アンジェリカ、黙れ。いま、私はエリスに話を聞いているのだ。それ以上騒ぎ立てるようなら、捜査を妨害しようとした罪で拘束させてもらうぞ」

「ぐっ……わ、分かりましたわ」


 アンジェリカがようやく大人しくなった。

 それを横目に、アルノルト殿下の視線が私を捕らえた。彼は柔らかく微笑んで、なぜか大丈夫だとでも言いたげに小さく頷いた。

 ……いえ、そんなはずありませんね。たぶん気のせいでしょう。


「さて、エリス、この薬瓶はキミの物で間違いないか?」

「はい、お医者様に処方していただいたお薬で、毎日食後に飲んでいます」

「ふむ。ではもう一つ、今日は部屋を空けていたというのは事実か?」

「それも仰るとおりです。メイド達はみな、パーティーに参加するようにと命じましたから」

「それは、なぜだ?」

「私が新入生代表として挨拶する晴れ姿を、メイドのみなに見て欲しかったからです」

「……そうか」


 物凄く微笑ましいものを見るような顔で見られた。さすがにマズいと思った私は「その、パーティーはメイド達にとって、婚活の場でもありますから」と付け足す。


「なるほど、理解した。キミは使用人思いの主なのだな」

「ありがとう、ございます?」


 容疑者として尋問されているはずなのに、なんだか私の評価が上がっている気がする。

 ちょっと、私にとって都合のいい展開が過ぎだ。おおよそ、私の思惑通りではあるけれど、ここまで調子が良いと逆に不安になる。

 ……まさか、お義母様がアルノルト殿下を懐柔済み、なんて可能性はないですよね?

 そんな風に思っていると、アルトゥール公爵婦人が手を挙げて発言を求めた。


「アルトゥール公爵婦人、なにか言いたいことがあるのか?」

「恐れながら、娘のアンジェリカに怪しい点があることは否定いたしません。ですが、エリス様にも疑いの目を向けるべきではありませんか?」


 公平ではないと、遠回しに指摘する。

 だが、アルノルト殿下は状況が同じであればの話だと突っぱねた。


「それは、どういう……」

「エリスの部屋から見つかったトリアの涙は、彼女が飲むこの薬の中に混ぜられていたのだ。それも、見ての通り、薬の瓶と同じ容器に入れて、だ」


 再び周囲がざわめく。

 そんな中、アルノルト殿下は凜とした声で宣言した。「よって私は、ワインに毒を盛った犯人が、エリス嬢をも殺そうとしたと考えている」――と。


 王子の言葉は誰の耳にも、アンジェリカがワインに毒を入れ、エリスをも殺そうとしたと企てた犯人だと言っているように聞こえただろう。

 アンジェリカはガクガクと震え、その場にへたり込んだ。


「……アルノルト殿下の仰りようは、まるでアンジェリカが犯人のようですが、なにか瓶以外の証拠はあるのでしょうか? たとえば、メイドが自白したと言った」

「……明確な証拠はまだない。よって、これから調査する予定である」

「では、言葉に気を付けてくださいませ。いくらアルノルト殿下といえど、アルトゥール公爵家への謂われのない侮辱は許されませんよ?」


 アルトゥール公爵夫人は堂々と振る舞う。

 並みの貴族なら、ここで破滅していただろう。でも、同じ状況で巻き戻るまえの私は難を逃れた。そしてそれは、アルトゥール公爵夫人でも同じことだろう。


 だから私は――声を上げた。


「アンジェリカ様がそのように恐ろしいことをするなんて私は思いませんわ!」


 みなが一斉に、なにを言ってるんだ? とでも言いたげな顔をした。なかでもカミラは『どうして敵を助けているんですか!?』と叫びだしそうだ。


 でも、ここで追い詰めたって、精々肩身が狭くなる程度だ。

 公爵――王族の血を引く彼女が、物証一つで破滅したりはしない。私が破滅したのは、物証の他に、メイドの証言など、数え切れないほどの証拠が用意されていたからだ。

 破滅させることが出来ないのなら――ここで彼女を逃がしたりはしない。


「アンジェリカ様は心優しいお方ですし、成績も優秀だとうかがっています。このように愚かな真似をするはずがないと、私は心から信じておりますわ!」


 暗にアンジェリカは愚かだと笑って、だけど表面上では彼女は無実だと訴える。それに困った顔をしたのはアルノルト殿下だった。

 彼は困惑気味に問い掛けてきた。


「……ふむ。しかしエリス。彼女の部屋から、使用済みの毒が見つかっているのだぞ?」

「ですが、私の部屋からも毒が見つかっています。私の部屋に毒を仕込んだ犯人が、アンジェリカ様に濡れ衣を着せようとしたのではないでしょうか?」


 アルノルト殿下の背後に控える者達が微妙な顔をした。

 私の部屋に毒を仕込めたのは、私が愚かにも部屋に誰も残さなかったからだ。名のある貴族なら普通、部屋に誰も残さない、なんてことはない。

 よって、アンジェリカの部屋に毒を仕込める犯人などいない。


 ――と、そう思ったのだろう。

 つまり、私が唱えた、アンジェリカも私と同じ被害者説は成り立たない。無知で愚かな小娘が、必死に自分を殺そうとした犯人を庇っているようにしか見えない。

 微妙な空気が流れる中、アルノルト殿下が咳払いをした。


「なるほど、エリスの言うことにも一理あるかも知れないな」


 え、ないですよ? なんて心の声は飲み込む。以前の私ならともかく、アルノルト殿下が気付いていないと言うことはあり得ない。

 彼はとても優秀だと有名だから。

 もっとも、彼の思惑までは分からないけれど……とにもかくにも、私の意見を考慮したうえで、後日、あらためて調査がおこなわれることになった。


 後日ということで、これ以上の証拠が挙がることはないだろう。実質、アンジェリカは証拠不十分で不問となる――ということである。


 実際、私が仕込んだのは、彼女の部屋に小瓶を置いただけ。ワインに毒を仕込んだのが彼女だという証拠は作っていない。よって、彼女が罪を問われることはない。

 彼女自身がミスを犯していない限り。


 ただ、証拠不十分とはいえ、彼女が犯人だと思っている人間は多いだろう。これからの彼女の生活は肩身が狭いものになるはずだ。

 だから私はそんな彼女の手を取った。


「アンジェリカ様、私は貴女を信じていますからね」


 巻き戻るまえ、私に濡れ衣を着せた彼女が口にした言葉。彼女の予定通りに事が進んでいたら、嫌疑を掛けられた私にそう言葉を掛けるつもりだったのだろう。

 その言葉を、濡れ衣を着せようとした愚かな小娘から掛けられる。彼女はいま、このうえない屈辱を感じているはずだ。それでも、彼女は私の手を振り払うことが出来ない。

 だって私は、無知で愚かな、だけど優しい娘だから。


 私の手を振り払えば、彼女は悪人確定だ。それを理解している彼女はギリッと音が聞こえるくらいに歯を食いしばり、それから「ありがとうございます」と私の手を取った。

 その手は、怒りと屈辱に震えていた。


 冷静さを欠いた彼女は、私にはめられたとは気付いていない。だからきっと、これでは終わらない。次こそは私を破滅させようと挑んでくるはずだ。

 そして、そのときこそ、私とお義母様にしたことの報いを受けさせてあげる。

 

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