鼓動が二度打ったあと
竹神チエ
滅亡するってよ。
『地球が血を流してんだよ』
そんなつぶやきが、SNSでバズっていた。イイネは押さなかったけど、なかなかにポエミーで良いと思う。今日の空は、たやすく血を連想するから。
#天変地異
#人類滅亡
#地球最期の日
朝、起きてスマホを見たらこうなっていた。
悪い冗談。
厚切りのトーストをかじって、コーヒーを飲む。テレビをつけた。
『……のため、午前十時から首相による緊急会見が……』
どのチャンネルも同じ話題でもちきりだ。人気俳優の結婚報道はどこへやら。いつもチェックしていたペット自慢コーナーもなくなった。かわりに暗い顔した学者さんが同じセリフを繰り返す。
『どうしようもありません。明日があると断言できません』
スマホをスクロールしていく。
どうやら地球が滅亡するようだ。マジか。
宇宙人侵略とか。地殻変動でどうのこうのとか。
天罰。はたまた陰謀論。
目まぐるしく転がっていく情報。でも今日で地球が終わるってことだけはわかった。予期せぬ事態。助かる道はないもよう。内密に富豪が某国に集合して、ロケットで脱出するってツイートが出たけど、きっと嘘っぱち。
脱出してどこにいく。月かな、火星かな?
それとも、うちゅうすてぇーしょん?
今日死ぬか、数週間後に死ぬか。ふふん、きっとそんくらいの延命だ。
午後を過ぎても滅亡の話題が続く。
ネットもテレビも、かかってきた電話も。
「死ぬんだって!」「本当に?」「わかんない」
首相の会見は支離滅裂。大泣きして「祈りましょう」と発言したときには、欧米人さながらに両手をあげた。オーマイガー、本当に終わりだ。
死期が迫る。何をしよう何をしよう。
小・中の卒業間近に、プロフィールカードを書いて交換するのが恒例だった。
そこによくある質問。
『地球が滅亡します。あなたは最期の日に何をしますか?』
わたしはどう書いたっけ。
家族と過ごす、なんてしおらしいことを書いたのか。
貯金全部使って豪遊する、とウケを狙ったのか。
まったく覚えちゃいないのだけど。
とりあえず冷凍庫から、ひと月前に買ったはいいけど、食べ惜しみしていたアレを取り出す。ついに開封だ。じゃっじゃじゃーん。
チョココーティングしてあるピスタチオバニラ味の丸っこいアイスクリームバー。
また買おう、と思って、またがないことに気づく。苦笑するとは、このことだ。明日がないと自覚するのは、案外苦労すると知る。
空に異変が起きたのは、午後三時だった。
一瞬、ぴか、と白く光った。
がくがく、と地面が動いて、風がびゅーぼー激しく吹いた。
それから真っ白な雲が大きな渦を巻き始め、中心が傷口みたいに赤くなる。怖くて綺麗な景観だ。ぞくぞく、ブルブル。本能が死を悟ったのか、なんだか興奮して、ずいぶん原始的な人間だったんだな、と思ったら、祈りましょう、て言葉がふとよぎり、その言葉を蹴飛ばすように外に出て、どっすん、ジャンプする。
着地で膝がピキと鳴った。バカみたい。笑いましょう。ハハハ。
無性にアスレチックで遊びたくなった。ジャングルジムに滑り台、ネットを登って、揺れるつり橋を渡りたい。
でも人目を気にしてただ部屋に戻る。死にかけでも他人の評価が気になるばかり。もしかしたら、心のすみっこで、滅亡は誤報だと思っているのかも。そうだとしたらバカな行動には出てらんない。お利口さんは大人しくしときましょう。
SNSを確認する。スクロール、スクロール。
貯金を使い果たそうとしている人、画像画像画像。
たくさんの笑顔、どこかやけくそ。
スクロール、スクロール、クリック。
暴動の動画。近所が平和で安心する。滅亡の前に死ぬなんて未練が溜まる。
溜まった未練は、どこへ行く?
地球がないのに、お化けは出るの?
誰かに聞きたくてつぶやく。
すぐに消す。アカウントごと消去する。
すっきりしようと、登録しているサイトを次々と退会していく。
電子書籍のマイ本棚をながめ、退会の手が止まる。
やっぱり明日が来るかもしれない。
陽が落ちると、空はますます赤くなった。壮大な自然が織りなす名画が頭上に広がっている。写真を撮る。消去。この目に焼きつけよう。
裸眼だとぼやける。メガネをかけても、ちょっといまいち。新調してなかったことを悔やむ。いまから買いに行くか。でもメガネをとってもう一度空を見てみる。血が騒ぐ。ぞくぞく。綺麗だ、綺麗だ。手を望遠鏡のようにして、細く絞る。見える。とてもよく見える。血のような赤。空が渦巻く。満足した。いいもん見たな。
それから、あたふたと掃除をして、小さい頃のアルバムを見て、遺書を書いて(すぐに丸めて捨てたけど)、録り溜めた連続ドラマを早回しで観て、気になっていたアニメを動画サイトで観まくる。ネットではあらゆる物語のネタバレ情報が怒涛の勢いで溢れ返っていく。
あの長期連載漫画の最終回はこうなる。無料で掲載!
話題のアニメは放送日を無視して全部放送します!
お金なんていらないよ。じゃんじゃんじゃんじゃん、エンタメ祭り。
そうして気づいたら深夜になって。
普段は寝ている時間に、窓まで椅子を運んできて、メランコリックに夜空を眺めているなんて。思春期にだってそんなことはなかったよ。憂鬱は寝て晴らす、いつもはそうだった。
でも今日だけは眠るなんて時間の使い方はしたくない。
眠気だってまったくない。
世界のほとんどがそうだろう。
こんな夜に眠ってなんかいられない。
星が瞬くはずの夜空が、じゅくじゅくと、傷がうずくように色づいている。
山の頂上にある鉄塔のそばだけが、やんわりと薄墨色に影を落としているけれど、全体に広がるうごめく曇り雲は、赤く赤くどこまでも赤い。鈍い光を放つ雷がくすぶるさまは、まるで地球の血流と鼓動のようで。
ああ。
地球はまだ生きている。
あと何時間だろう。いろんな情報がある。どれも信ぴょう性なし。でも終わりは近づいている。それは空を見たらわかる。本能が囁く。もうすぐ終わるよ、終わるよ……。
今日、やったこと。
アイスを食べる。ドラマ・アニメを観る。最新情報を集めようとネットを閲覧しまくる。掃除する。漫画を読む。小説を読む。庭に出る。部屋に戻る。ネットを閲覧。テレビをつける。窓を見る、見る、見る。
………………。
よし。歩こう。
深夜に外出するなんて。背徳的な喜びをかみしめる。いつもなら真っ暗な世界も、今日はめらめらと火事になったような明るい世界が待っている。
ひとつだった渦巻く雲が、いまはいくつもぐるぐるぐるぐる渦巻いている。まるで唐草模様の空模様。
いちばん大きな渦の中央は、赤く滴るようにぬらっと光っているけれど、あちらは紫、こちらは緑と、ずいぶん多彩になっている。あの黄色の向こうの渦なんてラブリーなピンク。まるでアラビアンナイトの宝石箱や。
こんな時間でも、いっぱい外に人が出ている。小さい子もいる。部活帰りのままなのか、テニスラケットを背負った学生たちも。リードにつながった犬、リードをつかむおじいさん。掃き出し窓の向こうでは、猫が空を見上げてる。
みんな空を見上げてる。カウントダウンは始まった。
ぐるぐる、ぐるぐる。渦巻きが早く大きくなっていく。
再びアスレチックで遊びたい欲が戻ってくる。
ブランコでもいい。ブランコがやりたい。
でも公園のブランコは子どもで埋まっていた。代わって。この一言がいえなくて。
まっすぐ道路を進んでいくと、幼稚園が見えてきた。
スーツをきたおじさんと花柄のかっぽう着のおばあさんが、低い小さなブランコを占領してる。代わってください。次はいえたこの一言。でも二度だけ漕いですぐやめた。あんまり楽しくなかったの。ふたりがずっと見てたから。
それからまた歩いて、郵便ポストを右に曲がり、住宅の路地裏を通っていく。ひっそりとした散歩道に続く入口に到着だ。小高い山を登っていく道で、何度か歩いたことがある。てくてく行くよ。歩こう、歩こう。
記憶にあるより、ずっと道が狭く、短く、ちょっとだけ怖い。もしも頂上にカップルや不良の集団がいたらどうしよう。びびっているうちに開けた場所まで到着する。
誰かいる。ひとつだけあるベンチに、ぽつんとひとり女の人だ。
近づいていくと、向こうも気づいてくるっと振り返る。
同世代くらいの子。でも見知らぬ人。……と思ったら。
苗字にさん付けで呼んでくる。ベンチから立ち上がり、近寄りながら、ぺらぺらぺら、よくしゃべる。
誰だろう、誰だろう。思い出せない。誰だろう。どうやら中学の同級生みたい。
思い出せない。誰だろう、誰だろう。
困っていたらゴロロと雷が鳴って、ぴん、と思い出した。
同じクラスになったことも、同じ部活や委員会になったこともない。会話した記憶もない。あいさつした記憶も。でも、いたな、と思い出した。いた、うん、いたよ。廊下ですれ違った記憶が、ぱぱ、と鮮明に思い出せる。
「髪型変わってないね」
「おー、やっと思い出したかね」
どん、と肩をぶつけてくる。親友にでもあったかのよう。不快じゃないよ。どん、と肩をぶつけ返す。また、どん、ぶつけてくる。どん、やり返す。
彼女がベンチに座る。隣に座る。
いっしょに空を見上げる。赤く赤くなっている。地球が血を流しているんだよ。鮮やかな赤から黒ずんだ赤へと、じくじく膿むように水っぽく輝く。
「終わるね」わたしがいうと、
「がっかりだ」彼女が答える。
「そう?」
「なんか」彼女は空に向かって手を伸ばした。
「虚しい」
その手が、わたしと似ている。隣に並べる。うん、似ている。爪の雰囲気や指の関節が、大きさが、色が、なんだかとっても似ている。
彼女も同じことを思ったのだろう。突然、スニーカーを脱いで靴下を放った。親指と人差し指が同じ長さの素足を、ぴん、とまっすぐ伸ばす。
「そっちも見せて」
「よしきた」
こっちの足は爪が伸びていたけれど、彼女とよく似たあんよちゃん。こんなところに生き別れた双子がいたなんて。感激であるぞよ。下の名前で呼び合った。ちゃん付けのあと、呼び捨てにして。
それから「チッピー」と「モンモン」というあだ名をつける。
わたしがチッピー。
彼女はモンモン。
でも、呼ぶときは「モンたん」にしようと決める。
決めたところであと数時間の命だよ。
抱き合い、密着する。
「もしも三途の川があるなら、いっしょに渡ろうね」
モンたんの言葉に、マラソン大会で「いっしょに走ろうね」と約束するのと似た感覚になる。向こうもそれに気づいたか。
「チッピー、わたしは本気なのだよ」
かしこまって頼んでくる。
「わかったよ」とわたし。
それから、「なるべくいっしょに渡るよう努力する」と言い直す。
だって、三途の川事情がわからないので。下手な約束はできません。モンたんは不満そうにしたが、「天国でも仲良くしよう」と握手すると、嬉しそうに歯を見せて笑った。八重歯が可愛い女の子。
「でも地獄だったらどうする?」
「そんなに悪いことしてないよ」
「よかった。わたしも天国に行くつもり」
さらに強く抱き合い、空を見上げた。
次々と変化していく。渦巻が分裂して増えていく。風が強くなった。雨が降り始める。ざあざあ。打ちつける。ど、ど、ど、さらに激しく降る。どうしてだか、しょっぱい雨だ。海水がここに降ったのか。ど、ど、ど。空から叩きつけてくる。
「終わるね」
「うん、終わるね」
ぎゅっとモンモンの二の腕をつかむ。わたしの二の腕にも爪が食い込む。痛いくらいに強く強く。彼女の体温は感じなかったけど、鼓動は聞こえてくるよ。どく、どく。わたしの音、あなたの音。どくどく、どくん。
空が点滅して。
真っ暗になって。
また赤く光る。
渦巻が大きくなって中心は黒くなって。空が、空じゃなくなった。
あれはきっと宇宙だ。
ひりり、と空気が痛くなる。世界が白くなる。
そして鼓動が二度打ったあと。
わたしたちは、消えたのさ。
鼓動が二度打ったあと 竹神チエ @chokorabonbon
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