第84話 お侍さん、諦める

「…………先生?」


「久しいな、レナルド殿。先ほどは失礼つかまつった」


 好転したのか悪化したのか……。どちらとも言えん状況だな、これは。


 心の中で舌打ちを一つ。傍目には分からない程度の軽い会釈を返しながら、黒須はつま先から順に力を入れて身体の調子を吟味し始める。


 矢傷はどうということはない。臓腑への損傷は避けられた。深手を負ったのは左腕くらいだ。骨か筋か。当たりどころが悪かったらしく、矢を引き抜いた肘窩がびついたようにぎこちなくきしむ。致命傷と引き換えに多少の代償を払う羽目になったが、まあ、腕など一本残っていれば剣は振れる。 枯樹生華こじゅせいか、咄嗟の回避にしては上々の首尾と見るべきだろう。

 

 差し当たりまずいのは──────失血か。


 いくらなんでも連日血を流しすぎた。朝日が赤黒くかすみ、指先は冷え、脚元が浮いているような感覚がある。肺が胸壁にへばり付くような息苦しさも。吸ったり吐いたりすることに意識を向けていないと、うまく呼吸できない。全身を襲う激痛がちょうどいい気付け薬になってくれているものの、早々に決着けりをつけねば、身動きが取れなくなるまでさほど猶予はなさそうだ。


「理由を教えてください。どうして、このようなことを……?」


「護ってやると約束したからだ。この娘に」


 不調を悟られぬよう、取りつくろった澄まし顔のまま会話を引き伸ばす。


 本来は衛兵どもを威圧して距離を詰め、斧槍を拾ってさっさと離脱する算段でいた。整えられた揃いの装備、伍長なる序列、同数の部隊編成。規律ある軍勢は引き際を事前に指示されているもの。番士は斬らんという信念を曲げてまで無益な殺生をする必要はない。半数、いや、数人を蹴散らせばそれで追手はかからんだろうと。


 しかし、レナルドたちの介入でその目論見は崩れ去った。機をいっしたと言うべきか。連中は体勢を立て直し、ラウルの登場で眼に見えて士気が上昇。こうなると強行突破も容易ではない。


 さて、どうしたものか────……


 白々しい顔で世間話を続けているものの、その実、黒須はすでに"交渉による解決"を念頭に置いていなかった。儀礼として対話に応じただけで、もうはらは決まっている。


 刀は断じて虚仮威こけおどしの道具ではない。抜刀した時点で終わっているのだ。敵対の意思表示は。


 かたわらに人無きがごとし。死地において他を頼らず、独力で生き抜くことをむねとする単孤無頼たんこぶらいの独人にとって、レナルドたちの存在は邪魔でしかなかった。


 正確には敵でも味方でもなく、第三勢力という認識に近い。どこぞの茶坊主のように為政者へ擦り寄ったり、友誼ゆうぎを盾に救命をう。そういった発想を微塵みじんも持たないがゆえに、ただただ、扱いに困っている。たとえ自分の身を案じて駆けつけてくれた厚意を、十分に理解できていたとしても。


 彼らの立場は敵方の上役うわやく。決してこちら側に立つ相手ではないが、かといって、親交のある知己ちきに剣を振るうほど落ちぶれているつもりもない。だからこそ、余計に厄介なのだ。端的に言えば有難迷惑。布陣している弩兵などより余程始末に負えん。


 単独なら迷わず背後の石垣を飛び越えるところだが、吸血鬼ルナという名の荷物を抱えているうえ、満身創痍で手札も少ない。何か一手、隙を作るための呼水きっかけが要る。


「………………………」


 黒須は悩ましげに考え込むレナルドと見つめ合いつつ、眼の焦点のみをずらすことで彼の背後を探り────とある一点に照準を合わせた。気になったのはレナルド一行の向こう側、弩を構えて並ぶ衛兵どものさらに後方。


 もしやあれは…………?


 と、不意にレナルドの視線がこちらの顔から下に逸れた。その瞬間、にわかに状況が動く。


「クロさんどいて! ウ、ウチがるっ!」


「何をするつもりか知らんが、要らぬ世話だ。手を出すな」


 いきなり飛びかかろうとした小さな身体を肩で押し退ける。それでも無理やり前へ出ようとするルナは足を滑らせ、石畳に勢いよく尻もちをついた。


 慌てて立ち上がり、ふたたび前へ。黒須がそれをまた制す。先を争っているかのような押し合いが無言のまま何度か繰り返された。


「………………………」


 衛兵と眼を合わせただけ。たったそれだけのことで矢を射られ、心に傷を負ってしまったのだろう。レナルドの視線に対するルナの反応は、過剰に思えるほどだった。自暴自棄やぶれかぶれに近い取り乱し方。張り詰めた顔には溢れんばかりの焦燥感が含まれている。


 "落ち武者はすすきの穂にもず"

 彼らとの会話を聞けば友好関係にあると分かりそうなものだが、ひとたび臆病風に吹かれた者は小枝が揺れても嵐がきたぞと騒ぎ立てる。あまりにも強烈な体験をすると、目の前の景色ががらりと変わって見えてしまうからだ。

 

 まさしく典型的な天手古舞てんてこまい。自らの影を怖がるいぬのように、ありもしない幻想に怯え、冷静さを失っている。とはいえ、初めて訪れた人里で突然これだけ大勢から追い詰められれば、こうなっても無理はないか。


「このままじゃクロさんまで殺されるやろ!? ウチが時間稼ぐから、その間に逃げ────!」


「黙れ、魔物に成り下る気か。俺は無事に送ると言った。武士に二言はない」


「もういいっ!! もう十分やって!! そのケガじゃ……ッ!」


 そう叫ぶルナの瞳から大粒の涙がこぼれた。ただでさえ蒼白い顔は完全に色を失い、手足はガタガタとみっともなく震えている。


「………………お前」


 この場面で────他人にすがろうとするのではなく、心配することができるのか。怖くてたまらないだろうに、自分の身を犠牲にしてまで。


 絶体絶命の窮地でこそ人の本性は剥き出しになるものだ。生来の悪党でなくとも、食うに食えない切羽詰まった状況に陥れば、人は容易く盗みに手を染める。道を外した行為というのは、それを起こす者の視野が非常に狭くなっているときに生じるのが常。にっちもさっちもいかなくなったり、あるいはカッとなって我を忘れたりして凶行に及んでしまう。


 飢饉に襲われた村を見れば嫌でも理解させられることだ。人は所詮、毛のない猿に過ぎんのだと。猫も杓子しゃくしも裏の顔は似たり寄ったり。身分の高下こうげを問わんどころか、仏道を説くような者であってもさしたる違いはないのだと。


 しかしどうだ、この娘の心根は。


 恐慌状態てんやわんやでまともな判断ができないにしても、生き残れないことは百も万も承知のはず。衛兵どもの罵詈雑言を聞けば明らかなように、連中は最初はなから捕縛するつもりがない。仮に降伏したとしても、泣いて命乞いしたとしても、平気でルナを射殺すだろう。虫螻むしけらでも潰すように、あっさりと、無慈悲に。


 これを気高さと呼ばずして何と呼ぶ?


「ここでお前を見捨てれば、俺はもう武士と名乗れなくなる。いいから、じっとしていろ」


 なおも暴れ続けるルナの首根っこを鷲掴み、強制的に下がらせる。


 不死族と言うからには屍人のように身体を再生できるのかもしれん。そうだとしても、真に完全無欠の不死ならばこうも怯えはしないだろう。


 恐らく、死ぬのだ。吸血鬼も。


 生き鎧のように限界があるのか、銀武器のような弱みがあるのかは知らん。ただ、痛みすら感じないような存在が取る態度ではないのは確実と言える。


 このちっぽけな勇者に世間の汚れきった常識つごうを押し付けて、一体どんな言い訳が立つというのか。


「せ、先生?」


 黒須はしきりに感心していたが、レナルドのか細い呼び声に眼を向ける。会話に割り込む隙をうかがっていたような、迷いに迷って口にしたかのような、酷く遠慮がちな声色に耳を引かれて。


「…………どうした?」


 四人の方へ向き直ると、彼らは何とも言えない奇妙な表情をしていた。驚愕と当惑が半々の、面白いくらい困った顔。あれだ。男爵邸で刺身を食ったときに見せた、あの変人へ向けるような眼差しによく似ている。


「その子の────吸血鬼の言葉が、理解できるのですか?」


「…………? ああ、まあな」


 やけに重々しい口ぶり。そこまで驚くことかと一瞬疑念を抱いたが、思い返せば、レナルドはアンギラの外に一度も出たことがないと言っていた。他に比べると聞き取りやすい上方言葉でも、今のルナのように早口で話されれば理解できぬのも仕方あるまい。


「どうして…………」


「前にも言ったが旅暮らしが永いものでな。こう見えて、御国言葉には通じている方だ」


 隠しようもない得意顔で誇らしげに答える。戦うことしか能がない黒須にとって、数少ない自慢の一つ。それなりに努力をして身につけた知識だったから。


 "なまりは国の手形"

 一昔前は公家くげの話す京言葉こそ至高とされていたが、武家が政治の実権を握って以降、各地の方言も大っぴらに話されるようになってきている。初めて他家の領地へ足を踏み入れた際には、そういった時流をまざまざと痛感させられたものだ。


 夢かうつつか。誰も彼もが訳の分からぬ言葉を発しており、まるで異界に迷い込んでしまった気分。途方に暮れるのを通り越して、腹が立つのが先だった。どうして山を三つ四つ越えただけで会話が成立しなくなるのか、と。


 通詞つうじを雇うような金があるはずもない。悩みに悩んだ挙句、能の謡曲うたい義太夫節ぎだゆうぶしたしなむ者を捕まえて、その台詞を代用することで意思疎通を図るという手段を思いついた。『これなるは諸国一見の武者にてそうろう。宿を借らばやと思ひ候。いかにこれなる宿場の内へ案内申し候』、といった具合に。


 芸能の文語は書き言葉で各地に伝わっている。つまり、方言の入り込む余地がない。能を学ばぬ武士などそうそういないことも相まって、我ながら見事な妙案を閃いたものだと得意になっていたのだが──────……


 道々で話すたび向けられる数多あまたの視線、陰口、言笑。


 当初は田舎にありがちな二本差しを珍しがる連中の仕業と考えていたが、どうにも少し、様子が違う。監視ではなく観察、薄ら笑いではなく忍び笑い。好奇心に満ちた空気と表現すべきだろうか。小さな動作にも可笑おかしさを見出みいだそうとして、遠くから眺めているような雰囲気だった。


 時が経つにつれ、連中の態度はどんどん露骨になっていく。どこからともなく集まる群衆、所構わずできる人だかり。あろうことか同じ日に、そんな状況が何度も起これば、いかに察しの悪い唐変木とうへんぼくといえど流石に気づく。ああ、見世物にされているのだなと。


 こちらを指さして笑っていた町人を何人か締め上げてみたところ、案の定、武家を詐称する放浪俳人として噂されていたらしい。往来おうらいで謡曲を披露する変わり種がいるぞと、瞬く間に評判になり、わざわざ隣町から見物しにきた者までいたのだとか。


 今なら世間の声など気に留めず、どこ吹く風と受け流すだろう。しかし、当時は若かった。結局、その日のうちに自分自身ですら『いつの時代の侍だ俺は』と、恥を覚えるようになってしまい…………。


 これでは果たし合いどころか道も尋ねられんと判断し、"浜荻"やら"類物称呼"やら"大和口上物語"やら、何日も旅籠に引きこもってあらゆる方言集を読み漁ったものだ。この国の文字を挫折することなく学べているのも、あの頃の苦労の賜物たまもの。脳味噌が石になるほどの奮励を重ねたおかげと言える。


「御国言葉……? いいえ違います。訛りや方言などといった次元の話ではなく────」


「レナルド様。兵たちがれ始めております。お気持ちは分かりますが、今はそれよりも」


 レナルドは腑に落ちないという表情でさらに何かを言いつのろうとしたが、遠くからこちらを睨む衛兵どもをちらりと見て、ラウルが話題の転換をうながす。


「ご、ごめん。そうだね。先生、その子をどうされるおつもりですか?」


「決めかねていたところだ。こいつがそこらの魔物と同じには思えなくてな。どうすべきか、仲間の意見を訊くつもりだった」


「たしかに吸血鬼は普通の魔物ではありません。……、という意味ですが」


 ルナを凝視するレナルドの瞳には、はっきりと恐怖の色が浮かんでいた。つい先ほど襲いかかろうとしたせいだろう。まばたきすら恐ろしい、近くにいるだけで気が休まらないと、そのまま顔に書いてあるようだ。


「知性を有する魔物は"魔族"と呼称されているが、奴らは姿容が人に近いほど賢く、驚異的な力を持つ。クロス殿、吸血鬼はその代表格である」


「あくまで魔物の同類、ということか」


「いかにも。獣の一部を"猛獣"と呼ぶのと同じで、便宜上、特に危険な魔物を区別しているに過ぎん」


 後ろめたさをまるで感じない、叩きつけるような口調でラウルはそう断言した。誰に対しても常に紳士然と振る舞うこの男が、当の本人を目の前にして。


「騎士団を率いていた頃、私は人をあざむこうとする魔族を何体も見てきた。子供の姿に情けをかけ、命を落としてしまった団員もいる。だからこそ、貴殿には彼らと同じ末路を辿たどってほしくない」


たぶらかされていると?」


「私ならそう考え即座に交戦するだろう。しかし…………」


 こちらの瞳をまっすぐに見て、ラウルはううむと低くうなった。


「並外れて警戒心の強い貴殿がそう簡単に籠絡ほだされるとは思えん。であれば、何か別の……。精神に干渉する魔術の影響下にある可能性を疑っている」


 口では疑っていると言いつつ、顔は『そう望んでいる』と言わんばかりに苦しげにゆがめられていた。


 ラウルの立場、板挟みの胸中を考えればその逡巡も分からなくはない。くつわを並べた戦友が罪人として配下に包囲されているのだ。願わくば自分の意志ではありませんように。誰かのてのひらの上で踊らされていますようにと、神仏に祈りたくもなるだろう。


「先生、僕を信じて身柄を預けてはいただけませんか?」


「できん相談だな。無抵抗の童を死ぬと知りつつ引き渡すなど鬼畜の所業しょぎょう。武士道に反する」


「形だけです! 悪いようにはいたしません!」


 泣きつくような必死の説得。下手に対話に応じたせいか、どうやら思い違いをさせてしまったらしい。


「誤解のないように言っておくが、これでも貴公らのことは信頼しているつもりだ。冒険者も殊更ことさらに吸血鬼を敵視していたからな。存在そのものが人にとって脅威、これは真実なのだろう。しかし同時に、今の問答でよくわかった。この国の人間は全ての魔族を一括りに見ているということが」


 彼らの語り口で思い出したのは、以前タイメンが言っていた"人種差別"なる概念。奴は俺を差別主義者と称したが、これこそ、その最たる例ではないのか。


「たとえ世界中の誰もが口を揃えて悪だと言っても、俺は己の眼で見極めたものを信じることに決めている。同じ種族だからと一緒くたに語るのはお門違いだ。他の吸血鬼が仕出かした悪行は、こいつを断罪する理由にはならん」


「おっしゃることは分かります。分かりますが────……」


 レナルドは否定こそしないものの、小さく首をかしげ、納得いかないという顔をしていた。どこに引っかかっているのかは明白。やはり、彼らは吸血鬼をとして認識していない。


「…………あの伍長と名乗った兵」


 黒須はくいと顎をしゃくるようにして、通りの奥にいる人物を示す。


「"獣人だから"という理由で俺があれを斬ったとして、この国では罪に問われるか?」


「急に何を……? 当然でしょう」


「当然と思うか。しかし俺の国に獣人が現れれば、まず間違いなく妖怪変化として叩き殺されることになるだろう。誰にもとがめられんどころか、退治した者は護国の英雄として歴史に名を残すかもな」


 実際、初めて冒険者ギルドを訪れたときディアナを斬るべきか迷った。さらに言えば、もし最初に魔の森で出会ったのがタイメンであった場合、確実に斬り捨てていたと断言できる。


「何が言いたいか分かるか? 同じ存在ものを見ていたとしても、それぞれの常識を通して見れば真実は変わるということだ。俺と貴公らでは根本的にものの見方が違う。どちらが正しいという話ではない」


「「……………………」」


 ────ここまで言っても伝わらんか。


 訳が分からないという風に顔を見合わせるレナルドたちを見て、黒須は観念したかのように一つ大きなため息を吐いた。


 まあ、気持ちは分かる。彼らはこの国に来る前の自分と同じだからだ。『異人は獣の同類』という吹聴を信じ切っていた頃の自分と。


 どこかで聞いた噂を鵜呑みにして、ただぼんやりと知った気になっているだけ。実態を知ろうとはしていないのだ。自分たちの敵視する相手が、本当はどのような存在なのかを。


 この溝は深い。。先入観が我々を真実から遠ざけている。立ち話をした程度で埋まるものか。


 黒須は諦めに似た感情を覚え、刀を逆手から順手に持ち替えた。


「さて、話は終わりだ。これ以上はらちが明きそうにないのでな」


「お待ちを!! こちらもはいそうですかとは引き下がれません! 争わずに済む道があるはずです!」


「貴公らには前に話しただろう。俺は、俺の道に立ちふさがる者を許さんと」


「クロス殿、頼むッ! 貴殿とは敵対したくない!!」


「すまんが手遅れだ。押し通らせてもらう」


 黒須はそう言うと、血だらけの指を口に咥えた。


「──────うああっ!!」


「なっ、何だッ!?」


 甲高く響いた指笛の音に呼応するように、レナルドたちの後方から悲鳴が上がる。


 衛兵の列を背後から強襲したのは、一頭の黒鹿毛くろかげ。どうしてこの場にいるのかは知るよしもないが、ナバルへの道行みちゆきをともにした、あの優秀な軍馬だった。


「ラウル殿、遠慮はいらん。貴殿は貴殿の騎士道をまっとうしろ」


 大混乱の最中さなか。ただ一人陽動に意識を取られず、こちらを注視し続ける騎士に声をかける。


「………………酷なことを言う」


 悔恨とも落胆ともつかぬ、消え入るような声。ラウルは苦しげにそう呟くと、構えを解いて槍先を正門の方向へ向けた。


「さんざん中傷された名であるが、恩知らずという汚名まで付け加えるつもりはない。まだ城門は開放されているはずだ。クロス殿、貴殿に女神ルクストラの加護があらんことを」


 一気呵成に言い切るやいなや、ラウルはレナルドと見習いたちの背を押して三叉路の片側へ走った。馬の衝突を回避するにしてはやけに大げさな位置取りで。まるでもう一方の道を空け、弩の射線に割り込むように。


「かたじけない。この礼はいずれ、必ず」


 衛兵の包囲を蹴散らし、黒鹿毛が突っ込んでくる。唖然としているルナを抱えて素早く騎乗すると、黒須は振り返ることなく無人の街路へ馬を駆けさせた。

 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「逃げられてしまいましたな」


「いやいや、僕にも聞こえてたからね? 二人が話してるの」


 芝居っ気たっぷりの口調で残念がる忠臣に、レナルドは呆れたような眼差しを送った。


 きっとラウルはあらかじめ、この展開を予期していたのだと思う。案内役の従士に貸し出した馬。今から思えばあれだって、準備したのは彼だった。


「して、いかがなさいますか?」


「衛兵たちが落ち着いたら、一度城に戻ろうか。勝手に判断するなって叱られたばかりだからね。ジェイド兄様に決めてもらわないと」


 レナルドは意趣返しのつもりでいたずらっぽく笑う。最善ではないものの、最悪の結果は避けられた。時間さえあれば、まだまだ打てる手はあるはずだ。


「とりあえずラウルは皆を集合させてくれる? アクセルとオーリックは荒野の守人に伝令を────……」


 さっそく動き出そうとした矢先。レナルドは見習いたちの様子を見て、何かがおかしいと感じた。二人してこちらと目を合わせようとせず、気まずげに腕を組んだりほどいたり。そして何よりも、直前まで手に持っていたはずの物が消えている。


「アクセル、水薬ポーションは?」


「申し訳ありません。紛失してしまったようであります」


「……オーリック?」


「あの混乱で慌ててしまい、じ、自分も……。どこかに落としてしまったのかもしれません」


 とぼけた顔で二人揃って頭を下げる。交渉中、ずっと静かにしていると思っていたが、いつの間に──────


「失くしたのならしょうがないね。じゃあ、二人は伝令を。こちらから説明に出向くって伝えておいてくれるかな」


「「はっ!!」」


 話をするためにわざわざ流民の家を訪ねるなんて、他の貴族に聞かれれば失笑されるに違いない。でも、彼らを城に呼び出すのは避けなければ。


 クロスは表向き逃走犯という扱いになる。実害がないので指名手配まではされないと思うが、パーティーの仲間も事情聴取くらいは受けることになるだろう。


 ただ、もし兄が自分と彼らの繋がりを知れば、絶対にそれだけでは済まない。陰湿で、粘着質で、病的なほど執念深い感情家。あの性格を考えれば、不当な手段を使ってでも荒野の守人を潰しにかかるはずだ。


「では行って参ります!」


「よろしく。僕とラウルは先に戻って兄様の相手をしておくよ」


 このとき、レナルドは完全に失念していた。何日も前に書き終え、提出したナバル遠征の報告書。そこにたった一節だけ、外部協力者の情報を記載してしまっていたことを。



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お侍さんは異世界でもあんまり変わらない 四辻いそら @polka2229

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