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まあ、一部のマニアにはウケたみたいだけど。
と、シュンさんは肩をすくめて見せた。
そんな外国人じみた仕草が、奇しくも蘭さんに似ている。
当の本人はというと、つい数分前までは、私の髪をカットするシュンさんの背中をギラギラと、それはもうしつこく睨み続けていた。
が、今はソファーにその長い体を横たえ、いつの間にか寝落ちしていた。
腫れ上がった頬や、閉じた目の下の濃いクマ、ボロボロで血塗れのスウェット上下。諸々の要素が相まって、その姿は容姿端麗なゾンビにしか見えなかった。
「……シュンさん。やっぱり、今日カットだけにして貰えます?」
シュンさんは鏡越しにジッと私の顔を見た。
およそ人らしい感情の“温度”というものが込もっていない、いつもの醒めた目つきだった。
「……………はあ、わかりました」
飛んで火に入る夏の虫。
呟くように言われ、私も彼の真似をして肩をすくめてみせた。
カットを始める前にコーヒーを飲んだので、最後に髪を乾かす段階になってトイレに行きたくなってしまった。
サイコパスも生理減少には負ける。コーヒーの利尿作用には敵わないのだ。そんなことを考えながら用を済ませ、店内に戻ろうとすると低い話し声が聞こえた。
私は咄嗟に足を止めた。
観葉植物の影から覗くと、どうやら覚醒したらしいゾンビがソファの上で身を起こしていた。おまけに、寝起きのせいかはたまた憎しみのためか、その目つきはいわゆる“藪睨み”だった。
そんな蘭さんに向かいあって立つシュンさんは、こちらからはその背中しか見えない。
彼らが何を話しているのかは、その密やかな口調とごく小さな音量のせいでわからなかった。
ただ、最後にたった一言、これだけは聞こえた。
「あのコには言うな」
言ったのは蘭さんだった。
それは今まで一度も耳にしたことのない、低く、凄みに満ちた声音だった。口が動いているのが見えたから、かろうじて彼が言ったのだとわかったくらいだった。
「……」
どうやら、彼にはまだ秘密の
ほお。上等だ。
そう思う気持ちはあったが、しかし、その感情は苛立ちとは別の形をしているようだった。自分でも不思議なことに。なんだかここ最近、私は私自身を見失うことが増えた気がする。それも、彼と過ごすようになってから……あ、やっぱり若干腹立たしいかもしれない。
わざと大きな足音を立てて私が現れると、蘭さんはハッと顔を強張らせ、シュンさんもわずかに肩をビクつかせたようだった。
「何?」と挑戦的に尋ねると、大の男が揃いも揃って「いや」「なんでも」と言葉を濁す。
「まあ、いいけど。…シュンさん、私、もう髪はこのままでいいのでお会計お願いします」
「アッハイ」
「あ。あと、コレ買います」
「アッハイ」
お会計を済ませるついでにスタイリング剤を購入し、さて、とソファを振り向く。
蘭さんが長い腕で私の荷物を抱え込み、ガチガチに体を硬らせてそこにいた。その顔は相変わらず強張ったままで、恐怖でいっぱいに見開かれた目が私を見上げてくる。その顔を見ていると元々大してなかった腹立たしさもたちまち霧散する。しかし、それを認めるのもなんだか癪な気がしてしまう私である。
なるべく淡々と、ぶっきらぼうに聞こえるよう意識した口調で「帰るよ」というと、蘭さんはますます荷物を抱く力を強くした。
「…かっ、」
「か?」
「か、帰るって、どこに…?」
私の服が詰まった紙袋がめこめこと音を立てて圧縮される。
「どこって、家だけど」
「誰の…?」
「私たちの。家っていうかまあ部屋だけど、家でいいよね便宜上。ああでも、蘭さんが買ったんだから蘭さんの家か。まあ、家主が嫌なら私は「嫌じゃない‼︎全然嫌なんかじゃない‼︎帰るすぐ帰る僕らの家に帰るアキちゃんと一緒に帰」わかったから落ち着け!」
白い両腕が、獲物を捕らえる蛇のように勢いよく絡み付いてきた。
私のお腹に顔を埋め、蘭さんはもう何度目かになる滂沱の涙をダクダク流す。おかげでブラウスのお腹まわりがもう、ビッチャビチャである。小一時間ほど前に、彼の涙で盛大に湿った膝もまだ乾き切っていなかった。今日は陽射しは暖かいのに風が妙に冷たい日だから、きっと、外気に当たったら冷たくなる。膝はともかく、繊細なお腹が冷えたら、ヘタすると便秘か下痢になるのでやめてほしい。
「…あー、ホラ、よしよし」
ポンポンとその大きな背を叩いてみる。ずずず、と大きく鼻を啜る音がした。オイこの服気に入ってるんだから鼻水は勘弁してくれ。ヘタをすれば血糊だってうつるかもしれない。
とにかく、一度身体を離しがてら顔を拭ってやろうと手を添えたところで、彼の体温が異様に低いことに気づく。低体温症とでもいうのか、これじゃ本当に爬虫類だ。いや爬虫類の体温なんて知らないが、つまり、彼の体は今、人間の限界を超えて冷え切っているということだ。まずいこのままじゃ2人とも腹を壊す。
夜のパンケーキ 朝倉 眠 @minasakura
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