ことのはかくし

水本照

第1話 街かどの神隠し

「今度は通学中の小学生が、電柱の影から消えちゃったそうです」


 淡い青空の広がった12月の朝、柚月原市の街角で、またひとり子供が消えた。今年3月に始まった「柚月原ゆづきはら市連続神隠し事件」の被害者は、これで7人になった。

 この事件が「神隠し」と呼ばれているのには、もちろん理由がある。何人もの子供たちが、白昼の街中で、それも一瞬のうちに姿を消したのだ。


 公園のすべり台のうしろに隠れた子が、そのままいなくなる。

 アパレルショップの試着室に入ったはずの子が、いつまで待っても出てこない。

 友達と自分の部屋で遊んでいて、台所へお菓子を取りに行って戻ってみると、遊びに来ていた子が姿を消している……


 今までに5人の小学生と2人の中学生が、このようにしていなくなった。保護者や警察がどこをどう探しても、かれらを見つけることはできなかった。

 しかし、この事件のさらに不思議なところは、それから何日か経つと、その子供たちがまるで何事もなかったみたいに、自分からふらりと帰ってくることだった。そして大人たちに「誰かに連れて行かれたの?」「今までどこにいたの?」と尋ねられても、ただ「なにも覚えていない」と答えるのだ。


 私たちの暮らす柚月原市は、びっくりするほど平坦な町だ。険しい起伏はないし、さいわい大きな災害や事件に見舞われたこともないけれど、目立った名物も名産もない。

 つい百年前まで、このあたり一帯は草と沼地だらけの貧しい土地で、ご先祖さまたちは麦と蚕を育てながら細々と暮らしていたのだそうだ。小学校の社会科で地元の歴史を調べさせられたときには、いくら本を探しても派手な合戦だの面白い事件だのはまったく見つからなくて、ナントカ橋で狐が歌舞伎をやっていたとか、ナントカ村で狸が鍬に化けて、地面に打ちつけられて大怪我をしたとか、そんなアホな逸話ばかりが出てくるので呆れてしまった。

 明治時代になって隣に大きな港町ができてからは、柚月原も衛星都市としてどんどん発展してきたとはいうけれど、今だって繁盛している場所といえば4駅むこうのショッピングモールのまわりくらい、最寄りの本屋さんですら2駅先という具合だから、私たち中学生からすれば相変わらず面白くもない町である。

 こんな町でこれほどの怪事件が起きたのだから、はじめはみんなひどく色めきたった。警察はパトロールの回数をずいぶん増やしたみたいだったし、小学生の登下校には必ず大人が付きそうようになった。

 しかし、そんな警戒をものともせずに事件は続いた。そのうえ行方不明になった子供はみんな無事に戻ってきたので、そのうちにだんだんと、大人も子供も異常事態に慣れてきてしまった。事件の危険性を重く見た人たちは片っぱしから別の街へ引っ越していってしまうから、なおさら柚月原には諦めたような空気ばかりが溜まっている。今はもう新しく事件が起きても、せいぜい中学校が3時間目で臨時休校になって、集団下校をすることになるくらいだ。


 そんなわけで、墨吉中学校の2年生である私も、家の近い4人の後について、だらだらと下校しているところだった。すぐ前を歩く岩崎先輩のポニーテールがふわふわと揺れている。

 大通りから稲荷神社の角を左に折れて、住宅街に入ったところで、みんなの話題は今日の怪事件の話になった。


「え、電柱の影から消えたって……どこの話?」

「墨吉2丁目の、コンビニの前だそうです」

「ああ、図書館の近くの……」

「ですです。そこで、登校途中の小4の女子がいなくなったらしいですよ」


 美香がスマホでニュースを読みながら言うと、先頭を歩く檜山先輩が振りむいた。


「あー、電柱のうしろに誘拐犯がいたとか?」

「いえ、そのあたりで怪しい人は目撃されてないみたいです。そんな狭い場所に、大人が隠れられますかね? それに女の子が暴れたら、まわりから見えていたでしょうし」

「見ていた人がいるのか?」

「はい。女の子は登校班で通学していて……現場まで来たときに、『ちょっと待ってて』って言って、列を離れて電柱の影に入ったそうです。登校班の子たちは近くで待っていたのですが、いつまで経っても戻らないので見に行ってみたら、電柱のうしろには誰もいなかった……」


 檜山先輩の隣を歩いていた常木も、振り返って美香を見た。


「今回はもう、ずいぶん細かい情報が出てるんだねえ」

「はい。警察は今回も同一犯による犯行とみて、情報提供を呼びかけているそうです。『行方不明になっているのは、来岡十波くるおかとなみさん10歳。身長は約145cm、茶色のサロペットに黒いダウンジャケット、髪は長くて一つ結びで、赤いランドセルを持っています……見かけた方はお近くの警察署か交番へご連絡ください』、だそうです」

「サロ……なんだって?」

「サロペットです。マリオが穿いてるツナギみたいなかんじのやつです」


 いや、もうちょっとお洒落な感じの説明があるんじゃないか。


「へえ、今時の小学生は変わったもの着てるんだな」

「檜山先輩には分からないかもしれませんけど、小学校は毎日、私服で行かなきゃいけないので、お洒落に気を使う子は結構大変なんですよ。わたしはどっちかというとあんまり気にしないタイプでしたけど、妹は新しい服をしょっちゅう欲しがってます」


 美香がため息まじりに答えた。美香はこの中では唯一の1年生だから、考えてみれば3月まではランドセルを背負って小学校に通っていたのだ。体育会系のしっかり者だから、普段はあまり年下という感じがしないけれど。

 私が美香の頭を見上げながら、何を食べたらこんなに背が伸びるんだろうと考えていると、美香の隣——ちょうど私の前を歩いている岩崎先輩が、のんびりと言った。


「そういえば、妹さんは元気? 事件つづきで、小学校の行事はいろいろ中止になっちゃったけど」


 いつものように微笑みながら話す岩崎先輩につられて、美香も苦笑する。


「ぜんぜん元気ですよ! 運動会が中止になっちゃった時はすこし落ち込んでましたけど、最近は神隠しのうわさばっかりしてて、ちょっとうるさいくらいです」

「そっか、よかった」にこやかにうなずいてから、岩崎先輩は首を傾げた。「噂って、どんなの?」

「ええと、なんか小学校では結構はやってる話みたいなんですけど……先輩は、弟さんからなにか聞いてませんか?」

「ううん。低学年の方ではそんなに噂になってないのかも」


 岩崎先輩が首を振ると(先輩の弟さんは、今はたしか2年生だ)、美香は顔をしかめて言った。


「その……要するに、神隠しを起こしているのは、黒いマントを着たのっぽの男だー、っていう話です。そいつに捕まると変な注射を打たれて、あやつり人形にされてしまうんだそうです」

「あやつり人形?」

「なんでもその注射を打たれると、そいつの発する怪電波で、意のままに操られるようになってしまうとか。その黒マントの目的はこの街を支配することで、今はそれに備えて、将来自分の下僕となる子供を増やしているところなんだ、とか」


 フェンス越しに小川が見える。気がつくと私たちは川沿いの遊歩道まで来ていた。コンクリートの両岸のあいだで、水が静かに日光をはじいている。あたりに人影が見えないのは、昼時だからか、それとも事件直後だからだろうか。

 檜山先輩はぐるりと振り向くと、後ろ向きに歩きながらにやにや笑った。


「いや、それは意外といい線をついているかもしれないな。警察もメディアも、子供をキャッチ・アンド・リリースする理由なんて見当もつかないようだが、その説ならちゃんと説明がついてる」

「馬鹿なことを言わないでください。そんな「怪人黒マント」なんて持ち出さなくても、ちゃんと説明はつきますよ」


 メガネの常木が声を上げた。常木とは小学校以来の同級生だけれど、こういう知ったかぶりをしたがるようなところが、私はどうにも苦手だ。歩く百科事典にでもなるつもりなら、図書館の一番下の棚でひっそりと出番を待つ奥ゆかしさも見習えばいいのに。

 檜山先輩も常木のこういうところにはもう慣れっこのようで、苦笑いしながら聞き返した。


「ええ、そうか?」

「そうですよ!」常木は指をびしりと立てた。「物理的に、そのとき電柱の影から出入りできる人間はいなかったんでしょう? そして心理的にも死角があったとは思えない。最近の朝は冷え込みますからねえ、登校班のメンバーたちは、さぞかし寒かったことでしょう。そんなときに理由も告げずに列を離れたメンバーがいれば、さっさと戻ってきてくれないかと気をつけていたはずです。そんな状況で人がひとり消えるなんて、ありえない。ありえないということは、結論はひとつ。そんな事件はなかったってことです」

「なかった?」

「はい。つまりこれは狂言、イタズラってことですよ」


 ほらみろ、すっかり名探偵気分だ。興奮した時の癖で、だんだん声が高くなってきている。よくまあこう頭と口が回るものだ。私は呆れ半分感心半分で、常木がぼさぼさ頭を振り回すのを眺めていた。

 檜山先輩が面白そうに尋ねる。


「イタズラって……どういうことだ?」

「この事件のカギは、行方不明になった児童が、自分から登校班の列を離れたということです。下校中ならともかく登校中に、登校班の仲間たちを待たせてまで済ませなければならない用事が、なにかあるでしょうか?」

「うーん……お手洗いとか?」

「もしそうだとしても、電柱のうしろではなくコンビニの方に入るでしょう。その電柱はコンビニの近くに立っていたんですからね。つまり彼女には、列を離れるべき理由はなかったのだと考えられるんですよ」

「でも、それじゃあどうして、女の子は列を離れたんですか?」


 美香がつりこまれるように尋ねると、常木はいよいよ得意そうに指を立てた。


「そう、どう考えても不合理だ。それなら、こう考えてみたらどうだろう。彼女は最近、なんらかの原因で家出をしたいと考えていた。そこで登校班の人たちを説得して嘘の証言をしてもらい、自分はどこかへ身を隠した……」


 一瞬みんながしんと黙りこみ、川の音がやけに大きく響いた。けれどすぐに、檜山先輩が笑って言った。


「ええ、そんな馬鹿な」

「電柱の影から人が消えるなんて方が、よっぽど馬鹿なことじゃあありませんか?……ともかくこう考えれば、今までの事件だってすべて辻褄が合いますよ。家や公園から人が消えたのは、行方不明になった子供自身が姿を隠したいと思っていたから。友達なんかの協力を得れば、これはわりあい簡単なことでしょう」


 向こうから走ってきたランニングウェアのおばあさんが、なにごとか、という顔をして常木を見ていった。それで私ははっとした。悔しいことに、私まで常木の演説に引きこまれていたらしい。


「列を離れる理由なんて、そもそもがでっちあげなんだから、あるわけがない。電柱の影から人が消えたなんていうのだって、不思議でもなんでもないわけです。初めから嘘なんだから」

「それじゃあ、今までに戻ってきた子供たちが『この数日のことは何も覚えていない』って言ったのは……」

「それもただの嘘ですよ、もちろん。自分から家出したんですからね。だから、この事件にはなんにも不思議なところはありません。僕に言わせれば、こんなことで大騒ぎするなんて、間抜けもいいところです」


 やれやれ、と言いたげな口調で常木が言った。突然、なにか言い返してやりたいという衝動が湧いてきたので口を開いたけれど、とっさに言葉が浮かばない。

 仕方なく唇を引き結んで常木の背中を睨んでいると、不意に岩崎先輩がつぶやいた。


「……本当にそうなら、私も転校しないですむのになあ」


 彼女は常木がぶち上げていたあいだもずっと、川の方を眺めていた。向こう岸では、おじいさんに引率された小学生の一団が、なにやら歓声をあげながら歩いている。

 常木はみるみる顔を赤くして、首に手を当てた。


「す、すみません、岩崎先輩。こんな時に……」

「あ、ううん。そんなつもりじゃなくて、」慌てて両手を振った岩崎先輩の声は、いつも通りに穏やかだ。「ただ、本当にそうだったらいいのになって思っただけ。誘拐されて怖い思いをしてる子がいないのなら、それが一番だしね」

「不謹慎でした……」


 すっかりしょげてしまった常木の肩を、檜山先輩がぽんぽん叩いた。


「常木……お前そんなんだから、「

『ミステリーなら2人目くらいに殺されそうなキャラ』とか言われるんだぞー」

「はい、すみませ……え、僕そんなこと言われてるんですか」

「えー、わたしはそんなこと思いませんけどねー」

「美香さん……!」

「最後かその前くらいじゃないですか、常木先輩みたいなキャラが殺されるのって」

「美香さん……?」


 檜山先輩が吹き出し、つられてみんなが笑い出した。当の常木も、首をさすりながらバツが悪そうにニヤニヤした。岩崎先輩が楽しそうにしているのを眺めていると、私もすこしだけ、唇が緩むようなかんじがした。


 それから5分くらい、4人は他愛もない話をしながら歩いた。私はその後ろを、相変わらず黙ってついて行った。岩崎先輩の髪が冬の光を浴びて、銀杏の葉っぱみたいに輝いている。


 やがて、私たちは橋のたもとで足を止めた。岩崎先輩と私はここで3人と別れて、川の向こうへ渡る。誰かがなにかを言うのを待つように、みんなは顔を見合わせた。

 沈黙を破ったのは檜山先輩だった。


「しかし迷惑な話だよな、よりによって今日、事件があるなんてさ」乱暴に言って、頭をかき回す。「岩崎の最後の登校日が、臨時休校なんてな……終業式なのに、なんで休みにするんだよ」

「ほんと、そうですよね。今日がお別れだって分かってたら、なにか持ってきたのに……」


 美香が残念そうに言うと、岩崎先輩は手を振った。


「そんな、気を使わないで。私も今日で最後になっちゃうのは残念だし、終業式には出たかったけど……二人とも、ありがとう」


 常木はしばらく、そわそわと目を泳がせていたけれど、やがて岩崎先輩に向かって頭を下げた。


「その、最後までご迷惑かけてすみませんでした。小学校のときからずっと親切にしてもらって……本当に、ありがとうございました」

「大丈夫、私も楽しかったよ」岩崎先輩はそう言ってから、いたずらっぽく笑った。「でも常木くんは頭がいいわりに、ちょっとおっちょこちょいだから……これからはあんまり喧嘩しないで、みんなと仲良くしてね」

「いや、保護者かよ」


 檜山先輩が突っこむと、常木は赤くなって片手で顔を覆った。ちちちち、と小鳥の声がする。

 岩崎先輩はみんなを見回して、笑いかけた。


「みんな、いままでありがとう。それじゃあ、またね」


「ああ、またな」

「絶対、また会いましょうね!」

「岩崎先輩も、どうかお元気で」


 先輩はゆっくりとお辞儀をすると、橋に向かって歩きだした。私も慌てて3人に一礼して、先輩の背中を追いかける。

 トラックが一台、重たい音を響かせて、私たちの隣を通り過ぎていった。

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