評決の次に来るもの

モトヤス・ナヲ

第1話

 壁掛けTVの液晶の中で、アナウンサーが語る。

「……バーチャルリアリティでの暴力体験が、被験者にどのような影響を与えるかについて、ジョンズ・ホプキンス大学から研究報告がありました。報告によりますと、パーチャルリアリティで疑似体験したバイオレンスは、現実社会で実体験するそれと、全く同じトラウマを引き起こすことが分かりました……」

「……次のニュースです。ミネアポリスで発生した、白人警官が黒人を誤射した事件に進展がありました。ミネソタ州裁判所は、ベティ・メイフィールド(四十九歳白人女性)に、ドウンテ・ライトさん(二十歳黒人男性)に対する、第一級殺人の判決を下しました。この事件では、メイフィールド警官が、洗車にむかうライトさんを停車させ、ナンバープレートの期限切れを理由に職務質問したところ、ライトさんが突如車に戻ろうとしたため、銃を発砲したのこと。弁護団は、メイフィールドさんのこの一連の行為に対し、銃をスタンガンととり間違えて誤射したと主張していましたが、有罪判決を覆すには至りませんでした」

アナウンサーはここで言葉を切ると、カメラ目線で、

「当番組では、ジョージ・フロイドさん事件以来、白人警官による黒人に対する暴行事件を数々クローズアップしてきましたが、今まで警官側が有罪の判決を受けたことはありませんでした。今回のミネソタ州の判決は、その前例を覆したという点では、歴史的なものであるといえます」


 放送を見ながら男が言った。

「大統領はこの判決に相当ピリピリしてるだろうな」

「ああ、ミネソタは次の大統領選では間違いなく激戦州になるしな」

「そう考えるとこの判決、吉と出るか凶と出るか……」

それを聞いていたFBI特別捜査官クラリス・アッシュバーンは、

「どっちに転んでも問題の火種になることは間違いないわ。だからFBIに事件の完全究明の任が下ったのよ。さあみんな、仕事に戻るわよ」

そう言い残すと控室からビデオ解析ルームに入っていった。部屋は壁一面がビデオウォールになっていて、コンソール卓でビデオ・テクニシャン達が、忙しそうにトラックボールを操作していた。ドウンテ・ライト事件に関連したビデオは全てここに集められていた。クラリスはテクニシャンに指示した。

「もう一度、さっきの映像を再生して」

メイン・ディスプレーに、事件の現場にいた同僚警官の、胸に装着されたボディカメラの映像が映し出された。映像は、メイフィールド警官がライトを車の横に立たせたまま、トランシーバに耳を当てて何かを確認しているところから始まった。すると突然ライトが、拘束を振り切って車に乗り込もうとする様子が映し出された。メイフィールド警官は、即座にベルトホルスターのスタンガンに手を当てて身構えたが、ライトが車のドアを強引に閉めようにしたため、それを両手で阻止、再びベルトホルスターから、今度はスタンガンではなく、拳銃を引き抜いてライトに発砲した。その後、彼女が「スタンガン、スタンガン」繰り返して絶叫する姿がうつしだされて映像は終わった。クラリスは皆を見渡した。

「メイフィールド警官は、見ての通り、スタンガンと間違えて拳銃を発砲した主張し、判決でも一部認められたそうよ」

そして、最後のシーンでフリーズしているディスプレーに再び目をやった。

「クラリス、何か気に入らないことでもあるのか」

同僚の一人が聞いた。クラリスは彼に向き直りながら

「ベティは最初スタンガンに手をかけた。でも小競り合いの後は、躊躇なく拳銃をぬいたように見える。それが気に入らないわ。何かが不自然なのよ」

と答えると、同僚はビデオ・テクニシャンに

「おい、そこのところを再生してくれ」

と命令した。全員でそのシーンに注目した。

「いわれてみると不自然だが、だから何なんだ……」

とその同僚が呟いた後、クラリスは、

「わからない……」

とつぶやいたが、すぐに、

「ベティの唇を見て!銃を抜く直前に何か呟いてない?」

と叫んだ。それを受けてテクニシャンが処理を開始した。メインディスプレーに、メイフィールド警官の口のあたりが拡大されて、エンドレスに流された。

「おい、誰か、読唇術の専門家を読んできてくれ!」


 専門家は言った。

「……LIRRと言ってます」

「何なんだろう、何かの警官用語か?」

「LIRRなんて、聞いたことありませんよ」

その時、部屋の後ろで書類を当たっていた職員が言った。

「ライトは右手の甲に、LIRRと刺青してあったと検死報告書にあります」

「じゃ、メイフィールドは、揉み合っている時に、それを見たのか……」

クラリスは顎に手を当てて考えていたが、もう一度ディスプレーに見て、

「メイフィールド警官は、最初スタンガンを抜こうとしたが、ライトの右手にLIRRの刺青を見た途端、それを銃に変えた。そして発砲……とも解釈できるわね」

と呟いた。同僚はこれを受けて、

「全員でこのLIRRの意味を洗い出すぞ」

と言った。


 対象が「LIRR」という極めてシンプルな文字だけに、捜査は非常に難航した。あるものはコーヒー用具の商品番号に迷い込み、別の者は鉄道会社の路線名に漂着した。誰もこの事件のコンテキストの中で「LIRR」に意味を持たせることができなかった。室内に重苦しい空気が流れ始めた。その時、アカデミーを出たばかりのインターンが、別部署からの書類を届けにきた。そして壁のホワイトボードに書かれた「LIRR」という文字を見て、

「へぇ」

と小さく呟いた。クラリスは咄嗟に、

「きみ、どうしたの?」

と聞いた。全員の視線がインターンに集まった。彼は、

「……いえ、何でも」

と口ごもり始めたので、クラリスはインターンの肩に両手を置いて、

「どんなことでもいいから話してみて」

といった。インターンは口ごもりながら言った。

「……そこに書いてあるLIRRという文字。LIRRというのは、伝説のスナイパーのハンドル名です。オンラインシューティングゲームの世界では有名です」

脈絡はないようだが、クラリスの本能はこれに反応した。

「きみはそのゲームこと、詳しいの?」

「と思います。ぼくはサイバー専門の技術者として採用されました」

「LIRRについて、私たちにわかるように説明できる?」

「本人がアクセスしているPCがあれば可能です。あくまでそのPCがあればですが……」

クラリスは言った。

「誰か手続きして。今から証拠室に行くわよ」


 証拠室のテーブルには、ドウンテ・ライトから押収したPCがセットアップされ、インターンがその前に坐った。クラリスはその左横に膝をついて画面を見守った。その肩越しから全員が一部始終を見守った。インターンが言った。

「今からLIRRとしてログインします」

ディスプレー画面が、灰色の廃墟を写し始めた。おそらく廃工場跡であろう、あちこちに漏水に水溜りができ、いたるところで壁が崩れていた。インターンは、LIRRとなって、湿った廊下をつたい、処刑室のような小部屋を覗いた。

「入室ログによると、LIRRが最後にいたのは、地下の動力室です」

インターンが言ったので、クラリスは、

「そこまで、行ける?」

と聞いた。インターンは、

「任せてください」

と、先ほどとは打って変わって、自信たっぷりに答えた。そして、非常に巧みな銃さばきで、何人もの敵を射殺しながら、階段を降り、回廊を横切って、ついに動力室の扉の前に立った。インターンは、

「入ります」

というと、静かに扉を開けた。室内では死体が二体、折り重なりながら倒れていた。その周りにどす黒い血の海ができていた。インターンはまず上側の死体を仰向けた。そしてそのIDをログと照会した。

「上の死体は、ベティMというハンドルネームです。そしてベティMの下に倒れている死体は……テリーLと言います」

クラリスは唸った。

「ベティM……ベティ・メイフィールド」

彼女はインターンに向かって、

「なぜ二人は、ここで寄り添うように倒れてるの」

インターンはログをスクロールしていたが、やがて、

「この二人はもう一年以上もバディを組んでるようです。当日LIRRは、まずテリーを射殺し、次にベティを背中から撃った。おそらくベティはテリーを庇ったのでしょう」

「テリーLの身元は照合できる?」

「身元って、実世界の身元という意味ですか?」

「ええ」

「それは無理です。ネットゲームは匿名で出来上がっている虚構の世界です。実世界とのリンクは一切ありません」

「ではこのゲームの中で死ぬということは?」

「もう二度と会えないということです」


 その晩の緊急会議の時、クラリスは一同を見渡して、

「メイフィールド警官は、ドウンテ・ライトを職務質問した。そして、彼がそこから逃亡を企てた時に、偶然に刺青をみて、彼がLIRR本人であることに気がついてしまった。そこで、当初使用するつもりだったスタンガンを銃に持ち替えて、ライトを射殺した……仮想空間でパートナーだったテリーLの復讐ために」

と言った後、小さな声で、

「……ありえないわ」

と付け加えた。それを聞いた同僚が言った。

「いや、ありえるかも。ジョンズ・ホプキンス大学の研究結果では、サイバースペースのトラウマは実社会のそれと同じだと、言っているぜ」

「いずれにしても、この線で報告書のドラフトを作って、ホワイトハウスに上申するわ」

と彼女が言った時には、もう深夜の一時をとうに過ぎていた。


 と、その頃、未決囚の独房では、ベティ・メイフィールドがベッドに腰をかけて、無色の壁をじっと見つめていた。看守の足音が遠ざかっていく。房内は消灯され、廊下の蛍光灯が、床に鉄格子の影を落としていた。ベティがつぶやいた。

「テリー、あなたの仇はとったわよ……」

そして笑い始めた。その笑い声は次第にヒステリックになり、深夜の独房にいつまでもこだました。

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