過保護でしょうかね

湾多珠巳

過保護でしょうかね


「ほら、あなた、ご覧になって」

 夫の袖口を引っ張って、妻が女子学生のように華やいだ声を上げた。

「この建物よ。今、あの子が中で。なんて豪華な所。お友達もあんなにたくさん」

「これこれ、そう近寄って見るもんじゃありません」

 そのまま式場の扉をくぐっていきそうな妻を、苦笑気味に夫がたしなめた。

「この場に僕らの席はないんですよ。お知り合いにでも気づかれたら、みっともないでしょう。気がつく人は気がつくものなんですからね」

「いいじゃありませんか。わが子の一大イベントなんですから。親が見守って、何が恥ずかしいものですか」

「それはそうですけどねえ」

 桜の季節だった。式典会場の敷地にも、通用門や外塀のそこここで、薄紅色の大樹が春の陽光に照り映えていた。

「いいタイミングでこの日が来ましたねえ」

 感慨深そうに、夫が周りの風景を眺め渡す。

「ええ、あの子の門出には最高の――」 

 不意に、妻が言葉を途切れさせ、両手で口を覆った。夫がほほ笑みながら、妻の肩をそっと抱き寄せる。目尻から涙をこぼしつつ、妻が無理に笑った。

「ごめんなさい……だめね、いつになっても子離れができなくて……あの子だって、もう小さい子供じゃないのに……」

「過保護だと後であの子に叱られるかもしれませんね」

「昔から世話を焼かれるのが嫌いでしたからねえ。そのくせ、甘えん坊で、照れ屋で」

 夫が苦笑して、再び会場へと視線を向けた。

「でもま、何歳になろうが、あの子はやはり私たちの子供なんだし」

「ええ、本当に」

 会場の出入口で人の出入りが活発になった。式典が終わったようだ。フォーマルな衣装に身を包んだ人々が、この後のスケジュール調整のためなのか、慌ただしく動き回っている。

 一つの大きな人の輪が段上に現れた。小柄な女性を中心にして、花びらの舞う階段をゆっくりと降りてくる。女性は決して若くはないが、凛とした表情が香り立つような気高さを湛えていて、美しかった。

 夫婦の表情が、ひときわ柔和な温かみを増した。

「あの子もいいお嫁さんをいただいて……」

「わが息子ながら、果報者と呼ぶべきでしょうねえ……」

 それから、二人して顔を見合わせ、噴き出した。

「いやはや、こういうのも親ばかと言うのでしょうか」

「よろしいじゃありませんか。私たちはあの子の幸せの材料なら、なんでも嬉しいのよ」

「やはり過保護なのでしょうねえ」

「こんなところまで、迎えに出向いてるんですものね」

 エントランスの様子が変化した。通用門の周辺で散らばっていた人々も、みな段上に注目する。

「あの子よ」

 妻が気もそぞろといった声で、夫の袖を握りしめた。

「ああ、どうしましょう。とうとうあの子が出てくるのよ」

「やれやれ、まるで自分のことみたいじゃありませんか」

「だってあなた、私たち、もうずっと……」

 とうとう、その日の主役が現れた。多くの人垣に囲まれ、堂々たる姿で、風格さえ漂わせつつ、一身に注目を浴びている。

「ああ、あんなに立派にしてもらって……」

「ほんとに。とうとうここまで”成長”したんですねえ、あの子も」

 人々がかついでいる絢爛豪華な台座の上で、不意に彼がむくりと起き上がり、こちらを向いた。かなりの距離にも関わらず、即座に彼は両親を認め、一瞬複雑そうな顔を見せる。

 しばしためらった後、周囲の人々に別れを告げるように会釈してから、彼は滑るように近づいてきた。ひとことも言えないで両手を合わせている母親と、涙をにじませながら穏やかに頷いている父親の元へたどり着くと、拗ねたように、

「まったく過保護なんだから。一人じゃどこにも行けないとでも思ってたのかい」

「とても待てなかったのよ。いいじゃない、ベッドにまで直接迎えにいく親御さんだっていっぱいいるのよ」

 顔をくしゃくしゃにして喜ぶ母を見て、彼はため息をつく表情を作った。実際に息は出せなかったが。

「俺はもう母さんたちより年上なんだよ。ったく、何も葬儀場の玄関まで迎えに来なくたって」

「まあ、この子ったら。おじいさんになっても照れ屋さんなのね」

 宙に漂う親子は、棺と遺影を運んでいる人々にはもちろん気づかれることなく、ゆっくり青空へと消えていった。

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