魏略逸文の全訳文
<魏略逸文>
■従帯方至倭、循海岸水行歴韓国到拘邪韓国七十里
帯方より倭に至るには、海岸に沿って水行し、韓国を経て拘邪韓国に到ること七千里。
■始度一海千余里至対馬国、其大官卑狗副曰卑奴(母離)無良田南北布糴
始めて一海を渡ること千余里。対馬国に至る。その大官は卑狗であり、副は卑奴母離という。良田はなく、南北で市易して穀物を買い入れている。
■南度海至一支国置官与対(馬)同地方三百里
南、海を渡り一支国に至る。官を置くは、対馬と同じ。地は四方三百里である。
■又度海千余里至末盧(国)人善捕魚能浮没水取之
また、海を渡ること千余里。末盧国に至る。人は魚を捕るのが上手で、うまく水に浮沈して、これを取っている。
■東南五東里到伊都国、戸万余、置曰爾支副曰洩渓觚柄渠觚
東南五百里。伊都国に到る。万余戸。置いて曰く爾支といい、副は洩渓觚、 柄渠觚という。
■其国王皆属王女也
それら国王はみな王女に属すなり。
■女王之南又有狗奴国、女男子為王其官曰拘右智卑狗不属女王也
女王の南、また狗奴国があり、男子を以って王としている。その官は拘右智卑狗という。
女王には属さない。
■自帯方至女(王)国、万二千余里
帯方郡から女王国に至るには、万二千余里である。
■其俗男子皆點而文、聞其旧語自謂太伯之後、昔夏后少康之子封於会稽断髪文身以避蛟龍之吾、今倭人亦文身以厭水害也
その風俗は、男子はみな黥(點)面文身をする。その旧聞を聞くに、自ら太伯の後という。
昔、夏后少康の子は会稽に封じられ、断髪文身をして蛟龍の害を避けた。今、 倭人もまた文身して水害をはらう。
*漢文の欠字は、本文内で括弧にて補い、明らかな誤字は訳文にて太字にて訂正を示した。
*参照 「邪馬台国研究総覧 三品彰英 編著(1970)」 「魏志倭人伝の世界 三木太郎 著(1979)」
魏書倭人伝の探究〜カクヨム版〜 岡上 佑 @yu_okagami
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