遥飛蓮助 ver.1.0
遥飛蓮助
遥飛蓮助
遥飛蓮助。
名前を考えた本人でも打ちにくい名前を打ち、登録している各SNSに新作公開のお知らせを書き込む。自分の作品を宣伝するのが大の苦手なので、こうやってお知らせを書き込むことで精いっぱい。画面向こうのフォロワーに共有お願いしますと念を送って、ついでにフォロワーの書き込みを見る。
仕事しんどいオススメの音楽お猫さま可愛いオススメのイラスト仕事やめたいオススメの小説やばい風邪引いたフォローしなくてもいいから俺のイラスト見てくれ喉が痛い小説読んでくれ頭が痛いイベントに参加しましたレポ新しい書き込みを表示しま、
滝のように流れる書き込みを見ていて、ふとパソコンの時間表示を見た。ほんの数分しか経っていない。自分の頭の中に流れ込む書き込みに、随分長く晒されていた気がしたのに。SNSは動画サイトより時間泥棒だ。聴覚より視覚から情報を得るタイプの私としてはそれ以上のそういえば新作公開の書き込みの後に書き込むことがあった気がするんだけど忘れた。
こんな感じで私の思考は日々奪われる。他人の思考に加え、私の思考も混濁したまま私の頭の中は満たされるせいか、しっかり前を見て歩いていても、視界に映画やアニメのワンシーンや、漫画の一コマが移りこむ。頭の中で、二回ぐらいしか聴いていないはずの音楽のサビがエンドレスで流れる。音楽に合わせて、誰かが縦横無尽に暴れまわり、冷静沈着に語り始め、喜びをむき出しにして逆に大泣きしている。これは誰だ。これは私のキャラクター。まだ名前のない、でも姿かたちはおぼろげに私の頭の中に存在する様々な、数えきれない人数の、
気が付くと、私は今日の晩御飯を作っていた。包丁を持って、ズッキーニを同じ太さの輪切りにしようとしていた。実家のズッキーニを洗ったところまで覚えているのに。輪切りは、きっちり同じ太さに切りたくなってしまうから苦手だ。火の通りがよくなるらしい、同じ形に切らなくていい乱切りに変えよう。
そういえばズッキーニってキュウリと同じウリ科なのに、なんでキュウリみたいにトゲトゲしていないんだろう。あとで調べてみるか。
乱切りにしたズッキーニをフライパンで炒め、弱火にしてポン酢をかける。ズッキーニのポン酢炒め。畑のズッキーニが食べきれないぐらい採れてしまい、いろんなレシピで消費していたうちの一つ。食に対してあまり興味のない、自炊初心者の私でも簡単にできる。食に対してあまり興味のない、というのは大げさだけど、実家での食事は美味しいも何も言わずに黙々と食べるタイプだった。タイプというか、家族の会話が右耳から入って頭の中で充満して、余分な話が左耳から抜けるので、何も考えられなかった。家族との団らんで、何も考えないで、誰とも話さないで、聞こえる会話も頭の中に入ってこない時間が普通だと思っていた。でも人の会話を聞くのは好きという矛盾も抱えている。人の話を聞いているようで聞いていないくせに、人の噂話や身の上話や最近の流行やテレビの話題その他諸々聞くのが好きだ。実家からこのマンション——創作荘に越してきたけど、ここは無理をしてまで他人に合わせなくて良い。私と同じ趣味人ばかりな上に、マンションには喫茶店もコンビニも、不思議なペットショップもある。外に出なくても快適に過ごすことができる。休日は自分の部屋に籠っていることが多いけど、腰を据えて何かをしているかというとしているわけでもなく、パソコンで動画を観続けていたり、意味もなくトイレに何度も入ったりする。創作のネタを書き起こそうにも、思考の回転に打ち込みの早さが付いていかない。じゃあ紙に書き起こそうとして構えると、今度は紙のどの位置から自分の文字を書くべきかで悩む。その間に、創作のネタは膨らみ、映画やアニメのワンシーンや、漫画の一コマに成長して私の視界に映り込む。じっとしていられなくなる。ちょっと散歩でもしてこよう。今なら喫茶店が開いているはず。もしくは屋上へ行って、
気が付くと、私は今日の晩御飯を食べ終えていた。ポン酢の入れすぎに注意しようとか、ご飯をいつもより柔いから次は気を付けようとか、考えていたような気がする。ズッキーニを乱切りにしたかどうかとか、それ以外で何を考えていたのか忘れてしまったけど、この二つは忘れないようにメモに残しておこう。
私は趣味机兼食卓に置いてるメモ帳に書き込み、同じ場所に置いた。同じ場所じゃなくても、目につく場所にあれば問題はない。そのせいで机の上や机の周りは紙や小物が散乱しているけど、どこかにしまって部屋中を探し回るよりかはマシ。私の住む部屋が『開かずの間』と呼ばれていたのも、ゴミとも必需品とも知れない物が詰まって、なかなか部屋のドアが開かなかっただけだし。あのときは私も初めての一人暮らしで焦っていて、一人で部屋の片づけをするんだと思っ、
また余計なことを考えてしまった。気が付くと、私は使った食器と料理器具を洗い終えていた。タイミングが良いと言えばそうなんだけど、さっきメモ帳を開いたときに目に入ったことをやらなくちゃ。さっきまで頭の中をぐるぐる回っていた思考は忘れていても、なぜか創作のネタや、ネタが膨らんで映像化したものは頭に残っている。でも、だからといって頭の中に留めるにも限度があるし、パソコンにも紙にも書き起こすことができないなら、直接行くしかない。私は散乱した以下略からビニール袋とクリアフォルダーを持ってキッチンスペースへ向かった。
キッチンスペースの、本当であれば床下収納がある蓋を開けた。中に入ると、どこまで行っても光の見えない、暗い道を歩き始めた。湿っていると思えばそうかもしれないし、風が吹いていると思えばそんな感じがする。明かりも壁もない。上下左右の感覚もない。途中で頭がおかしくなるなずなのに、私は『ここ』を『道』だと思って歩いている。道の先には、必ず目的地がある。
しばらく歩くと、暗い視界が開いていく。暗い色から、茜色の混じった金色へ。絵画に似た夕焼けを浴びて、フランスのベルサイユ宮殿とインドのタージ・マハルを融合したような、なんとも愉快な見た目の宮殿がそびえ立っていた。
白い大理石の階段を上がり、金細工をあしらった取っ手を引く。何メートルかも分からない高さの扉が、地響きを上げて開かれた。荘厳とは、こういうときに使う言葉なのかもしれない。
建物の中は縦に狭くて、からっぽの本棚本棚本棚本棚がいくつもいくつもいくつもいくつも乱立している。閉店間際の古本屋ってこんな感じなのかな。
本棚の他には、木製の机と、その上に乗っている、アンティーク物のタイプライターが忙しなく動いていた。もしロール紙に等間隔のキリトリ線が入っていなかったら、今頃宮殿の中が紙の大蛇の住処になっていたかもしれない。
私は机の近くに座り込むと、持ってきたビニール袋とクリアフォルダーを広げた。これより紙切れの選別を始める。
やっぱり『遥飛蓮助』って名前は打ちにくいな。ビニール袋にポイ。あそことあそこのSNSに新作公開のお知らせを上げた。よし、ビニール袋にポイ。視界から入る情報に気を取られすぎだぞ自分。ぐしゃぐしゃに丸めてビニール袋にポイ。視界に移りこんだ映画やアニメのワンシーン。漫画の一コマ。創作に使えそう。クリアフォルダーにイン。エンドレスで流れた音楽のサビ。どの曲だったか後で調べよう。クリアフォルダーにイン。ズッキーニはなんでキュウリみたいにトゲトゲしていないんだろう。あとで調べるつもりだったらしい。気になるので畳んでズボンのポケットにしまう。
タイプライターが打ち込んでいるのは、さっきまで私が展開していた思考のすべて。さっきまで頭の中をぐるぐる回っていた思考のすべて。私生活のことも創作のネタもすべて、私の代わりに紙に起こしている。
今も、こうして私が考えるだけで、タイプライターは紙に起こしてくれる。自分の思考に溺れる私にとって、タイプライターは救世主だった。問題は紙にあった。
タイプライターに使われている紙は、ワープロの感熱紙みたいに、時間が経つと文字が消えてしまうことがある。たとえば、気分が落ち込んでいた頃のものは跡形もなく消えていたり。たとえば、創作に使えるネタや構想の切れ端はハッキリ残っていたり。
私が紙切れを読み返して思い出せば、タイプライターは同じ内容を打ち込んで紙に残す。でも読み返す紙切れが読めない状態だったら、私は思い出すことができない。
私の『記憶の宮殿』は不完全だ。土台は前の住人のものだから、不完全なのは当たり前だけど、それ以上に自分は出来損ないだと思い知る。なんだかんだで他の住人と話してないし。いやしてる。不特定多数としてないだけで特定の人とはしてるし今はちょっとだけ一人でいたいなってだけだし寧ろ特定の人にガンガン行くタイプの人間で、
タイプライターの音が騒がしい。また自分で自分の思考に飲まれていた。選別する紙切れは山ほどある。適当なところでやめておかないと。ついでに言うと、『特定の人にガンガン行くタイプの人間』だからって別に偉くない。寧ろ頑張れ。
私は背伸びをしながら床に寝転がり、目を閉じてもう一度目を開けた。部屋の万年床で毛布にくるまっていた私は、蛍光灯が眩しくてまた目を閉じた。
今日は新作も上げたし、晩ご飯も作って食べた。頑張った自分に睡眠のご褒美をあげないと。コミュニケーション能力とか、思考と創作ネタの選り分けは明日にしよう。明日できることは今日やらない。おやすみ私。おやすみ遥飛蓮助。
あ、ズッキーニのこと調べるの忘れた。
遥飛蓮助 ver.1.0 遥飛蓮助 @szkhkzs
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます