われら不屈のクリエイター

湾多珠巳

われら不屈のクリエイター

 涼やかな風の息吹で、ミシェルは目を覚ました。

 気持ちのいい朝だ。葉梢はずえ越しの陽光は柔らかく、樹々の露はしっとりと緑に輝いている。

 ねぐらにしている樹のうろから起き出て、ぐっと大きく伸びをする。仕事は結局夜明け前までの突貫工事になった。充分休息を得たとは言い難いが、達成感はある。

 さわやかな風に身をゆだねながら、ミシェルは自らの”作品”を眺め渡し、満足そうに頷いた。

「いい感じに仕上がってるじゃないか」

 上の階層から、ラファエルが快活に挨拶してきた。笑顔で振り返って、友人とその背景を視界に入れ、ミシェルは驚きで口をぽかんとあけた。

「ラファエル! 君の作品……」

「ああ。色々試してたら遅れてしまってね。あまり見ないでくれ」

 心持ち恥ずかしそうに仕上げを急ぐ友人へ、ミシェルは讃嘆の声を惜しまなかった。

「何言ってるんだ! 三重立体の変形六方支持構造か! 何て新しいアイデアだ! すごい、すごいよ、ラファエル! これはこの夏の僕らの最大傑作になるよ!」

「うん、ありがとう」

 はにかんだように答えるラファエルの動きは、実に優雅でむだがない。ゆったりした長い腕で繰り出す名人芸は、すでに神技の域に達している。日が中天に差し掛かるまでに、緻密で壮大な彼の作品がその全貌を現すことだろう。

 ミシェルは高みから周囲の樹々を見まわした。友人のラファエルは別格として、他の仲間たちの作品もまた、見事なものばかりだ。朝の光の中で、それらの芸術は目を見張らんばかりの機能美と様式美に輝いていた。

 何て素晴らしい生活なんだろう、とミシェルは思う。豊かな自然に囲まれながら、友人たちと技を競い、日々の糧を得る毎日。彼らの作品は永続的なものではない。だが、そのささやかな創作は、クリエイターたちの生きた証であり、生きる手段でもあった。そう、こうやって僕たちは生きていく。いわば、僕たちの命そのものが、毎日の創作の結晶――。

 感動に浸っていたミシェルは、突然不穏な衝撃に全身を揺さぶられた。慌てて周りを見回す。全身の毛が逆立つ思いだった! 作品が! 仲間たちの貴重な作品が、次々と圧倒的な力で破壊されていく!

「破壊者だ! 破壊者が出たぞ!」

 誰かが近くで声を張り上げていた。悲鳴と怒号が折り重なってミシェルの耳に殺到する。と、ひときわ激しい振動が起き、いくつもの恐ろしい叫びが下の階層から尾を引いて遠ざかっていった。無差別な破壊はついにミシェルの横木にまで達しようとしていた。はっと気がついて、ミシェルは上に呼び掛けた。

「ラファエル! そこも危ない! 逃げるんだ!」

 友人は作業の手をとめていなかった。降ってわいたような災厄の中でなお、最後の詰めに全精力を傾けていた。

「あと少し……あと少しなんだ……」

「やめろ、ラファエル! あきらめて今すぐ――」

 激震が襲いかかったのは、その直後だった。それはもう振動などという生易しいものではなかった。宙に放り出される瞬間、ミシェルは見た。世界を天地ごと裂くような巨大な力が、ミシェルとラファエルの作品を、一瞬で粉砕し、跡形もなく破壊しつくしたのを。

「ラファエルーっ!」

 虚空にミシェルの呼び声がこだまする――。


「ひどい……どうして、僕らがこんな……」

 生活の基盤が根こそぎ失われた一帯のはずれで、ミシェルは茫然と立ち尽くしていた。けがは大したことないが、精神的なショックは甚大だ。

「忘れた頃に奴らは来る。僕らクリエイターの天敵として、奴らは現れる」

 傍らで静かに佇んでいるのはラファエルだった。足を少し痛めたようだが、声はしっかりしている。

「奴らの破壊の理由なんて知らない。けど、僕らはクリエイターだ。全部壊されたなら、また作り直すだけだ」

「ラファエル……」

「僕はやるよ。僕は負けない。奴らが根を上げるまで、作って作って作り倒してやる」

 ふらつく足取りで、ラファエルが作業を再開した。陽光の下、その姿は不屈の精神そのものが身をなしているように見えた。

「ラファエル、君は美しいな……」

 仲間たちも、徐々に活気を取り戻していた。元の集落に、再び創造の熱気が渦巻こうとしている。ミシェルは涙にひたすらむせていた。なんて素晴らしい、そしてなんて悲しい仲間たちなんだろう。僕らはこうやって創作に生き、創作に死んでいくんだ――。


「もう、ほんっとに鬱陶しいったらっ」

 竹ぼうきを振り回しながら、常勤パートのふくよかな中年女性が毒づいた。五月の露を含んで、ほうきの末端からいくつもの滴が朝の光にきらめいた。

「今年もこういう季節になったのねえ。この作業って、きりがないのよ。と言って、ほったらかしてたら後でうるさくチェックされるしね」

「でも、ちょっと可哀想ですよね」

 同僚の娘が言った。気がとがめているような口ぶりだが、竹ぼうきを振り回す様は、おばさんよりずっと豪快だ。

「作るそば作るそばから壊されるんじゃ」

「ああ? いーのよそんなこと。あたしらのクビにだってかかわるんだから」

「あ、そこ、新しいの、張ってます」

「え? もう、さっき取ったばっかりなのに! こいつらも意地になってるわね!」

 虫一つない緑地帯を愛でたいという矛盾した住民の要望にこたえるため、その分譲マンションのクリーンスタッフたちは、中庭のかしこに張られたクモの巣を払い落とすべく、今年も奮闘するのであった。

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われら不屈のクリエイター 湾多珠巳 @wonder_tamami

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