SCENE:10‐4 08時45分 アメリカ合衆国 テキサス州

 空港にもパパラッチがいるなんて!


 なんとか追っ手を撒いたリリーは、物陰に隠れて深呼吸する。


 どこから嗅ぎつけたのだろう。


 軍隊仕込みの隠密行動が見破られるとは、発信器でもつけられているのだろうか?


 反射的にポケットを探り、携帯電話がないことに気づく。騒ぎに紛れて、どこかへ落としてしまったらしい。あの男と連絡が取れない。


 コンコースの巨大なモニター画面で時刻を確認する。


 画面には、見慣れた自分の顔が映し出されている。「緊急速報」のあとに続いて「リリー・タイガー 浮気で六股」とさわやかな朝に似つかわしくないテロップが流れる。


 ここでもか!


「彼女の若いファンたちは、さぞかしショックを受けたでしょうね。芸能界にゴシップはつきものだけど、ショックな話題に違いないもの。そろそろ一人のカレにしぼって、落ち着きのある女性らしさを見せてもらいたいものだわ」


 訳知り顔で語るコメンテーターは、たびたびパーティーで顔を合わせるセレブ仲間だ。

 パーティーのたびに同伴している男が違うと、いわくありげな噂を持つ連中の一人である。


 あんただってやってるくせに! とリリーは歯噛みする。


 誰かを断罪できるほど、純潔でも高潔でもないくせに!


「シット!」思わず突いた悪態に、周囲の人間が振り返った。


「いたぞ! リリー・タイガーだ!」


 途端に、カメラのフラッシュ。


 ぜいぜいと息をつきながら、リリーは何十回目かの鬼ごっこを再開する。


 たった一回の情報流出によって、世界は一変してしまった(おまけに体重もバレた)。


 情報化社会の恐ろしさを、改めてリリーは感じた。




 追っ手を完全に振り切ったのは、正午だった。


 死に物狂いの野次馬たちに服を引っ張られ、髪をむしられ、リリーはボロボロだった。

 拾った木の棒を杖代わりに、よろよろと道路を歩き続ける。車をチャーターするのも、ヒッチハイクをするのも控えた。


 どこでマスコミの目が光っているか分からないからだ。


 よりにもよって、彼が指定した場所は、州立公園しゅうりつこうえんに続く荒野のど真ん中だった。


 延々と続くアスファルトを歩くこと四時間。


 待ち合わせの田舎町に到着した。田舎町と言うより、ほったて小屋が数軒立ち並んだ、小さな集落。道路端に建ったレストランが、この街の唯一の特徴である。


 その入り口を熱心に掃除している男がいる。


 痩せ気味の体躯たいくにボロボロのTシャツ、頭にテンガロンハットをかぶった若い男が、竹箒で庭先を掃いている。

 すぼめた口から、滑らかな口笛が聞こえてくる。赤銅色しゃくどういろの荒野にぴったりの侘しげな音色だ。


 行き倒れ寸前のリリーの目に、男が映る。と、疲労困憊した身体のどこにそんなエネルギーがあるのかと思うほど、みるみる力が湧いてきた。杖を放り出し、男の元へダッシュする。


 男もリリーに気づいたようだ。茶色い目を見開き、熱烈なハグをせんばかりの勢いで駆け寄ってくる。


「リリーちゃあぁ~……」


 バキバキバキッ!


 嬉色満面きしょくまんめんな顔に、リリーの飛び膝蹴りが炸裂する。


 ばたり、と仰向けに倒れる男。


「り、リリーちゃん……なぜ……」


「なぜ? じゃないデス! ワタシがどんな思いでアナタを迎えにきたか分かっているのデスカ!?」


 言いながら、ウッと声が詰まる。今の自分は埃まみれで、服も髪も汚れている。元・女優のキラキラセレブ、リリー・タイガーは見る影もない。


 男の立ち直りは早い。さっと起き上がると、鼻血まみれの顔を、Tシャツの裾でごしごし拭う。


 すると、アジア人らしい彫りの浅い顔が現れた。


 かなりの童顔で、年齢にしてリリーと同じくらいに見える。ひょろひょろした猫背体型。ぼさぼさの黒髪が、彼の弱々しさに拍車をかける。


 男は、にへらっ、と気の抜けた笑顔を見せると「ここで働かせてもらっているんだよ~」とレストランを指差した。


「衛星電話は売らなかったよぉ~。リリーちゃんとおじさんとを繋ぐ、大事なパイプラインだからねぇ~!」


「売ってくれたら、迎えに来なくて良かったノニ……」リリーはぶつぶつ文句を垂れるが、男はまったく聞いていない。


「リリーちゃん、タコス食べるぅ? うちの店の名物なんだ。それしかメニューがないとも言う」


「そんな時間はありまセン! 一刻も早く、ニッポンへ戻りまショウ!」


「ええ~、もう少しカウボーイ生活を満喫したいよぉ~」


「何を言っているのデス! アナタが満喫しているのは、ホームレス生活でショウ!」


「ホームレスじゃないよぅ~! カウボーイだよぅ~! まあ、今はしがないレストランのウェイターだけどねぇ~」


 足元に落ちていたテンガロンハットを拾い上げ、指先でくるくる回す。


「僕、カウボーイになりたかったんだぁ~」


「……スペインで会ったときは、闘牛士になりたかったと言っていましたネ。その前は、ブラジルでサッカー選手に憧れていまシタ」


「そんな過去のこと覚えてないよぉ~」


 あはははは~と笑う男の隣でリリーは脱力する。


 この男の喋り方や物腰は、相手の気力を削ぐ力があるのだ。


 リリーは男の耳を引き延ばすように引っ張ると、大きく息を吸い込んだ。そして、真っ暗な穴に向かって叫ぶ。


「〝慈悲深き機械〟を手に入れるのではないのデスカ!? 狩屋草介かりやそうすけ!」


 狩屋草介は、はっ、と目を見開く。


 そして、真顔でリリーを見つめる。


 覚醒した? と思うまもなく、再び目を細め、


「わっすれてたぁ~」


 へらへら笑い出す。


 盛大にずっこけるリリー。


 あはははは~、と笑い続ける草介。


 しかし、その眼差しは既に遠く、海砦レムレスに向けられていた。


                                 (to be continued…)

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【青春ノスタルジック続編】境界線ジレンマ オニキ ヨウ @lastmoments

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