聖夜のキセキ

外清内ダク

聖夜のキセキ

 今夜語るのは小さな奇跡の物語。

 8たりの人物が繋ぐ、手のひら大の幸福の連鎖の物語。


 第1のひと、アイは賢い少女である。

 クリスマス・イブの午前、アイはひとりで近場のショッピングモールに向かい、特に何するわけでもなくずっとベンチに座っていた。今日はこんな日だ。どこのショップにも人だかりができている。ベビーカーを横並びにしてケタケタ笑いながら通り過ぎていく母親たち。父の手にぶらさがるようにしてつるつるの床を滑っている幼児。凄まじい勢いで泣き出す我が子を、困り果てた顔で抱き上げてあやす両親……

 アイに母はない。父と呼べるひともいない。アイの“保護者”は、父でもなんでもない、赤の他人だ。

 母は離婚後数年して別の男と再婚し、さらにその半年後、あっさりと死んだ。だからアイはたったひとりで、たいして親しくもない男の家に残されることになってしまったのだ。義父は悪い人間ではなかったが、縁もゆかりもない人物であるという事実は覆しようがない。

 10歳の子供にすぎないアイは、わがままも言いたければ甘えもしたかっただろう。なのにこの複雑な状況をわきまえるだけの知性をも持ち合わせてしまっていたから、彼女は義父に対して何も要求できなかった。毎日遅くまで働いて、実の子でもなんでもないアイを養育してくれている。それ以上、彼に何を求めることができただろう。

 口が裂けても言えない。あの、巨大なサンタクロースの乗ったクリスマスケーキが食べたい、だなんて。

 アイは何時間もずっと、正面のケーキ屋を見つめていたのだ。ショーケースにはクリスマスらしく、特別な装飾のホールケーキが並べられている。目移りするようなラインナップの中でも一際目を引くのは、やっぱりあの“メガサンタ”だった。

 オーソドックスなイチゴのケーキの上に、サンタの飾りが乗っている……のだが、そのサンタが並大抵のものではない。ケーキの上に城のようにそびえたつ巨大なサンタ。スポンジからはみ出てこぼれそうになったそのありさまはもう、ケーキにサンタが乗ってるんだか、サンタがケーキを敷いてるんだか分からない。テレビのローカル番組でこれが紹介されてるのを見た時、アイは思わず、晩ごはんを箸からこぼしつつ叫んでしまった。

「でっっっっか―――――いサンタ!」

 もちろん、向かいの席で目を丸くしている義父に気付き、すぐに神妙な顔を作って不作法を詫びたのだが……

 買ってくれ、なんて言えない。凝った装飾だけあって値段もすごい。10歳児のアイにはひと財産とさえ思えるような金額だ。義父の収入がさほど多くないこともアイは知っている。わがままは言えない。よく考えてみれば、そんなに欲しくもないような気もする。そうだ、あんなのただの飾りだ。あんなに大きなサンタの砂糖菓子、全部食べようと思ったら途中で絶対、甘すぎて辟易してしまうだろう。たいして価値のあるものじゃない。ちょっとサイズが違うだけじゃないか。そう、別にどうってこともない。

 不意にアイは、昔読んだイソップ童話を思い出す。

 あのブドウはすっぱいぞ、だ。

 アイがポケットの中を探ると、何日か前に突っ込んだまま忘れていたブドウ味の飴の小袋がでてきた。そうとも、あんなサンタより、この飴の方がよっぽどいい。小さいし、おいしいし、なにより、ちゃんとこの手の中にあるのだから……

 と、飴の包みを破ろうとしたちょうどそのときだった。

 アイの背後から、火災警報のような泣き声が聞こえてきた。おどろいて振り返れば、そこに小さな……小学1、2年生くらいだろうか、子供がひとり立って、顔面を真っ赤にはらして泣いていた。アイはあたりを見回してみた。親らしき大人はいない。大人たちはみな、迷惑そうな顔をして通り過ぎているだけだ。

 アイもそれに見習おうとした……が、無理だった。うるさすぎる。

「ねえ。……ねえ! どしたの」

「ギャー!!」

「迷子?」

「ウギャ―――――!!」

「……飴食べる?」

「たべるァ―――――!!」

 ……食べるらしい。

 アイはしかたなく、ひとつきりしかない飴の包みを破いて、子供に差し出してやった。子供は泣きながら受け取り、泣きたいのと食べたいのとを天秤にかけ、ひとまず涙はこちらへ置いておこう、と心を決めて、ブドウ味の飴を口に入れた。

「お父さんと来たの?」

 子供が首を横に振る。

「お母さんと来たの?」

 また横。

「……ひょっとして両方?」

 子供が強くうなずいた。

 そうとも。クリスマスだ。

 クリスマスは愛の輝く日。みんなが大切なひとと共に過ごす日。普段言えないおねだりをして、ちょっと照れくさいことだって言えて、そして、思い思いの贈り物を分かち合う日。だから子供はきっと両親と一緒にいるのが正しいのだ。アイにはもうどちらもいない。でも、そんなのは自分だけでたくさんだ、とアイには思えた。

「わかった。探してあげる。行こ」

 立ち上がって手を差し出すと、子供は、そんなふうに優しく扱われて当然、というような生意気面をしてアイの手を握り返した。

「きみの名前は?」

「……狐々狸ここり



   *



 第2のひと、狐々狸ここりはわがままな少年である。

 見知らぬ女の子に手を引かれ、迷子センターに連れていかれた狐々狸ここりは、口の中でブドウ味の飴を転がしながら家族の訪れを待った。ずっとぶうたれて、口もきかない。6歳の、未熟に過ぎる狐々狸ここりの頭の中は、今、ひとつの激しい不平心に満たされていたのだ。

 不平の原因は、姉である。狐々狸ここりにはひとまわりも歳の離れた姉がいる。6歳の12歳上、ということは高校3年生。それが1ヶ月ほど前、推薦入試で大学進学が決まった。春から大阪で独り暮らしをすることになる。狐々狸ここりが全く知らないうちに、姉はもう住居の賃貸契約まで済ませてしまっていた。

 ずるい、と狐々狸ここりは直感した。

 彼は幼く、大学受験というシステムもよく理解していない。大阪がどこにあるのかも知らない。狐々狸ここりに把握できたのはただひとつ、「姉が家を出てどこかへ行く」、それだけである。ずるい、と思った。そんなのずるい。家を出るのがずるい。どこかへ行くのがずるい。

 なによりも、自分の前からいなくなってしまうのが――『ずるい』。

 狐々狸ここりは今日、何も知らず、ただどこかへ楽しい買い物行くんだとだけ思って、ここへ連れられてきた。実は今度姉が家を出るのだと、そして今日はその姉への餞別を買いに来たのだと、聞かされたのはショッピングモールについてからだ。『ずるい』。狐々狸ここりは叫んだ。『ずるい』『ずるい!』両親は困り顔をして、狐々狸ここりにも何か買ってくれると言ったけれど、そんなことはどうでもいい。とにかく『ずるい!!』 だから狐々狸ここりは脱走した。両親への、姉への、精一杯の抗議として。

 やがて、放送を聞いた両親が血相を変えて迷子センターに飛び込んできて、狐々狸ここりは一緒になって頭を下げさせられた。今までずっと彼に連れ添っていた少女アイは、

「よかったね」

 とお姉さんらしく落ち着いて笑い、

「ちゃんとわがままが言えるって、えらいよ」

 なんだかよく分からない言葉を残して去っていった。

 狐々狸ここりはそれから買い物中も、帰りの車中も、家に着いてからも、一言も口をきかなかった。ずっとひとつのことを考え続けていた。少女アイからかけられた言葉……「ちゃんとわがままが言える」……

 えらい? わがままが?

 いや……「ちゃんと言える」ことが?

 狐々狸ここり狐々狸ここりなりに考えた。自分は、自分の気持ちを本当に言えているだろうか。『ずるい』本当にそう思っているだろうか。この気持ちは、もっと他の言葉で言うべきものなのではないか。『ずるい』ではない……違うとしたら……一体?

 無論、6歳の狐々狸ここりにこんな明確な思考ができたはずはない。こうした内容を、彼はただ連鎖的に直感していただけだ。言葉によらない思考はひどくまどろっこしく、効率が悪く、なにより支離滅裂だ。だが充分な語彙をもたない彼は、自分の手の中にあるこの小さな感性を精一杯に活用するしかない。

「ママ」

 1時間後、狐々狸ここりは不意に立ち上がり、母の背中へ声をかけた。

「なに?」

「ヒカリ、なにしに行くの?」

 まだ姉を「おねえちゃん」と呼ぶだけの分別すらない狐々狸ここり。両親が「ヒカリ」と呼ぶのをそのまま真似して姉を呼ぶことしかできない幼子。母親は一体どう説明したものかと頭をひねり、ようやく彼に分かる範囲内での回答を考え出した。

「勉強しに行くのよ」

「かんじ?」

 狐々狸ここりは漢字が嫌いだったのだ。

「さんすうとか。もっと難しいのとか」

 算数はもっと大嫌いだった。

 そのうえもっと難しいの、だなんて。

 狐々狸ここりは何かを閃光のように理解したらしかった。突然駆けて行き、自分のデスクに飛びついた。そしてランドセルからむきだしの鉛筆をひっぱりだし、学校のプリントの裏を使って、手紙を書き始めた……

 やがて帰宅した姉のヒカリは、母親の気色悪いくらいの笑顔に迎えられた。首を傾げているヒカリに母は、乱暴に折りたたまれたワラ半紙の手紙を手渡す。

 そこにはひらがなカタカナ混ぜこぜのひどい文字で、しかし力強く、こう記されていた。

『ひカリ ガんばれ』



   *



 第3のひと、ヒカリは恋している。

 好きになった相手は、中学からずっと一緒のクラスだった同級生。恋を自覚したのは中3のとき。でもほとんど毎日顔を合わせていたのに、想いを打ち明けたことは、ない。打ち明けられるわけが、ない。

 なぜなら初恋の相手は、同じ女性だったのだ。

 始めは思い違いだろうと思った。何かの間違いで、一時的におかしな気分になってしまったのだろう、やがて時間が解決してくれるだろう、と。だが時間は事態を解決するどころか、むしろ時々刻々と悪化させていった。毎日、どんどん好きになる。毎秒、どんどん想いがつのる。いつしかヒカリは確信していた。

 これは間違いなんかじゃない。

 誰にも文句のつけようもない、自分自身の本当の気持ちだ。

 ヒカリは今の時代に生まれた自分を呪った。もう何十年か未来に生まれていれば、こういう恋愛が“ふつう”のことになっていたかも。そうすれば悩まなくて済んだのかも……いや、時代がどうとかは問題じゃない。大事なのは舞の――相手の気持ちだ。舞はきっと、“ふつう”に男の子が好きなんだろう。ヒカリは中2の時、クラスの男子から告白されたことがある。端的に言って、迷惑だった。好きでもない相手から向けられる好意ほど扱いに困るものはない。変に気まずくなるのも嫌だし、友人からからかわれるのも面倒だし、ただ断っただけでなんだか相手に悪いことをしたような気になってしまう……

 舞にそんな気持ちを押し付けたくはなかった。ずっとそう思いながら、ヒカリは丸3年以上、「ただの友達」という顔をしながら舞の隣にいたのだ。大阪の大学を受験する気になったのも、もう地元に留まりたくなかったからだ。遠く離れれば舞の事を忘れられる。少なくとも、気にしないでいられるだろう。混乱しきった頭でそんな浅はかなことを考えて、舞に一言の相談もなく早々と進路を決めてしまった。

 忘れられるはず、なかった。

 むしろ、離れ離れになることが確定したという事実が、ヒカリを大胆にした。ヒカリの胸によぎった考えはこうだ。

「どうせ離れ離れになるなら……最後に、舞に告白してみよう」

 ダメでもともと。どうせダメ。でも、ダメだったとしても、もう顔を合わさないならきっとそんなに迷惑もかけないはずだから。

 で、突撃。

 返答は涙とともに。

「ありがとう……私もずっと、ヒカリのことが好きだった」

 うっそだろ。なんだったんだ、私の3年間。

 さて、こうなると別の問題が立ち上がってくる。「しまった!」ヒカリは事態に気付いて青ざめた。せっかく両想いになれたのに、舞のもとを離れて大阪に進学することを、もう決めてしまった!!

 かくして、ヒカリが良かれと思って計画したことは、裏目に出たり、裏目の裏目に出たりして、事態を恐ろしく複雑にしてしまった。舞への慕情を自覚してから3年間。推薦入試で県外に出ることを第1目標にすえて、寝る間も惜しんで勉強に励んだこの3年間。その間に学んだ物理と化学のおもしろさが、いつしかヒカリを虜にしていた。興味があるのは核融合。今の時代のあらゆる問題はエネルギーの不足が原因だ。戦争も飢餓も環境問題もエネルギーが足りないから止められない。核融合! 圧倒的パワーが全てを解決する! この手で実用化させてみたい! 果てしない夢だ。だがその夢への道筋を立てるために、一番いい大学を選んだのだ。そして死に物狂いで合格したのだ。なのに今さらそれを捨てるのか? でも舞と離れるのは嫌だ……いやしかし……

 この苦悩を、もちろんヒカリは舞に打ち明けた。しかし舞は困ったように眉を歪めて、涙目で囁くばかり。

「ヒカリが一番いいと思う道を選んで。私、なんでも受け入れる」

 ヒカリはもう、どうにも身動き取れなくなってしまった。

 なんてこの世はめんどくさいのだろう。世間の目。常識とかいう鬱陶しいもの。そこから少しはずれた自分。不思議なもので、舞が自分の愛を受け入れてくれてからというもの、ヒカリはもう自分が“ふつうじゃない”とは思わなくなった。ひとつ成長できたと思う。なのに今度は、自分の中に複数のやりたいことがあって、それが致命的に衝突している。たとえ他人との関係がなくたって、苦悩の種は自分の胸の中にいくらでも転がっている。

 もう泣きたい。

 そんな悩みの果てに、ヒカリは弟狐々狸ここりからの手紙を受け取ったのだ。

『ひカリ ガんばれ』

 ヒカリはショッピングモールでの出来事を聞かされた。彼女がいなくなると知った弟が、『ずるい!』とわめいて聞かなかったのだと。ずるい? なにがずるい? 自分も大阪に行きたかった?

 ……いや、違う。

 へたくそな手紙の文字に、涙が落ちる。

 言えなかったのだ。弟は、あまりにも言葉を知らなさ過ぎて、自分の気持ちを表すことができなかったのだ。

 彼の本当の気持ちは――「さみしい」。

 離れ離れになりたくない。

 それを表現しきれなくて、『ずるい』と『ガんばれ』に全てを託した。

 でも、ヒカリ自身もどれほど弟と違うだろう。彼女だって分かってなかった。大阪の大学へ行くのが本当に報われぬ恋から逃げるためだけだったなら、こんなに悩むはずがなかった。逃避であったはずの選択が、いつしか本当の夢に変わっていた。そんな単純なことにさえ、今の今まで気付かなかった。

狐々狸ここりーっ!!」

 家を震わせるほどの声で叫ぶと、階段の上から弟がひょっこり顔を出した。

「ありがと! わたしがんばる!」

 狐々狸ここりが、ビッ! と親指立てる。

 ヒカリも全力の親指でそれに応える。

 そしてヒカリは再び靴を履き、外へ飛び出て駆けだした。

 目指す先はたったひとつしかない。

 心から愛したはじめての人、舞の住まいへ。

 呼び鈴を鳴らす。舞が出てくる。彼女の目尻に残る隠しようもない涙のあとが、たとえようもなく愛おしい。ヒカリは玄関先でそのまま舞を抱きしめ、彼女の耳元で囁いた。

「わたし、大阪行く」

 ヒカリはポケットから銀白色の指輪を取り出し、照れくさそうにはにかみながら、彼女の目の前に持ち上げて見せた。

「これ、ずっと大事にしてた指輪」

「えっ?」

「おもちゃなんだけど……」

「くれるの?」

 うなずき、彼女の左手を取り、その薬指にはめてやる。

 安っぽいアルミ素材の指輪は、あつらえたように舞の指にしっくりと馴染んだ。

「大阪行って、勉強して、大金持ちになって!

 いつか絶対、本物をプレゼントする!!」

 言葉はない。もうこれ以上の言葉は要らない。

 うれし涙の味のキスが、百万の言葉よりもふたりの心を物語っていた。



   *



 第4のひと、舞は過去に……2人、殺した。

 ハヤテカケル。双子の少年。なんの因果か、彼らは同時にひとりの女性に恋をしてしまった。その相手が舞だったのだ。

 正直に言って舞は対処に困った。どちらかと付き合うつもりなどなかった。けれど、世間での評判がどんなに悪かろうと、双子は決して悪人ではなく、事実、舞に対しては常に紳士的だった。情熱的な愛情をふたりの男性から同時に向けられる、この状況が心地よくなかったと言えば嘘になる。だからついずるずると、結論を先延ばしにしてしまった。

 今にして思えば、なんて愚かなことをしたのだろう。

 双子は思春期の子供らしい無闇な勇ましさに駆られすぎていた。彼らは舞の気持ちを自分の方に向けるべく、事あるごとに競い合うようになった。学校からの帰り道でどっちが舞の隣を歩くか。体育祭でどっちが舞とペアを組むか。どっちのクリスマスプレゼントが、舞を喜ばせられるか……

 舞は時折、眉をひそめもした。どうも彼らは舞のことより、意地の張り合いそのものに熱中しているように見えたのだ。本当はこいつら、私のことより、お互いのことのほうが好きなんじゃないか? そんなふうに思えてくるほどだった。

 だが、やんちゃざかりの、精力にあふれた少年たちである。やがて平和的ないさかいは、本物の暴力に変わりはじめ、ついに双子は喧嘩沙汰を起こしてしまった。数度にわたる補導。学校から下された停学処分。ひさびさに登校したクラスの余所余所しい雰囲気。

 双子は学校を休みがちになった。

 そういえば1ヶ月ほど顔を見ないな――そんなふうに思っていたある日、舞は担任の口から、双子が死んだことを知らされた。

 無謀運転によるバイク事故。人づてに聞いたところでは、危険なチキンレースをやっていて、ふたりともにブレーキ・タイミングを見失い、コンクリート壁に頭から突っ込んで絶命したのだという。

 舞の受けた衝撃は、どれほどのものであったか。

 もちろん法的には、舞にはなんの責任もない。道義的にも舞を責める者はあるまい。だが舞自身の気持ちは、違う。彼女だけが知っている。双子の意地の張り合いが徐々に度を越していくのをそばで見ていながら、お姫様扱いされる気持ちよさに溺れて、いつまでも結論を出さないまま双子を弄んだ自分を。

 苦しむ舞を支えてくれたのは、ヒカリの笑顔だった。そのヒカリが今、自分との関係を清算し、そして更なる高みへと共に至る決意を示してくれた。

 舞だってもう、決着をつけねばならない。

 舞は、ヒカリと夜にまた逢う約束をして、線路向こうのとある一軒家を訪れた。夫婦ふたりで暮らすには部屋数が多すぎる家。しかし今さら売りに出すのも面倒が多すぎて、そのまま住み続けるしかない家。

 双子のハヤテカケル、彼らが暮らしていた家。

 そして今は、彼らの両親のみが留まっている家だ。

 ドアベルを鳴らすと、双子の母が顔を出した。双子の母、保木ほうきミホは、舞の顔を一瞥いちべつして凍り付いた。双子に紹介されて何度か顔を合わせている。目の前にいるのは息子たちが死ぬ遠因となった女。彼女とて分からずやではない。舞に罪がないことは知っている。

 だが、それと母としての情念は、また別の問題だったのだ。

 舞のほうでも、保木ほうきミホの心情をはっきりと把握していた。彼女は一歩も玄関の中に立ち入ろうとはせず、戸口に真っすぐ立ったまま静かに語りだした。

「……お久しぶりです」

「……はい」

「あの……ハヤテくんとカケルくんに、昔、頼まれたことがあって」

 そう言って、舞はふたつの、綺麗に包装された小箱を差し出した。

「中2のクリスマスに、ふたりがプレゼントくれて……

 どっちか選んでくれって。

 好きなほうにだけ、お返しをくれって。

 でも私、選べなかった。

 ……選ばなかった。

 何も応えてあげられないうちに……ハヤテくんとカケルくんは……」

 双子の母は、じっと、赤いリボンでラッピングされた小箱に視線を落としている。

「だから、これを。ふたりともに。

 迷惑だったら、捨ててください。

 でも、好きになってくれて嬉しかったのは……嘘じゃないですから」



   *



 第7のひと、保木ほうきミホは、悪い母である。

 少なくとも、そうして自分を責めることで、辛うじて心の安定を保ってきた。

 彼女は仕事人間だ。経済の最前線で働き続ける自分に喜びを見出す性分なのだ。それは結婚したから変わるというものではない。夫も保木ミホの考えを理解してくれ、ずっと共働きでやってきた。すると当然、夫婦ともに家事をする暇はなくなるが、たいして問題ではない。たくさん稼いだ金でアウトソーシングすればいいのだ。ベビーシッターを雇い、家政婦の派遣も頼み、高性能のロボット掃除機も即座に導入した。おかげで家はいつもピカピカ。食事だってプロ並みの美味しいものが毎日食べられる。子供たちも快活な性格に育った。

 だが、どこで道を踏み外したのだろう。いつの頃からか、子供たちはひとりの女を争って、兄弟で争うようになってしまった。

 暴力。喧嘩。そんなこともあるだろう。補導……まあいい。他人を傷つけたわけじゃないし、盗みを働いたわけでもない。無免許運転! それはダメだ、法律云々ではない、危ないからダメだ! なのにそのころにはもう息子たちは彼女の言うことを何も聞かなくなっていた。息子の心は完全に母親から離れてしまっていた。

 どこで道を踏み外したのだろう。きっと、もっと、いい道があった、はずなのに。

 仕事を辞めるべきだったのだろうか、結婚したときに。女は家庭に入るべき、なんてたわけた考えを支持するわけがない。だがそれでも、彼女の決断が、巡り巡って息子2人を死なせてしまった……

 保木ほうきミホは、主を失くした子供部屋に向かい、子供たちの想い人からのささやかなプレゼントをデスクに置いた。

「良かったね。好きだってよ、ふたりとも」

 捨てることもできずに残しておいたふたりのデスク。それが今では息子たちそのもののように思える。彼女はプレゼントを彼らの中へいれてやりたくて、何年も開かずにいた引き出しを開けた。

 そしてそこに、思わぬものがしまいこまれているのを発見したのだ。

 ふたりのデスク、それぞれの、一番上の引き出しに。そっくりなふたつのプレゼント箱。空色のリボンで飾られたそこに、挟み込まれたカードの文面。

「母さん、いつもありがとう」

「迷惑かけてごめん!」

 保木ほうきミホは、膝から崩れ落ちる。

 第5と第6のひと、保木ほうきハヤテ保木ほうきカケル

 ミホは、息子たちから届いた4年越しのプレゼントを、いつまでもいつまでも、その胸に抱きしめていた。



   *



 第8のひと、鳴上なるかみ三俊みつとしは父親である。

 この日、無理を言って仕事を早上がりした彼は、その足でショッピングモールのケーキ屋に直行した。彼には使命があったのだ。予約済みのクリスマスケーキ、「でっっっっか――――いサンタ!」の乗ったケーキを、娘のために買って帰るという使命が。

 だが、一体どういう不運だろうか。彼は店先で唖然とした。憤りもし、目に涙を浮かべもした。店員の、サンタコスチュームの女性は、ただただ頭を下げるばかりだった。

「何かの手違いで、予約が受け付けられておりませんで……お客様のケーキがご用意できていないんです。すみません! 本当にすみません!」

 今からでも作ってもらえないか? と頼んでみたが、ダメだった。曰く、クリスマスケーキは大変手の込んだ商品で、30分や1時間でパッと作れるという物ではないのだ。普通のケーキなら用意できるし、普通サイズのサンタなら残っているけれど……と言われても、それは、違う。あのサンタでなければ。あれでなければ……

 肩を落とし、失意のために鳴上なるかみが壁によりかかったときだった。

 横手から、「あの……」と声をかけてきた女性がいた。

「もしよろしければ、私のケーキをお譲りしましょうか」

 驚いて見上げた先にいたのが、悲しげな、しかし満足げな微笑を浮かべた保木ほうきミホであることを、彼は知るよしもない。

「いいんですか? でも、そちらだって……」

「いいんです。きっと子供たちがここにいても、同じことを言うと思いますから」



 そして再び、第1のひと。

 アイ――鳴上アイ。

「でっっっっか―――――いサンタ!」が届いたとき、彼女はどんなに目を輝かせるだろう。憧れのサンタを手に入れたこと、それ自体よりも、義父が自分のためにしてくれた、その行為自体をどんなにか喜ぶだろう。ふたりはきっと、少し打ち解けた笑顔を交わし、一緒にケーキを楽しむだろう。そしていつの日にか、アイは彼を、「お父さん」と呼ぶだろう。

 かくして今、8人の繋いだ善意の鎖が、円環の軌跡を描く。考えてみれば不思議なものだ。始めから終わりまで、8人は何も生産していない。財産の総量は一定のまま、それぞれがそれぞれの持ち物をひとつ隣に渡しただけだ。だのに8人の胸の内には、言葉にならない温かな気持ちが満ちている。どうにもならない歪んだこの世で、落ち着けようもない歪んだ自分を、どうにかすり合わせて生きていく。イエス・キリストほど大げさではないにせよ、これも小さな聖夜の奇跡。

 その目撃者たるあなたの手にも、いつか、ささやかな幸せが訪れんことを願って――


 メリー・クリスマス。



THE END.

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聖夜のキセキ 外清内ダク @darkcrowshin

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