RUN —君のもとへ—

クロ

RUN—君のもとへ—



黒川洸介×花崎海


赤枝優×桃山圭斗


黄島朋×花崎夏菜


青木晴×金城瞬


部活に勉強に励む大学生の恋と友情の物語。









目次

第1話 春です!

    ・新入生歓迎会

    ・出会い

    ・恋?

第2話 陸上部の活躍

    ・選手権への道

    ・夏合宿 

    ・選手権

    ・全国大会

第3話 僕たちのこと

    ・本当の気持ち

    ・波乱の予感

    ・文化祭

    ・二人の関係

第4話 冬到来

    ・それぞれの恋

    ・冬合宿

第5話 大事な人













第1話 春です!

新入生歓迎会 


海side

今日はいい天気だ。カーテンの間から差し込む太陽の光が僕の体を起こした。高校を卒業してからの長い春休みが明け、いよいよ初登校日。目覚めもいいし、最高の気分だ。

「海ー、夏菜―、早く起きなさい!」

一階から母さんが声をかけてきた。僕は目をこすりながら返事をするが、2段ベッドの上の段の夏菜はまだ寝ているようだ。

「おい夏菜、今日は初日だから絶対に遅刻できないぞ」

幼いころから寝てばかりいる夏菜の世話をしている僕は少しせかしながら起こす。

「やばい!今何時!?」

「7時」

「噓でしょ!?間に合わない!今日は初日だから6時には準備始めたかったのに」

僕の双子の妹、夏菜は僕と顔は似ているのに性格は真逆だ。そんな夏菜を後目に僕は支度を始める。今日は新入生歓迎会があるから、大学の先輩たちとも顔を合わせる。なんだか緊張してきた。

「「いってきまーす!」」

夏菜と一緒に家を出て駅へと向かう。僕たちがこの春から通う彩色大学は隣町にあり、電車で3駅大学の最寄駅から徒歩15分程で到着する。僕は社会学部、夏菜は食品科学部に入学した。この大学は、サークル活動だけでなく運動部も活発で、特にサッカー部と陸上部が全国クラスで強いらしい。

「よお!やっと来たか」

学校に到着すると小学校からの幼馴染、黄島朋が声をかけてきた。

「おはよう。今日は誰かさんのせいで電車乗り過ごしたからね。」

僕は皮肉たっぷりに夏菜を見た。

「うぅ…。朋おはよう!こ、これでも今日は早く起きた方だよ!」

「はいはい、よく頑張りました」

朋は夏菜の頭をポンポンしながら言った。

「子ども扱いするな!」

夏菜はぷんすか怒りながら先に行ってしまった。

「朋、いつになったら告るんだよ」

朋の気持ちを知っている俺はいつももどかしい思いをしている。

「俺はこれくらいでいいの」

「早くしないと誰かにとられるんじゃないの?」

華の大学デビューをしたかなは今日も朝からイケメン探しをしていた。同級生のままがいいなんてともの真面目さが出すぎている。

「そういえば圭斗は?」

「あー、部活の先輩に連れてかれた」

「部活って陸部の?朋は行かなくてよかったの?」

「俺はほら、夏菜と話したかったし?それに…」

朋は俺を見ながら口をつぐんだ。

「そっか。じゃあ、一緒に圭斗のとこ行こっか」

「お前、大丈夫か?」

「…うん。学部の集まりまで時間あるし、大丈夫。でも、僕の事は言わないでね」

「分かった」

朋は僕の高校時代の事を知っている。だから僕を気にかけてくれているが、僕は大丈夫。そう言い聞かせて陸上部のブースへ向かった。


「圭斗ー海連れてきたぞ」

「お!海、おはよう!」

圭斗が駆け寄ってきた。

「いやー、先輩たちにつかまってたから来てくれて助かったわ」

「そんなこと言って、楽しかったんじゃないの?」

「まあな」

圭斗はいつもこの調子だ。ふざけてるのか、ただ無邪気なだけなのかわからない。2人とも高校時代からいつも仲が良く、この2人の掛け合いはいつも面白い。圭斗とは学校は違ったけど、大会の時や合同練習の時はよく話していた。

「おい海、なに笑ってんだ?」

やばい顔に出ていたらしい。

「なんでもない。ただ2人とも仲いいなって思って」

「「それはお前もだろ!」」

「ほら、ハモった」

「「ハモってねぇよ!」」

「あはは」

この2人とこうしている時間が僕は好きだ。抱えてる悩みが消えていくようで安心する。


「ねえ君たちってもう部活決まった?」

陸上部の先輩らしき人たちが声をかけてきた。圭斗はさっき話したみたいだから僕と朋に聞いてるよね。

「僕は、陸上部に決めてます!」

朋はそう答えた。すると、先輩たちの視線がこっちに来た。

「ぼ、僕は…、えっと…」

やばいなんて答えればいいのこれ。

「あーこいつはまだ決まってないみたいなんで、陸上部入ってもらいましょうよ」

圭斗、マジで言ってます?

「あ、あぁ、そ、そうですね。」

僕はその場の空気に耐えられず、圭斗に覚えてろと言わんばかりの視線を送り、返事をした。

「君割と身長ある方だし鍛えればすぐ伸びそうだね」

僕の中の時が止まる。

「あ、先輩。こいつまじで運動音痴なんで、マネージャーとかどうすか?」

固まる僕に朋が助け船を出してくれた。朋と圭斗は僕の過去を知っている。僕は極力陸上は避けようと思っていたがもうかなわないようだ。

「そ、そうなんですよ。僕に選手はちょっと…」

苦笑いしながらもうやめることはできないと思った。

「美花―、マネ希望だってー」

「ほんとに!?誰??」

「初めまして、花崎海と言います」

「海くん!来てくれてありがとう!女子でマネージャー希望は大体男狙いで仕事しないから、すぐにやめていっちゃうの。だから本当に助かる!」

「そうなんですね。」

明るそうな先輩でよかった。

「じゃあ、1年生はこの名簿に名前書いてね」

「了解です」

朋と圭斗と3人で名前を書く。結構入部希望者居るんだな。陸上部は男女混合だから全学年合わせるとかなりの数になる。美花先輩1人でこの部を支えてるのかな。すごいな。

「ねえ、陸部ってそんなにかっこいい人がいるの?」

「何急に」

「いや、美花先輩が男目当てのマネージャー希望がいっぱいいるって言ってたからさ」

「お前もしかして知らないのか?」

圭斗が少し驚いたように聞いてきた。

「毎年ここの学校では、文化祭の時に1年生のミス・ミスターコンが開催されて、さらに大学のスターが選ばれるんだ」

「陸部の3年の黒川洸介先輩は、1年の時にミスターとスターの両方にに選ばれてから学校のスターを2連覇中で、今年も3連覇だって言われてる」

2人の力説に感心した。この大学にもそういうのあったんだ。

「ねぇ、その黒川って幅跳びの?」

思い出した。高校時代から幅跳びで活躍しててこの辺で陸上やってる人はみんな知ってるようなすごい選手だ。

「お、さすが陸上オタク。大正解」

「でも、顔はちゃんと見たことないかも」

「陸上オタクのかいでも知らないことあるんだな。よし、じゃあ俺が紹介するよ」

「そういえば圭斗の高校の先輩だったよな」

そうだったんだ。先輩の情報はほとんど大学のものだから高校まで調べたことはなかった。

「おい!やばいぞ。もうこんな時間だ!学部会に遅れちまう!」

「急げ!しょっぱなから遅刻はきついって」


「あぶねー」

「間に合った」

集会場所に滑り込みで入り、一息つく。圭斗が時間に気づいてなかったらほんとに危なかった。学部会では主に今後の講義などについてのガイダンスをした。同じ学部の人と会うのは初めてだったけど、みんな明るくて、話していて楽しかったから一安心だ。


「そういえば、陸上部の練習っていつから?」

先輩に何も聞かないまま抜け出してしまったことを忘れていた。

「今日からだよ。海も一緒に来てマネージャーの仕事覚えた方がいいんじゃない?」

「そーだね。初日だし、部の事いろいろ教えてもらいなよ。俺らもそんなにきつい練習するわけじゃないと思うし、それに、洸介先輩見たいんじゃないの?」

圭斗がにやにやして聞いてくる。もとはと言えば圭斗が僕を陸部に入るようにしたくせに。

「違うから。でも仕事は早く覚えたいし、行こうかな」

そうだ。夏菜に連絡しておかないと。

「よし。じゃあ行こうか」

Prrrr

夏菜にメールを送って練習場に向かおうとしたとき、電話が鳴った。

「もしもし!海!陸部に入るってマジで言ってんの!?」

「うん。まあね。そういうことになった」

「まあ、海が大丈夫ならいいんだけど。でさ、陸上部に洸介先輩っているよね!?めちゃイケメンの!」

なぜか興奮気味の夏菜。電話越しの声は音割れ思想だ。

「いるみたいだよ。それがどうしたの?あと、声大きい」

「なんでそんなに冷静なのよ!海!洸介先輩はね、もうすでに1年の女子の注目の的なの!お願いだからさ、洸介先輩の写真撮ってきてよ!」

「はっ?」

夏菜の要求に変な声が出た。朋と圭斗もこっちを振り返り、様子をうかがっている。

「あのねえ、そんなことしてる暇じゃないの!それに初対面でいきなりそんなことしたら、引かれるに決まってるでしょ」

夏菜の変なお願いにはもう飽き飽きだ。

「私、洸介先輩、絶対海のタイプだと思うよ。」

ドキッとした。夏菜は急に何を言っているんだ。

「な、何言ってるんだよ。もういい、切るぞ」

夏菜の言葉に少し焦りながら電話を切った。本当にデリカシーがないんだから。

「夏菜何だって?なんでそんなに怒ってるの?」

「あ、あぁ。別になんでもないよ。ほら、早く行こう」

2人の問いかけにそっけなく返し、僕はそそくさと歩き出した。けど、2人は全然来ない。

「海、お前、ごまかし下手すぎ。そんなに動揺してたら気になるだろ?何を言われたんだ?」

「特に俺らには隠し事なしだろ?」

どうして僕はこんなにごまかしが下手なんだよ。自分にいらいらしながらも、しぶしぶ2人に話すことにした。

「なるほどねー。確かにお前の好みかもな。今までないくらいのドンピシャじゃね?洸介先輩優しいし、成績優秀で真面目だし、おまけにイケメンだぞ。」

「確かにそうかもな。まぁ、仕事に支障はないようにね。マネージャーさん。」

2人に軽くからかわれながら、練習場に向かった。期待はしていない。期待したところで、傷つくのは分かってる。もし、僕が洸介先輩を好きだとしても、先輩がゲイとは限らないし、僕を好きになってくれるかもわからない。僕がその人の事を好きだとしても相手がそうじゃなかったら、結局は何もないまま終わるんだ。













出会い


海side

「こんにちはー」

朝に会った先輩たちに挨拶をする。

「ほら、海、あれが洸介先輩。先輩こんにちは!」

圭斗が指さした先にいる人を見た瞬間、身体に電気が走ったんじゃないかっててくらいすべての動きがスローモーションに見えた。百180センチを超す長身で、腕の血管は筋肉を際立たせている。そして圭斗の声に気づいた先輩がこっちに向かって歩いてくる。輪郭はシュッとしていて切れ長の目がこちらを見つめている。やばい。目、そらせない。

「君がマネージャー志望の1年生?美花から聞いたよ」

「は、初めまして!花崎海です!」

緊張して変な声が出た。恥ずかしい。

「海、か。面白いね、その反応。」

先輩に笑われた。笑顔がキラキラしすぎてまぶしい。

「向こうが更衣室だから、1年生は着替えてきて。着替えたら、グラウンドに集合」

「「「はい!」」」

先輩の指示通り更衣室に向かう。

「おい、海、やっぱりお前のタイプドンピシャじゃん」

圭斗がからかってきた。

「う、うるさい!早く着替えに行くよ!」

僕は怒り気味で返事をしたが、図星過ぎて、鼓動が早くなった。


着替えを終えて更衣室を出る。今日は急な参加だったので部室に会ったジャージを借りたがサイズが大きくて着られてる感がすごい。

「海、なんかちっちゃくなった?」

「本当だ。かわいくなってね?」

「しょうがないじゃん。サイズがなかったんだもん。ていうか、かわいくないし」

2人にからかわれながらグラウンドへと向かう。

「海くん!ちょっと手伝って!」

「はい!」

美花先輩に呼ばれて振り向くと大きなキーパーをふたつ抱えた美花先輩がこっちに向かってきていた。

「持ちます!どこに置いたらいいですか?」

「あそこのベンチ。みんなの荷物置いてあるとこ」

「了解です」

美花先輩からキーパーを受け取るとベンチに向かった。こんなに重いもの運ぶなんて大変だな。


「挨拶するぞ」

部長の掛け声で部員が集合した。

「…ってことで今日のメニューは以上!次にこの春入学した一年生に自己紹介してもらおうかな。じゃあ、一人ずつ前に出て、名前、学部、種目を言っていって」

メニューを言い終えた部長は一年生の部員紹介を始めた。一人ずつ順番が回っていって選手はみんなもう終わったみたいだ。

「じゃあ、最後にマネージャーの花崎」

部長に呼ばれ前に出る。

「花崎海です。社会学部でマネージャーとして入部しました。よろしくお願いします!」

「よし、じゃあアップ行くぞー」

自己紹介が終わり、選手のみんなは部長の声でグラウンドに入っていった。

「海くん、改めて食品科学部2年の杉崎美花です。よろしくね」

「はい!よろしくお願いします!あの、ちなみにマネージャーさんって僕たちだけなんですか?」

少し気になっていた先輩の事を聞いてみた。

「あ、4年生の咲先輩は就活で忙しいみたいであんまり部活に来れてないの」

「そうなんですね」

てことは今僕がいなかったらマネージャー美花先輩1人ってことだよね。早く仕事を覚えないと。

「じゃあ、早速なんだけどこの名簿に部員の名前と種目が書いてあるから、把握しておいて。それと、選手がいつでも水分補給できるようにキーパーは多めに作っておいて、選手が使うボトルが空にならないように気を付けて。とりあえずはここまで。ほかの事については追々教えていくね」

「は、はい」

一気に多くの情報が入ってきて混乱してる。幸先不安だ。先輩からもらった名簿に目を通す。

計71人。名簿の最初のプリントを見て冷や汗をかいた。多い。名簿に一通り目を通して顔を上げた。グラウンドを見渡すと、パチっと黒川先輩と目が合った、気がした。いや、気のせいだ。そう自分に言い聞かせてみか先輩のボトルづくりを手伝う。

「毎日の練習に全員がいるわけじゃないから、出欠も確認するの忘れないように!最初は私も手伝うから、何でも聞いてね。」

「はい、あの、ちょっと気になったんですけど。3年生にはマネージャーさんはいないんですか?」

ぴたっと先輩の手が止まった。なんかまずいこと聞いたかな。

「うん」

「そうなんですね」

なにかあったのかな。今聞くのはやめておこう。


今日のメニューはアップ、動きづくり、短距離ダッシュ、筋トレだ。短距離ダッシュはマネージャーがタイムを計って記録をする。

「そういえば、海くんって陸上経験者?」

痛いところを突かれた。なんて答えればいいんだ?

「えっとー、まあ、はい」

濁したけど、大丈夫かな。

「じゃあ、タイムの取り方分かる?」

「あ、わかります!」

先輩に記録用のノートとペンを渡され、準備する。よかった。深く聞かれなくて。タイム記録は計るのと記入とで忙しかったけどなんとかできた。字もっとうまく書けばよかったな。みんながタイムを確認する時にちょっと申し訳なかった。


一通り練習が終わり、挨拶の時間。

「よし、みんなお疲れ!明日からまた徐々にメニューの負荷を上げていくから覚悟しておけよー」

「「はい!」」

部員たちの元気な返事がグラウンドに響き渡る。更衣室に行き、着替えを済ませて入り口でともと圭斗を待つ。

「お疲れ様。はいこれどうぞ」

急に誰かが声をかけてきて振り向くと黒川先輩がジュースを差し出して立っていた。どきっ。なんだこれ。変な胸騒ぎを抑えながら返事をする。

「お疲れ様です。ありがとうございます」

「初日はどうだった?」

「とにかくみんなの名前を覚えるのが大変で、美花先輩ってすごいですね」

「そうだな。咲先輩がなかなか来れてないからあいつも大変だろうな。ところで俺の名前は覚えた?」

「もちろんです!黒川洸介先輩、経済学部で専門種目は走り幅跳びです」

「おっ、すごいな。ちなみにリレーメンバーにも入ってるから、そこも覚えといてな。じゃあ、また明日」

ふっと先輩が笑った。胸がまたドキッと鳴った。先輩の笑顔は子どものように無邪気だった。

「はい、お疲れ様でした!」

先輩を見送り、後姿を見つめる。

「海!先輩と何話してたの?」

朋と圭斗が出てきた。

「別に。何でもないよ。早く帰るよ」

「そっけなくしちゃって。ほんとは嬉しいんじゃないの?その顔見ればわかるって」

「うるさい」

僕は冷たく言い返して、2人を置いて速足で歩きだした。でも、まだ胸のドキドキが収まらない。久しぶりだ。恋ってこんなにドキドキするものだっけ。







恋?


海side

陸上部に入部して早2か月が経とうとしていた。部員のみんなの名前や種目も全部覚えたし、マネージャーの仕事にも慣れてきた。そして来月には大学生の競技会の予選会がいよいよ始まる。この大会は勝ち抜くと全国大会につながる。そのため最近、毎週末は一日練習が続いている。今日も朝イチでグラウンド入りし、美花先輩と練習の準備をした。

「あちー。マネージャー、氷ちょうだい」

走り終わって休憩に入った選手に氷を配ってアイシングをする。まだ6月も中旬なのに最近は湿気でムシムシした日が続き、選手たちはきつそうだ。

「短距離は次、15分後にロングダッシュです!長距離は外周2周の計測します!」

選手たちに次のメニューを言いながらボトルを配る。

「海、圭斗は今日もいないのか。」

急に先輩に圭斗のことを聞かれ、ドキッとする。圭斗は最近バイトを始めた。本人曰く、社会勉強らしいが、お金持ちのくせになんでバイトなんか。と、朋はぼやいていた。僕は何かほかの理由があるんだと思う。

「そ、そうみたいですね。明日の練習は来るように言っておきます」

「おー、頼むよ」

さすがに圭斗も休みすぎだと思う。今日、電話してみよう。


「明日は先週の予告通りタイムトライアルをしてリレーメンバーを決めるから、絶対に参加するように。以上」

「「「ありがとうございました」」」

片付けを終えて更衣室へ行く。朋と帰ろうとしたが、見当たらない。電話で呼び出そうと、携帯を見る。

『今日は夏菜と帰る!』

立った1文そう残して、いつの間に置いて行かれてた。仕方ない。さみしいけどひとりで帰るか。その前に圭斗に電話しよ。近くのベンチに座り、圭斗に電話をかける。

「もしもし圭斗?最近部活休みすぎじゃない?そんなにバイトしてたら来月の大会に支障出ちゃうよ。しかも、明日タイムトライアルあるし…」

僕は諭すように言った。

『分かってる。明日は行くから』

「圭斗、僕に何か隠してることない?」

圭斗の声が変だと思い、思い切って聞いてみた。

『いや、別に?なんもないけど』

「なんもないような感じじゃないし、何かあるから、部活にも来てないんじゃないの?」

『海、俺、恋した。かも』

「はっ?恋?どこの誰に?」

圭斗の思いがけない告白に動揺した。圭斗が恋だなんて始めて聞いたかも。

「滝さん。バイト先の店長」

マジか。滝さんとは圭斗のバイト先に行ったときに会ったけど、かなり遊んでそうな感じがした。

「そうなんだ。とりあえず明日は絶対来てね。先輩たちも待ってるんだから。それに、計測もあるし。詳しい話はまた朋と2人で聞くから。」

『分かった。また明日』

何とか冷静さを装って電話を切った。圭斗も恋か。入部して約2か月、黒川先輩と話す機会は増えたが、他の選手たちと変わらない会話ばかりで僕の恋はなんの進展もない。これは恋ではなくて、ただ尊敬しているだけなのかな。恋がなんだか分からなくなってしまいそうだ。

「はぁー」

思わずため息をついた。

「ため息なんかついて、もしかして恋煩い?」

「わっ!先輩!もう、びっくりさせないでください!」

振り向くと赤枝先輩と黒川先輩がいた。

「ごめんごめん。それで、ため息なんかついてどうしちゃったの?もしかして本当に恋煩い?」

「違いますって。ちょっと疲れちゃって。休んでたんです。もう帰りますよ」

立ち上がって荷物を肩にかける。

「選手以上にマネージャーは働いてくれてるからね。ちゃんと休めよ」

不意に黒川先輩に頭を撫でられ、思考が止まる。

「おーい、お前ら俺見えてる?急にいちゃつかれると困るんですけど」

「いちゃついてないし、後輩を心配する先輩の気持ちだぞ」

「はいはいそうですか。失礼しましたー」

そうだよね。先輩にとったら僕なんてただの後輩だよね。一気に現実を突きつけられたみたいだ。

「じゃあ僕、電車の時間あるので帰りますね。お疲れさまでした」

「ちょっと待って。海ってどこ行き乗るの?」

少しうつむいたまま挨拶をして、歩き出そうとしたとき赤枝先輩に呼び止められた。

「あ、○×行きです」

「なんだ、洸介と一緒じゃん。じゃあ、俺はチャリだからお先。お疲れ」

「お、おい」

「お、お疲れ様でした」

慌てて挨拶をしたが、黒川先輩と2人取り残されていることに気づく。先輩と2人で何を話せばいいの?どうしよう。

「じゃあ帰るか」

「はい」

ぎこちない返事をして先輩と2人で大学を出た。

「先輩も家こっち方面なんですか?」

「ああ、大学の寮の最寄りが○○駅なんだ」

「僕も最寄り○○駅なんです。僕は実家暮らしなんですけどね」

先輩との共通点を見つけられて少し頬が緩んだ気がした。

「そういえば圭斗、最近部活来てないけどなんかあったのか?」

ふいに思い出したかのように圭斗の事を聞かれ、返答に困る。先輩には正直に話すべきだよね。

「実は…」

圭斗が最近部活に来れていない理由を話した。もちろん、圭斗が恋をしているのは秘密だけど。

「そうだったのか。あいつも大変そうだな」

先輩は納得したようにうなずいた。

「高校時代から圭斗はずっと優しくて、いつも僕が悩んでいる時はそばにいてくれたんです。だから、僕も圭斗の悩みを聞いてあげたくて」

「お前も優しいな」

ふわっと先輩が笑って、僕の頭をなでる。先輩はそうやって僕を簡単に幸せな気分にさせるんだ。もし先輩が僕の事を好きじゃなかったとしても、この瞬間だけは幸せでいたい。

「もし、海が気になったり、困ったりしたことがあったら俺に言ってもいいんだぞ」

「はい。ありがとうございます」


電車が到着し、改札を抜ける。先輩は神社方面って言ってたから、僕と同じ北口へ向かい、駅を出てまた歩き出す。そこで僕はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

「先輩、3年生ってマネージャーさんいないんですか?」

ぴたっと先輩の足が止まった。振り向くと先輩の顔は暗い表情だった。やばい。やっぱり、聞いたらいけなかったかな。

「あ、いや、陸部って人数多くて、マネージャーになりたい人結構いるのに3年生にはいないんだなとちょっと気になっただけです。すみません急に。忘れてください」

先輩の思いつめたような顔を見て、僕は何を聞いているんだと後悔した。先輩が黙り込んでしまったのに焦って早口でそう言い歩き出そうとした。

「いたよ」

「えっ」

「3年にマネージャー、いたよ」

先輩が言った。

「そうだったんですね。どんなひとだったんですか?」

返す言葉が見つからず、そんなことを聞いていた。

「いいやつだったよ。優しくて、部を支えてくれて、みんな頼りにしてた」

先輩がふっと笑った。楽しかった思い出を語るかのように。僕の知らない先輩を見た気がした。

「そうだったんですね」

なぜか心の奥がぎゅっとして苦しい。先輩はきっとその人の事好きだったんだ。そう思った。

「じゃあ、僕こっちなので。お疲れさまでした」

「ああ。お疲れ様」

先輩に挨拶して家の方向に歩き出す。変なこと聞いてしまった。僕はいったい何をやっているんだ。先輩と少しは近づけたと思ったのに余計なことを聞いてしまった。でも、どうしてマネージャーやめちゃったのかな。また、疑問が増えていくばかりだ。これもいずれわかるのかな。いろんなことを考えながら、玄関の扉を開けた。



洸介side

最近、仲良くなったというか、ひょこひょこついてきてかわいいというか、そんなやつがいる。海は後輩のマネージャーで、よく働いて部を支えてくれている。今日初めて近所に住んでいることを知り、一緒に帰ってきた。

「はぁー、にしてもまさかエリカのことを聞かれるなんて思ってもみなかった」

玄関の扉を閉め荷物を置く。気が付くとそんな独り言が自然と出ていた。エリカとは半年前に分かれた、というか俺が振られたというか、まあ元カノってやつだ。最近は練習がきつすぎて恋愛なんて忘れていた。それに今はなぜかかいの方が可愛いと思ってしまう自分がいる。これって変なのか?男が男にかわいいって思っても変じゃないよな。そんなことを考えながら風呂に入り一日の疲れを癒す。明日のメニューは大会に向けての種目練習だから後で計画を立てておこう。後輩たちにも基本のトレーニングは教えてやらないとな。

Prrrr

「誰だよこんな時間に」

計画を立て終えて布団に入ろうとした時、携帯の着信音が鳴った。

「もしもし」

『もしもし洸介?どうだったよかわいいかわいい後輩との帰宅デートは』

誰かと思えば優かよ。しかもデートってなんだよ。

「デートじゃねえし。なんでこんな時間に電話してくんだよ」

『いや今くらいならお前が布団に入る頃かなと思ってさ』

こいつはなんでこんなにも俺に詳しいんだ?逆に怖くなってくる。

『おい、聞いてんのか?やっぱりなんかあった?』

面倒くさくて黙っているとゆうがしつこく聞いてきた。

「いや、なんかあるって程じゃないけど、エリカこと聞かれた」

『はっ?なんで海がエリカのこと知ってんの』

携帯からうるさいくらいに驚いた音が聞こえる。

「いや、知ってたわけじゃないよ。それに俺も元カノってことは言ってないし。なんか、3年にマネージャーいないの気になったらしい」

『そうか。そこまで知られてないならいいんだけど』

「あぁ」

優が安堵した声を聞いて俺も返事をする。

『とりあえず、お前は絶対海をものにしないとな!』

「ものにするってどういう意味だよ。そういえば圭斗なんか悩んでるみたいだぞ。お前種目一緒なんだし仲いいんだから相談乗ってあげなよ」

優のヘンテコ発言をうまくかわし話題をそらす。

『はっ?圭斗が?なんで洸介がそんなこと知ってんだよ』

圭斗の話題に驚いたのか慌てて聞き返してくる。

「俺も詳しくは知らん。あとは自分で直接本人に聞け。じゃあ、お休み」

『あ、おい、ちょっと待てって』

俺を引き留めようとする優を無視して電話を切り、今度こそ布団に入った。明日はまた優の小言が増えそうだ。そんなことを思いながら目を閉じた。



圭斗side

「今日も1日お疲れ様!気をつけて帰れよー」

店長の滝さんの声を聴きながら店を後にする。このお店はX(クロス)と言って昼はカフェ、夜はバーとして営業している。俺は先月からバイトを始めて休日はもっぱらここで働いている。そのせいか今日、海から、いい加減部活に参加するように言われてしまった。デビュー戦もうすぐだし、仕方ない。Xのバイトは社会勉強の感じで始めて最初は妹弟たちの面倒も見ながらで大変だったけど、最近はバイトが楽しく感じている。それよりも今は…

「またじっくり見つめちゃって、いつになったら告りでもするんですかー。」

「何言ってんだよ。滝さんはやめとけって。あの人かなり遊んでるって言っただろ」

「2人とも何言ってんの。俺が滝さんを好きとかないから!」

バイト仲間の拓と翔にまたからかわれた。

「何言ってんの圭斗のその顔見ればわかるって。圭斗、滝さんに恋してるでしょ」

「確かに恋はしてるな。でも気をつけろよ。傷つくのは圭斗だぞ」

「そうだな。じゃあさ1回試してみればいいじゃん。例え遊びだとしても圭斗に気があるのかどうか」

「試すって何を?」

2人の会話がなんか変な方向に行ってないか?

「来週デートでも誘ってみろよ」

「お、それいいな」

「はっ?なんで急にそんなことになってるわけ。なんで俺が滝さんをデートに誘うんだよ」

ますます意味が分からない。それに俺がデートに誘うだなんて恐れ多いだろ。

「デートじゃなくて食事して話をするだけでも相手の事はわかるじゃん?それで脈があるかないか確かめればいいってわけ」

確かにそうだな。妙に納得してしまった。

「そうそう。まあもし圭斗が言いにくいんなら俺たちが言ってあげてもいいけど。滝さんに圭斗がデートしたがってるって」

「おい、それはおかしいだろ。それくらい自分で言える」

「おっ、やる気出てきたね。まあ、頑張れよ。じゃあ俺らこっちだから」

「お疲れ」

そう言って拓と翔と別れて家の方向へと歩き出す。

「はあ」

それにしても滝さんってかっこいいよな。具体的にどこが好きって言われてもよくわかんないんだけど、なんて言うか大人の余裕みたいなの持ってて話してると楽しいんだよな。

俺が滝さんを好きになったきっかけは1か月前。バイトに慣れ始めてきてた頃、いつものようにお客さんの注文を取りに行ったとき、結構酔った客に悪がらみされセクハラされそうになったところを滝さんが助けてくれた。そんなことだがなぜかときめいてしまった自分がいた。それからというもの、バイト中は自然と滝さんを目で追っていて、部活までもほったらかしにしてしまっていた。

「ただいま。」

「「おかえりー。」」

家に帰ると母さんと妹弟たちが迎えてくれた。最近は母さんの帰りが早いから、今日も夕飯を済ませたみたいだ。

「圭斗おかえり。今日もバイト?大変だろうけど、勉強もしっかりしないとだめよ」

「うん。大丈夫だよ。今日はカレー?」

「そうだよ!ママのカレーは世界1だからね!」

末っ子のねねが自慢するように言った。

「知ってるー」

「今温めてるからちょっと待ってね」

「ありがとう」

母さんに返事をしてカレーが出てくるのを待つ。俺は5人兄弟の長男で小さい時から妹弟の面倒を見ている。特に母さんが働き始めてからは俺が母さんに代わって家事をすることが増えた。ちびたちの世話は大変だが楽しい時間でもある。バイトを始めてからは一緒にいる時間が減ってしまい寂しく思わせているかもしれない。

「はい、召し上がれ」

「いただきます」

母さんが作ってくれたカレーをほおばりながらそんなことを考える。

「明日もバイトなの?あの子たち寂しいみたいだから遊んであげてね」

「いや、明日は部活に行くよ。大会が近いんだ。でも、一日練習だから帰りは夕方くらいかな」

「そう。あまり無理しないでね。私は明日も休みだから家にはいると思うわ」

「りょーかい。あ、洗い物は俺がやっとくから先にねねたち布団に連れてって」

母さんに返事をして食べ終えた食器を流しに置く。

「ありがとう。じゃあ、よろしくね」

母さんは仕事と家事とで毎日大変だから俺が手伝ってあげないと。そう思いながら洗い物を済ませる。明日は久しぶりの部活だ。少し楽しみに思いながら布団に入った。
















第2話 陸上部の活躍

 選手権への道


海side

―ミーンミンミンミン―

蝉の鳴き声も本格化してきて今日もまぶしい光がグラウンドを照り付けている。

「おはよう!」

いつも通り選手より早く来て練習の準備中、急に声をかけられ振り向くと圭斗がいた。

「おはよう。こんな早く来てどうしたの?」

練習開始まであと40分はある。

「いや、久しぶりで体なまってるしトライアルあるの忘れてから、マジ焦って自主練」

「そっか。今日も暑くなる予報だから、倒れないでね。僕運べないから」

「大丈夫だって。まかしときな」

僕の肩を軽く叩くと、そう言ってグラウンドの方に走っていった。

「とりあえず元気そうでよかった」

そう独り言をこぼし、再び準備に取り掛かる。


「「お願いします!」」

選手がぞくぞくと集まり、練習を始める挨拶をする。

「今日も一日練習で暑いが大会を意識して練習をしていこう。それから、今日は予告していた通り、全員タイムトライアルをしてリレーメンバー決めるぞ。各々しっかり準備するように。それ以外は種目別の練習になるから、マネージャー使うときは時間を見て言ってくれ。以上。じゃあ、アップ行くぞー」

「「はい!」」

部長の掛け声とともに選手たちが走って行く。

「いよいよだね」

「はい」

今日のタイムトライアルでシーズンのリレーメンバーが決まる。メンバーはタイム順で決まる為、みんなここに向けて練習をしてきている。今日はその記録取りと動画を撮ることになっている。

「今年は誰になるんでしょう」

「んー、今年も俊足ぞろいだからわかんないなー」

美花先輩とそんな話をしながら選手たちを眺める。圭斗もちゃんとついていけているみたいで安心した。


アップが終わり、計測の時間がやってきた。

「2人ずつペアを作って並んでください」

選手たちに指示を出しながら計測の準備をする。

「美花先輩、カメラお願いします」

「うん。ありがとう」

監督から預かったカメラを美花先輩に渡してゴールへ向かう。

「よーい、パン」

スタートの合図と共に選手たちがスタートする。

「7、8、9、10、11。優先輩10,45、晴先輩10,36です」

記録を取りつつ、選手たちにタイムを教える。

次で最後だ。手を挙げて合図を出す。

「よーい、パン」

スタートの音と共に選手が走り出し、タイムを取る。

「瞬先輩10,50、圭斗11,02です」

瞬先輩の速さに驚いた。怪我から復帰したばかりでこのタイムすごい。相当な努力が伝わってくる。

「10分の休憩後リレメン発表なので、ベンチで待っていてください」

「「「はい!」」」

美花先輩の声の後に選手が返事をする。みんな緊張した面持ちだ。

 

「今から、今期のリレーメンバーを発表する」

監督の声に選手たちは耳を傾ける。

「1人目、青木晴。10,20」

名前の後にタイムが読まれていく。晴先輩は1番速かった。部員から拍手が起こる。

「2人目、黒川洸介。10,36」

再び部員から拍手が起こる。この2人は去年からのリレーメンバーだからみんな納得のようだ。

「3人目、赤枝優。10,45」

「よし!」

優先輩が納得したようにうなずいた。みんなも拍手を送る。いよいよ最後のメンバーだ。

「そして4人目は、金城瞬。10‘50」

「やった!」

「「おおー」」

拍手が起こる。みんなも驚いているようだ。瞬先輩さすがだな。

 

リレーメンバーの発表を終え、それぞれ種目練習に入っていく。洸介先輩は今日、幅跳びの練習をするようで、動画を任された。

「先輩、リレメンおめでとうございます!速かったです!」

「ありがとう。でも、もうちょっとタイム伸ばしたかったな」

先輩はふっと笑ってこっちを向いた。

「いつも頑張ってくれてるマネージャーのためにも頑張らないとね。あ、カメラよろしく」

「あ、はい」

急に先輩に頭ポンポンされて顔が爆発寸前なくらいまで赤くなっているのが分かる。ドキドキが止まらなくて恥ずかしい。先輩はこれくらいなんともないんだろうな。そう思いながらカメラをセットし、撮影を始める。先輩の跳躍は本当にきれいで、スピードが活かされている。

「今のどうだった?」

「いいと思います。踏切は5センチくらいずれてましたが、踏切と腕のタイミングが合ってて角度もちゃんとついてましたし、空中動作もきれいでした」

「そんなに細かく分析してくれてたんだ。もしかして経験者?助かるよ」

先輩が少しからかうように言う。しまった、僕としたことが。元専門種目だったために口走ってしまった。僕は先輩に悟られないように急いで取り繕う。

「い、いや、研究したんですよ!マネージャーとして競技を知っておかないとですから」

ばれたかな。必死でごまかしたけど。

「そっか、それはありがたいな。頼りにしてます」

また頭を撫でられ心拍数が上がる。先輩にはドキドキさせられてばかりだ。



瞬side

「瞬、おめでとう。まさか瞬と一緒に走れるとはな。嬉しいよ」

「ありがとうございます。僕も晴さんと走れて嬉しいです」

僕は先週怪我から完全復帰したばかりで、まさか自分がリレメンに選ばれるとは思ってもいなかった。何しろ大好きな晴さんと一緒に走れることになって舞い上がっている。

「なあ瞬、洸介ってさ、絶対海の事好きだよな」

「どうしたんですか急に」

晴さんの急な言葉に驚いた。

「だって、洸介のあんな楽しそうな顔俺久しぶりに見たもん」

晴さんが指さす先にいたのは、洸介さんと1年のマネージャーの海だ。2人で楽しそうに話している。

「そうですね。確かに俺もあんまり見たことないです」

「だよな。絶対恋だって」

「恋ですね」

晴さんはよく人を見ている。そのためか、持ち前の明るさで場を和ませてくれたり、人の気持ちに気づいて行動している。なのに…

「どうして僕の気持ちには気づかないんですか」

「ん?なんか言った?」

しまった。声に出ていたみたいだ。

「いえ、何も」

ごまかして何もなかったように振る舞う。

「そうか。いやー、恋っていいな。俺もしてー。な、瞬もそう思うだろ?」

「まあ、そうですね。でも、片思いは結構きついですけどね」

晴さんに気づいてほしくて少し嫌味を込めて言った。

「なんか恋してるみたいな言い方だぞ。相手は誰だ?言ってみろ」

「絶対に言いません。あなたにだけは」

「え、なんで俺だけ?いいじゃん教えてよ」

「はあ、ほら早く練習行きますよ」

「あ、おい、待てっておいていくなよ。せめてタイプは教えろって。どんな人?かっこいい系?かわいい系?」

しつこい晴さんをおいてグラウンドに入ったがどこまでもついてくる。早く俺の気持ちに気づいてよ。そう思いながら今日の練習課題をこなしていく。



圭斗side

「お疲れ様です。リレメンおめでとうございます」

優さんにボトルを渡しながら隣でスパイクを履く。

「圭斗、お前11秒台はないだろ。なまりすぎ」

冗談交じりに先輩が笑って言った。

「それは自分でも感じてます。ちょっと抜きすぎました。でも、ハードルの技術は落ちてませんよ」

軽く先輩のお説教を聞きながら、反論する。

「そういうのはもっとタイムが上のやつが言うセリフなの。お前はもっと練習を積みなさい」

「はい」

さらに返された。やっぱり先輩にはかなわない。

「そうだ、今日帰り一緒に帰ろうよ。ちょっと聞きたいことあるし」

「いいですよ。聞きたいことってなんですか」

「んー、いろいろ。最近部活に来てなかった原因とかかなー」

先輩に怖い目で見られ、背筋が伸びる。

「分かりました」

何言われるんだろう。少しおびえながら練習に戻った。


「「ありがとうございました。」」

練習が終わり更衣室を出て、入り口で優さんを待つ。やっぱりバイト辞めた方がいいのかな。ふとそんなことを思った。

「お待たせ。じゃあ、帰るか」

「はい、行きましょう」

並んで駅の方向へと歩き出す。沈黙が続いて、何を話せばいいのかわからない。

「バイトはいつから?」

沈黙を破ったのは先輩だった。それよりも、優さんバイトの事知ってたの?

「なんでそれを?」

「んー、ちょっとね。みんなお前が部活にあんまり来てないこと気にしてたし、俺だって心配してたからさ。で、なんかあった?」

陸部の情報網どうなってんだ?まあ、大体想像は着くけど。

「なんかあったって程でもないんですけど、初めてのバイトが楽しくて。あと、家がちょっと忙しかったりしたので」

どっちも嘘じゃないけど、部活の先輩に相談ってなんか罪悪感あるな。そんな風に感じた。

「まあ、初めてのバイトは楽しいよな」

優さんが笑って言った。

「優さんもバイトしてたんですね」

意外に思って聞き返した。

「なんだよ俺もって。今だってしてるわ。部活に支障がない程度にな」

嫌味っぽく言ってきた。でもバイトしているなんて思わないくらい両立させていてすごい。

「すごいですね。俺はそんなにうまく両立できないです」

「そんなに深く考えなくていいと思うぞ。俺だってはじめは部活サボってバイトばっかり行って先輩に怒られてたし。自分の中で優先順位を決めて1番大切だと思うことからやっていけば自然とバランスよくなるもんじゃね?まあそれで、1番がバイトだったらしょうがないけど」

優さんがふっと笑って言った。

「やっぱりすごいです。先輩見習って頑張ります!」

「おい、ちょっと馬鹿にしてないか?」

「してないですよ。なんでそうなるんですか」

普段とは全然違う優さんの姿を見て、言葉を聞いて、なんか安心したかも。相談してよかったな。そんなことを話しながら駅に着き、改札を抜け、電車に乗る。家の最寄りについて、優さんと別れるとき、俺は見たくないものを見てしまった。

「圭斗?大丈夫か?知り合い?」


俺の異変に気付いた優さんが俺に声をかけるが、俺は頭の処理が追い付いていないみたいだ。だって、あれは…。俺の目線の先にいたのは、いつもバーで見かける常連さんと抱き合っている滝さん。俺は驚きのあまり声が出ない。

「おい!大丈夫か?なんで泣いているんだ?」

え、優さんに言われて初めて自分が泣いていることに気づいた。

「あ、すみません。何でもないです」

必死で取り繕う。

「大丈夫じゃないだろ。ほらこれ使って。まだ使ってないから、きれいだぞ」

「ありがとうございます。」

優さんからタオルを受け取り涙を拭う。何やってんだ俺。

「で、誰なの?」

ここまでしてもらって何も答えないわけにはいかないよな。

「バイト先の店長です」

「それだけ?泣いてるってことはあいつの事好きなんじゃないの?」

「違いますって」

なぜか優さんにはこの気持ちがばれたくなくて嘘をつく。

「行くぞ。家まで送る」

「いや、大丈夫です。1人で帰れますから」

「その顔で何言ってんだ。ほら行くぞ」

優さんに手を引かれ家の方向へと歩き出す。優さんの手は暖かくてなぜか落ち着いて心地が良かった。


家に着くころには涙も収まって、いつも通りになっていた。

「いろいろすみません。ありがとうございました」

「いや、そんな顔見たらひとりで返せないだろ。とりあえず、落ち着いてよかった。またなんかあったら俺に相談してほしい。役に立つかわかんないけど、力にはなってやれると思うから」

「はい」

優さんは本当に優しいな。そんな会話をして家に入ろうとした。

「あら、お客さん?珍しいわね」

「こんばんは。圭斗の部活の先輩の赤枝優です」

「あら、またイケメンな先輩もって。いい先輩じゃない。ご飯は食べた?」

「いや、まだです」

「じゃあ、食べて言ってちょうだい。今日はたくさん作りすぎっちゃたのよ」

「え、でも…」

「お兄さん!一緒に遊ぼー」

ためらう優さんを末っ子のねねが捕まえて離さない。

「ごめんなさいね。一緒に遊んでもらってもいいかしら?圭斗とも最近一緒に遊べてなくて寂しいみたいなのよ」

「そうなんですか。じゃあ、遠慮なく」

「え、ちょっと」

いつの間に母さんのペースに持っていかれていた。なんなんだこの状況は。しかも大家族のくせに作りすぎるとかどうなってんだよ。

「お邪魔します」

「「おかえりー」」

優さんが家に上がると他の妹弟たちが出迎えた。

「えっと」

「あー、妹弟です。俺5人兄弟の1番上で」

戸惑う優さんを置いて部屋に上がる。

「5人…。にぎやかでいいな。」

「そうですね。ちょっとうるさいですけど」

「圭斗ー、手伝ってちょうだい」

「はーい」

「俺も手伝います」

母さんに呼ばれて優さんと2人でご飯の準備をする。今日親父は残業らしいから、全部で7人分の食事を用意した。

「多いな。テーブルがこんなに埋まってるの初めて見た」

優さんはくすっと笑って言った。

「そう言えば、親御さんに連絡したの?急に誘っちゃって大丈夫だったかしら」

俺は思わず今さら聞くかよと突っ込みたくなった。

「僕、寮暮らしなので全然大丈夫です。それに久しぶりにこんなにぎやかな食卓で嬉しいです」

優さんの目はキラキラしていて、きれいだった。


「ねえねえ、遊ぼうよー!」

ご飯を食べ終え、食器の片づけを終えると妹弟たちの優さん取り合い合戦が始まった。

「いいぞー。ほら、順番な」

優さんも楽しそうに遊んでくれている。

「おい、圭斗も一緒に」

不意に腕を引っ張られて、枕の投げ合いしている中に放り込まれた。

「みんなー、圭斗をやっつけろー!」

「うわ!いてっ!」

優さんの掛け声で一気に枕が飛んでくる。そこから火が付き久しぶりに無我夢中になって遊んだ。


8時を回り、辺りはすっかり暗くなっていた。妹弟たちもお風呂に入って、すっかりお休みモードだ。

「じゃあ、俺そろそろ帰るな」

「え、あ、はい。ありがとうございます。なんか付き合わせちゃって」

「いいよ。俺こそ楽しかったよ」

優さんがかばんを持ち上げながら言った。なんか寂しいな。

「あら、そうなの。よかったら泊まっていって」

母さんが引き留めるように言った。

「いえ、ご飯もごちそうしてもらったのに、悪いです。それに、明日は朝が早いので」

「そう、じゃあまた遊びにいらっしゃい。あの子たちも充分楽しかったみたいよ」

「こちらこそ。ぼくも久しぶりに笑いました」

軽く頭を下げて靴を履く優さん。

「圭斗何やってんの。近くまで送って行ってあげなさいよ」

母さんに背中を押され無理やり玄関から出される。

「ごちそうさまです。お邪魔しました」

僕に続いて優さんが出てきた。

「じゃあ、行きましょうか」

「ああ」

2人肩を並べて歩き出す。

「お前の家族いいな。今日はほんとに楽しかった。マジでいっぱい笑ったわ」

優さんが楽しそうに話す。

「僕もあんなに妹弟たちたちと遊んだの久しぶりで楽しかったです。それに、いろいろありがとうございました。助けてくれて」

「気にすんな。それと悩みがあるなら相談しろ。俺は圭斗が心配なんだ」

不意の言葉にドキッとした。

「はい。わかりました」

とりあえず返事をする。

「じゃあ、ここで。また明日な。部活サボるなよ」

先輩が立ち止まり、俺に声をかける。

「はい。ありがとうございました」

先輩にお礼を言って踵を返し歩き出す。

「はあ」

無意識にため息が出ていた。今日はいろんなことが起きすぎた1日だったな。お風呂に入ってゆっくりして休もう。先輩にはまた明日お礼を言おう。そう思いながら先輩の事を考えている自分がいた。



優side

今日は久しぶりに家族に触れた気がした。寮生活を始めて3年。長期休みは実家に帰りはするがあんなに楽しいと思ったのは初めてだった。圭斗も元気を出してくれたみたいだしとりあえずよかった。でも、結局駅にいたあの男は何者なんだ?圭斗を泣かせるなんて許せない。俺は気づかないうちに圭斗を好きになっていたみたいだ。








夏合宿


海side

じりじりと蒸し暑い夏が本格化して今日もグラウンドに照り付ける太陽がまぶしい。今日は明日からの夏合宿の準備があるため、練習はいつもより軽いメニューになっている。

「あー、あちー。マネさん氷ちょうだい」

「はい。どうぞ」

練習は軽いといえども8月に入ったばかりの気温とこの日差しだ。選手たちは今日も暑さと戦っている。そんな選手たちにアイシング用の氷とボトルを配りながら回る。

「お前もちゃんと水分はとれよ」

洸介先輩に配る時、不意打ちに声をかけられ、心臓が飛び跳ねる。

「はい。わかってます」

僕は何とか平然を装い答える。

「本当か?まあ、倒れたら俺が運んでやるから心配すんな」

「えっ」

戸惑う僕を置いて先輩は練習に戻っていった。絶対僕の反応楽しんでるよね。そう思いながら仕事に戻る。


「じゃあ、今日の練習は以上。今から合宿の準備をするから倉庫から必要な道具をバスに運んで行って」

「「「はい」」」

部長の指示で必要な道具をリストアップしたものを参考に道具を運び出していく。

「圭斗はこれ。朋はこれね。あ、先輩はこれお願いします」

選手たちに指示を出しながら順調に運び出しを終え、解散の挨拶をする。

「よし、明日からいよいよ夏合宿が始まるが全員で気持ち上げていこう。それから、宿の部屋割りを決めたからあとで連絡する。以上。解散」

「「「はい」」」

グラウンドに選手たちの声が響く。1年生にとって初めての合宿。長野県って言ってたから涼しいよね。楽しみ半分不安半分でドキドキする。どんな合宿になるんだろう。

 

「お先!」

朋が僕と圭斗に声をかけて更衣室を出ていく。

「あいつ最近楽しそうだよな。なんか怪しい」

「確かにこの前も夏菜と帰るって言ってたし、やっぱり付き合ってるのかなあ」

「はっ、マジか。俺聞いてねえぞ」

圭斗が驚いて聞き返してきた。

「いや、僕も確証はない。夏菜に聞いてもそんなんじゃないとしか言わないし」

「あいつももっとガツガツいかなきゃだめだな」

やれやれといったように圭斗が首を横に振る。

「そういう圭斗は何か進展したの?」

「しっ!周りに聞こえるだろ。俺はなんもないから」

圭斗はどこか寂しそうな顔をした。何かあったのかな。

「圭斗、悩み事あるなら聞くからね」

圭斗の肩に手を置き、諭すように言う。

「ああ、サンキューな」

「なになに。悩み事?俺いくらでも聞くよ」

優先輩が入ってきて、圭斗に言い寄る。

「おい、近いぞ。少しは距離感を学べ」

黒川先輩も続いてきた。

「だ、大丈夫ですから」

圭斗も焦ったように帰り支度を始める。

「早く帰るぞー」

「先に行きましょう」

「あ、ちょっと待てって」

圭斗と優先輩を置いて洸介先輩と先に更衣室を出る。最近はこの4人で帰ることが多い。

「そう言えば合宿ってやっぱりきついんですか?」

圭斗が先輩に質問した。

「そりゃあね。でもやっぱり合宿は精神的にも成長するし、仲間と一緒って言いうのが楽しいよな」

「そうだな。苦しいことを超えれば、何でもできる気がする」

楽しそうに笑う先輩たちを見て、本当に陸上が好きなんだなという気持ちが伝わってきた。

「そっかー、俺きつすぎると泣いちゃう」

「何で圭斗が泣くの。男でしょ。頑張れ」

弱音を吐く圭斗を励まして言った。

「うぅー」

「でも、イベントもあるし、楽しむときは思いっきり楽しめるぞ」

圭斗を慰めるように先輩が言った。

「もしかして、美花先輩が用意してるやつですか?」

「あれ、まさか海、内容知ってる?」

「いや、聞こうとしたんですけど、まだ秘密って言われちゃって」

「なーんだ。でも、きつい練習だけじゃないのは良かったー」

「ふふ。圭斗は楽しみがないとやっていけないもんね」

高校時代の強化合宿を思い出しながらつぶやいた。圭斗はあの時もイベントを全力で楽しんでたな。

「まあ、みんなで思いで作ろうよ」

「そうだな」

黒川先輩の言葉に優先輩が頷く。きっと楽しいだろうな。


「じゃあ、俺これからバイトなので、お疲れ様です」

合宿の期間はバイトができないため、今日シフトを入れていた圭斗と別れ3人で歩き出す。

「あいつ、なんか無理してねえか?」

優先輩が話し始めた。

「そうか?俺はいつも通りに見えたけど」

もしかしてあの店長の事、優先輩知ってるのかな。

「海、なんか知らないか?」

優先輩に聞かれてドキッとした。

「僕もよくわからないんです」

「あいつ、この前俺と帰った時、バイト先の店長見て泣いてたんだよ。変だと思わねえか?」

「圭斗がですか?」

僕は思わず聞き返していた。絶対ばれてるじゃん。

「それって圭斗がその店長の事好きってことじゃねえの」

黒川先輩の言葉に心の中で頷く。図星です。僕は何も言えないまま先輩たちの会話を聞く。

「やっぱそうなるよなー。あー、俺どうすればいいんだよ」

「とりあえずは様子見だな。圭斗の気持ちも変わるかもしれないし」

ん?てことは…

「もしかして優先輩圭斗のこと好きなんですか?」

「え、今更?」

「海、気づくの遅い」

黒川先輩に小突かれて確信する。

「マジですか」

「マジです」

少し照れたように優先輩が返事をする。そうだったんだ。全然気が付かなかった。

「そうだ。海に協力してもらえばいいじゃん」

「いや、僕そういうの苦手なので遠慮しておきます。それに圭斗も直接アピールした方が気づいてくれると思いますよ」

人の恋を手伝うだなんて僕には大役すぎる。

「確かにそうかもな。圭斗の性格だとまっすぐ向き合った方がよさそうだな」

「うぅー、分かりました。頑張ります」

少し弱気になった優先輩を見て黒川先輩と笑う。

「それでは僕はここで。お疲れさまでした」

「おう。お疲れ。明日から頼むよ」

「お疲れ様」

分かれ道になり、先輩たちに挨拶をした。



圭斗side

「今日もよろしくお願いします」

俺はいつも通り店長の滝さんとバイト仲間に挨拶してシフトに入った。

「明日から合宿なんだって?頑張れよ」

「おう。さんきゅー」

ちょうど入れ替わりでバイトを終えた仲間に軽く挨拶する。

「圭斗、もし早く上がりたかったら早めに上がってもいいぞ。明日の準備もあるだろうし」

「いえ、今日は人数少ないので最後までやっていきます」

滝さんに話しかけられて緊張する。あの日以降滝さんと話すときはなぜか目を直視できない。何と言うか、緊張してしまって、あきらめようと思ったはずなのに顔を見ると胸が高鳴ってしまうんだ。

「おい、圭斗、滝さんのこと見すぎ!そんなんじゃ、好きなのバレバレだから」

バイト仲間に話しかけられて慌てて視線を外す。

「うるさい。ほら、そっちも集中しろって」

俺はごまかすように話をそらした。でも、この胸の高鳴りは収まらない。一体俺は何がしたいんだよ。自分にいら立ちを覚えながら仕事をこなしていく。


閉店時間となり、店を閉め、後片付けを始める。

「圭斗、今がチャンスだよ」

「なんの?」

急に話しかけられハテナが飛ぶ。

「滝さんをご飯に誘いなよ。いけるときに行くしかないよ。ほら早く」

「はっ、なんで今?」

何を言うかと思ったら、誘って振られたらどうしてくれんだよ。

「大丈夫だから。振られたら慰めてやるから言ってこい!」

そんな思いとは裏腹に無理やり押し出され、滝さんのいる厨房に向かう。

「あの、滝さん。今お時間いいですか?」

「なに?どうした?」

俺の心臓は今最高潮にバクバクしている。

「あの、もしよかったらなんですけど、今度一緒に食事でも行きませんか?」

もうどうにでもなれ。ここまできたら男なんだし、立ち向かうぞ。

「それって、2人で?」

「はい。あの、相談したいことがあって」

適当に口実を作ってみる。

「んー、相談事ならいいんだけど。もし、俺に好意を持ってくれてるんならお断りするよ」

「ど、どうしてですか?」

振られたのか?と思い、平常心を保ちながら聞き返す。

「俺は特定の誰かなんて作りたくないし、ずっと遊んでたいの。それにバイトと関係なんて持ったりしたらやばい目で見られるし、そのあとが大変でしょ?恨まれたくないもん、俺」

その瞬間、身体の熱が冷めていくのが分かった。俺はもともと滝さんの相手には到底なれなかったんだ。期待なんかしてバカみたいだ。

「そうなんですね。やっぱり相談今いいですか。僕、部活が忙しくなってきたのでシフト減らしてもらいたいんです」

僕は動揺を悟られないように早口で急いで逃げ道を探した。

「そっか。了解。バイトに来てくれるのはありがたいけど、体調には気をつけろよ」

「はい。失礼します」

今のこの心にそんな優しい言葉をかけないでください。僕は涙をこらえて厨房を出て急いで着替えて店を出た。その間バイト仲間に何か聞かれたような気もしたが僕の顔を見たらみんな黙り込んでいたから、精一杯の作り笑いをしてやり過ごした。


家に帰ると妹弟たちが迎えてくれたが逆にその温もりが嬉しくて大泣きした。みんな抱きしめて慰めてくれて、母さんも何も言わずに見守ってくれていた。明日からは合宿だ。しばらく滝さんには会わないし、部活に集中しよう。そう自分に言い聞かせて眠りについた。



海side

カーテンの間から太陽の光が差し込み、目覚まし時計が鳴った。

「んー」

いつもより1時間早く鳴った目覚ましを止めて大きく伸びをする。

「急がなきゃ」

集合時間まであと30分。駅に集合だからそんなに時間はかからないけど、合宿と言われるとなぜか焦ってしまう。

「海ー、もう行くの?」

この時間は絶対に寝ている夏菜が声をかけてきた。

「あと10分くらいしたら出るよ」

「朋にさ、頑張ってって言っておいてね」

それだけ言うと、再び布団にもぐりこんでいった。

「朋に?やっぱりお前ら付き合ってるのか?」

「すーすー」

俺の声に聴き耳も立てず、眠っている夏菜。ほんとにどうなっているのやら。2人の関係は、気になりはするが、今はそれどころじゃない。急いでスーツケースを持ち、玄関へと向かう。

「行ってきまーす。母さんと父さんに声をかけて家を出る」

早朝とはいえ、夏には変わりない。もうすでに太陽は上り始めていて日向にいると汗をかくほどの温かさだ。


「おはようございます。今日も早いですね」

「海君おはよう。今日は1番だったの。なんか眠れなくて」

駅に着くと集合場所にはすでに美花先輩がいた。

「そうだったんですね。あ、名簿やります」

「ありがとう。じゃあ、男子の方お願い」

「了解です」

人数確認のための部員の名前が書いてある名簿を受け取り、目を通す。

「もう一枚の方は部屋割りだから、もし向こうでなんかあったら確認してあげて」

「分かりました」

部屋割りは昨日、確認のメールが送られてきて、僕は朋と圭斗と3人部屋だった。合宿中もずっとあの2人と一緒か。楽しくなりそうだな。そう思いつつ、着々と集合場所に集まってきた部員の点呼を取り、バスに荷物を積んでいく。

「海、おはよう」

「お、朋、圭斗おはよう。って、圭斗、その目どうしたの?」

圭斗の目はうっすらとはれ上がっていた。泣いたのかな。

「いや、何でもない」

圭斗はそれを隠すようにバスに乗って行ってしまった。

「やっぱりなんかあったよね」

「ああ、ここに来るまでも何も話さないんだ。少し落ち着いたら話を聞こう。それまではなるべく1人にさせてあげよ」

「そうだね」

圭斗のことは気になるけど今はそっとしておいてあげるべきだよね。そう自分に言い聞かせて仕事に戻る。


「よし、出発するぞ」

部員全員を乗せたバスはいよいよ出発した。だけど…なんで黒川先輩が僕の隣にいるの!?いや、朋と圭斗は先に乗ってたから2人が一緒に座るのはなんとなくわかってたし、僕は1人席なのかと思っていた。しかし、僕が空いていた席に座ろうとしたとき、

「海、ここ空いてるぞ」

晴先輩が空いてる席を指しながら言った。席を確認しようと先輩が指さした先を見ると、黒川先輩が座っていた。

「えっと、ここですか」

とっさに出た言葉がそれだった。

「なに、俺の隣は嫌か?」

「そうじゃないです!失礼します」

黒川先輩にそんなことを言われちゃ、申し訳ないよ。仕方なく座ったものの、出発して30分、心臓が持たないよ!だってこの状況耐えられない。今、とても気持ちよさそうに寝ていて、しかも僕に寄りかかって寝ている。どうしてこうなった!?寝ている先輩を起こすわけにはいかないし、僕はどうしたらいいの?そんなことを1人、頭の中でぐるぐると考えながらも自分の方に乗った先輩の顔に見とれてしまう。

「んんー」

やばい起きた?僕は思わず寝たふりをした。

「まだ全然着かないな」

先輩は時間を確認したのかそんなことをつぶやく。次の瞬間急に頭を撫でられた。えっ、これって先輩の手だよね。僕は目をつむったまま、さっきからうるさすぎる心臓の音を聞かれないか心配する。

「こっち寄りかかって」

先輩の甘い声が聞こえて、僕の頭は先輩の肩にもたれかかる。先輩とくっつくのはもう僕の心臓が持たない。先輩の隣って心地いいな。そんなことを考えてたら、いつの間にか眠りについていた。


「海、着いたぞ」

頭の上から声がして目を覚ました。

「んんー。あ、ごめんなさい。重たかったですよね」

しまった。僕はずっと先輩の肩に寄りかかっていたようだ。あわてて体を起こして荷物をまとめる。

「いや、全然大丈夫。ほら、みんな降りたから行くよ」

僕は先輩に言われて、みんながいないことに気づいた。

「僕そんなに寝てました?」

みんなに見られたかと思うと恥ずかしくてたまらない。

「ぐっすりね。気持ちよさそうだったぞ。寝ぐせついてるし」

先輩が僕の髪を直しながらくすっと笑って言った。ドキッと心臓が高鳴る音がした。

「マジですか」

僕の顔は今きっと真っ赤になっているだろう。

「ほら、ぼーっとしてないで行くぞ。荷物を部屋において、30分後に入り口集合だって」

「あ、わかりました」

先輩の後を追ってバスを降りながら返事をした。


「海ごめん!俺、部屋割り間違えちまって3人部屋を2人部屋で予約しててさ、海の分のベッドがないんだ」

バスから降りた僕に部長が慌てて謝ってきた。まじか。でも、夏だしソファとかでもいいか。今回の合宿で泊まる宿を事前に調べたけど、部屋はなかなか広いみたいだし、ソファも置いてあった。

「僕なら大丈夫ですよ。ソファでも寝れますから」

「そんなの風邪をひくだろ。俺、2人部屋のとこに1人で泊まるから俺の部屋に来い」

「本当か。それはマジで助かる!じゃあ、それでよろしく」

「ああ、任せとけ」

「あ、ちょっと…」

横から先輩が入ってきたかと思ったら、僕の入る隙間なんてなく、いつの間にか勝手に話が進んでいた。僕が先輩と相部屋ってことだよね。それってやばくない?

「ほら、さっきからぼーっとしすぎ。置いてくぞー」

先輩がバスの荷台から荷物を取り出して言った。

「あ、ちょっと待ってくださいよ」

急いで先輩を追いかけながら宿に入っていく。


「お、結構広いんだな」

泊まる部屋は大きな窓が付いていて開放感たっぷり。それにテレビに机と椅子、大きめの浴槽までついていてホテルみたいだ。

「じゃあ、僕先に集合場所に行きますね」

先輩と2人なのが気まずくて、荷物を置いて部屋を出ようとドアノブに手をかける。

「もしかして嫌だったか?」

先輩がそんなことを言った。その声に引き留められて、ドアノブにかけようとした手を下ろす。

「えっ。何がですか?」

「俺と相部屋。さっきから俺の事避けてるみたいだし」

先輩がすねたように言った。

「嫌なわけないじゃないですか。僕は先輩が相部屋でよかったです」

「え、それって…」

しまった。何を言ってるんだ僕は。先輩を困らせてどうするんだ。

「変なこと言ってごめんなさい。なんでもないです。じゃあ、また」

逃げるように部屋を出た。あー、本当にやらかしてしまった。速足で廊下を進み、集合場所の入り口に向かう。

「お、海じゃん。どうだった洸介さんとの相部屋は?」

朋と圭斗が反対側から歩いてきた。

「どうもこうもないよ!もう心臓が持たないって」

「そうはいっても海、この合宿中に距離を縮めるチャンスが来たじゃん。頑張らないとな」

圭斗がにやにやしながら聞いてきた。圭斗のくせに。

「もう僕の話はいいでしょ。それに圭斗は僕たちに話すことあるよね。今晩はじっくり話聞かせてもらおうか」

「おー、俺らが気づいてないと思うなよ」

「うぅ。わかったよ」

平気なそぶりを見せている圭斗だが、僕たちにはわかる。僕たちが元気づけてあげないと。

「ほら、それよりも合宿に集中だろ」

「「うん」」

朋の一声で脳が切り替わる。入り口に行くと徐々に部員が集まってきていて、準備体操を始めている。

「海くん!こっち手伝って!」

「はい!」

美花先輩に呼ばれてキーパー作りを手伝う。

「これから何するんですか?」

「これからここの宿の敷地内を回りながらアップしてグラウンドに行くの。私たちは、先に荷物をグラウンドに運ぶから急いでみんなのボトル作っちゃって」

「了解です」

美花先輩の指示通り急いでボトルを作る。ここの合宿施設は結構広くて、陸上以外のスポーツ施設も多くある。今回は陸上部だけだが、うちの大学の他の部活もよく利用している。


「全員集まったかー。じゃあ、アップ行くぞ」

「「「はい!」」」

部長の掛け声で選手たちが出発していった。その間に美花先輩と荷物をグラウンドに運び、練習の準備をする。

「海君これ確認しておいて。今夜の夕飯からの献立考えてくれたのまとめてみたの」

「本当ですか?ありがとうございます」

練習中のマネージャーの仕事はいつもと変わらないが、食事は昼食以外マネージャーが作ることになっている。昼ご飯はお弁当で、朝食と夕飯はマネージャーが作る。僕は料理は好きだが、献立を立てるのは初めてだったから、美花先輩に教えてもらったのだ。

「咲先輩もいないし、あの人数分だから、練習が終わって選手がお風呂入ってる間に作るけどマジで急ぐよ。本当に戦いだからね!」

「はい!頑張りましょう」

美花先輩のいつにも増した真剣な意気込みに同意をして2人でお互いに活を入れる。マネージャーの仕事はそれ以外にも、練習日誌をつけたり、選手の記録をまとめて監督に提出をしなければならない。大変だけど、選手たちも頑張っているし、僕がくじけてたらだめだよね。

「よしっ!」

自分に活を入れて立ち上がったところで、選手たちがアップを終えてグラウンドにやってきた。この施設のグラウンドは競技場と同じタータンのため、本格的な種目練習ができる。


合宿初日の午前中の練習は基礎トレーニングと軽い走り込みで終了した。

「午後はロングのインターバル走を入れていくから気合い入れて行けよ」

「「「はい!」」」

監督の声に全員で返事をする。ロングのインターバル走は200mから300mの距離でダッシュの後にジョギングでつなぎ、再びダッシュをする。ということを繰り返すのだ。主に冬の練習でメインに行ったりもするが合宿では基礎体力を上げるために行う。マネージャーもタイム取りや記録で忙しいメニューだ。

「海くん、午後は早めに集合してキーパー多めに作っておいて。私はアイシング用の氷もらってくるから」

「了解しました」

美花先輩からの指示を聞き、昼休憩に入る。


「まじかー。初日からインターバルとか俺心折れちゃう」

昼ご飯を食べながら圭斗がため息をつく。

「まあまあそう言わずに。そうやって追い込んで心も鍛えるのが合宿でしょ」

圭斗をなだめる様に言う。

「さすが数々の苦難を経験した人は違うね。このマネージャーには逆らえないな」

朋がくすりと笑った。

「今はもう無理だけど、口で言う分には簡単だからね」

ちょっとふざけて言った。本当は僕も頑張りたいと思ったけどそれは叶わないから。そう言うと2人は黙ってしまった。

「何黙ってるの!僕ができない分2人がやらないでどうするの!ほら、早く片付けていくよ」

2人より先に席を立つ。僕は気まずい空気を変えようと切り替えて言った。午後はキーパーを午前よりも多めに作って、目印のコーンは大きめのを置かないと。それと夕飯のメニューを確認しておこう。頭の中を整理しながらグラウンドへ向かう。



朋side

「…俺地雷踏んだよね」

「うん、踏んだ」

「謝った方がいいよな」

「いや、海の様子見ると大丈夫そうじゃないか?最近は家でも部活の記録整理とかやってるみたいだし。海の分まで俺らがやってやんないと」

「そうだな。俺らが頑張って大会で結果出して恩返ししよう」

圭斗はこういうの結構気にするよな。言ったことに後から気づくのは遅いっての。でも、さっきのあの海の言葉で海自身はちゃんと区切りがつけられているように見えた。海を笑顔にするためには俺らが頑張らないと。俺はもう1度気合いを入れ直した。


海side

「「「ありがとうございましたー」」」

午後の練習はやはり大変だった。選手のボトル補充、タイム測定に記録、大忙しだったけどこれからが本当の勝負。キーパー類は選手のダウン中に片づけたから急いで厨房へ向かう。

「よし!じゃあ、作っていこうか」

「はい!頑張りましょう。先にご飯炊いていきますね」

「オーケー。じゃあ私は具材切っていくね」

初日のメニューはカツカレーとコールスローサラダ、デザートにオレンジだ。あの部員の人数となるとご飯の量もとんでもなく多い。個々の厨房には大人数用調理道具があるので一気に作っていく。カツカレーはカロリーは高いが体作りにはぴったりのメニューだ。ご飯の炊飯スイッチを押し、豚肉を冷蔵庫から取り出し、衣をつけてあげていく。カツは2度揚げをし、衣をカリカリに仕上げる。

「海君、カツ揚がった?」

「もう少しです」

後数個上げ終わるところでみか先輩から声がかかった。

「カツ揚げ終わったら、コールスローのドレッシング作ってもらっていい?」

「分かりました」

美花先輩はいつの間にカレーの具材を切り終え、すでに鍋で煮ていた。さらにコールスロー用のキャベツの千切りまで始めようとしている。さすがすぎる。僕も見習わないと。

「美花先輩は普段から料理するんですか?」

気になって聞いてみた。

「しなかったけど、合宿のご飯づくりのために練習したよ」

「すごいですね。その包丁さばきかっこいいです」

「ありがとう。でも海君、手動かさないと終わんないよ」

「すみません」

美花先輩との話に夢中になって止まっていた手を動かす。僕ももっと練習しよう。


「ドレッシングできました。」

「ありがとう。もう少しでキャベツが切り終わるから、カレーの味見してきて」

「いいんですか?」

僕はなんだかうれしくなって舞い上がった。

「もちろん。でも、味見だからね。ちゃんと確認してね」

「はい!」

カレーの味付けは最高においしかった。疲れている体にしみていく。

「味は大丈夫そうね。あと30分で夕食の時間だから先にカツカレーだけよそっちゃって」

「はい」

先輩の指示通りお皿に盛りつけをしていく。あと30分ってことは10分前には並び終えてないと。よそい終わったお皿からテーブルに並べていく。女子はまだしも男子の分はお皿から大きくて量も多いから運ぶのにも一苦労。

「これもお願い」

「はい!」

ようやくカツカレーを運び終えたところで美花先輩から声がかかる。コールスローサラダをお盆にのせて運び、デザートのオレンジを小皿に切り分け、全員分の箸とコップ、スプーンと一緒に机に並べる。

「あー、腹減った。めっちゃいい匂いじゃん。よっしゃ今日はカツカレーだ」

全てのものをテーブルに運び終えたところでぞくぞくと部員が食堂にやってきた。よかった間に合った。

「とりあえずは間に合ってよかったね。じゃあまたあとで」

「はい」

そう言うと美花先輩は女子の先輩たちの元へ駆け寄っていった。僕の席はどこだろ。確か男女別学年順に座るから…。

「海ー、ここ座れー」

どこに座ればいいか迷っていると圭斗が僕を呼んだ。

「うん。ありがとう」

と言って席に着こうと椅子に手をかけたとき目の前に黒川先輩が座っていることに気づいた。

「何ぼーっとしてんの。早く座れ」

「あ、うん。ねえ、なんで先輩がここにいるの?」

先輩が向かいにいることにびっくりして固まっていた僕に圭斗が声をかけた。僕は慌てて席に座り、圭斗に尋ねた。

「お前が喜ぶと思ってさ」

圭斗はいたずら気に笑い言った。こんなの恥ずかしくてご飯食べれないよ。

「喜ぶって、逆に緊張しちゃうでしょ」

僕は圭斗を軽く小突いた。

「俺がここにいるの不満か?」

黒川先輩が急に話しかけてきた。どうやら僕たちの会話は丸聞こえだったようだ。

「いや、この人喜んでますよ」

圭斗は僕を指さしながら言った。こいつはなんてことを。

「いや、そういうわけじゃ…」

思わず言葉を濁した。

「じゃあ、嫌だった?俺がここにいるの」

「嫌じゃないです!全然嫌じゃないです!」

先輩が悲しそうな顔をしたからあわてて否定する。

「そっか、ならよかった」

先輩がふわりと笑って胸がキュンって高鳴った。先輩はやっぱずるい。僕は気持ちを隠さずにそのまま顔に出てしまうから、先輩の行動一つ一つに過剰に反応してしまう。

「はぁー」

「どうしたんだよ。ため息なんかついて」

僕もうこのドキドキに耐えられるかわかんないよ。そんなことがため息となって出ていたらしい。

「いや、何でもないよ。やっぱり、マネージャーの仕事大変だなって思って。でも、美花先輩いるし、みんなの為だから頑張んないと」

「そっか。大変だよな。いつもありがとな」

「何急に。その代わり、大会で成績残してください」

圭斗の突然の言葉に驚いたが嬉しかった。人を支えるっていいな。


「お、監督が来たぞ」

誰かの声に食堂の入り口に視線が集まる。

「じゃあ、全員手を合わせて、いただきます」

「「「いただきます」」」

監督が席に着き夕飯がスタートする。

「うん、うまい!海って料理までできんだな。お前いい奥さんになるぞ」

圭斗が言ってきた。

「いい奥さんってなんだよ。それにそのサラダは美花先輩が作ったんだよ。僕はカツ担当」

「そうなのか?でも、全部うまいからいいや」

ははっと笑い、一気にカレーを書き込んで食べていく圭斗。さすが現役は違うな。選手の食欲を改めて実感する。

「このカツめっちゃうまいな。さすがだね」

不意に黒川先輩から声をかけられ顔が赤くなっていくのが分かる。

「あ、ありがとうございます」

先輩に褒められるとやっぱり嬉しいな。明日も頑張ろう。


ご飯が食べ終わり、そのままミーティングに入る。ミーティングは明日の練習内容の説明と練習ノートの提出をして終わった。ミーティング終了後、選手に食べ終わったお皿を厨房に持ってきてもらい、お皿洗いを始める。

「みんなおいしいって言ってたよ。よかったね」

「はい!でも、先輩のサラダの方が人気でしたよ」

「それは嬉しいな。明日はもっとおいしいもの作ってあげなきゃだね」

「はい!」

先輩と今日の事を振り返りながらお皿洗いを進める。作る時も大変だけど、片付けもなりの量があったため洗い終えるころには7時を回ろうとしていた。

「もうこんな時間か。8時までに記録の整理と選手の練習ノート集めないと。海君、記録整理お願いできる?私全員分の練習ノート集めてくるね」

「了解です」

あと1時間で記録整理は結構ハードだけどできなくはない。よし、しっかりやろう。


部屋の扉を開け、入り口の電気をつける。

「お疲れ」

「お、お疲れ様です。電気付けないんですか?」

暗くて先輩はいないと思っていたからびっくりした。先輩はベットに座り、リラックスしているようだった。

「シャワー浴びてた。風呂空いてるぞ」

「ありがとうございます。でも、まだやることあるので後で入りますね。あ、机ちょっと使いますね」

「そっか」

窓際においてある椅子に腰かけ机に向かう。カバンから今日の記録用紙を出し、ノートに、記録順、種目別に並べていく。これが簡単そうに見えて時間がかかるんだよな。そう思いながら帰路起用師とにらめっこしながら順番を埋めていく。

「ううー」

やっぱり大変だ。順番に並べるのは簡単なはずなのに人数が多すぎてぐちゃぐちゃになる。

「手伝うよ。8時までだろ」

後ろから声がしたかと思って振り返るとすぐそこに先輩の顔があった。息が止まりそうになって思考が停止してしまった。

「ほら、ぼーっとしてないで。ここ、逆になってる。あとここも、種目が違ってる」

「ほんとだ。やっぱり難しい」

はあとため息をつきながらも頑張って頭を働かせる。

「最初は慣れないもんだろ。大丈夫。海は頭よさそうだからすぐできるようになるよ」

ふっと先輩が笑った。かっこいい。思わず見とれてしまうような先輩の笑顔は僕の疲れを一気に吹き飛ばした。


「終わったー!ありがとうございました」

お礼を言い、振り返ると先輩の顔がまたすぐそこに。僕はドキッとしたまま動けず、先輩の目に吸い込まれるように固まってしまった。

「海くーん、記録整理できた?」

美花先輩がドアをノックする音が聞こえて慌てて先輩から目をそらし、ドアへと向かう。

「記録整理できました。行きましょう」

「あ、洸介先輩のノートは?」

「あ、今持ってきます」

忘れてた。同じ部屋なんだし、僕が預かっておかないとだよね。

「先輩、練習ノート預かります」

「ああ、そこにある」

「はい」

先輩が指さした机の上からノートを取り、再び部屋を出る。さっきからドキドキして心臓がうるさい。

「海君そんなに顔赤くしてどうしたの?もしかして熱でもある?」

「いや、何にもないですよ。僕はこの通り元気だし」

どうしてこんなにも顔に出てしまうの?監督にノートを提出し、部屋を出たときそんなことを言われた。どうしてこんなにも顔に出てしまうの。美花先輩にばれなくてよかった。

「そう。ならいいんだけど。じゃあ、明日も朝早いけどよろしくね」

「はい。おやすみなさい」

「うん、おやすみ」

先輩に挨拶をして部屋に向かう。その時、朋から電話がかかってきた。

「海、いつになったらこっち来るの?早くしないと圭斗の恋バナ聞き損ねるだろ」

「あー、ごめん。これから練習日誌書かないといけないから無理かも。朋が聞いてあげて」

圭斗の話は今気になるが、日誌を仕上げないと忘れちゃうし、明日には明日の分があるからさすがに厳しい。

「そっか。じゃあ、しょうがないな」

「うん。消灯まで時間あるけど明日も早いし遠慮しとくよ。2人も早めに寝るんだよ。明日は4時半置きなんだから」

「分かってるよ。うちのマネージャーさんは厳しいねー。じゃあ、おやすみ」

「おやすみー」

電話の奥から圭斗の声がした。

「うん。おやすみ」

よし、早く部屋に戻って書いちゃおう。そう意気込んで部屋のドアを開ける。

「すーすー」

部屋のドアを開けると規則正しい寝息が聞こえてきた。先輩もう寝てる?まだ8時半くらいだし、まだ起きてるかと思った。僕は先輩を起こさないようにお風呂に入り、机に向かって日記を書き始める。日誌には選手の練習の状態やマネージャーとしての気づき、改善点をまとめていく。僕は文系だから、こっちの方が得意のような気がした。


「はぁー。やっと終わった」

練習日誌を書き終え、伸びをする。

「もうこんな時間か」

日誌を書き終えたころには時計が10時半を回ろうとしていた。内容は簡単とはいえ、午前午後の練習量をまとめるのはなかなか大変なものだ。ノートをカバンにしまい、ベッドに入る。

「すーすー」

隣からは規則正しい寝息が聞こえてくる。先輩の方を向くときれいな横顔が見えた。本当に先輩はきれいな顔をしている。そう思いながら眠りについた。

 

Ppp-ppp

「んん」

目覚ましの音で目を覚まし、伸びをする。黒川先輩がまだ寝ていることを確認し、先にシャワーを浴びる。

Ppp-ppp

僕がシャワーを出たところで先輩のアラームが鳴った。

「ふぁー。もう朝かよ」

「あ、おはようございます」

「はよ」

寝起きの黒川先輩は子どもみたいに目をこすって伸びをする。寝起きはかわいいんだ。先輩の以外な一面を見れてなんだかうれしくなる。そんなことよりも準備に行かなきゃ。

「僕先に行きますね。シャワー空いてるのでどうぞ。さっぱりしますよ」

「ああ、そうだな。さんきゅ」

先輩からお礼を言われるともう何でも頑張れそうだ。


今日は朝から仕事が山積みだ。早朝練習用のキーパーを作り入り口に設置する。選手が早朝練に出発した後は美花先輩と厨房に行き、朝ごはんの支度をする。今日の朝ご飯はパン・ソーセージ・目玉焼き・サラダ・スープだ。

「よし、じゃあ作っていこうか。私は先にパンをお皿に盛りつけてくから海君はスープお願い」

「了解です」

美花先輩の指示通りスープを作っていく。今日のスープはコンソメスープで根菜をさいころ上に細かく切り、煮込んでいく。次にサラダ用のレタスを洗い、一口大に切ってお皿に盛りつける。今日の朝ご飯はワンプレートで済むから結構助かる。

「よしできた」

目玉焼きとソーセージを焼き、お皿に盛り付けてスープをよそう。味見は美花先輩にもOKをもらっている自信作だ。

「お、今日の朝飯もうまそうだな」

早朝練を終えた選手たちが続々と食堂に集まり、朝食の時間となった。

 

「今日は昨日ミーティングで話した通り午前中が種目練で午後が走り込みのメニューになる。午前中はそれぞれ集中して取り組むこと。午後はお互いに高め合っていけるように。以上」

監督の話が終わり、解散する。

「今日の午後の走り込みって何やるんですか?」

お皿洗いをしながら美花先輩に聞く。走り込みって言われただけで具体的に言われてなかったのを思い出したのだ。

「あー、多分坂ダッシュかな。去年もだったんだけど、監督の走り込みの意味はそうだと思う」

「坂ってあの入り口のところですか?」

僕は坂と聞いて1番初めに思い浮かんだ入り口を出たところのあの急斜面の坂を思いだした。

「違うよ。この施設の外周を回ると百メートルくらいの長い坂があるからそこでやると思う」

美花先輩がまさかと言うように否定した。なんだびっくりした。でも、百って結構長いからきついだろうな。そんなことを思いながら手を動かし、皿洗いを終える。

「じゃあ、また8時に集合ね」

「はい。了解です」


「先輩、お疲れ様です」

部屋に戻ると、早朝練を終えた黒川先輩に挨拶する。

「ああ、お疲れ。朝飯うまかったよ」

先輩の不意打ちにドキッと胸が高鳴る音がした。

「ありがとうございます」

あわてて返事をする。集合時間までまだ少し時間があるからゆっくりしよう。僕はカバンからお気に入りの本を出して読書を始める。

「読書するなんて意外だね。どんな本?」

「よく言われます。この本面白いんですよ。主人公の男の子が幼馴染に恋してて、でもそれは実らぬ恋なんです」

「なんで?」

「相手が男だからです。その相手には彼女がいてこの子のことはただの幼馴染だと言って知らず知らずのうちにこの子を傷つけちゃってるんです」

気づかぬうちに僕は先輩に話してしまっていた。これはBLだぞ。先輩が嫌いだったらどうするんだよ。

「それで最終的にはどうなるの?」

意外にも先輩が食いついてきて驚く。

「先輩、それ聞いちゃったら意味ないですよ。秘密です」

「ちぇっ。面白そうだと思ったのに」

先輩がすねた。かわいい。昨日から先輩の無邪気さが出ていてより一層母性本能をくすぐる。って何言ってるんだ僕は。

「もうそろそろ準備なので先に行きますね」

先輩と話していたらいつの間に美花先輩との集合時間になろうとしていた。

「ああ、今日もよろしくな」

先輩に送り出されて部屋を出て入り口へと向かう。


入り口に着くとマネージャーの荷物をもってグラウンドへと向かう。美花先輩遅いな。でもまだ開始まで時間あるし先に始めるか。水道でキーパーを作りボトルを人数分作っていく。

「ごめん海君!仮眠のつもりが寝過ごした!」

「大丈夫ですよ。まだみんなが来るまで時間ありますし」

美花先輩がねぼ過ごすなんて珍しい。先輩って時々おっちょこちょいなところあるんだよな。

「ほんとにごめん。ありがとね」

「いえいえ。午前練って何かマネージャーで用意するものありますか?」

「いや、種目練だからほとんどないと思う。記録とか動画とか頼まれたら対応してあげて」

「了解です」

午前中は余裕がありそうだ。空いてる時間に日誌を書いちゃおう。


集合時間になり、選手がグラウンドに集まって練習が始まる。午前は種目練だからみんな比較的リラックスした表情をしている。

「海、跳躍の動画頼んでもいいか」

黒川先輩が声をかけてきた。

「はい。大丈夫ですよ」

「よかった。10時ころから始めるからその時また声かけるな」

「分かりました」

「よろしく」

そう言って先輩は軽く微笑んで、僕の頭を撫でてアップに行った。不意打ちすぎて僕は思考が止まる。

「朝からイチャイチャなんていいねぇ」

横で見ていた美花先輩が冷やかすように言った。

「イチャイチャなんてしてないです!」

「嘘つきー。顔真っ赤のくせに何言ってるのー」

「あれは黒川先輩が勝手に…」

僕は必死で言い訳を探す。

「あんなに楽しそうな洸介先輩久しぶりに見たよ。それで、いつ告白するの?」

美花先輩には僕が黒川先輩を好きなのはお見通しのようだ。やっぱりかなわないな。

「告白なんてする勇気ないですよ。そんなことできません」

「そうかな。でも洸介先輩のあの表情、海君にしか見せてないと思うよ」

美花先輩が僕を励ますように言う。

「それに僕、ちょっと気になることがあって」

「ん?なに?」

「あの、やめちゃった3年生の先輩ってどんな人だったんですか?」

僕はずっと気になっていたことを聞いた。すると美花先輩の顔が少し曇って僕の目をまっすぐ見つめてきた。

「どうしてそれを?」

美花先輩が疑問の目で僕を見つめる。

「黒川先輩に聞いたんです。でも、いたとしか言われなくて」

「そう。海君、聞いても後悔しないね?」

「はい。しません」

先輩の言葉は真剣そのもので僕は固唾をのんで答える。


美花side

海君の返事は真剣だった。だから、私も本当のことを話すべきだと思った。

「エリカ先輩は私が入学して陸部に入部してからよく面倒を見てくれて仕事もできて本当にいい先輩でね。私も陸部のみんなも大好きだった」

「そうだったんですね。なんでやめちゃったんですか?」

海君はなかなか鋭い質問をしてきた。

「実は、エリカ先輩と洸介先輩に付き合ってたの」

その瞬間、海君の瞳が揺れるのが分かった。

「2人は学校でも有名なカップルでね本当にお似合いだった」

「そうだったんですね」

海君の様子を見ながらも話を進める。

「でも、洸介先輩、去年の夏終わりに洸介先輩が大会に集中したいからってエリカ先輩と距離とったの。ちょうどその時テスト期間と被っててマネージャーはお休みでね」

「はい」

海君がこぶしを握り締めている。

「そしたらエリカ先輩浮気しちゃって」

「え」

海君は疑問の目で私を見た。私は海君の目をしっかりとらえて、話を続ける。

「本気の浮気だったのか、誤解なのかはわからない。でも、洸介先輩、本当にエリカ先輩のこと心から好きだったから結構ショックでしばらく練習も学校の講義も上の空だったの。テストが終わる1週間の間でそのうわさが校内に広がっていって、エリカ先輩も陸部にいずらくなってやめっちゃったの」

「そう、だったんですね。なんかすみません重い話になってしまって」

海君は申し訳なさそうな顔をしていた。

「しょうがないよ。もしこのまま海君の中でもやもやしてたらなんだか気持ち悪いし。とりあえずはそんなことがあったっていうことだけを知っておくべきだと思う。それに洸介先輩あれから恋愛にはとことん興味がないみたいだから海君がそれを変える時が来たんじゃない?」

「僕には変えられませんよ。」

海君を元気づけよとそんな言葉をかけたが、返ってきたのは脱力した声だけ。海君、ショック受けてるよね…。

「絶対海君のこと気になってると思うんだけどなー」

「「お願いしまーす!」」

ひとり言のようにつぶやいた私の声は選手たちの声にかき消されてしまった。


海side 

美花先輩から黒川先輩の話を聞いた後、練習では、黒川先輩の動画を撮ったり圭斗や朋の記録を取ったりしていたが僕はなんとなく上の空にいた。

「おーい、海大丈夫か?」

「うん」

「こりゃ重症だ。おい海、何があったんだ?」

「うん」

2人に話しかけられても適当に返していた。

「海!いい加減こっちの世界に戻ってこい!」

「うわぁ!もうびっくりさせないでよ」

圭斗の大声で一気に目が覚めた感覚になる。

「俺らはずっとここにいたよ。何があったのかは今は聞かないけど、記録の取り忘れだけはやめてよ」

朋に念を押され反省する。

「ご、ごめん。気を付ける」

「おーい、海!瞬とのトライアルお願い!」

「はい!」

晴先輩に呼ばれ、あわててノートを持っていく。

「海、無理だけはすんなよ」

「大丈夫だって」

圭斗の心配に笑って答える。嘘。本当は大丈夫なんかじゃない。その後の練習もずっと上の空だったし、黒川先輩の補助に入る時なんかは目も合わせずに片言で会話してた。


「はぁー」

午前練が終わりお弁当を食べ終えた僕は広場のベンチに座り、ため息をつく。

「どうやら俺たちの助けが必要なようだな」

声のした方を振り返ると、朋と圭斗が立っていた。

「ほら、どうしたんだよ。話してみろって。どうせ洸介さんのことだろ」

「なんでわかるの」

2人はエスパーか何かか?

「海が悩むことと言えば勉強のことか先輩のことだろ」

2人は鋭すぎる。

「で、どうしたの?」

「んーと、どこから話せばいいのか…」

「そんなのどこからでもいいから。話してみなよ」

「えっと、先輩の元カノの存在を知ってショックを受けてました」

「え、それだけ?元カノや元カレなんて誰にでもいるだろ」

圭斗の言葉に頭が垂れる。

「おい、口に気をつけろよ。海にはいないだろ」

「やべ。海、ごめんて。悪気はなかったんだって」

圭斗が慌てて謝る。

「うん。ちょっと傷ついた」

「本当にごめんて。ほら、これやるから元気出せって」

圭斗がくれたのは僕が好きなオレンジジュース。僕はそれを受け取り、一気飲みをする。

「おーい、むせるからやめとけって」

「ゴホッゴホッ」

共に言われた通り、むせてしまった。

「ほら言わんこっちゃない」

そう言いながらも優しく背中をさすってくれる朋。本当に世話焼きだな。

「ごめん。ありがとう。なんか元気が出た気がするよ」

「ならよかった。夜もいづらかったらいつでも俺らの部屋きていいからな」

「うん。わかった。ありがとう」

2人にお礼を言い、午後の練習の準備をしに向かう。2人がいてくれて本当に良かった。心が軽くなった気がした。

 

昼休憩を終え、水道でキーパーの準備をしながらさっきの美花先輩の言葉を思い出す。僕が先輩を変えたとして、先輩は僕の事を好きになってくれるのかな。

「海君!溢れてる!」

「うわぁ!やばい」

美花先輩に声をかけられ蛇口をひねり、水を止める。やってしまった。

「すみません」

「大丈夫。まだ氷とか入れる前だったし。それより、海君が元気ないのってさっき私が話しちゃったせい?」

「え?」

返事に困る。

「ごめんね。急にあんな話しちゃったら考えちゃうよね」

「いいんです。僕から聞いたわけだし、美花先輩は謝らないでください」

僕から聞いたくせに勝手に落ち込んで、美花先輩に責任感じさせて、僕は何をやっているんだ。

「本当に大丈夫なの?」

「はい、大丈夫です。ちょっと驚きましたけど」

ほんとはかなりダメージを受けてる。でも、こんなことで先輩に心配かけたくなくてそう言った。

「何か悩み事あったらいつでも聞くからね」

「ありがとうございます」

美花先輩は本当に優しいな。

「そうだ、キーパー作り終わったら自転車借りに行こう」

「自転車ですか?」

「そう。この荷物を手で運ぶのはさすがにきついからね」

なるほど。確かにこの量を運ぶのはきつい。それに午後は外周の坂道だから歩くと時間がかかりそうだ。

「了解です」


「よし、じゃあ移動するぞー」

全員が集合したところで部長が声をかけた。

自転車は僕たちマネージャーだけだと思っていたが、違うらしい。

「なんで監督も自転車なんですかー?」

僕たちと同じように自転車にまたがっている監督を見て、不満を持った部員がつぶやく。

「俺も歩きたいけど、腰が痛いんだよ。もう年だしな」

「まだ定年前じゃないですか」

「いいからいいから。ほら行くぞー」

部員に適当な言い訳をつけて先に出発して行った。

「絶対自分が楽したいだけだよな」

そんな監督を見て部員たちはぼやきながらも荷物を持って出発する。

「監督って案外わがままなところあるよね」

「そうですね」

ふっと笑い、美花先輩つぶやく。確かにそうかも。でも逆にそう言うところが部員に好かれている理由だと僕は思う。

 

練習場所に到着し、荷物を置く。

「うわ、結構きつそうだな」

圭斗が坂を見てため息を吐く。坂は緩やかな傾斜ではあるものの、距離は長く、足元は土で、走ると足がとられそうだ。

「何言ってるんだよ。これが強くなるための秘訣なんだから、一緒に頑張るぞ」

優先輩が圭斗に声をかける。この2人って前よりなんか仲良くなった?そんなことを思いながら運んできた道具をセッティングしていく。

「今年もこの坂にはお世話になります」

「何言ってんだよ。お世話になるどころか制覇するんだよ」

瞬先輩の言葉に晴先輩が突っ込みを入れる。

「はぁ、やっぱりこの練習が1番嫌いだ。泣けてくる」

「やる前から弱音を吐くなって。大丈夫。俺らも一緒に頑張るから」

「途中で抜けるのはなしですよ。先輩のそういうところ俺知ってますからね」

笑いたい気持ちを抑えて2人を見る。晴先輩と瞬先輩のやり取りはいつ見ていても面白い。聞いてるだけでこっちも元気になる。


道具を並べ終え、練習がスタートする。坂ダッシュは30mから徐々に距離を伸ばしていき、最後は100mのダッシュを2本ずつ走る。これを5セットだ。まさに合宿のメニューという感じがする。僕も高校生の頃やったことがあるが走り終わるたびに地面に倒れこんで苦しんだのを覚えている。

「ファイトー。10、11、12…」

美花先輩のスタートの合図に合わせてタイムを計り、読み上げていく。

「晴先輩12’88、瞬先輩13‘10です」

「あー、また負けた」

「あぶねー。去年よりも速くなってるから抜かれるかと思ったわ」

晴先輩が焦るのも当然だ。怪我から復帰した瞬先輩はぐんぐんと自己ベストを更新し、いよいよ先輩に追いつきそうなところまで来ている。

「レスト15分です」

「「「はーい」」」

一セット目を終えた選手たちに声をかける。返事のトーンからしてみんなもうこの時点できつそうなのが分かる。

「海、記録見せて」

「はい、どうぞ」

ボトルの補充をしていると黒川先輩に声をかけられた。僕は午前中と同じく目を合わせずに記録がかいてあるボードを渡す。

「サンキュ。ところでさ、なんで目合わせてくれないの?」

「え。そ、そんなことないですよ」

先輩、気づいてたんだ。僕は慌てて否定したが先輩は僕の顔を覗き込むように見ている。

「じゃあ、俺の目を見てよ。ほら」

そう言うと先輩は僕のあごに手をかけクイっと僕の顔を上げた。僕は目の前に現れた先輩の顔に思わず呼吸を忘れる。

「えっと…」

「やっと目が合った。何があったか知らないけど、俺と話すときは目を見て話してほしいな。その方が嬉しいから」

先輩はニコッと笑って言った。なんなんだこの美しい顔は。僕は突然のことに言葉に詰まりそのまま動けないでいる。

「あ、わかり、ました」

やっとのことで言葉を返す。

「あんまり悩むなよ。じゃあ、俺戻るから」

顔が離れたかと思うと先輩は僕の頭を撫でで行った。悩ませてるのは先輩なのに。そう思いながら先輩の後姿を見る。


「なーんか、悩み事が吹き飛んだ感じじゃない?」

午後の練習が終わり夕飯を調理中に美花先輩がそんなことを言ってきた。

「そ、そうですか?」

「うん。だって午後練習の途中から海君、表情が明るくなったし、さては洸介

先輩となにかあったなー?」

美花先輩が探りを入れるように聞いてきた。

「何もないですから。ほら、急がないとみんな来ちゃいますよ」

僕は話をそらすように先輩をせかす。

「あ、話そらした。それに手を動かすのは海君の方。さっきからにやにやしてばっかで全然進んでないじゃん」

「すみません。すぐにやります」

僕は図星を突かれ思わず黙り込む。にやにやしてるとか恥ずかしすぎる。

「まあ、海君が元気になったのならいいんだけど。明日のレクリエーションも楽しめそうだし」

美花先輩がつぶやくように言った。

「そう言えば何やるんですか?」

僕は気になって聞いた。

「今年は肝試しだよ。去年もやったんだけど、大好評でさー、今年もやることにしちゃった」

美花先輩が楽しそうに言った。マジか。お化けはこの世で1番嫌いだ。この世のものじゃないかもだけど。

「あれ、どうしたの?そんな怖い顔して。もしかして怖いの無理?」

「…はい。」

僕は弱気になって返事をした。

「大丈夫だって肝試しと言えども、ハイキングコースをペアで回るだけだから!」

美花先輩が僕を元気づけようと言ってくれたけど、僕はそれどころじゃない。

脳裏には小学生の自然教室でのことが思い浮かぶ。


小学生の時の自然教室を思い出していた。キャンプファイヤーのあと宿に戻るために坂道を登っていた。僕は急に催してしまって近くのトイレに駆け込んだ。トイレを出たときには誰にもいなくなっていて、僕はなんだか怖くなって、速足で宿の方へと向かった。その時、草むらがざざざっと揺れて寒気がした。僕は体が固まったように動けなくなって、その草むらをただ見ていた。すると草むらから全身黒ずくめの顔のない男が現れて、僕は叫びながらひたすらに走った。後ろを振り返ったら連れて行かれそうで怖かった。僕の叫び声を聞いた先生たちがあわてて宿から出てきて大泣きの僕を受け止めてくれた。僕を追いかける足音が聞こえたはずなのに先生たちは誰もいないと言って、信じてくれなかった。それ以来僕は暗いところに1人にされるとその時のフラッシュバックが起きてしまい、動けなくなる。

「おーい海君。大丈夫?そんなにきつかったらやめておく?」

美花先輩の声に呼び戻されハッとする。

「いや、大丈夫です」

全然大丈夫じゃない。先輩に心配をかけたくなくてそう言ったけど本当はやりたくない。でもあれは小学生の時の話だし、今は大丈夫だよね。自分にそう言い聞かせた。

「そっか。ならいいんだけど。あ、そっちの料理できた?」

「はい。今から盛り付けます」

急いで料理の盛り付けを始める。今は忘れよう。


夕飯を食べ終わり、お皿洗いを済ませる。

「よし、お皿洗い完了。あ、今日は私が記録まとめるよ」

「いや、早く自分でできるようになりたいので僕やります」

「本当?練習日誌も任せちゃってるし、海君、ちゃんと寝れてる?」

美花先輩が心配そうに聞く。

「僕は大丈夫です。それに昨日は黒川先輩が手伝ってくれたので」

「へぇ、それなら心配ないか。でも、無理ではしないでね」

美花先輩が興味ありげに僕を見る。しまった。余計なことを言ったな。

「ほら、部屋に戻りますよ。じゃあまたあとで」

「あ、ちょっと」

僕を引き留めようとするみか先輩を残し、足早に厨房を出て部屋へと向かう。


部屋に戻ると急いで机に向かい、監督に提出するため、今日の記録をまとめる。

「今日もやってるのか」

「はい。今日のは昨日より少ないですけど」

「手伝うか?」

先輩が後ろから覗いてきた。そこで僕は先輩が上に何も来てないことに気づいた。

「先輩!服着てください!」

「俺は風呂上がりは何も着たくないの。それに男同士なんだから恥ずかしがることなんてないだろ」

「いいから着てください!お風呂ってさっき入らなかったんですか?」

「ちょっと自主練したから。それより、何焦ってるの?もしかしてときめいてる?」

「何言ってるんですか。夏だからって言っても体冷やしたら風邪ひきますよ」

「はいはい。分かりましたよ」

そう言って先輩は近くに置いてあったTシャツを着た。それにしてもびっくりした。ドキドキがさっきから止まらない。先輩の筋肉すごかったな。って僕はいったい何を考えてるんだ。早くまとめないと。そう思い、再び机と向かう。

「えっと、ここは…」

「ここと逆になってる。あとここも数値間違ってる」

「あ、ほんとだ。ありがとうございます」

「大丈夫か?俺がいないと終わらないんじゃないか?」

「やっぱりそう思いますよね。僕は根っからの文系人間みたいで…。すみません。迷惑をかけてしまって」

先輩にそう言われしゅんとしてしまう。僕はみんなに迷惑かけてばっかりだ。

「そう落ち込むなって美花の負担を減らしてやりたいんだろ?俺が手伝ってやるから元気出せよ」

「ありがとうございます」

先輩には全部お見通しだな。先輩にお礼を言いながらそう思った。


「よし、終わった。じゃあ、提出してきますね。ありがとうございます」

「うん、いってらっしゃい。はい、これ。俺の日誌」

「はい」

先輩の日誌を受け取り、部屋を出る。

「海君、今日も手伝ってもらったの?なんか嬉しそうだよ」

「はい。黒川先輩に手伝ってもらって、おかげで早く終わったし、コツも少し覚えました」

美花先輩とそんな話をして監督に提出しに行き、その足で朋と圭斗の部屋に寄る。


「おー、今日はきたか」

圭斗とトンの部屋に着くと、歓迎のかけらもない言葉をかけられた。

「何、今日はって」

「まあ、早く入りなよ」

圭斗の態度にムッとしながらも、朋に促されてベッドに座る。

「で、何があったの?昼の話に続きがあるから来たんだろ?」

「そんなにいきなり聞く?それに圭斗だって話すことあるでしょ」

直球質問してきた圭斗に反撃するように言った。

「まあまあ、どっちも話すべきことがあるのは分かったから。まずは海からだな」

朋が仲裁に入り、整理する。

「昼にさ、先輩に元カノがいたって話したでしょ」

「ああ」

「うん」

2人は黙って僕の話を聞く。そして僕は美花先輩から聞いたことを2人に全部話した。

「そうだったのか。ただの元カノってわけではないんだな。そんなことがあるんなら、部内の人、誰も話そうとしないよな」

「いなかったことになってる理由が分かった気がするな」

「それで、圭斗はどうしたの?」

僕は話題を変えようと圭斗に話を振る。



圭斗side

「えっとー、何から話せばいいのかわかんないんだけど…」

2人の視線が俺に泊まり、少し、息が詰まる。

「この前、海に滝さんのこと話したじゃん。結構遊び人って」

「うん。言ってた」

「俺、それでもあきらめらんなくて食事に誘ったんだ。そしたら、相談としての食事ならいいけど、俺目当てならバイトは相手する気はないって言われた」

「「まじか」」

朋と海が声を合わせて驚く。

「そりゃそうだよね。だってバイトを相手になんかしてたら変な噂になるだろ。それに、本気にしたとき対処しきれないよ。でもさ、俺結構好きだったんだ。滝さんのこと。遊び人だって、好きになったら傷つくってわかってたはずなのに…それなのに…」

俺はいつの間に涙を流していた。

「もういいよ。ごめんね、圭斗がそんなにつらい思いしてるの知らなかった」

「俺もごめん。苦しんでたの気づいてあげられなくて」

2人は俺を抱きしめていった。

「ここでならいくらでも泣いていいぞ」

そう言われて俺はこらえていた涙がどんどん出てきて、声を上げて泣いた。



海side

「じゃあ、僕部屋に戻るね」

圭斗は泣きつかれたのかそのまま寝てしまった。

「大丈夫か?海も辛かったらここで寝てもいいんだぞ」

朋が僕を心配してそう言った。

「ううん。僕は大丈夫だよ。それに昔の話でしょ。今は関係ない」

僕は自分に言い聞かせるように言った。それに、泣いてる人が2人もいるなんて朋が大変だ。

「そっか。じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」

僕は自分に言い聞かせるように言い、2人の部屋を出た。


部屋に戻ると先輩はすでにベッドに入り眠っていた。

「もうこんな時間か」

時計を見るとすでに消灯の10時を過ぎていた。僕は急いで今日の練習日誌をまとめる作業に取り掛かる。今日は午前中に少しまとめたから残りの午後の分を書いていく。

「よし、そろそろ寝よう」

日誌を書き終え、軽く伸びをしてベッドにもぐりこむ。今日はいろんなことがあってなんだか疲れてしまった。しっかりしろ。まだ2日目だぞ。弱音を吐くな。そう自分に言い聞かせて眠りについた。


「おはようございます。今日も暑いですね」

「あ、おはよう海君。今日は昨日よりも暑くなるみたい」

3日目の朝も早い。先に準備を始めていた美花先輩に挨拶をし、僕も手を動かして準備を始める。

「海君、昨日ちゃんと寝れた?」

「うーん、早起きだからちょっと疲れてますけど寝れましたよ。どうかしました?」

「いや、目の下にクマできてるから寝れてないのかなと思って。仕事きつかったら言ってね。ただでさえ暑いのに倒れたら大変」

美花先輩の言葉にドキッとした。本当のことを言うと、昨夜は先輩の事が頭をよぎってしまい、なかなか寝付けないでいたのだ。

「ありがとうございます。気を付けます」

確かに避暑地とはいえ夏の太陽の日差しは容赦ない。徐々に山影から出てきた太陽の光を浴びながら実感する。


「全員起きたかー。出発するぞー」

「「「はい」」」

早朝はみんな眠たそうだ。部長の掛け声で選手が練習に出発したのを見送り、美花先輩と朝食づくりのために厨房に入る。

「今日の朝ご飯は和食だから海君は鮭お願い。私は先にご飯炊いて味噌汁作っちゃうね」

「了解です」

美花先輩の指示通りに朝食づくりを進めていく。3日目にもなれば料理にも馴れて、我ながらデザート用のフルーツを切る包丁遣いも早くなってきたと思う。

「海君はやっぱり上達が早いね。ほんと助かるわ」

「いえ、まだ先輩ほどじゃないですよ」

「私も追いつかれないように練習しなきゃ」

先輩に褒められると嬉しいな。そんな話をしながら朝食を完成させ、テーブルに並べる。


「今日は午後にレクがあるから午前の練習に集中していけよ」

「「「はい!」」」

監督の話が終わり、解散する。お皿洗いのため、厨房に戻り、作業を始める。

「みんな楽しそうにしてましたね」

「うん。思い出作りにもなるし、こんな自然が多いところで遊ぶこともないから私も楽しみ」

選手たちの明るい表情を見れて僕も嬉しくなった。


午前の練習は午後が軽くなるためかきついメニューが組まれていた。

「海ー、俺もう無理だ。吐きそう」

朋がめずらしく弱音を吐いてきた。

「午後には楽しみが待ってるんだから頑張って。あと少しで短長は筋トレだから」

代わってと言わんばかりの目で見つめてくるともにボトルを渡しながら励ますように言う。

「海ー、俺にもくれー。もうきつすぎる」

「そんなこと言うなってまだまだ序盤だろ。弱音を吐くな」

圭斗の弱音に厳しく突っ込みを入れる優先輩。

「頑張って。耐えれば終わるって」

優先輩に便乗して僕も圭斗に声をかける。

「なんで俺には厳しいんだよー。朋みたいに優しくはしてくれないの?」

「圭斗がいつも言ってたじゃん。耐えれば終わるって」

「ちぇ、鬼マネージャーめ。覚えとけよ」

「まあまあけんかはなしね。ほら、レスト短いんだから行くよ」

圭斗がすねたところで優先輩が間に入り、圭斗の手を引いてグラウンドに戻っていく。なんだかんだ言って圭斗も優先輩に心許してるよね。

「海、俺にもボトルちょうだい」

「はい、どうぞ」

「サンキュ」

走り終えた黒川先輩にボトルを渡す。

「今日は跳ばないんですか?」

他の跳躍組は種目練習中なのに1人走り込みをしていた黒川先輩が気になっていた。

「リレメンだし、最近跳びすぎてたから今日はみんなと一緒に追い込み。はい、ありがとう」

そう言ってボトルを僕に渡すと再びグラウンドに戻っていった。ほんとストイックだな。先輩の後姿を見ながら思った。

 

午前練習が終わり、全員で昼食をとる。

「午後は落とし気味の筋トレと体幹入れてくからプロテイン忘れないように。俺からは以上。じゃあ、解散」

「「「はい」」」

監督の話が終わり、練習まで一時間ほどの昼休みに入る。

「海君、今時間ある?」

「大丈夫ですよ」

美花先輩に呼ばれ、返事をする。

「実は肝試しの準備がまだ終わってなくてさ。ペア分けのくじ作るのと懐中電灯運ぶの手伝ってほしいの。お願い!」

「もちろんです。早く終わらせましょう!」

美花先輩にお願いされちゃ断れない。それに僕もこういうの好きだし。楽しそうだ。

「ありがとう!まじで助かる!じゃあ、早速この紙を8等分して、部員の人数分のくじを作って。ペアだから同じ番号を2個ずつ書いていってね。私は薪の手配頼んで、懐中電灯取ってくる!」

「了解です。いってらっしゃい」

テーブルに置かれた道具を見て驚く。美花先輩だけ以上に荷物が多かった理由が分かった気がした。

美花先輩を送り出し、作業に取り掛かる。なんだかんだ言っていみか先輩が1番楽しみにしてるんだよね。


「よし、できた」

くじに番号を書き終え4つ折りにし、箱に入れていく。先輩とペアになれたらいいな。なんてそんな奇跡ないか。

「ありがとう。おかげで早く終わったよ。ほんとに助かった」

「どういたしまして。みんな喜んでくれるといいですね」

「うん!海君も手伝ってくれたんだし、もう大成功だよ!」

「そうですね」

美花先輩のガッツポーズをマネして2人で笑う。

「そうだ、お礼に今日の記録まとめと日誌は私がやるね」

「いいんですか?でも、先輩片付けとかあるんじゃ…」

僕は先輩の負担にならないかと心配する。

「もちろん!私は記録まとめのプロだよ。5分で終わらせる!」

美花先輩の意気込みに圧倒される。5分か、僕より何倍も早いな。

「じゃあ、お願いします」

美花先輩の言葉に甘えて今日はやってもらうことにした。

「うん!あ、そろそろ準備にの時間だから行こうか」

「はい」

美花先輩とレクの整理し、午後練の準備に向かう。


「「「お願いしまーす」」」

選手の元気そうな声が再びグラウンドに戻ってきた。だが、すぐにそれはうめき声となった。

「あー、もう無理!まじできついって!」

「やばい。腹筋がマヒしてる」

合宿の筋トレ特別メニューは普段の練習とは違いかなり選手を追い込むようだ。

「海、あと何秒?」

「あと、20秒です」

「全然始まったばかりじゃないか。ほら気合い入れて行けよ」

監督の言葉が厳しく聞こえる。さすがに先輩たちもきついのか表情が険しい。


「あー、久しぶりすぎて大ダメージ」

「ほんとだよ。監督スペシャル恐るべし」

晴先輩と瞬先輩のそんな会話が聞こえてきた。先輩達でもあんなにきついんだ。と思いながら圭斗たち1年生の方へ目を向ける。

「もう無理ー、足が動かない。朋助けて」

「俺もきついんだから自分で何とかしろよ」

1年生はほとんど潰れていた。

「はい、ボトルどうぞ。2人ともファイトだ」

2人を励まして言う。

「まだまだこれからだぞ。この後の体幹をやれば明日筋肉痛は間違いなしだな」

「俺も久しぶりにやったから結構効いてるわ」

黒川先輩が言った。

「まじかー、俺今日生きて帰れるか?」

「みんな頑張ってるんだし、あとちょっと頑張れよ」

「はい。頑張ります」

優先輩に励まされ、圭斗はしゅんとなりながらも元気を出したようだ。

「レスト終わりです。体幹よーい、ピー」

美花先輩の笛の音で後半戦の体幹トレーニングがスタートした。


「「「お疲れさまでしたー」」」

「あー、やっと解放された」

「お疲れ様。夕飯まで時間あるからゆっくり休んでね」

追い込まれた午後練が終わり、みんなかなり疲労がたまっているようだ。僕はキーパー類を片付けると急いで厨房に向かい、夕飯の準備に取り掛かる。

「よし、みんなのお楽しみのためにも急いで作っちゃおう」

「はい」

美花先輩の指示のもと、手早く料理を進めていく。今日はチンジャオロースと中華風混ぜご飯に中華スープ。みんなの大好物ばかりだ。美花先輩曰く、本当はチャーハンにしたかったらしいが、時間が人数分は大変だと却下になった。僕はチャーハンが好きなのでちょっとショック。


料理を作り終え、テーブルに並べ終えると続々と部員が集まってきた。

「「「いただきまーす」」」

食事の挨拶と同時にみんなの箸が進んでいく。

「うま」

「今日のもおいしいね」

嬉しい。みんながそう言ってくれるだけで作りがいがある。


「レクの説明を軽くするので聞いてください」

みんなが食事を食べ終えて監督の話が終わると美花先輩が前に出た。

「この後、食器を片付けた人からここにあるくじを引いて行ってください。くじの番号と同じ人とペアを作ってください。交換はだめですよ。ペアを確認して今から30分後に入り口に集合して、キャンプファイヤーをするため広場に向かいます。広場でキャンプファイヤーをした後はくじで決めたペアこの鈴をもって、山のハイキングコースを行き、つり橋の先にある神棚にかけて宿の方に戻ってきてください。わかりましたか?」

「「「はーい」」」

美花先輩の説明が終わりいよいよみんなもお楽しみムードだ。順番にくじを引き、ペアを確認していく。

「海、何番だった?」

「8番」

引いたくじに大きく書かれた8を見て答える。

「おまえ、やったじゃん。洸介さんとペアだぞ」

「え、本当に?」

圭斗の興奮する声に驚く。

「ペア、よろしく」

後ろから声がして振り返ると8番の番号を見せて立つ黒川先輩がいた。

「あ、よろしくお願いします。そ、そういう圭斗は…」

と、圭斗の番号も気になり振り返るが見当たらない。

「あいつらもペアみたいだな」

黒川先輩が指さした先には優先輩につかまってる圭斗がいた。

「ほんとだ」

「あいつら最近仲いいよな」

「確かに、圭斗も楽しそうですよ」

確かに。この合宿で2人が一緒にいることが増えた気がする。

「海君、食器洗い急ごう!」

「あ、はい!」

美花先輩に呼ばれ、仕事が残ってることを思い出した。

「じゃあ、またあとで」

「ああ」

先輩に挨拶をし急いで厨房に戻った。


食器洗いを片付け、集合場所の入り口に向かう。

「海ー、こっち」

朋に呼ばれてみんなと合流する。

「そう言えば、朋は誰とペアになったの?」

「俺は美花先輩」

「え?美花先輩?ということは…」

「そう。俺は雑用係です」

朋が笑いながら言った。

「雑用係でもちゃんとやってもらいます。ほら、早く手伝ってよ」

美花先輩に首根っこをつかまれて、連れていかれた。

「じゃあ、俺たちも行くか」

「はい」

優先輩が声をかけ、広場へと向かう。


広場ではキャンプファイヤーをした。歌を歌ったり、ダンスをしたりとみんな楽しそうだ。何よりも1番監督がはしゃいでいた。

「次は肝試しです!ペア作って座ってください」

美花先輩の一声に全員が静かになる。指示通り僕は黒川先輩とペアになり座った。

「今から説明をするのでよーく聞いておくこと。今からペアごとに1分の間隔で懐中電灯と鈴を持って出発してもらいます。ハイキングコースを行って、つ

り橋を渡った先に神棚があるのでそこに鈴をかけて宿のほうに帰ってきてください」

「「「はーい」」」

「じゃあ、1組目。くじの番号が1番のところから出発です。いってらっしゃい。」

美花先輩の掛け声で順番にスタートしていく。僕は怖くて膝が震え始めてる。

「おい、大丈夫か?もしかしてビビってる?」

「ビビってなんかないですよ!ちょっと緊張してるだけです」

半分嘘で半分本当だ。

「かわいいな」

先輩が僕の頭をくしゃっと撫でた。

「かわいくないです」

「じゃあ、次8番のペア。お、海君だ。頑張って」

いよいよ僕たちの番になり送り出される。お願い。何も起きないで。そう願って出発した。



圭斗side

「次15番。いってらっしゃい」 

海と洸介さんが出発して数分後、俺と優さんは出発した。

「結構暗いんだな。足元気をつけろよ」

「はい、わかってます」

つり橋を渡り、神棚に鈴をかける。折り返し地点を過ぎ、宿の方へ続く道を歩き始める。

「圭斗さ、あんまり無理すんなよ」

「え、なんですか急に」

しばらく無言が続いていた時、優さんが口を開いた。

「お前合宿初日、泣いてただろ。目腫れてたし、この前みたいなことだったら俺もあんまり黙ってみてらんねえから。なんかあったら相談しろ」

やっと優さんの言ってる意味が分かった気がした。優さん、俺を心配してるんだ。

「俺、振られちゃったんですよ」

「は?」

急に驚かせちゃったけど、話を続ける。

「俺、実は、バイト先の店長のこと好きだったんです。それで、この前頑張って食事誘ったら、相談事じゃなければバイトは相手にしないって言われて。それで俺、ショック受けてあー、やっぱりだめなのかって。そう思ったんです。でも、やっぱり滝さんのこと考えちゃうし、それでも、俺は…」

「もういい。ごめん、俺が模索しすぎた」

気づいたら涙が出ていて、そう言いかけたところで俺は優さんに抱きしめられていた。

「ちょ、優さん?」

「いいから。しばらくこのまま。まずは泣き止め」

優さんの腕の中は暖かかった。なんだか落ち着くし、気づいたら涙も止まっていた。

「すみません、もう大丈夫です。いきましょう」

そう言って優さんから離れて再び歩き出そうとしたが腕を引かれて優さんと目が合う。

「あのさ、俺圭斗のことが好きだ。だから圭斗が苦しむのを見たくないし、俺が笑わせてやりたい。あいつのことなんか俺が忘れさせてやる」

「えっと…」

突然のことに頭が回らない。え、俺、今、優さんに告られた?よね。こういうときってなんて返せばいいんだ。全然わからない。

「急にごめん。返事はしなくてもいい。でも、嘘じゃないから」

優さんの真剣な表情から目が離せない。

「分かりました」

そう答えることしかできず、再び歩き出すと宿の明かりが見えてきた。



瞬side

「次20番出発!最後の2人だね頑張っていってらっしゃい!」

美花先輩とともに元気に送り出された葉いいものの…。

「なんで俺たちが最後になるの?」

「いいからほら行くぞ。なに?ビビってるの?」

「怖いに決まってるじゃないですか。こんな暗い中。しかも1番最後だなんて最悪」

晴さんとペアに慣れたときはすごくうれしかったけど、肝試しなんて聞いてない!怖いのなんてもう嫌だ。

「瞬」

「なんですか、晴先輩」

「そんなにくっつかれると歩きにくい」

「あ、ごめんなさい」

しまった。怖いからと言って無意識のうちに先輩の腕にしがみついていた。

「すぐ終わるから大丈夫だって。ほら、これなら怖くないだろ」

そう言って先輩は僕の手を握った。

「は、はい」

「ほら行くぞ」

僕の手を引いて歩き出す先輩。先輩の手は落ち着く温かさがあった。これを無意識にやっているのだから僕はいつも惑わされるんだ。

「あ、つり橋着いたぞ。結構揺れるんだな」

「うわぁ、高すぎません?先輩絶対手離しちゃだめですよ」

「分かってる。ずっと握っててやるから」

みんなよくこんな橋渡れるな。僕はもう心臓が怖すぎて今にも足がすくみそうなのに。先輩の手をしっかり握り、ゆっくりと橋を渡る。

「これでよし」

橋を渡り鈴を神棚にかけ終えると宿の方へと続く道を歩き始める。

「怖かったー」

僕はさっきより少し明るくなった道を見て安堵の声を漏らす。

「あのさ、もうそろそろ離しても大丈夫?」

僕は先輩に言われてずっと先輩の手を握りっぱなしだったことが分かった。

「は、はい。ありがとう、ございます」

なんともぎこちないお礼を言って手を離す。なんか寂しいな。

「どういたしまして。じゃあ帰ろうか」

先輩が歩き出す。先輩は僕と手をつないで何も思わないのかな。

「先輩は僕と手をつなぐの嫌でしたか?」

僕は先輩に気づいてほしいんだ。

「うん?いや、別に嫌ではないけど」

先輩は少し戸惑ったように返事をした。

「僕は嬉しかったです。先輩に守ってもらえて」

「守るって、ただの肝試しだろ?」

「晴先輩、僕は…。やっぱりいいです」

言いかけてやっぱりやめた。先輩にはきっと僕の気持ちなんて分かりっこないんだ。僕は黙って急ぎ足で歩き出す。

「おい、なんだよ。ってか、置いていくなよー」

先輩はずるい。そうやって僕の事もてあそぶんだ。



朋side

最後の晴さんと瞬さんのペアを送り出し、荷物をまとめ始める。数十分後にみんなが到着する頃だろう。

「いやー、本当に助かったよ。ごめんね肝試しに参加できなくて」

「全然。こっちの方が楽しかったですし。あ、でも海にはちょっと恨まれましたけど」

美花先輩に笑って返す。

「海君ものすごい怖がってたもんね。大丈夫かな」

美花先輩が心配そうな面持ちで言う。

「そこはきっと洸介さんが守ってくれますよ」

「そうだね」

2人で納得して笑った。

「そう言えば、あの、エリカ先輩のことなんですけど」

「あ、海君から聞いた?」

美花先輩が感づいたように言った。

「はい。仕事が良くできるいいマネージャーさんだったって」

「うん、私もすごい尊敬してたし、大好きだったんだけどね」

「洸介さんの元カノなんですよね。なんか、他の先輩が話そうとしないのもわかる気がします」

「1番傷ついてるのは洸介先輩だから、みんな気を使ってるのよ。きっと。でも、それはもう過去の話。次に行かないといけない時が来たと私は勝手に思ってる」

「どういうことですか」

俺は気になって聞き返す。

「洸介先輩、去年に比べてすごい明るくなったんだよ。よく話してくれるようにもなったし、毎日笑ってる」

「そうなんですね。でも、どうして?」

「海君だよ」

「え?海?」

海?ってことは…

「そう。海君が先輩を変えているんだと私は思う。だって練習中でも練習外でも笑わなかった人が海君と話すとき、本当に純粋な笑顔で笑ってるんだよ?」

確かにこの前の練習でも、先輩が洸介先輩が最近笑ってるって言ってた。

「すごいですね。あいつ」

「そうだよ。なのに、本人は弱音はいてばかりで全然いかないんだから。もっとガツガツ攻めなきゃ」

「先輩の圧力もすごいですね」

少しふざけて言った。

「ちょっとー、私は本気で言ってるんだからね」

「すみません。そんな先輩には彼氏さんとかいたりしないんですか?」

俺は少し気になり聞いてみた。

「いるよー。もう2年目くらいになるかな」

「え、いるんですか!?まじか」

「まじかって失礼な。もしかして私の事狙ってた?」

美花先輩がにやにやして聞いてきた。

「違いますって。俺にはちゃんと好きな人がいますから」

「へぇー」

先輩が興味ありげにうなずいた。

「それより、どんな人なんですか?先輩の彼氏さん」

「蒼井祐樹。サッカー部の」

「え?まじすか!?」

「そんなに驚く事かなー」

そりゃ去年のミスター彩色と付き合ってるんなんて驚くだろ。

「そりゃ驚きますよ。有名人じゃないですか」

「付き合い始めたころもそうやって、朋君みたいに結構騒がれたよ。」

美花先輩が思い出したように笑った。

「ねね、そういえば夏菜ちゃんの誕生日何あげるの?」

「え、なんで夏菜が出てくるんですか。あ、もしかして…」

海にばらされた?と思い、先輩を見る。

「私、夏菜ちゃんと結構仲良くしてるんだよ。それに、海君ともよく話すしね」

美花先輩はすべてお見通しのようだ。

「じゃあ、俺が夏菜のこと…」

「うん。だろうと思った。誕プレあげて告っちゃいなって!」

「告るって、俺がですか?」

「そうだよ。じゃないと、誰かにとられちゃうよ。夏菜ちゃんの活動グループ男子もいるみたいだし」

思わず息をのんだ。誰かにとられるのだけは嫌だ。

「でも、何あげればいいかわかんなですし…」

「大丈夫だって!うーん、私だったら普段使いできるものとか嬉しいかも」

「普段使いできるもの…」

何がある?考えを巡らせて考える。

「まあ、せいぜい悩みなさい。先輩はいつでも相談に乗ってあげるから」

頭の中でぐるぐると考えている俺の肩を軽くたたきながら先輩が言った。

「あ、ちょっと待ってくださいよ」

そう話しているうちに宿に到着し、景品の準備をする。

 

「やっと着いたー。結構暗くて思ったより楽しかったね」

「おかえりなさい。はいこれ、景品です」

1組目を皮切りに続々と到着するペアに景品を渡し、懐中電灯を回収する。そろそろ海たちの番か。

「ふー、意外と早く着いたな」

「結構歩いたじゃないですか」

「あ、朋ただいま」

「おかえり。圭斗と優さん、海と洸介さんのペア抜いたのか?」

なのに、海たちより後に出た圭斗と優さんが早く宿に帰ってきた。

「え?海?見てないけど。もしかして道に迷った?」

「いや、それはないだろ洸介と一緒だし」

なんか嫌な予感がする。フラッシュバックが起きなきゃいいけど。先輩たちと相談してとりあえず全員が戻ってくるのを待つことにした。

 

「もー、めちゃめちゃ怖かったー」

「ただいまー」

最後に出発した晴さんと瞬さんが到着した。

「大丈夫。いなくなることはないって」

「いや、それは分かってるけど…」

洸介さんがついてるからそれはないと分かっているが、どうしてもフラッシュバックの事が頭によぎる。起きてないといいけど。

「おい、あれ洸介じゃね?」

「ほんとだ。海を背負ってるぞ」

その時、2人が現れた。海は洸介さんの背中にうずくまるようにして乗っていた。急いで2人に駆け寄り、声をかけた。

「おい、海大丈夫か?って寝てる?」

「ほんとだ。おい、海起きろー」

「圭斗が海を起こそうと肩を揺らした」

「疲れてんだろ。部屋に連れてく」

洸介さんが圭斗の手を止める様に言った。

「そうですね。今はそっとしておいた方がよさそうですね」

美花先輩が言い、2人は中に入っていった。

「とりあえずは安心だな」

「はい」

海は眠っていたがとりあえずは落ち着いているようで安心した。



洸介side

スタートから5分程、進むにつれて辺りも暗くなってきた。

「まだ橋には着きませんか」

「まだまだだろ。ていうか、さっきからそれしか話してないじゃん。って顔色悪すぎ。大丈夫か?」

振り返って海の顔を見ると真っ青だった。

「あ、僕は大丈夫です。歩けてますし」

「バサバサ」

その時。鳥が一気に飛び立つ音が山に響いた。

「うわあ!無理!」

そう叫ぶと海はいきなり走り出し、登山コースの方へと入って行ってしまった。

「おい、海!そっちは危ないからダメだって!」

急いで海を追いかけて、引き留める。海の腕は震えていて、目には涙が浮かんでいる。

「ううー」

「海?大丈夫か?」

木の下にうずくまる海に声をかけるがずっと震え、泣き続けている。

「ふっ、ううー。ズズ」

「海、とりあえずみんなのとこに帰らないと」

そう言って海の肩を抱いて立ち上がらせようとする。

「せ、先輩、ぼ、僕、腰抜けたかも。立てない」

海が今にも消えそうなか細い声で言った。

「じゃあ、おんぶするから乗れ」

そう言って、海の前にしゃがみ込む。

「え、でも…」

「いいから。ほら早くしないと心配される」

「…はい」

「よいしょっと」

ためらう海を半ば強引に背中に乗せ、歩き出す。

「ごめんなさい。黒川先輩、ありがとうございます」

「ああ。もう大丈夫か?」

「はい。先輩の背中気持ちいいです」

「そうか?前からああいうのあったのか?」

「…」

「おい、海、聞いてるか?」

「すーすー」

急に黙った海に声をかけると規則正しい寝息が聞こえてきた。

「寝てるのかよ」

合宿始まってからちゃんと寝れてなかったみたいだし、疲れてるよな。背中に乗ってる海を気にしながら、宿の方へと歩き出した。

 

ベッドに海を寝かせて、シャワーに入る。はあ、海大丈夫か?今日は俺がついてた方がいいよな。

「海、体拭くぞー」

「ん、黒川、先輩?ありがとうございます」

「ああ、ほら服脱いで」

まだ半分寝ているようなトロっとした目をしている海。そんな海の身体を拭いてきれいにしていく。

「よし、終わり。水飲める?」

「はい」

まだ眠たそうな目をしている海に水を渡し、立ち上がる。

「黒川先輩、どっか行っちゃうんですか?」

海が俺の手をつかんで言った。ドキッ。なんだこの感情。

「どこって」

「どこにもいかないで」

海が俺を引き留めるように言った。

「大丈夫。俺はここにいるよ」

海のベッドのわきに座り、海の手を握り返して言った。すると海は安心したかのように再び眠りについた。



海side

頭痛い。頭をおさえながら体を起こした。なんか手にぬくもりを感じる。

「黒川、先輩?」

先輩が僕の手を握り、ベッドに寄りかかるようにして寝ていた。きれいな顔だな。そう思って先輩の頬に触れる。

「んん」

先輩が動いて慌てて手を離す。

「お、おはようございます」

「おはよう。もう大丈夫か?痛いところは?」

「少し頭痛がしますけど大丈夫です」

「あんまり無理するなよ。俺は朝練行ってくるから」

先輩は僕の頭を撫でて言った。

「あ、僕も」

そう言い、ベッドから出ようとしたが先輩の手によって止められてしまった。

「だめだ。海は休んでて」

「え、でも…」

美花先輩に迷惑かけちゃう。

「ここで無理してまた倒れられても困るだろ。病人はおとなしく寝てること。わかった?」

「はい。ごめんなさい」

先輩に押し切られ、再び布団をかぶる。

「ならよろしい。朝食の時間になったらまた起こすからゆっくり寝てて」

「はい」

そう言うと先輩はジャージに着替えて、朝練に行ってしまった。まだ残っている先輩の手の温かさを感じながら再び眠りについた。



洸介side

「海はどうだ?」

「少し頭痛がするって。まだ疲れてるみたいだから、朝食まで寝かせてる」

早朝練が始まり、ジョグ中に優が声をかけてきた。

「で、何があったの?」

「何がって?」

「だから、肝試し中にだよ。なんで海が洸介におんぶされて帰ってきたのか気になるだろ」

「ああ、怖かったらしい。フラッシュバックみたいな感じだと思う。それで、腰抜かして立てなくなったからおぶったんだ」

「そんなに深いトラウマがあったのか…」

「ああ。そうみたいだ」

そこは俺も気になってるところだけど、海に直接聞くのはなんか気が引ける。

「まあ、そのうちわかるんじゃない?そうだ、朋に聞いてみたら?あいつかいと小学校からの幼馴染みたいだし、なんか知ってるかも」

「うん。そうしてみるよ」


「海、朝ごはんだよ。ほら起きて」

「黒川先輩?」

早朝練を終え、部屋に戻ると朝食のために海を起こす。

「ああ、ご飯食べられるか?」

「食べれます」

「じゃあ、着替えてきて」

「はい」

先輩が起こしに来てくれた。ちょっと休んだからさっきよりも楽になった。急いで着替え、食堂へ向かう。

「海君!大丈夫?もー、心配したんだから」

「美花先輩、迷惑かけちゃってすみません」

「私は全然大丈夫だから。ほら、ご飯できてるから早く食べちゃって」

「ありがとうございます」

美花先輩に言われて席に着き、食事を始める。


「今日の午前練は最後の走り込みになる。帰りのバスは午後2時には出発するから朝食片づけたら荷物まとめておけよ」

「「「はい」」」

監督の話が終わり、片付けを始める。今日で合宿は最後だ。長いようであっという間だったな。月末には選手権が控えてるから、みんなこの合宿で切替ができただろう。



朋side

午前練習が終わると昼食を取り、各々部屋で荷物をまとめ始めた。俺は洸介さんを呼び出した。

「急にどうしたんだ?」

「洸介さん、昨日の海のことなんですけど、もしかして発作起こしてませんでしたか?」

「ああ。気になってたんだ。何か過去にあったのか?」

やっぱり。

「小学校の時の自然教室でちょっと…」

俺は海のトラウマについて洸介さんに説明した。先輩になら大丈夫だよな。

「そうか、そうだったのか。でも、夜は暗くても大丈夫そうだったけど」

「夜の暗さは大丈夫そうに見えるけど、少し無理してると思うんです。何かに囲まれたり暗闇に覆われたりすると発作起こして動けなくなるんです」

「そうだったのか。でもなんで俺にこの話を?」

「だって洸介さん、海のこと好きですよね?」

「は?急に何言ってんだよ。そんなわけ…」

「あります。だって洸介さん、練習中とか気づいたら海のこと目で追ってるし、それに、俺とか圭斗に話しかけるときは大体海のことですよね。それに今だって、海のことこうして心配してるじゃないですか。今までこんなことあってもそんなに興味持ってなかったのに」

「そ、それは…」

洸介さんは口ごもった。きっと図星だ。

「洸介さん、海のことただの後輩とは違う感情で接してません?」

俺と圭斗は結構前から感ずいてはいたんだ。2人が両想いなんじゃないかって。

「それが好きっていうのか?それが恋なのか?」

「誰かの事が頭から離れなくて、その人に会うとドキドキして、守ってあげたくなったり、気分が楽になったりするのが恋だと思いますよ。いい加減自覚してください」

「そうか、そうだったのか」

「おーい、もうすぐ出発だから急げー」

「はーい」

部長のコールに返事をし、時間を確認する。

「じゃあ俺、部屋に戻りますね。あ、洸介さん、今月末の選手権の次の日、海の誕生日です。ちゃんと祝ってあげてくださいね」

そう言うと先輩を置いて、そそくさと部屋に戻った。先輩無自覚すぎ。2人して初心すぎなんだから。


「おかえり、どうだった?」

「うん、やっぱり、海は発作を起こしてたみたいだ。それよりも、これで確信ができたぞ」

「ん?なんの?」

「洸介さんだよ。あれは絶対黒だって」

俺は今の話を圭斗に話した。

「まじか。ってか、2人ともうぶすぎ。小学生かよ。やっぱり俺らがいないとな」

「それな。それより、優さんとどうなの?この合宿中、常に一緒にいたし、いつのまに仲良くなってるし」

「は?なんもねえよ。ほら、バス乗り遅れるぞ」

「あ、ちょっと待てって。詳しく教えろよ」

荷物を持って逃げるように部屋を出た圭斗を追いかけた。いつか圭斗も素直になれるといいな。



海side

僕たちを乗せたバスは2時間ほどかけて見慣れた街へ帰ってきた。

「あー、やっと着いたー。てか、暑すぎて溶けちゃう!」

「圭斗、口はいいから手を動かしてよ」

「海はまだ全快じゃないんだからあんまり無理させるなよ」

「分かってますって」

さっきからぐうたらしてる圭斗に声をかけると近くて作業していた優さんがやってきた。

「分かってるなら早く動くこと。ほらこれ持って行って」

「うう、僕の扱いひどくないですか?」

「なんか言ったか?圭斗君?」

「何にもないです!持っていきます!ほら、海行くよ」

「あ、うん」

圭斗について荷物を運ぶ。

「ねえ圭斗、圭斗っていつの間に優先輩と仲良くなったんだね」

「そうでもねえよ。なんで海まで同じこと…」

「そんな顔しなくたっていいじゃん。圭斗はきっと優先輩のこと好きになり始めてると思うよ」

圭斗の優先輩を見る表情を見たらそんな気がした。

「そんなすぐになんて逃げてるみたいにならないか?」

「え?」

圭斗の唐突な質問に驚いて聞き返した。

「だって、俺この前まで滝さんのこと好きだったんだよ?なのにそんな早く切り替えたりしたら、逆に迷惑だし、誠意がないだろ」

「圭斗…」

そんなこと考えてたんだ。全然知らなかった。確かに失恋したばかりはどんな優しさも心を揺らすって言ってたね。

「俺は先輩を悲しませたくないんだ」

「そっか」

「うん。なんかごめん。急に暗い話しちゃって」

「全然いいよ。僕も圭斗に話振っちゃったわけだし。でも、なんかあったら相談してね。朋もいるし、力になれることがあれば言ってね」

「うん。ありがとな」

圭斗は意外に真面目なところあるし、きっと優先輩のことも大事にしたいんだよね。圭斗の優しさを改めて感じた。


バスから荷物を運び終わり、解散の声がかかった。

「よし、俺らも帰るか」

「うん。帰ろっか」

「なんか久しぶりだな。3人で帰るの」

「そうだな。学校では一緒にいるくせに登下校バラバラだもんな」

くすっと笑いながら圭斗が言った。確かに3人で帰るのなんていつぶりだろう。

「海はいつも洸介さんだし、圭斗もバイトで途中で抜けるし、俺はいつも1人なんだから。俺の気持ちも考えてくれよ」

「ちょっと待った。1人って、夏菜とは帰ってないの?」

「あ、それは、その…」

「え、もしかして朋、夏菜ちゃんのこと…」

「僕たちのことでいっぱいだったけど、朋が1番進んでるんじゃないの?」

圭斗と僕は探るように朋を見た。

「ああ、そうだよ。なんか文句あるかよ」

「へえ、そうだったのか。で、誕生日にでも告るつもり?」

こうなると圭斗からの質問攻めは止まないだろう。まあ、頑張れとも。言い合っている2人を置いて先に歩き出した。

「あ、海待てって」

「おい、おいて行くなよー。それよりも洸介さんと帰らなくてよかったの?」

「いいのー。2人といる時間も大事だし。楽しいもん」

時には友情も大切にしろって2人が言ったのに、忘れたの?そんな言葉は飲み込んで久しぶりの3人の帰路は楽しくて、変わらない2人の明るさが僕を笑わせて、笑顔にしてくれた。















 選手権


海side

選手権初日。合宿から約3週間。いよいよこの日がやってきた。各競技、上位入賞で全国大会への切符を手にすることができる。

午前中は黒川先輩が幅跳びに出場し、見事全国への出場を手にした。

「先輩、全国、おめでとうございます」

「ありがとう。でも、自己ベストで跳べなかったから、もう少し、調整が必要そうだよ」

「全国に向けて僕もサポートするのでなんでも言ってくださいね」

「ああ。助かるよ」

「はい!」

黒川先輩は少し、結果に納得がいっていないみたいだったけど、とりあえず通過点はクリアしたから、安心しているようだった。


「あー、緊張する。ねえ、どうしよう。俺ハードル全部倒しそうだよ」

午後にある圭斗と優先輩のハードルの競技開始を前にして、不安そうな様子の圭斗がつぶやいた。

「何言ってんの。高校の時だって全国に行ったとき、全部きれいに跳べてたじゃん。ほら、肩の力落として、深呼吸、頭の中でイメージ作ってその通りにやればいいよ」

「やっぱり持つべきものは腕のいいマネージャーだな。ほら、コール始まるから行くぞ」

「はい」

「圭斗、ファイトだよ」

「うん」

優先輩がやってきて、圭斗を連れていく。高校の時から変わらない圭斗の緊張具合に思わず笑みがこぼれる。周りがああいわないと切り替えができないのも変わってないな。

「あいつ、本当に変わんないな」

「それな。それに今日は優先輩もついてるから安心のはずなのに」

やはり、朋も同じことを考えていたようだ。あの、震えが直前で収まればいいけど。そんなことを思いながらスタンドに上がる。

「朋は明日の調整どう?さっきのアップは調子よさそうだったけど」

「いつも通りかな。良すぎず、悪すぎず。明日も落ち着いて走れそうだよ」

「うん、それが1番いいね。朋はメンタルをコントロールするのも上手だから、リラックスして走っておいで」

「大丈夫だ。お前みたいにピットで震えたりしねえから」

「はいはい。もう過去の事は置いておいて」

僕は大会のたびにメンタルやられて、いつも震えながら跳んでたな。なんだか懐かしい。そんなこともあったな。

「そう言えば、洸介さんどうだった?俺、朝からアップで結果まだなんだ」

「2位で全国決まったよ。記録も自己ベストに近いのを跳んでたし、跳躍自体も安定してたから落ち着いて跳べてたと思う」

「さすがの分析力だね。先輩の事よーく見てるもんね」

「うるさい。ほら、始まるよ」

朋と話してるうちにあっという間に圭斗たちの出番が来た。良かった落ち着いてる。トラックに立った圭斗の表情に胸をなでおろす。

「落ち着いて走れてたな。記録はちょっときついか」

「うん。でも、順位は守ってるから大丈夫。次の組次第かな」

優先輩は1位で全国大会出場を決めたが、圭斗はギリギリのところで落ちてしまった。


「お疲れ様」

1人座っている圭斗にアイシング用の氷を渡す。

「記録、全然だめだった。それにバランス崩したし、もう最悪」

「そんなことないって。タイムはいつもと同じくらいだし、ここでの悔しさを次にもっていかなきゃ」

「分かってるよ。でも、大学は高校までと違ってレベルが高すぎんだよ。マジで。この焦りが分かるかよ」

「…ごめん。でも、圭斗は頑張ってるから。大丈夫だから」

そう言って圭斗の肩に手を置いた。が、それは圭斗によって振り払われてしまった。

「ごめん。1人にしてくれ」

「分かった」

圭斗を1人置いて、その場を離れた。僕にはわからない。みんなが今どんな気持ちでここに立っているのか。どんな気持ちで上を目指しているのか。あきらめて、やめてしまった僕とは違うんだ。みんな真剣に競技と向き合ってる。僕も、ちゃんと周りを見て、みんなをサポートしてあげなきゃ。

「大丈夫か?圭斗は俺がついてるから」

「すみません。お願いします」

席を立ち、圭斗の隣を離れると、優先輩が声をかけてきた。ここは先輩に任せておこう。

「海、大丈夫か?圭斗なんだって?」

「僕は大丈夫。圭斗は、ちょっと記録が悪くて落ち込んでるだけだよ。ほら、僕もよくあったでしょ。人に当たりが強くなっちゃうこともあるから、今はそっとしておこうと思って」

「そっか。そうだな」

圭斗を心配する朋に説明をして応援に戻る。僕にはわからない、か。さっきの圭斗の言葉が頭の中でリピートされる。僕は逃げたのか?いや、違う。僕は逃げたんじゃない。諦めざるを得なかったんだ。ふと、当時の事が思い出され、胸が苦しくなる。僕はまだやりたかった。僕はまだ跳び続けたかったんだ。

「大丈夫か?ほら、これ使って」

「え?」

さっきまでストレッチをしていた黒川先輩が隣に座っていた。

「海、泣いてる」

「あ、ごめんなさい。ありがとうございます」

「無理すんなよ。倒れたりしたら大変だ」

「もう大丈夫です」

「それならいいんだけど。明日のリレーもサポートよろしくな」

「はい、もちろんです」

先輩と話すとなんだか気持ちが楽になる。先輩に笑顔で返し、席を立つ。

「あのさ…」

急に腕を引いて先輩に呼び止められる。先輩の顔が近すぎて一瞬思考が停止する。

「えっ…」

至近距離にある先輩の顔はもちろんきれいで、その目に引き込まれていく。

「あ、えっと…」

慌ててお互いに距離を空けて顔をそらす。

「せ、先輩?どうしたんですか?」

「あ、いや、その…。やっぱ何でもない。明日よろしく」

先輩は何か言いかけて速足で行ってしまった。

「はい、わかりました」

つぶやいた僕の声は周りの音にかき消されてしまった。先輩は何を言おうとしたんだろう。


地方大会初日、大学に入って初めての大きな大会だったけど無事に終了した。初日の結果は黒川先輩、優先輩の全国出場に加えて、女子のリレーも全国出場を決めた。

「海、明日はよろしくな」

「うん、任せて。朋の方こそ頑張ってね」

「おう」

明日はいよいよ長距離メンバーの出場と男子のリレーがある。朋は800mに出場するから明日の第1種目だ。朋は陸上を始めた時から大会では落ち着いていて緊張しているそぶりが全くない。そういうところ本当に尊敬する。

「海、ちょっといい?」

「うん」

圭斗に声をかけられ、集団を抜ける。

「もう大丈夫?」

「ああ。あのさ、さっきの事、ごめん。言い過ぎた。海は何も悪くないのに」

「ううん。もう過去のことだし。今はこっちの方が向いてるって思うんだ。だから大丈夫」

嘘は言ってない。本当にマネージャーっていう仕事が好きだし、もちろん競技を続けられなかったのは悔しいけど、みんなの頑張っている姿を応援するのが好きなんだ。

「そっか」

「ほら、いつまでもそんな顔してないで早く帰るよ。明日はちゃんとみんなの応援頑張ってよね」

「分かってるよ。海、ありがとな」

「何急に?」

「いや、いつも支えてもらってばっかだなと思って」

「どうしたしまして。次こそはちゃんと記録出して、恩返ししてください」

「おう!まかせろ!」

本当は悔しい気持ちがあるけど、今は選手たちを支えて、応援している方がやりがいを感じる。やっぱり僕は、陸上が、この仲間たちが好きなんだ。

 

地方大会2日目。朝だというのに昨日と同じくらいの日差しが照り付ける中、競技が始まった。

「海、ちゃんと来たよ。もう、早起き大変だったんだから」

「こっち座って。あと10分くらいで始まるよ」

「うん」

「え、夏菜ちゃん?なんで?」

「朋の応援、来たかったんだって」

「は?2人ってもしかして…?」

「なんもないから。圭斗は黙ってて」

「ほんとに?夏菜、いつの間に?」

怪しいと思ってた2人だが、付き合い始めるのはもうすぐだろう。

「あ、出てきたよ。始まる」

話を遮られ見事に無視をされる。


朋の競技が始まり、カメラを構える。

「本当にすごいんだね」

競技を観戦し終えた夏菜は感心していた。

「朋の成績が1番いいかも」

朋は組で1番、タイム的に見ても3位には入るから、全国大会は間違いないだろう。

「さすがだな」

「うん」

「ねえ、これ朋に渡しておいて。じゃあ、私はこれで」

そう言い、席を立つ夏菜。急いで夏菜の腕をつかみ引き留めた。

「すぐ帰ってくると思うから自分で渡しなよ」

「そうだよ。俺らが渡したところであんま喜ばないと思うし」

「そうかな。じゃあ、もう少しだけ、いようかな」

再び、席に座る夏菜を見て圭斗とハイタッチを交わす。


朋side

「ただいまー、って夏菜?」

競技を終え、スタンドに戻ると夏菜がいた。

「お、帰ってきた。じゃあ、僕たちリレーのサポートあるから」

「ごゆっくり~」

海たちが席を立ってそそくさと行ってしまった。

「来てくれてたのか」

「あ、うん。お疲れ様。これ、差し入れ。良かったら」

「ありがとう」

「じゃあ、私はこれで」

「ちょっと待って」

すぐに帰ろうとする夏菜の腕をつかみ、引き留める。振り返った夏菜との距離は近くて一瞬呼吸を忘れた。

「えっと…」

「あ、ごめん」

パッと夏菜の腕を離し、少し距離を取る。

「どうしたの?」

「あのさ、明日時間ある?ご飯でも行かない?ほら、今日のお祝いにさ」

照れ隠しで誕生日祝いなんて言えないけどなんとか誘えた。

「いいよ」

「え?」

今なんて?信じられなくて聞き返す。

「だから、お祝いしよ?」

「ほんとに?」

「うん」

「じゃあ、場所はまた後で連絡する」

「了解。じゃあ、私そろそろ行くね。連絡待ってる」

「うん。ありがとな」


「よっしゃ!」

夏菜を見送り、一人ガッツポーズをする。

「良かったじゃん。おめでとう」

「ありがとうございます」

そばで見ていた美花先輩が声をかけてきた。

「洸介先輩も海君が明日誕生日なの気づいてるといいけど」

「どうですかね。一応伝えたんですけど…」

「そうなの?じゃあ、大丈夫だね」

「だといいんですけど…」

合宿でのこと洸介さんが覚えてたらいいんだけど。そう願った。


海side

地方大会2日目はリレーメンバーをはじめとする選手たちの全国大会出場が決まった。やっぱり強豪校出身の実力者ぞろいだということがよくわかる。黒川先輩たちが出場したリレーやマイルも創部以来の新記録で優勝した。

「黒川先輩、おめでとうございます。めちゃくちゃかっこよかったです!」

競技を終え、ストレッチをして休んでいる先輩に声をかける。

「ああ、ありがとう」

「跳躍もできて走れるなんて本当に尊敬します。お疲れさまでした」

「うん。お疲れ。あのさ海、明日って暇か?」

「明日ですか?空いてますよ」

先輩の様子がいつもと違うような…。気のせいかな。

「明日、よかったら飯いかないか?いつもマネージャーとして頑張っているお礼に」

「ご飯ですか?喜んで!」

「じゃあ、場所とか後で連絡するから。また、あとで」

「了解です。じゃあ、また」

そう言って足取り軽くベンチに戻り、片付けを始める。先輩からのお誘いだ!嬉しすぎる。しかも2人きりってことだよね。こんなことってあるんだ。


朋side

「なんか、海、嬉しそうだね。いいことあった?」

「うん!それがね、黒川先輩に食事に誘われたんだ」

ベンチに戻ってきた海はどこか嬉しそうな表情をしていた。

「本当か?それは良かったな。2人きりで話せるいいチャンスじゃん。頑張れよ」

「うん!」

良かった成功したみたいで。少し照れながらも嬉しそうな海の表情を見るとこっちまで嬉しくなる。

「よかったね。友達のためにやるじゃん朋君」

「そんなことないですよ。海にはいつもお世話になってるんで。それに、絶対両思いだと思うんですよね。あの2人」

「それ私も思った。あの洸介先輩の海君を見る目はマジだよ。絶対」

美花先輩と海の恋愛成就を願った。うまくいくといいな、海。


海side

翌日、昨日は緊張であまり眠れなかった。今日だって朝は早く目が覚めちゃうし、服装も決まらない。ああ、どうしよう。

「海、これとこれどっちがいいと思う?」

「こっちかな。朋の好みにも合いそうじゃない?」

「オッケー。それじゃあ、海はこれとこれね」

「え?」

「今日あのかっこいい洸介先輩とデートなんでしょ?」

夏菜がにやにやしながら聞いてきた。

「なんで?」

なんでそれを知ってるの?もしかして朋?

「なんでっていつも陸上部に見学に行ったとき、海、洸介先輩の事ずっと見てるんだもん。それに昨日だって先輩と話しただけで赤くなってたでしょ。それに、朋も応援してたし」

鋭い。さすがは夏菜だ。夏菜には逆らえないよ。

「そうだよ。でも僕が好きでも黒川先輩が僕を好きじゃなかったら意味ないんだよ。今までもそうだったし」

ふと、僕は心の声を漏らしていた。今まで好きになった人はいたとしても、結局は気持ちを伝えられずに終わっていったのだ。その方が相手に迷惑にならないし、自分も傷つかないで済むから。

「そんなこと言わないで。洸介先輩優しそうだったし、大丈夫だと思うよ?それに、もしなんかあったら、私が懲らしめてやるんだから」

「ははっ。やっぱ夏菜サイコー。持つべきは双子の妹だな」

夏菜の意気込みに笑って答えた。こうやって恋に悩む僕をいつも元気づけてくれる。

「こっちは真剣なんだからね。まあ、海が笑えてるなら、私はそれでいいと思うよ」

「うん、ありがとう」

夏菜は僕を心配してくれてるんだと思う。恋をしても、未練が残ったままで、失敗の方が多い僕を慰めてくれている。


「早く来すぎたかな。」

先輩に指定された時間よりも30分も早く着いてしまった。集合時間は夕方なのに、朝早くに目が覚めちゃうし、家にいてもそわそわしてるだけで、落ち着かないなら早く行きなと夏菜に背中を押され半ば強引に家を追い出されてしまった。

「はあ、こんなに緊張して僕大丈夫かな」

1人ため息をつき、辺りを見回す。先輩はまだ来てなさそうだ。

「お兄さんかっこいいね。私たちと遊びに行かない?」

「すみません。連れを待っているので」

「そんなこと言わないで。ほら、行こ?」

今時逆ナンなんてあるのかと声のする方に視線を向ける。

「え、黒川先輩?」

そこにはきれいなお姉さんに囲まれた先輩が1人立っていた。

「あ、海。ごめん、待った?」

「あ、今来たところです」

「そっか。じゃあ、行こうか」

そう言うと先輩は僕の手を引き、歩き出した。

「あ、はい。」

「えー、もう行っちゃうの?さみしいなー」

「ねえ、君も一緒に遊ぼうよ。いいでしょ?」

「すみません今日は大事なようなので、他をあたってください」

「えー、しょうがないかー。もう行こ」

黒川先輩がそう言うときれいなお姉さんたちはどこかに散っていった。

「あの、先輩、手…」

「あ、ごめん。嫌だったか?」

「え?いや、そうじゃないですけど」

さっきから僕の意識は先輩につながれている右手に集中している。

「じゃあ、いいじゃん」

え?本当に?僕、先輩と手つないでいいの?嬉しくなって先輩につながれた手を握り返す。

「今日はどこに行くんですか?」

「ん?海がこの前好きって言ってたイタリアン」

「もしかして、ローズですか?」

「そう」

「やった!しばらく行けてなかったから嬉しいです」

「良かった。俺も食べてみたくてさ。喜んでもらえて嬉しいよ」

ローズは高校時代からの行きつけのイタリアンレストランで大会終わりはいつもそこでご飯を食べていた。先輩と行けるなんて嬉しい。


「初めて来たけど、おいしかった」

「そうなんですよ。僕も初めて来たときに病みつきになっちゃってそれからずっと通ってるんです」

「確かに。今度、ほかの料理も試してみたいな」

「ぜひ、食べてください。僕が作るわけじゃないですけど」

「そうじゃん」

先輩と笑い合い、目が合った。ドキッと僕の心臓が音を立てるのが分かる。

「あ、えっと…この後どうします?」

「行きたいところあるんだけどいい?」

「はい」

お店を出ると、先輩と肩を並べて歩き出した。8月も下旬とはいえ、夜でもまだ蒸し暑さが残っている。

「ここですか?」

僕は目的地に着くと無意識にそんなことを聞いていた。

「うん」

着いた場所は競技場だった。ここの競技場は僕が中学から高校時代までよく自主練で使っていた。結構な穴場なのに先輩はどうして知っているの?

「どうして競技場?」

「海さ、ここでよく練習してなかったか?」

一瞬時が止まったかのように、僕を見つめる先輩の目に吸い込まれる。

「な、何言ってるんですか。僕が陸上なんて…。運動音痴なの知ってますよね」

必死でごまかして、逃げ道を探す。やばい。これ絶対もうばれてるじゃん。

「嘘はつくな。俺はずっと見てた」

「え?」

先輩に肩をつかまれ再び目が合う。ずっと見てたって、僕を?

「俺、高校の時自主練で時々この競技場使ってたんだ。先輩から教えてもらった穴場スポットでさ、幅跳びのピットも整備されてるし使いやすくて」

「そう、だったんですね。でも、どうして僕のこと知ってるんですか?」

「高校時代、俺軽くスランプになってた時、体だけは動かそうと思ってここにきて走ってたんだ。その時、偶然幅跳びの練習してる人がいて、その人、俺に跳躍が似ていたし、フォームきれいだったから声かけたんだ。どうしてそんなにうまく跳べるんですかって。そしたらその人、笑ってさ、楽しんで跳べたらそれが1番いい跳躍ですって言ったんだ」

「え、それって…」

「そう。海だよ。俺、海がそう言ってくれたからもう1度、1から楽しんで跳ぼうと思えたし、ちゃんと自分と向き合えたんだ」

思い出した。あの日、まだ僕が跳べていた時、競技場でしかも練習中に声をかけられるなんて初めてだった。先輩だったんだ。

「黒川先輩だったんですね。あの時の人は」

「ああ。俺も、最近気づいたんだ。やけに幅跳びだけに詳しいし、あの時の影によく似ていたから。それに…」

「それに?」

「偶然聞いたんだ。その、朋と圭斗が話してるの」

「え」

「それで確信着いた。でも、なんでやめちゃったんだ?記録は悪くなかったんじゃないのか?」

「えっと…」

どう答えればいいかわからない。先輩には言わなくちゃ。

「ごめん。あんまり話したくないよな」

「いえ。実は僕、生まれつき足首の骨が弱くて、小さいときから運動は控える様に言われてたんです。でも、小学校に上がってからだんだん良くなって、運動もみんなと同じくらいできるようになって、中学で幅跳びを始めたら才能開花みたいにぐんぐん記録が伸びていったんです。でも、高校に入ってからまた、それが悪化しちゃって」

「そうだったのか」

先輩は黙って僕の話を聞いてくれた。

「僕、もっと跳びたかったし、もっと走り続けたかったんです。でも、できなくなっちゃいました。走るだけで激痛が走って、選手権直前に歩けなくなってました。僕、僕は」

「もういい」

「僕、僕は…」

話そうとしてるのに、うまく言葉が出てこない。

「もういいから。それ以上は何も言うな」

気づいたら涙が出ていて、先輩は泣きじゃくる僕を抱きしめて包み込んでくれた。先輩の腕の仲はなぜか落ち着いて、僕の古傷を癒してくれるようだった。


「落ち着いたか?」

しばらくして、先輩が声をかけてきた。

「はい。もう大丈夫です」

「もうこんな時間か。送っていくよ」

「ありがとうございます」

先輩の言葉に甘えることにした。なぜだか、今は1人でいたくない。

「あのさ、さっきはごめん。俺が変なこと聞いたから。その、困らせて」

先輩が突然謝ってきた。

「先輩は悪くないですよ。僕が勝手に泣いたんですし。それに、黒川先輩に話して少しほっとしたんです」

「え」

「正直、陸上ができなくて苦しいはずなのにマネージャーとして陸部に入るなんて、自分の首を絞めてるのと一緒で、苦しくて苦しくてたまりませんでした。僕はもう何もできないんだって、突きつけられてる気がして」

先輩は黙って僕の話を聞く。

「それでも、僕はできなくても、選手が、みんなが僕に代わるように活躍してくれて、それが嬉しかったんです。今は、みんなをサポートして、応援することがすごい楽しいんです」

「そっか。そうだったんだな。俺ら選手も感謝してる。ありがとな」

「はい。黒川先輩が僕にあの頃の僕を思い出させてくれてよかったです。陸上が純粋に好きだと改めて感じられて、嬉しかったです。だから、謝らないでください」

「うん、わかった。海がそう言うなら」

そう言って先輩は僕の頭を包み込むように撫でた。

「海、また俺の練習見てくれるか?」

「はい、もちろんです」

再び2人並んで歩き始めてから先輩がつぶやいた。

「良かった。ありがとう」

「全国に向けて頑張りましょう。黒川先輩なら大丈夫です」

「おう。あのさ、海」

「なんですか?」

「俺の事も名前で呼んでよ」

僕の目を見つめる先輩の目は真剣そのもので目をそらせない。

「えっと…」

「ほら早く」

僕のその言葉を催促するように先輩が近づいてくる。心臓が跳ねる音が聞こえる。

「こ、洸介、先輩?」

「ん、よくできました」

そう言うと先輩は僕の頭をクシャっと撫でた。突然のことに頭が追い付かない。恥ずかしすぎて頭がパンクしそうだ。

「海?ほら行くぞー」

「あ、待ってくださいよ」

先行く先輩の背中を急いで負った。


「じゃあ、今日はありがとうございました。また、明日」

「海、ちょっと待って」

家に着き、先輩にお礼を言って、家に入ろうとすると、先輩が僕を引き留めた。

「どうしたんですか?」

「左手、出して」

「左手ですか?」

「ちょっと目つぶってて」

「はい」

先輩に言われた通り左手を出し、目をつぶる。すると何か冷たい感触がした。

「はい、目開けていいよ」

「これ…」

左手には先輩がいつもつけているブレスレットがついていた。

「誕生日プレゼント。遅れちゃったけどまだ終わってないよね」

先輩が時計を確認しながら言う。

「いいんですか。大切なものなんじゃ…」

「大切だからだよ」

「え」

先輩の目が僕の目をしっかり捕らえて離さない。

「大切だから、海に持っていてほしい。持っていてくれる?」

「はい、もちろんです。ありがとうございます」

嬉しい。先輩にそう思ってもらえてるなんて。一生分の運を使い果たした気分だ。

「じゃあ、また明日な」

「はい。また明日」

先輩を見送り玄関の扉を開ける。

「おかえりー。お風呂空いてるわよ」

「あ、うん」

母さんがリビングから声をかけてきた。

「はぁー」

湯船に浸かり1日を振り返る。先輩と話したこと、もらったブレスレットのことを思い出し、頬が緩むのが分かる。

「洸介先輩、やっぱりかっこよかったな」

思わずひとり言が漏れた。こんなに幸せな誕生日はない。


お風呂から上がり、うきうき気分のままベッドに飛び込んだ。携帯を手に取り先輩にメッセージを送る。

『今日はありがとうございました。嬉しかったです』

『こちらこそ。これからもよろしくな』

『はい!もちろんです。おやすみなさい』

『おやすみ』

先輩とのやり取りを終えて布団に潜る。今日はいい夢が見れそうだ。


2日間のレストを挟み、今日から練習再開だ。9月に入ったとはいえ、日差しはまだまだ強い。

「ああー、しんどい」

「頑張れ圭斗。夏はまだまだ続くよ」

走り終えてベンチに駆け込んできた圭斗に氷を渡しながら言う。

「レスト明けすぐ走り込みとかありえないだろ。筋トレかとと思ったのに」

「そんなこと言うなって。地方大会で痛い思いしたのお前だろ」

「分かってますよ」

べーと言わんばかりに優先輩を睨む圭斗。相変わらず仲いいな、この2人は。

 

練習を終え、更衣を済ませて、出口に向かう。

「え、夏菜?どうしたの?授業は?」

「今日は教授が早く切り上げてくれたの。えっと、朋いる?」

出口を出ると夏菜が立っていた。それに、朋って…。

「え、朋?さてはお前らやっぱり…」

「ごめん夏菜、お待たせ」

2人を問い詰めようとしたところで朋がやって来た。

「うん、大丈夫。帰ろっか」

「ああ」

2人はまるで僕たちがいないかのように話している。

「ちょっと待ったー。2人はいつからそうなったの?」

「もしかして誕生日の日、夏菜が遅かったのって…」

ドっ直球な圭斗に便乗して僕も聞く。

「そう、その日に告白されたの」

「「おおー」」

「やるじゃん朋」

「いや、これ人に聞かれんのはずいわ」

「じゃあ、先に帰るね」

「どうぞどうぞ」

2人を存分に冷やかしたところで送り出した。

「それで、海はどうだったの?」

「どうだったって何が?」

「先輩と食事、行ったんだろ」

「あ、うん。楽しかったよ。それに…」

「それに?」

「これ」

僕は先輩にもらったブレスレットを圭斗に見せた。

「あ、それってもしかして…」

「そう。先輩がくれたの。大事にしてほしいって」

「海、よかったな。海が幸せそうで、俺も嬉しいわ」

「うん。あとね…その…」

「なんだ?」

「先輩、僕が幅跳びやってたこと知ってた」

「は?まじかよ。どうやって?」

僕は誕生日にあったことを圭斗に話した。

「だから、そのブレスレットね。アクセサリーなんてつけない海がめずらしいと思ったんだよね。それになんか見覚えあったし」

「うん」

「それで、海はいつ先輩に告白するの?」

「こ、告白なんてしないよ!そんなこと、できないよ」

「なんで?先輩も海の事好きだと思うんだけどな。その大事なブレスレット上げるくらいだろ?」

「だって、洸介先輩には競技に集中してほしいし、部内恋愛なんて知られたら絶対叩かれるじゃん」

僕はそんな面倒なことに先輩を巻き込みたくないんだ。

「そうかな。でも、好きな人がいるって、自分が心を許せる人がいるって、すごい幸せなことだと思うよ」

「分かってる。でも、」

「はい、もう否定禁止。先輩に他に好きな人ができたらどうするの?すぐに取られて、もう海のもとには来ないかもしれないよ?」

そんなの分かってる。わかってるけど…。

「怖いんだ。先輩に嫌われるかもしれなくて」

「海、先輩は海の元カレなんかとは違う人間だ。海は先輩だけを見てればいいんだから」

「…うん」

洸介先輩は優しい。だから、僕のせいで迷惑なんてかけたくない。

「大丈夫だって。先輩はいい人だよ。それに、あんなことする人じゃない」

「分かってる。ありがと圭斗」

「おう。なんかあったらいつでも聞くから。じゃあ、また明日」

「うん。また明日」

圭斗と別れ、自宅へと続く道を歩く。

『先輩は海の元カレなんかとは違う人間だ』

さっきの圭斗の言葉が繰り返される。そうだよね先輩は先輩だもん。でも、僕なんかが好きって言って受け入れてくれるのかな。先輩は僕のことどう思ってるの?そう思いながら玄関の扉を開けた。
















 全国大会


海side

9月も下旬に近づき、いよいよ全国大会の日が今週末に迫った今日は全国大会出場する選手の出発日で、壮行会が開かれている。

「では、全国大会に出場する選手から一言ずつ。まずは洸介」

「はい。みんな、今日まで支えてくれて本当に感謝してます。マネージャーを始め、一緒に練習をする仲間にも支えられて、本当に心強いです。全国では自分のジャンプを精一杯跳んで来ようと思います。応援よろしくお願いします」

そう言うと先輩はみんなに一礼した。選手たちの拍手に囲まれる先輩の笑顔は、僕が大好きな笑顔だ。一生懸命頑張っている人はほんとにキラキラしていると感じた。あれから洸介先輩の各自練習を見たり、練習後のマッサージをしたりと、全国に合わせてコンディションを整えてきた。心なしか2人の距離が縮まった気がする。

「じゃあ、次、優」

「はい。今日は壮行会開いてくれてありがとうございます。僕は初めての全国で、緊張してるけど、自分には誰にも負けない力があることを信じて戦って来ようと思います。応援よろしくお願いします」

「圭斗、ちゃんと話した?」

拍手に包まれる先輩をじっと見つめる圭斗に話しかける。

「話したって何を?」

「応援したの?」

「したに決まってるだろ。それに優さんの方こそ大会前日は寂しくならないように電話しようとか言ってきた」

「いつの間にそんなに仲良くなったんだね」

意味ありげにつぶやくと圭斗からこぶしが飛んできた。

「うっせえ。海こそ付き添いで行くんだから、ちゃんとサポートしろよ」

「うん、任せて」

僕は選手の付き添いとして一緒に遠征に行くことになっている。マネージャーとして初めての大会が全国だなんて心配でしかないけど、頑張らないと。

「次、晴」

「はい。今日は壮行会ありがとうございます。去年に続き2年目の出場ですが、今年は賞状を持って帰ってきます!」

「「「おおー」」」

拍手と同時に歓声が上がる。晴先輩さすがだな。胸を張って自信たっぷりの晴先輩はとてもかっこよかった。

「次、瞬」

「はい。えー、今日は壮行会ありがとうございます。まさか、本当に自分が目標としていた舞台に立てることが決まって本当にうれしいです。初めての舞台で緊張していますが先輩たちに続いて、成績を残せるようにしっかり走ってきたいと思います。応援よろしくお願いします」

「「「頑張れよー」」」

「次、朋」

「はい。大学に入って、1年目で全国に行けることを嬉しく思います。まずはしっかり、自分の走りをすることを目標として、頑張りたいと思います。応援よろしくおねがいします!」

「「頑張れー」」

拍手が起こり、選手たちからの応援の言葉が飛び交う。その後も選手の一言が続き、壮行会は終了した。


「海君、これ大会の必需品ね。まとめて書いておいたから」

「美花先輩ありがとうございます。僕、本当に美花先輩なしでやっていけるか不安です」

出発直前になって美花先輩に声をかけられる。忘れっぽい僕ができるのかな。

「大丈夫だから。海くんはいつも私以上に働いてくれてるでしょ。心配しないで。それに、1日の仕事が多いわけじゃないんだし、選手たちにも手伝ってもらうといいよ」

「はい」

「ほら、元気出してマネージャーが不安そうな顔してたら、選手たちにも移っちゃうんだから。大会中は笑顔でいてね」

そう言って美花先輩が僕の頬をつまんだ。

「はい。頑張ります」


陸上部のみんなに見送られいよいよ出発した。僕はもう緊張で移動中一睡もできなかった。

「今日から泊まるホテルだ。1週間の滞在になるから、きれいに使うこと」

「「はい」」

競技場近くのホテルに到着し、部屋を割り振られる。どうやら僕は1人部屋らしい。

「海、明日のスケジュール確認したいからちょっといいか。ほかのみんなは6時の夕食まで部屋で休んでてくれ」

「はい」

監督に呼ばれ、事前に用意していたスケジュール帳に書き込んでいく。

「よし、またなんか足すところあったら言っていくからとりあえずそれでよろしく」

「はい。了解です」

「それと、結構みんな全国で、気分の浮き沈みがあると思うけど、何も言わずに見守ってやって。いろいろ仕事多いけど、頼むな」

「はい、わかりました」


監督との打ち合わせを終えて、部屋に入る。見守るか…。監督に言われた言葉を思い出す。確かに僕が選手をやっていた時に比べると、今はマネージャーの立場として何か尽くしてあげたい気持ちが大きいけど、そこは選手一人一人がコントロールしなくちゃいけないところなんだ。何とも言えない不甲斐なさを感じてしまう。

 

全国大会1日目。いよいよ全国大会の日がやってきた。今日出場するのは洸介先輩と優先輩だ。

「洸介先輩、頑張ってください。僕、待ってますから」

「ありがとう。行ってくるよ。あのさ、海、大会が終わったら、伝えたいことがあるんだ」

「分かりました」

先輩が伝えたいことって何だろう。先輩の後姿を見ながらひとり考える。

「先輩どうだった?」

「うん、ちょっと緊張してるみたいだったけど、コンディションは悪くないと思う」

スタンドに上がると朋が声をかけてきた。朋は2日目の出場だから、今日はマネージャーの仕事を手伝ってもらっている。

「そう言えば、優先輩はアップ終わったの?」

「うん。さっき着替えに戻ってきてたよ。声かけようと思ったんだけど、誰かと電話しててさ」

「それってもしかして…」

「うん。多分圭斗。僕、あの2人最近仲良すぎるように感じるんだよね」

「確かに。優さんの方が圭斗にメロメロだし。圭斗も受け入れてあげればいいんだけど」

「そうだね」

やはり、失恋してから、次の恋に進むまでは時間がかかってしまうようだ。圭斗も、先輩を傷つけたくないだろうし、傷つくのが怖くて臆病になってるんだと思う。

「あ、始まるよ」

「うん」

圭斗と話していると洸介先輩の競技が始まった。予選での記録が7m15以上の選手と、上位13名が決勝進出だ。先輩の試技順は後ろから5番目だから、自己ベスト位を跳べば、入賞が見えてくるだろう。

「頼む」

僕はカメラを持つ手に力を込めながら祈った。僕の左手には先輩があの日僕にくれたブレスレットが揺れている。パンっと踏切の音が競技場に響く。

「よし。白旗だ。フォームも悪くないんじゃないか」

「うん」

掲示板に表示される記録を待つ。記録は7m31。見事決勝進出だ。

「やった!すごいね先輩」

「うん!」

これで一安心だ。ピットに立つ先輩も、安堵の表情をしていた。

「お疲れ様です。決勝進出おめでとうございます!」

「ありがとう。緊張したけどとりあえず、安心したよ」

「跳躍の動画送っておいたので、よかったら見てください」

「ありがとう。優は?」

「30分後スタートです。まだ時間あるので、お昼食べちゃってください。席はとってあるので」

「ありがとう。じゃあ、少し休むよ」

「じゃあ、またあとで」

先輩に声をかけ、スタンドに戻る。

「優先輩どんな感じ?」

「さっきのアップはいい感じだったよ。いつもと同じくらいの調子だって言ってたし」

「そっか。優先輩って大舞台に強そうだよね」

「うん。地方大会の時の圭斗に比べると全然違う」

「確かに。圭斗はメンタル弱いからなー」

2人で笑いながら言った。

「そろそろか?」

「はい、今出てきたみたいです」

洸介先輩がスタンドに上がって来たのと同時に優先輩がトラックに入ってきた。これからレース前の練習が始まる。

「調子よさそうだな」

「はい」

練習する優先輩を見て、洸介先輩がつぶやいた。

「始まるよ」

カメラを構え、優先輩にピントを合わせる。

パン

スタートの合図で走り出す。優先輩は第4レーンだ。前半の合わせ方もうまいし、後半もスピードに乗って走れている。結果は1着でゴール。準決勝進出だ。

「よし!」

「やった!」

洸介先輩と目を合わせ、ハイタッチをする。って僕、何やってるの。ふと我に返り、先輩から視線を逸らす。先輩も一瞬我に返ったかのように僕から視線をそらした。

「あ、俺、優のとこ行ってくるわ」

「はい。いってらっしゃい。

ぎこちないまま先輩を送り出し、後ろ姿を眺める。

「どうしたの?楽しそうだったじゃん」

「恥ずかしいの。こういうの慣れてないから」

「えー、俺や圭斗でも、そういうことするのに?」

「それとこれとは違うの。ほらベンチ戻るよ」

「あ、ちょっとおいて行くなって。海ー」

僕を呼ぶ朋を置いて席を立つ。もう、余計なこと言わなくていいのに。

優先輩のハードルの準決勝と決勝は2日目だから1日目はこれで終了。2日目に出場するともたち長距離メンバーの調整を行い、今日はホテルに戻ることになった。


全国大会2日目。今日は優先輩と朋たち長距離のメンバーの出場だから、氷など、必需品を確認して、準備する。

「よし、今日は先輩よろしくお願いします」

「ああ。任せろ」

洸介先輩の幅跳びの決勝は3日目だから、今日は2人で仕事をする。長距離の競技では、ラップを取って、記録するので、1人いてくれるだけで本当に助かる。

「まずは優の準決だな」

「はい」

昨日の走りを見る限り、安定していたし、今日もアップでは調子がいいと言っていた。

「始まるぞ」

先輩に声をかけられ、カメラを構える。

パン

スタートの合図とともに、走り出す。昨日より突っ込んだような姿勢でハードルを越えていく。結果は組で2位。優先輩は少し悔しそうな表情をしていた。

「ちょっと焦ったかな。動画見せて」

「はい。これです」

洸介先輩も違和感を覚えたようだ。

「少し、軸がぶれてるけど、タイム的には悪くなさそうだね」

結果速報を見て先輩がつぶやく。

「そうですね。次の組のタイム次第だと思います」

「だな」

優先輩のタイムは自己ベストには及ばなかったが、上位に食い込んでいるから、次の組のタイム次第で先輩の決勝進出が決まる。


「やった!俺決勝行くよ!」

「おめでとうございます!」

準決勝を終えてベンチに戻ってきた優先輩は嬉しそうに言った。

「この後、朋が走るので先にスタンド戻ってます。先輩はゆっくり休んでいてください」

「ありがとう」

先輩に一声かけて再びスタンドに上がる。

「優先輩こどもみたいにはしゃいでましたね」

「あいつ、去年タイムで拾われなくて決勝逃してたからな」

「そうだったんですね」

洸介先輩の話を聞いて納得する。

「あ、出てきましたよ」

朋がトラックに現れ、スタートの準備をしている。

「朋も調子よさそうだな」

「はい。昨日の調整もうまくいってたみたいだし、あまり緊張しないタイプみたいなので。落ち着いてると思いますよ」

ピストルの音と共に走り出す選手たちに声援が飛び交う。朋が出場している8百メートル走は長距離とはいえ、スピード感があり、展開が多くあるレースだ。

「「朋ファイトー!」」

スタンドにいる選手たちと共に応援する。朋は後半からスピードが落ちてしまい、結果は組で10位。準決勝に進めるのは5位までのため、朋の初めての全国は幕を閉じた。


「お疲れ様。これ使って」

ベンチに戻ってきた朋にアイシング用の氷を差し出す。

「海ー。俺全然だめだった」

突然朋が俺に泣きながら抱き着いてきた。

「そんなことないよ。タイムも自己ベスト更新してじゃん」

「でも、みんな早すぎて、俺、着いていけなかった。やっぱり、全国の壁は高いわ」

「そうだね。でもさ、1年生でここまでこれたのってすごいことだよ。また来年もあるんだし、切り替えていかなきゃ」

「うん」

「ほら、泣かないの。これから優先輩の応援あるんだから、行くよ」

「うん。ねえ、海」

「何?」

「ありがとね」

「何急に」

「いや、本当に感謝してる。俺、緊張とかあんまりしないけど、結果で心やられること多いから、海がそばにいてくれて、こうやって声をかけてくれて、本当に助かってる」

急な朋からのお礼に嬉しくなる。再び抱き着いてきたともに僕も抱き着き返した。そんなこと思ってくれてたんだね。

「どういたしまして。こちらこそ、僕の分まで頑張ってくれてありがとう。これからも頑張ってね」

「おう」

「じゃあ、行こっか」

「うん」

朋と一緒にスタンドに上がると、すでに決勝の準備が始まっていた。席に座ると、急いでカメラを取り出し、準備する。どうしようこっちまで緊張してきた。


パン

スタートの合図とともに選手たちが走り出し、レースが始まった。優先輩は第2レーンで、前を行く選手を追いかけている。フォームもいいし、スピードもしっかり出ている。そして、結果は3位で自己ベスト更新だ。


「あー、疲れたー」

「「お疲れ様です」」

表彰式を終えて帰ってきた優先輩をみんなで迎える。

「よくやったな」

「ああ、洸介も明日頑張れよ」

「当たり前だ」

「優おめでとう。でも、まだリレーあるの忘れんなよ」

「分かってるよ。ありがとな。晴も明日頑張れよ。瞬もな」

「ああ」

「ありがとうございます。先輩の走りマジでかっこよかったです」

「ありがとう。瞬、晴をよろしく頼んだぞー。すぐ緊張して固まるから」

「よくわかってますよ。晴先輩は僕に任せてください」

リレーメンバーの4人は優先輩を囲んで仲良く話していた。


全国大会3日目。今日はいよいよ洸介先輩の幅跳びの決勝が朝から行われる。僕は昨日の夜から自分のことのように緊張して、あまり眠れなかった。

「先輩、頑張ってください。先輩なら大丈夫です」

「海がそんなに緊張してどうするの。競技するの俺だよ?」

「分かってますよ!僕だってなんでこんなにそわそわしてるのかわかんないです」

すると先輩の手が僕の頭に乗った。

「大丈夫。俺は俺のジャンプをするだけだから。海は見守ってて。ね?」

「は、はい」

先輩の顔が近すぎて声が裏返ってしまった。

「よし、じゃあ、行ってくるわ」

「行ってらっしゃい!」

くすっと笑って言った先輩を元気よく送り出し、後ろ姿を見つめる。

「直前までアツアツだなお前ら」

「うわぁ!もう、驚かさないでくださいよ」

急に後ろから声をかけてきた優先輩に驚き、叫んでしまった。

「だって海の反応がいちいち面白いんだもん」

「はあー。もう、早く行きますよ」

優先輩の一言にため息を吐きながら、晴先輩たちの競技のために準備を始める。

「そんな落ち込まなくていいのに。洸介もお前の事気にかけてると思うよ」

「え?」

突然の思いがけない言葉に動かそうとしていた手が止まる。先輩が僕を?

「だから、安心しろって。きっと大事にしてくれると思うから」

「せ、先輩はきっとそんなんじゃないと思います。僕が後輩だからですよ。じゃ、じゃあ僕、先に行ってますね」

僕はそう自分に言い聞かせて準備を急ぎ、スタンドに向かう。

「こりゃ、お互いにこじらせてるなー。ほんとに」

優先輩の言ったそんな言葉は知らずに。

 

晴先輩と瞬先輩の百メートル走は白熱したレースだった。2人とも、準決勝まで進み、200mでも2人は準決勝進出を決めた。

「ほんとに速いですね」

僕はその速さに改めて驚き、そんな言葉を漏らした。

「普段練習ではわかんないけどな。こうして、レースになると改めて感じるよな」

「はい」

優先輩と2人のすごさを改めて語り合った。2人の準決勝は夕方に行われる。

「お疲れー。準決まで行ったぞー!」

「おめでとうございます!動画送っておきました」

「サンキュ。洸介は?そろそろだろ?」

「はい。でも、試技順が後ろの方なのでまだ時間はあります」

「おっけい。荷物まとめたら瞬とすぐに行くから、先に行ってて」

「分かりました。待ってますね」

晴先輩と瞬先輩に声をかけ、再び、スタンドに上がる。ピットを見ると先輩が準備をして立っていた。頑張れ。先輩の後姿を見つめながら左手についているブレスレットを握った。


先輩の跳躍が始まった。おとといの跳躍よりいい動きをしている。でも…。

「どうしたんだ?1本目からファウルなんて珍しいな」

「そうですね」

先輩らしくないミスだ。指示係の選手と何か話してるみたいだから、修正しているのだろう。


2本目は1本目よりもスピードを上げての跳躍だった。記録は7m35。自己ベストは7m40だからそれに迫る記録だ。

「よし。今のところトップだね」

「うん。よかった」

修正がうまくいったのか記録が出て安心する。

「まだ終わりじゃ人だから一息つくのは早いぞ」

「分かってますよ」

決勝に進んだ13人のうち、上位8位で表彰台争いが行われる。先輩は今、5位についているから、これからの跳躍が3位以内に入るカギになってくる。そして、最後の跳躍の時がやってきた。2本目に7m40を跳んでからそれを超える記録は出ていない。

「お願いしまーす」

跳躍の合図を知らせる先輩の声が競技場の緊張感を呼ぶ。

パン

踏み切った先輩の足音は響き、先輩の身体は宙に浮く。メモリを見ると7m50を超えたあたりに着地している。

「7m55だって!自己ベストじゃん!」

「やったー!」

先輩は見事最後の跳躍で自己ベストを超える跳躍を見せて1位に順位を上げた。先輩の表情も明るくなり、笑顔を見せている。

「先輩やったな」

「うん。すごいね」

先輩の記録はその後も抜かれることなく先輩は優勝した。

「「おめでとうございます!」」

「ありがとう」

メダルを首にかけ、賞状を手にした先輩をみんなで迎える。

「おめでとう!やったな」

「ああ、ありがとう」

「浮かれすぎて明日のリレーに響かせるなよ」

「分かってるって。おめでとうはないの?」

「おめでとう。よくやったよ」

「晴と瞬、この後準決だろ?頑張れよ」

「おう」

「はい」

先輩たちに囲まれた先輩は本当に嬉しそうだ。そんな先輩たちを外から眺める。おめでとうと心の中でつぶやいた。

 お昼を過ぎ、晴先輩と瞬先輩の準決勝の時間が来た。

「「晴先輩ファイトー!」」

先にスタートした晴先輩は見事組で1位になり、決勝進出を決めた。ガッツポーズをしている晴先輩を見て喜んでいるのが分かる。

「やったな」

「うん!次は瞬先輩だ」

続く3組目の瞬先輩がスタートした。

「「瞬さんファイトー」」

みんなで声援を送る。結果は組3着で決勝は逃してしまったけど、すっきりした表情をしていた。2人は夕方に行われる200mの準決勝にも出場するため、僕はベンチに戻り、2人のケアの準備をする。


「洸介先輩お疲れ様です」

ベンチで休んでいた洸介先輩に声をかける。

「ああ。晴と瞬は?どうだった?」

「晴先輩は決勝行きました。瞬先輩は…」

首を振って伝える。

「そうか。次は200だな。ケアとかサポートついてやって」

「はい。あの先輩」

「洸介!ちょっと手伝って」

先輩にちゃんとおめでとうを言おうと思ったけど、遮られてしまった。

「はーい。ごめんなんか言った?」

「いえ、何でもないです」

「そっか。じゃあ」

そう言って先輩は行ってしまった。

「まだ言えてないのか?」

「あ、うん。なんかタイミング逃しちゃって」

先輩の後ろ姿を眺めていると朋が声をかけてきた。

「まあ、落ち込むなって時間はまだあるんだし」

「…うん」

本当は誰よりも先に、1番におめでとうと言いたかったんだけどな。はあ、とため息をつき、手を再び動かし始める。

 

日が傾き始めたころ、いよいよ200mの準決勝が始まった。晴先輩は明日の100mの決勝にかけるため、棄権した。瞬先輩は3組目の出場だ。瞬先輩は200mの方を専門にしているため、力が入っているようだ。

「「瞬さんファイト!」」

スタートの合図と共に走り出した瞬先輩に声援を送る。

「よし!やった!」

隣で観戦していた晴先輩が叫んだ。

「やりましたね」

瞬先輩は2着に入り、見事決勝に進んだ。

全国大会3日目は洸介先輩が優勝し、晴先輩と瞬先輩の2人が決勝を決まったこともあり、大盛り上がりで終了した。


全国大会4日目。今日で最終日を迎える全国大会は注目のリレー種目があることもあり、朝から盛り上がりを見せている。先輩たちのリレーは朝1番に予選が行われ、記録順で見事夕方に行われる決勝に出場を決めた。

「よし、次は晴さんと瞬さんだな」

「うん」

リレーが終わって、ラップの確認を取り終えたところで正午を過ぎていた。これから、晴先輩の100mの決勝と瞬先輩の200mの決勝が行われる。まず先に瞬先輩の200mからだ。


ピストルの合図とともに走り出す選手たち。競技場は熱気に包まれ、僕はカメラを持つ手に力を込める。選手がゴールすると拍手が起こり、選手たちがお辞儀をして挨拶をする。瞬先輩の結果は8位。決勝に進んだ選手のうち唯一の2年生で自己ベストを上回るタイムで走った。

「すごいな」

「うん。こんな大舞台で自己ベストなんて、かっこいい」


しばらくして、晴先輩が出場する100mの準備が始まった。陸上競技の花形ともいわれる、100mは1番注目度が高いため観客も息をひそめて見守る。晴先輩はスタートの合図とともに走り出し、数秒の駆け引きが始まる。選手たちはあっという間にゴールラインを超えた。

結果は5位。晴先輩も自己ベストを更新した。会場は拍手に包まれ、選手たちをたたえている。晴先輩は先にゴールしていた瞬先輩と抱き合い、喜んでいた。


昼を過ぎ、晴先輩と瞬先輩のレストが終わったところで、リレーの最終アップが始まった。様子を見る限り、みんないつも通りで疲労は大丈夫そうだ。最強メンバーと言われている今年のリレーチームは、監督や他の部員の期待を背負っている。

 

そして、いよいよレースが始まろうという時間になっていた。

「大丈夫かな。なんか緊張してきた」

なんだか不安になってきた。

「大丈夫だよ。お前が1番そばで見てきたんだろ?信じろって」

「うん」

隣にいた朋に励まされ、カメラを構える手に力を込める。


パンという合図と共に第一走者がスタートした。リレーのオーダーは優先輩、瞬先輩、洸介先輩、晴先輩だ。まずは1走から2走へのバトンパス。少し詰まったけどうまく渡ったようだ。次に2走から3走へのパス。こちらもぴったりと渡った。しかし、暫定順位は5位。ここからが勝負だ。最後にアンカーへのバトンパス。こちらもぴったりと合い、晴先輩がトップスピードでスタートする。

「晴先輩ファイトー!」

「ラストファイトー!」

スタンドからの応援に力が入る。そして、晴先輩は見事3位でフィニッシュした。会場からは拍手が沸き起こり、僕たちも立ち上がって喜んだ。


「「お疲れ様でした!」」

「お前ら、よくやったな。」

「「はい!ありがとうございます!」」

首からメダルをかけて帰ってきた4人に監督が声をかけた。4人はとてもキラキラした最高の笑顔を見せていて、かっこよかった。その後、記念撮影が始まり、4人はたちまち囲まれていた。

「はぁ」

またタイミングを逃してしまった。結局最終日も先輩におめでとうと言えるチャンスを逃してしまった。













第3話 僕たちのこと

本当の気持ち


海side

全国大会が終わり、遠征最終日。新幹線の出発は午後3時のため、それまで自由時間となった。朋を誘ってどこかに行こうと思ったけど、部屋をノックしても返事はない。時刻は9時過ぎ。朋ってそんなに早起きだったっけ?携帯を手に取り朋に電話をかける。

『もしもし朋?どこにいるの?一緒に観光しようと思ったんだけど』

電話に出た朋に聞く。

『海、起きるの遅すぎだから、もう先に出ちゃった。まだ誰かしらホテルに残ってると思うからその人と行って。じゃあ』

『あ、ちょっと待ってよ』

引き留める言葉もむなしく、電話から聞こえてきたのは無機質な音。どうしよう。誰かしらって、誰が残ってるんだよ。ホテルのレストランには誰もいないみたいだし。しょうがない、1人で行くか。そう決めて、ホテルの入り口を出た。

「海、おはよう」

「洸介先輩、おはようございます」

ホテルの入り口を出たところの花壇に腰かけていた洸介先輩が僕の名前を呼んだ。

「どうしたんだですか?誰か待ってるとか」

早起きの洸介先輩がみんなに乗り遅れるはずがない。

「海を待ってた」

「え?」

先輩今なんて。僕は思考が停止したまま固まった。

「だから、海を待ってたの。ほら早く行くよ」

そう言うと先輩は僕の手を引き、歩き出した。

「先輩?どこに行くんですか?それに僕を待ってたって」

「ん?後でわかるよ。まずは先に観光からね」

「は、はい」

少し強引な洸介先輩に手を引かれながらうなずいた。



洸介side

まず初めにやってきたのは市場だ。漁師の町として有名なこの町の市場には豊富な種類の海の幸が並び、新鮮な海の幸を堪能できる。

「このウニおいしい!洸介先輩もほら」

そう言って海はウニの乗ったスプーンを差し出してきた。無意識すぎるだろ。「ああ、ありがとう」

戸惑いながらもそのスプーンに乗ったウニを一口。うまい。うますぎる。

「なにこれ、めっちゃうまいじゃん」

「ですよね?ここのウニ最高じゃないですか?僕、鮨のネタで1番ウニが好きなんです」

知ってる。だから、海をこのお店に連れてきたかったんだ。

「そうなんだ」

俺は知らないふりをして言った。

「次はどこ行きます?」

「そうだな。次は…」


次に海を連れてきたのは水族館。この町でとれる魚には深海魚もいて、この水族館ではそれらの展示もしている。

「すごーい。僕こんな魚初めて見ました。こんなのが深海にいるんですね」

「ほんとだな」

海の興味津々な反応に心をくすぐられる。小学生みたいでかわいい。喜んでもらえているようだ。

「ほら、先輩見てくださいよ、この魚。なんか、顔がこうなってる」

「ははっ。全然似てないよ。でもかわいいぞ」

そう言って魚の真似をして変顔をする海を見て笑った。

「かわいい?僕が?」

「ほら、早く次見に行くぞ。時間ないんだから」

時計を見ると午後1時を回ろうとしていた。ポカーンとする海を置いて先に進む。

「あ、ちょっと待ってくださいよー」

後ろからちょこちょこと追いかけてくる海が可愛い。


水族館から海につながるテラスに出ると、気持ちのいい海風を感じられた。

「先輩は何食べますか?」

「俺は海とおんなじのでいいよ」

テラスにあるお店で軽食を買うと言い出した海に合わせて注文した。

「了解です」

「洸介先輩。はいどうぞ」

「アイス?」

「はい。ちょっと甘いもので疲れを癒しましょ。なんですか?先輩が何でもいいって言ったんですよ」

「なんでもない。サンキュ。海って本当に海好きなんだな」

ふと、そう思った。魚を見る目はキラキラしてるし、魚の豆知識が止まらなっかった。

「はい。名前の通りです。小さい頃から水族館は大好きで、いつもはしゃいでましたよ。今日もですけど」

海はそう言って照れたように笑った。

「喜んでもらえて嬉しいよ。それに、海が無邪気に笑ってるの俺好きだし」

もう無理だ。我慢できない。

「え?いまなんて…」

「だから、俺、海のこと結構好きだよ」

伝われ俺の思い。

「そ、それって後輩としてってことですよね。わかります。僕も先輩の事すごいかっこいい先輩だと思うし、尊敬してます」

「違うよ。そうじゃなくて、俺はお前が好きなんだ。海。俺はお前と一緒にいると心が落ち着くんだよ」

動揺してあたふたする海の肩をつかんで目を合わせて言う。

「ほんとに?」

「ああ。嘘はつかない」

「ほんとに、先輩が僕を好き?」

「そうだよ。俺は海が好きだよ」

「でも、先輩彼女いたんじゃ…」

なんで今その話が出てくんだよ。

「それは過去の話。今は海の事が本気で好きなんだ。…これで信じてくれるか?」

俺は海の目をしっかり見つめて精一杯伝えた。

「ぼ、僕も、先輩の事が好きです」

「よくできました」

そう言って海の頭をなでると、海の顔はたちまち赤くなり、目線をそらされる。その反応、かわいすぎるだろ。

「あ、アイスが」

海の持っていたアイスが解け落ちそうになり、慌てて口に運ぶ海に合わせて海のアイスに口をつける。

「うまいな」

そういってほほ笑むと、海はさっきよりもさらに赤くなっている。

「もう先輩!からかわないでください」

「だって海の反応かわいいんだもん」

「もう」

海の反論は俺を喜ばせているようなものだ。海が笑ってそばにいてくれるだけでいい。それだけで、俺は幸せなんだと気づいた。



海side

水族館を後にした僕と洸介先輩は急いでホテルに戻り、新幹線の時間ギリギリに間に合った。洸介先輩と2人で戻ったのを怪しまれているのか、朋から先輩と何をしていたのかと聞かれたが、全く頭に入ってこない。だって、信じられる?あの洸介先輩が僕の恋人だよ?僕はさっきのテラスでのことを思い返す。先輩は照れながらも真剣に思いを伝えてくれて、僕を楽しませてくれた。

「先輩、今日は楽しかったです。ありがとうございました。これからよろしくお願いします」

「どういたしまして。こちらこそよろしくね」

隣に座る先輩に声をかけると、先輩は僕の手を握ってそう返してくれた。こんなにもかっこいい人が僕の恋人なんて信じられる?僕は世界1の幸せ者だ。

「ピコーン」

その時スマホの音が鳴った。

「打ち上げ?○×日、土曜夜7時より…」

届いたメールを確認すると美花先輩からだった。

「来週末、全国大会のお祝いも含めてシーズンオフの打ち上げをするらしい。場所は圭斗のバイト先だから、海も知ってるところだな」

「いいですね、打ち上げ。楽しそう」

「ただ、酒は禁止な。全員が成人してるわけじゃないんだから」

「分かってますよ。先輩はいいですよね、20歳超えてて。僕なんかあと一年はかかるのに」

ルールはルールだけど、少し悲しくなる。ちょっと子ども扱いされた気分。

「分かってるならよろしい。まあ、酒がなくても毎年楽しいから心配すんなって。な?」

「はーい」

少し不貞腐れたように返事をした。

「あと、1時間はかかるから、寝てていいぞ。近くなったら起こすから」

「そうしますね」

先輩の言葉に甘えて少し眠ることにした。いろいろ歩き回って少し疲れてしまった。新幹線の揺れは微妙に眠気を誘い、僕はあっという間に夢の中へと吸い込まれた。


「海、あと一駅で着くから、起きろー」

「んん」

先輩の声に目を覚ます。いつの間にか先輩の肩に寄りかかっていることに気づき、あわてて頭を起こす。

「ごめんなさい。ちょっと重かったですよね」

「俺は大丈夫。鍛えてるんだし。よく眠れた?」

「はい。もうぐっすり。先輩は?」

「俺は海の寝顔見れただけで充分」

サラっと何ということを。先輩は僕を赤くさせるのが得意なようだ。

「何言ってるんですか!?周りに聞こえちゃいますよ」

僕は精一杯の照れ隠しをして、新幹線を降りる準備を始めた。そんな僕を先輩は隣からくすくすと笑ってみていた。先輩は意地悪だ。


「「「カンパーイ!」」」

全国大会から、早1週間。彩色大学陸上部の打ち上げが開かれた。

「で?告白はどっちから?」

「それはもちろん俺ですよ。俺がずっと追いかけてたんだし、男ならびしっといかないとって思ったんで」

「おーやるねー。夏菜ちゃん、こんな奴のどこがいいの?」

「そうですね…」

「夏菜?そこ黙るところじゃないよね。俺の好きなところないの?」

少し考え込んだ夏菜に朋が詰め寄る。

「はいそこまでー。ケンカはだめ。絶対。家での対応考えてよ」

「分かったよ」

少し落ち込む朋を後目に夏菜に声をかける。

「夏菜もいい加減素直になりなって。ちゃんと言わないと分からないことだってあるでしょ」

「分かってるから。ちゃんと、朋のこと好きだから、安心して」

まったく。この2人はやっと付き合い始めたのに、僕がいないとすぐにでもケンカが始まりそうだから、大変だ。

「そもそも、なんで夏菜が陸部の打ち上げにいるの?」

「陸上部の彼氏彼女は特例参加が認められているんですー。悪かったわね、私がいて」

「別に悪いとは言ってないけど…」

「そろそろいいんじゃない、お友達と妹さんのお世話は。俺のところにも来てよ。海君」

兄弟げんかになりそうなところで、洸介先輩が僕を呼び戻すように耳元で話しかけてきた。

「ちょ、洸介先輩!近いですって」

付き合いだしてから、先輩はやたらとくっついてくるようになった。」

「おー、なんだかいつの間に仲良くなってるー」

アルコールが入ってるんじゃないかってくらいテンションが高い優先輩が言ってきた。

「えっと…」

「ほら、余計なこと言わないの。優さんは黙ってご飯食べる。ほら」

圭斗ありがとう。朋と圭斗と先輩の周りのメンバーにしか洸介先輩とのことは言ってないから部員のみんなに騒がれることを考慮して圭斗が助けてくれた。

「分かったよ」

優先輩は圭斗に言われた通り黙々と料理を食べ始めた。

「海くん、ちょっといいかな」

「はい。ちょっと行ってきますね」

「ああ」

美花先輩に呼ばれ、席を立つ。

「海くん、もしかしてさ、洸介先輩とくっついた?」

「あ、はい。でも、なんでそれを?」

「やっぱり。全国から帰ってきた後の2人の雰囲気がなんか違う気がしてさ。おめでとう。良かったね」

「ありがとうございます」

「あ、そうだ、これ遅くなっちゃったけど誕生日祝い」

「いいんですか?ありがとうございます」

「うん。じゃあ、この後も。打ち上げ楽しもうね」

「はい!」

さすがは美花先輩だ。すべてはお見通しで、頭が上がらない。

「そう言えば、社会学部は文化祭何やるの?」

「あーそうそう。俺らも気になった」

話は変わり、1か月後に控えた文化祭の話になった。

「あー、それが…」

晴先輩の急な質問に答えるのを少し戸惑ってしまう。

「女装・男装カフェですよ。私たち食品科学部が作った料理とかお菓子を販売してもらう予定です」

僕たち3人組が黙っていると横で会話を聞いていた夏菜が言った。

「へぇー。カフェか。しかも、女装だって。面白そうじゃん。な、洸介」

今洸介先輩にその話振らないでよー。恥ずかしいじゃん。

「ああ、そうだな。見てみたいかも」

そう言って洸介先輩は僕の身体を下からゆっくりと上に向かって見つめてきた。

「ほんとはあんまり、やりたくないんですけどね」

ははっと乾いた笑い声を出して言った。

「圭斗と海はくじで外れて女装になったけど、俺は免れて裏方です」

「マジ恨む。なんでお前が裏方なんだよ」

ピースをしてニッと笑う朋をこれでもかっていうほどにらみつける圭斗に周りも顔をひきつる。

「もう2人ともそこまでにしといて。先輩たちは何やるんですか?」

「経済学部は毎年獣医学部の手伝いだよ」

「何やるんですか?」

圭斗が興味津々になって聞く。

「毎年、この文化祭でペットの預かり施設の人が譲渡会を開くんだ。その設営とかイベント運営の手伝い」

「楽しそうですね。俺、動物好きだし遊びに行こうかな」

「良かったらみんなで遊びに来るといいよ。ドッグランも作る予定だから、一緒に走れるし」

「おおー」

楽しそうだ。僕もペット好きだから遊びたいな。

「先輩、僕、遊びに行きますね」

「…」

「先輩?」

「ああ、うん。待ってるよ」

どうしたんだろう。さっきから先輩、なんか上の空じゃない?

「そう言えば、今年のミス・ミスターコンはどうなりそうだ?彩色スターは洸介だとして…」

晴先輩が興味津々に聞いてきた。

「晴さん、今年こそスターは俺がもらいます。1年かけて株上げてきたんですよ?」

「いやいや、洸介にはかなわないって。諦めろ」

「ひどい」

肩に手を置かれて、しゅんとなっている瞬先輩は迷える子犬のようだ。

「洸介には連覇してもらわないとな」

そう言って優さんは洸介先輩の肩に手を回した。

「さあ、どうかな」

洸介先輩もまんざらではない様子だ。

「1年はやっぱ陸部の中から出したいよね」

「そうなんだよなー。やっぱ圭斗じゃね?顔はいいし、身長もある」

「俺ですか?嬉しいな。やってみようかな」

「確かに。でも、朋もそれなりにいいと思うぜ」

「今年の1年はみんな顔がいいから、人気が割れそうだな」

ミスターコンとか、みんなかっこよすぎて僕にはついていけないよ。

「1年のよりも、彩色スターの方が気になりますって。去年は洸介先輩だったんですよね」

「あ、そうそう。1年の時にダブルでとってから、毎年彩色スターは洸介だよ」

「ほんとすごいですね。マジで尊敬します」

「ほめてもなんも出ないぞ」

先輩は圭斗のしつこさにも塩対応だ。まあ、そういうところがかっこいいんだけど。

「先輩、今年も頑張ってくださいね。応援してます」

「サンキュ」

来月になると大学に入って初めての文化祭がやってくる。高校の時に来たことはあったけど、実際に自分が運営するってどんな感じなんだろう。それに、今年は先輩もいる。楽しみがまた1つ増えた。
















 波乱の予感


海side

打ち上げから2週間、陸上部の練習メニューも厳しさを増し、冬を近く感じる季節になった。僕は毎日、部活と文化祭の準備とで大忙し。

「海、朋、よく聞け。超絶美人を発見したぞ」

「は?」

「美人?」

社会学部からのミスター彩色候補として選ばれた圭斗が集会を終えて、僕たちのもとに帰ってきた。なぜか興奮気味だけど。

「そう!洸介さんと同じところにいたから多分スター候補だと思うんだよね」

「なあ、それってもしかして、エリカさんじゃない?」

ドキっと胸が嫌な音を立てた。

「エリカさん?誰それ」

「洸介さんと2年連続でスターを受賞してる獣医学部の人で、洸介さんの…」

そこまで言って朋は口をつぐんだ。

「あ…、じゃあ、あの人が?」

思い出したかのように圭斗が言った。朋があわてて圭斗に肘鉄を入れる。

「いてっ。ごめん。無意識だった」

「いいよ、あの2人がお似合いなことくらいわかってるし。でも、今は僕だって信じてるから大丈夫」

僕は無意識に左手のブレスレットを握っていた。

「海…」

「お前、本当に強くなったな!恋の力ってやつか」

「何急に。僕はただ自分の恋人を信じてるだけですよー」

「でた!最近海ののろけが増してきてるんだけど。朋もなんか言ってよー」

圭斗の嫉妬もどきに巻き込まれる。

「そうだなー、圭斗も恋人作ればわかるんじゃね?なあ、海」

「そうだよ。早く優先輩のところに行けばいいのに」

朋とからかい半分で言った言葉だったけど、圭斗は表情を濁らせた。

「ごめん、怒らした?」

朋と2人で圭斗の顔を覗く。

「最近、よくわかんないんだよ」

しばらく黙り込んだ圭斗がそう言った。

「分かんないって?」

「優さんのことは大事だし、いい先輩だと思ってる。一緒にいて楽しいし。でも、それが好きなのかって言われたらわかんない。好きなのかわからないまま付き合っても、迷惑だろ?」

確かに。でもそれって…。

「でもさ、圭斗が優先輩を傷つけたくないって、大事にしたいって思うのってさ、それもう恋じゃない?」

「うん。俺もそう思う」

僕の意見に朋も納得したようにうなずいた。

「そうなのか?」

「まあ、せいぜい悩みなさい。でも、あまりにも待たせすぎると優さんどっか行っても知らないよー」

「そんなこと言うなよー」

朋のあおりにダメージを受ける圭斗。きっと圭斗は優先輩に恋をしているんだ。


冬の練習は寒さもあるが、走る量も一段と増えるため、必然的にマネージャーの仕事量も増える。毎日美花先輩と声を上げて選手たちのタイム読みをこなしていく。

「「ファイトー」」

「あと、10分でレスト終了です!長距離は準備してください!」

「「はーい」」

選手たちに声をかけながらボトルを運ぶ。

「海、俺運ぶから先にゴールのとこ行って」

「朋ありがとう」

「おう」

時々選手たちの助けを借りながらも、グラウンドを駆け回る。

「「「お疲れ様でしたー!」」」

終了の挨拶が終わり、部室へと着替えに向かう。

「あー、今日のメニューマジできつすぎ。あんなのが冬毎日やってくるって考えただけでぞっとするわ」

「圭斗はまだ短距離組だからね。俺は倍走ってるよ。どう?交換する?」

弱音を吐く圭斗に朋が詰め寄る。

「ごめんなさい。マジで尊敬してます」

「2人ともよく頑張ってるよ。タイムも上がってるし、軸もしっかりしてきたし」

そんな2人の様子を見て言う。

「こんなにおだててくれるマネージャー他にいねえぞ」

「そうだな。俺らは最高に幸せ者だな」

ん?なんか2人で感動してる?

「何急に、どうしたの?」

「「海、ありがとう!」」

そう言うと2人は僕に覆いかぶさるようにして抱き着いてきた。

「はいはい、分かったから。重いから離してー」

やっと2人が離れたかと思うと、急に笑えてきた。

「急に笑い始めてどうした?」

「もしかして、今ので頭おかしくなった?」

「違うよ。2人とこうして今でも笑えてるのが嬉しくて。これからも僕の為にも、頑張ってね」

「まかせろ」

「当たり前だ」

2人にそう言うと、3人で笑い合った。


部室を出て入り口で先輩を待つ。ズキっ。さっきから右足に体重をかけると、足首に痛みが走る。今日、走りすぎちゃったかな。家帰ったら薬飲もう。

「お待たせ。帰ろっか」

「はい」

そんなことを考えていると先輩が出てきて、大学を後にする。先輩の歩幅は広いから、急がないと、おいて行かれる。

「海、今日どうした?なんか歩くの遅くないか?」

やばい気づかれた?

「そ、そうですか?いつもと同じくらいだと思うんですけど…」

先輩の目を伺いながら必死でごまかす。だが、体は正直で動かすたびに激痛が走る。

「ったー」

「海、もしかして足痛いのか?」

洸介先輩は勘が鋭すぎる。

「はい。ちょっと走りすぎちゃったみたいで…」

観念したように返事するしかなかった。

「乗れ」

「え?でも…」

洸介先輩は僕の前で背中を向けてひざまずいた。おんぶはさすがに恥ずかしいよ。

「ほら早く。じゃないと、電車に乗り遅れる」

「はい。お、お願いします」

「ん」

先輩の押しに観念して先輩の背中に乗った。先輩の背中は、あの時、夏合宿の時みたいにあったかくて居心地が良かった。


「ありがとうございました」

「おう。ちゃんと薬飲めよ。それと、無理はしないこと。選手に頼ってもいいんだからな?」

家に到着すると、先輩は僕を下ろして伸びをした。練習で疲れてるはずなのに、申し訳ない。

「はい、わかってます」

「ならよし。じゃあ…」

そう言って両手を広げる洸介先輩。僕は意味が分からず、首をかしげる。

「ほら早く」

そう言って先輩は僕の手を引き、僕の身体は洸介先輩の腕の中にすっぽりと納まった。

「ちょ、先輩?ここ家の前ですよ」

「知ってるよ」

そう言いながら先輩は焦る僕をさらに強く抱きしめる。先輩の腕の中は背中に乗ってる時よりも暖かくて落ち着く。でも…。

「先輩苦しいです」

「ごめん」

僕の声に先輩は慌てて体を離す。

「それじゃ、また明日」

「おう。また明日」

先輩とあいさつを交わし、先輩の後姿を見送ると玄関の扉を開けた。



洸介side

腕の中にいる海は黙って俺を抱きしめ返してくれた。俺は嬉しくてさらに強く抱きしめたら苦しいと言われてしまった。海と付き合い始めてもうすぐ2か月。最近はスキンシップが増えてきてその度、海の反応が可愛くて仕方がない。それより…。

『海、もしかして足痛いのか?」

『はい。ちょっと走りすぎちゃったみたいで…』

さっきの海の足が気になる。見た感じ少し腫れてるみたいだったから心配だ。薬飲んで良くなってくれたらいいんだけど。

Prrrrr

『海?足の具合どうだ?薬はちゃんと飲んだ?』

『洸介先輩、そんなに質問攻めしないでください。薬はちゃんと飲んだし、マッサージもしたから痛みはだいぶ引きましたよ』

『よかった。それならいいんだ』

『ちょっと先輩。もう電話切っちゃうんですか?』

海の状態を聞いて満足して電話を切ろうとしたら海がそんなことを言った。

『でも、もう寝るだろ?』

『僕はもう少し先輩とお話ししたいです。一緒に帰るだけじゃ、話したい事全部話しきれないし、寝るまで先輩の声聞いてたいです』

キュン。かわいすぎるだろ。海は俺を惚れさせる天才なのか?電話越しの海の言葉に1人で悶絶する。

『先輩?聞いてますか?』

『海、今すげー会いたい』

『だめですよ。もう遅い時間だし、明日また会えるじゃないですか』

『わかったよ』

海の時々真面目なところが出た。俺は少ししょぼんとしながらも海にあった今日1日の出来事を聞く。

『それで、その時圭斗が…って先輩聞いてます?もしかして寝っちゃった?』

『大丈夫。ギリ起きてる』

睡魔と戦いつつ海の話を聞いていたが、正直限界が来ている。

『また続きは明日話すので今日はゆっくり寝てください』

『わかった。おやすみ』

『おやすみなさい。良い夢を』

電話を切ると待っていたかのように睡魔がやってきた。


次の日の部活では海が無理をして走らないように、注意しながら練習をしていた。選手には海が無理をしないようにマネージャーの事も少しは手伝うように言ったし、少しは海も落ち着いたみたいだ。

「洸介!」

いつものようにベンチでレストを取っていた時、聞き覚えのある声が俺の名前を呼んだ。

「エリカ…。なんでここに…」

「スター候補の打ち合わせで。それに、久しぶりに陸部の様子見て見たかったし」

エリカは去年付き合っていた元カノだ。俺と別れてからは陸部にも顔を出しずらくなったのか、3年になってから1度も部活には来ていなかった。周りの連中には別れたことは言ってあるが、1年生や、そのほかの部員には何も言っていない為、なんでエリカが急にいなくなったのか知らないやつもいる。

「あ!エリカさんじゃないですか!久しぶりですね!」

「お!みんな久しぶり!元気にやってる?」

「もう、冬練きつすぎて心が折れそうですよ」

「そんな弱気にならないで。来シーズンに絶対つながるんだから、頑張って!」

他の部員たちに囲まれて楽しそうに話し始めるエリカを俺は枠の外から見つめた。なんであいつがここに?今更何の用だ?疑問が募っていく。



美花side

さっきからベンチで騒がしい声が聞こえる。

「エリカ先輩?」

近づくと選手に囲まれていたエリカ先輩が顔を出した。

「お、美花ちゃんだ。久しぶり!元気してた?」

「お久しぶりです。一応元気です」

「そっかそっか。マネージャー大変じゃない?大丈夫?」

エリカ先輩はどこかよそよそしいというかそんな感じだった。急にどうしたんだろう。

「大変ですけど、海君が良く動いてくれてるのでもう助かってます」

「新しいマネージャーの子か!どんな子?紹介してよ!」

「あ、今あそこで選手のタイム取っています」

エリカ先輩の圧を少しばかり感じた。まさか、海君と洸介先輩の事知ってるのかな?

「あの子ねー、ちゃんとしてそうだね」

「はい。それより先輩、急にどうしたんですか?しばらく部活休んでましたよね」

気になっていたことを聞く。

「美花ちゃん直球質問だね。さすが変わってないなー」

エリカ先輩は少しごまかすように言った。

「マネージャー復帰とか?ですか?」

「うーん。そうしようかなって思ってる。美花ちゃんはどう思う?」

半分冗談のつもりで聞いたのにこれはマジな反応だ。

「そうですね…。戻ってきてくれるのは嬉しいです。けど」

「ほんと?それだったら嬉しいな。みんなと会えなくて寂しかったし、迷惑かけちゃってると思ってたから、これから頑張るね」

言いかけた言葉はかき消されてしまった。みんなが、海君がどう思うかはわからない。特に洸介先輩は嫌がりそうだけど。

「は、はい」

結局そう答えるしかなかった。



海side

「海君!初めまして西村エリカです。よろしくね」

「よ、よろしくお願いします」

この人が、洸介先輩の…。タイム計測を終えてベンチに戻るとエリカ先輩に声をかけられた。彩色スターともあり、オーラがすごい。洸介先輩と付き合っていたと聞いて納得するレベルだ。

「私ね、マネージャーに復帰することにしたの!美花ちゃんも賛成だって!みんなも喜んでくれてるし、これから一緒に頑張ろうね」

「え?は、はい」

エリカ先輩に両手を握られ、僕は戸惑いつつ返事をした。ふと目をそらすと美花先輩が手を合わせてごめんと口パクで言っているのが見えた。僕は軽くうなずいて大丈夫だと返した。


「海、大丈夫か?」

「何がですか?」

「今日、その、エリカ来ただろ。あいつ本気でマネージャー復帰するつもりみたいだから、大丈夫かと思って」

練習が終わり、いつものように洸介先輩と肩を並べて歩いていると、先輩がそう言った。

「僕は大丈夫ですよ」

嘘、本当は心の中でおびえている。エリカ先輩は洸介先輩を取り戻しに来たんじゃないかって、洸介先輩が僕を捨てたらどうしようって、そんなことばっかり。

「え?」

不意に右手に温かい感触を覚えた。先輩の手だ。大きくて温かい、僕が大好きな先輩の手が僕の手を握っている。

「海、俺の手好きだろ?だから、あっためてやる」

「はい」

今日の先輩はいつにもまして優しくて、なんだか不安になる。

「先輩、僕を離さないでね」

「え?」

気づいたらそんなことをつぶやいていた。

「あ、いや、その、今のは、先輩の手があったかいから、離してほしくないって意味、です」

慌てて言葉を探す。って、僕何を言ってるの!

「大丈夫。ずっとつないでてあげるから。ね?それに、このブレスレットが海を守ってくれるから。信じて」

「はい」

そう言って先輩は僕の頭を撫でた。まるで僕の心の悩みを全て知っているかのように思えた。いつまでも先輩とこうしていたい。


「はあ」

「どうしたんだ。ため息なんかついて。なんかあった?」

文化祭の準備中、ため息を吐いた僕に朋が話しかけてきた。

「いや、別に。何でもないよ」

「何でもないわけないだろ。エリカさんか」

圭斗が図星を突いてくる。

「うん、まあね」

「最近、絡み増えたよな。しかも海に雑用押し付けてるみたいだし」

「押し付けてるわけじゃないよ。それに僕は後輩なんだし、先輩に頼まれたら断る理由がないでしょ」

確かにエリカ先輩が部活に復帰してから、僕と美花先輩がやっていた記録取りや、選手へのボトル渡しをエリカ先輩がやるようになった。僕はというと部室の掃除や、グラウンド整備に駆り出されてばかりだ。動くことが増えて、足の薬の量も増えてしまった。気を付けないといけないのに…。

「そうだけど…。海がこんなに疲れてるのはそっちのことじゃないでしょ」

「じゃあ、どのこと?」

圭斗が首を傾げた。


「最近どう考えても、エリカさんと洸介さんとの距離近すぎると思わないか?海と洸介さんが付き合ってるのを知らないならいいけど、もしエリカさんが知ってたら?」

「それやばいな」

圭斗が怖そうに身を縮めた。エリカ先輩が僕たちのこと知ってて洸介先輩に近づいてる?洸介先輩はそれを知ってるのかな。

「おい、海聞いてる?大丈夫かよ」

「あ、ごめん。ちょっと考え事」

「俺らも少し言い過ぎたわ。でも、大丈夫だよ。洸介さんは海を大事にしてくれてるだろ?」

「うん。分かってる」

口ではそう言っているけど本当は怖い。先輩を取られそうで。

「よお、進んでるかー?ってなんでそんな暗い顔してるんだよ。怖いじゃん。」

「涼さん、海が恋煩いしちゃってて。今だいぶ落ち込んでるんですよ」

「恋煩いかー。青春してるねー」

朋の真剣そうな言葉に軽そうに返している涼さんは高校時代からの1つ上の先輩で大学の学部も一緒のため、今回の文化祭の運営も一緒にやっている。

「青春ですか…」

涼さんのテンションについていけず、弱弱しい声が出た。

「そうだ、海、俺と一緒に海だし行こうよ。みんなの分も買わないといけないから、手伝ってほしいんだけど」

「え、僕がですか?でも、作業まだ残ってるし…」

辺りを見回しながらつぶやく。

「行ってきなよ。気分転換にもなるし」

「そうだね。ここにいてもぼーっとしてるだけだろ?」

「分かった。行ってくる」

2人にせかされ、立ち上がる。

「おし、じゃあ行くか」

「はい」



涼side

「最近部活の方はどうだ?まさか、海がマネージャーとして陸部に入るなんて思わなかったから気になってたんだ。って、海?聞いてる?」

「はい?なんですか?」

「こりゃ重症だな。何があったんだ?洸介さんか?」

さっきから話しかけても上の空状態の海に思い切って聞く。

「な、なんでそれを?あ、もしかして、圭斗?」

「うん。まあね」

海は俺が2人の事をなんで知っているのか不思議そうな顔をした。海のその顔見たら1発でわかるっての。

「色々あって、自分でも今よくわからないんです。洸介先輩を責めるのは違うし、だからと言って立ち向かう勇気があるわけではないから、どうしたらいいかわからなくて」

「海はさ、洸介さんからちゃんと愛情を受けっとってる?」

「はい。毎日一緒に帰ってくれて、僕が不安な時にはちゃんと話を聞いてくれます」

「その海が思ってる洸介さんからの愛情って、海の安心にはなってないの?」

「え?」

海は意味が分からないというように俺の目を見た。

「海はさ、洸介さんと一緒にいて愛情を感じるみたいだけど、愛情って一緒にいなくても感じるものなんじゃないのかな」

「確かに…。僕、洸介先輩を少し疑ってたかもしれません。先輩はそんなことしないってわかってるはずだったのに、信じ切れていなかった」

「まあ、恋愛って人それぞれだし、俺が思ってることも正解だとは限らないけどね」

「やっぱり涼さんすごいです。また僕の考え方を広げてくれました」

「そうか、それならよかったよ」

海は胸を撫でおろし、嬉しそうにつぶやく。笑っている海の顔は明るくて、つい見とれてしまう。

「涼さん?大丈夫ですか?お店着きましたよ」

「ああ。行こう」

買い物をしながら考える。もし俺がもっと早く海に告白をしていたらどうだっただろうか。海は俺に振り向いてくれた?隣で笑う海を見て思う。海は俺の気持ちなんて知ることもないんだろうな。いい加減諦めろよ、俺。そう何度も思ったはずなのに、いまだに海が好きなのは海が悲しむところを見たくないからなんだよな。


「「お疲れさまでしたー」」

選手たちのあいつがグラウンドに響き渡る。太陽が沈んだ後の、秋は寒さが増しつつある。

「海君、お疲れ様。あとは私がやっておくから、今日は先に帰ってね」

「え、でも…」

片付けをしようと用具に手をかけたところを美花先輩に止められた。

「いいから、最近文化祭の準備で洸介先輩と帰れてないでしょ。ほら、先輩待たせちゃ悪いから行きなって。ね?」

「あ、ありが「海君、美花ちゃんやってるよ?後輩なら気づいて先にやるべきじゃない?」

美花先輩にお礼を言って部室に向かおうとすると、エリカ先輩が声をかけてきた。

「エリカ先輩、いいんです。私がやるって言ったので」

「そう言うことじゃないよ。後輩なら、先輩の仕事もやって当然でしょ?それに、こんな大荷物女子じゃ重すぎて終わらないから」

「す、すみません。美花先輩、僕がやるので変わります」

なんか今日のエリカ先輩怒ってる?僕は先輩の圧に圧倒されて慌てて美花先輩と立ち位置を変わった。

「え、でも…」

「僕なら大丈夫ですから」

「いいからいいから。やるって言ってるでしょ?ほら、帰ろ?」

エリカ先輩に背中を押されながら2人は部室へ入っていった。

「はあ」

1人器具庫に残された僕はため息を吐く。しょうがない。確かに、エリカ先輩が言う通り美花先輩1人でこの大荷物を片付けるのは大変だ。それにしても、先週片付けたばかりなのにもうこんなに散らかってる。床に落ちている道具を拾い、棚のかごへと移していく。

「そうだ」

洸介先輩にメールしておかなきゃ。スマホを取りだし、メッセージを打ち込む。

『洸介先輩、器具庫の片づけがあって、時間かかりそうなので、先に帰っていてください』

Prrrr

メールを送るとすぐに先輩から電話がかかってきた。

「もしもし」

『もしもし海?』

「はい。どうかしましたか?」

『何時くらいに終わる?最近一緒に帰れてないから一緒に帰ろう』

「…」

どうしよう。嬉しすぎる。先輩にこんなこと言われるなんて、ドキドキが止まらない。

『海?聞いてる?俺も手伝おうか?』

「聞いてます!先輩は待っていてください。すぐに終わらせるので」

『いやでも、2人でやった方が早いだろ』

先輩にそう言われ、一瞬頼もうかと思ったけど、エリカ先輩にばれたらってことを考えたらぞっとした。

「僕の仕事なので!先輩は休んでいてください」

『わかった。じゃあ、入り口で待ってるよ』

「はい!」

「よし、早く終わらせよう」

電話を切って急いで手を動かす。先輩の為にも早くやっちゃおう。


「やっと終わった。って、もうこんな時間!?」

器具庫の片づけが終わり、腕時計を確認すると30分も経っていた。

「急がなきゃ」

急いで部室に向かい、着替えて荷物をまとめる。

「お疲れさまでした」

部室にいるみんなに挨拶をして先輩が待つところへと向かう。

「ねえ、いいじゃん。ほら一緒に帰ろ?」

「だから、無理だって言ってるじゃん。人待ってるから」

「だから誰?」

「誰でもいいだろ?エリカには関係ない」

洸介先輩の声がして、外を見ると洸介先輩と先輩の腕にがっちり自分の腕を絡ませているエリカ先輩がいた。僕は慌てて、陰に隠れる。なんで僕が陰に隠れるんだよ。堂々と出て行けばいいじゃないか。そんな思いとは裏腹に、僕の身体は言うことを聞かない。

「えー、教えてくれないなら一緒に帰ってもいいじゃん」

「勝手に1人で帰れよ。それかほかの奴に頼めばいいだろ」

さっきから洸介先輩は冷たくあしらっているけど、エリカ先輩も負けじと押している。

「だって、この時間なんてキャンパスほとんど閉まってるし、友達もみんな帰っちゃったんだもん。それに久しぶりに洸介と一緒に帰りたいなーと思ってたし」

「知らねーよ。俺は話すことなんてない」

「洸介さーん、ちゃんと送ってあげるんですよー」

その時、部室から出てきた部員が洸介先輩をからかうように言った。僕たちのことは僕たちの周りのメンバーしか知らないから、他の部員は洸介先輩とエリカ先輩が復縁したんじゃないかって噂している。これもまた僕の弱い心を作っている原因の一つなのだけれど。

「彩色スター同士さすがお似合いだよな」

「それな。俺らも可愛い彼女が欲しいわ。じゃ、お疲れ様でーす」

「ああ、お疲れ」

「ほら、早く帰ろうよ。私が襲われたら、洸介のせいになるんだからね」

お願い。断って。

「分かったよ。ちょっと連絡するから待ってろ」

僕の中の何かが割れる音がした。今日こそは洸介先輩と久しぶりにいろんな話ができるって、楽しい時間が過ごせるって思ってたのに。

Prrrr

「もしもし」

『もしもし海?ごめん。一緒に帰れなくなった』

「そうですか」

『ごめんな、急いでくれてたのに』

「いいんです。僕も片付けもまだかかりそうなので、先輩を待たせるわけにはいかないです。早く帰って休んでくださいね。じゃあ、また」

『ああ。じゃあまた』

早口で先輩涙声を聞かれないように言った。電話を切り、力なく地べたに座り込む。これが僕の精いっぱいの強がりだ。冬の夜風は僕の心を慰めてはくれないみたいだ。

「先輩、戻ってきてよ」

僕の声は弱弱しく消え、先輩はエリカ先輩と肩を並べて行ってしまった。2人の後ろ姿はとってもお似合いのカップルで、僕が先輩と並んだ時とはまるで違った、遠くからでもわかる温かい雰囲気だった。

「あれ?ない」

ふと左手に意識を向けると、ずっとつけていた先輩からもらったブレスレットが見当たらない。外した覚えなんてない。練習中はついていた記憶がある。

「嘘。嫌だ。そんなの」

嫌だ。あれをなくしてしまったら、先輩が遠くに行っちゃう。そんなの絶対に嫌だ。そんな僕の思いとは裏腹に、器具庫を探しても、部室を探しても、ブレスレットは出てこなかった。

「…なんで?」

なんで神様は僕をこんなにいじめるの?気づいたら目から涙が流れていたけど、拭う気力なんてない。さっきの洸介先輩とエリカ先輩の後ろ姿が脳裏に焼き付いて離れない。僕は1人、ナイターが消えた薄暗いグラウンドにたたずんでいた。


大学へ続く並木道の色鮮やかだった黄色が色落ち、忙しい11月がやってきた。今週末の文化祭に向けて、学校内はすでに文化祭の準備に追われており、キャンパス内もお祭りムードになりつつある。

「お疲れ様です。差し入れ持ってきました」

「よっしゃあ。ちょうど腹減ってたところだったんだよ」

「サンキュ。おー、うまそー」

カフェの準備をしている学部のみんなに軽食を配って回る。

「1人1つずつでーす。お菓子もあるので持って行ってください」

「ありがとー。助かるよ」

「やったー!お菓子もあるって!」

みんな疲れていたのかあっという間に袋の中は空になった。

「涼さんもどうぞ。梅が好きでしたよね」

「よく覚えてたね。ありがとう」

「どこまで進みました?」

「あー、机と椅子のセッティングは済んだから、あとは写真撮影用のパネルを作るだけかな」

一息ついて、準備の進行状況を確認する。

「5個作るんでしたよね」

「そうそう、合計で5個だから、5人1組くらいで振り分ければ終わりそうだね」

「そうですね」

「よし、みんな集合!」

涼さんの掛け声で教室にいた学生が集合する。

「休憩が終わったらパネルづくりに入るから、5人1組で一つのパネルを完成させてくれ。構成はそれぞれに任せるが、カフェの雰囲気に合ったものを作るように。よろしく」

「「はい」」

涼さんの掛け声でみんなが作業を始める。

「俺らもやろっか」

「じゃあ、俺、下書き描くよ」

「うん、朋は絵がうまいから、かわいい感じのをお願い」

「ごめん。俺そろそろ集合時間だから行ってくるわ」

「もうそんな時間か、行ってらっしゃい。頑張ってね」

「うん」

圭斗は1年のスター候補として選ばれて、ステージの練習のため行ってしまった。

「1人足りなくなっちゃうけど、頑張るか」

「そうだね」

圭斗を送り出し、黙々と手を動かす。それにしても、パネルは高さ2mくらいあって横幅もかなり大きい。

「これ終わるかな。先が見えないんだけど」

「海、それ言ったら終わりだろ」

「手伝うよ。俺のところある程度進んでるし」

「ありがとうございます!助かります」

朋とブツブツ文句を言いながら作業をしてるところに涼さんがやってきた。

「あ、もうなくなっちゃった。誰か赤の絵具持ってる人いますか?」

「こっちの切れてる」

「私のやつもー」

みんな切らしてるのか。

「海、取ってきてあげて。芸術棟の資材室にあると思うから」

「いいけど、僕、場所知らないよ?」

「俺も行くよ。この状況見るとかなり量がいるだろうし」

「助かります」

「じゃあ、行こうか」

「はい」

涼さんの後に続いて教室を出て、芸術棟へ向かう。

「確かこの辺にあったと思うんだけど」

芸術等の資材室に入ると、棚を探し始めた。

「これですか?」

棚を探り、絵具らしきものを見つけた。

「そうそう。ここから適当に選んで持っていこう」

「はい」

持ってきた箱に使いそうな色の絵具や画材を詰め込んでいく。

「そう言えば、ブレスレットどうしたんだ?ずっと大事そうにつけてただろ?」

「あ、えっと…」

涼さんにブレスレットのことを触れられて動揺してしまう。脳裏にはあの時の2人の姿がフラッシュバックする。なんて言えば…。

「ごめん。変なこと聞いた。海が大事にしてたものなのに、って少し気になっただけだから、気にしないで」

「…はい」

先輩は僕の様子に気が付いたのかそれ以上は何も聞かないでくれた。


「これで充分だろ」

「そうですね。いきましょうか」

大量の絵具と画材の詰まった箱を持って資材室を後にした。

芸術棟を出ると広場に洸介先輩の姿があった。

「あ、海じゃん」

僕に気づいた優先輩がこちらに向かってきた。

「優先輩、こんにちは。何してるんですか?」

「これからドッグランを作るんだよ。力仕事だから駆り出されちゃった」

「そうなんですね。頑張ってください」

「えっと君は確か…」

「初めまして社会学部2年の相沢涼です」

「あー、思い出した。去年の1年のスターだったよね。俺は赤枝優。よろしく」

「はい、よろしくお願いします」

涼さんは照れたように笑った。涼さんは去年のミスター彩色に選ばれて以来、大学の有名人らしい。だからか、涼さんの周りにはいつも女子が群がっている。

「あ、洸介は今手が離せないみたい。ごめんね、俺で」

「いや、そういうわけじゃ」

「うぶだなー。じゃあ、また後で」

「はい。また」

優先輩にはいつもからかわれてばかりだ。僕と洸介先輩の事を知ってからさらに冷やかしが増えた気がする。でも、最近は僕は洸介先輩と話すどころか先輩の姿を見ることも減っていた。あの日、エリカ先輩と2人で帰っているのを見てから、僕は先輩を避けるようになっていた。

「そろそろ行こうか。みんな待ってる」

「…」

「海?」

「はい」

ぼーっとしていたのか、涼さんに声をかけられハッと我に返る。

「本当に好きなんだな、先輩の事」

「え?」

「海、先輩のこと見すぎ。それくらいわかるって」

「そんなに顔に出てました?はずかしい」

「思わず顔を隠すようにうつむいた」

「なんで俺じゃないんだよ」

「え?涼さん今何か言いました?」

涼さんの声が聞き取れず、聞き返す。

「何でもない。ほら、早く戻るぞ」

絶対何か言ったと思うんだけどな。まあいっか。急いで完成させなきゃ。



洸介side

「お疲れ。洸介、今海いたぞー」

「え、どこ?」

「ほらあそこ。涼君と荷物運んでる」

優に声をかけられ、辺りを見回すと誰か見知らぬ男と歩いている海を見つけた。

「…」

「おい、洸介手止まってるぞ」

「あ、ごめん」

「なあに、もしかして嫉妬?あの2人楽しそうに話してたけど」

「違うから」

優の煽りを否定するが、海が笑っているのを見て少しやきもちを焼いた。

「はいはい。それより、最近海と話してるの?部活がないから、顔合わせる機会減っただろ」

「電話でなら話してるけど、最近は忙しくて一緒に帰れてない」

「俺の意見だけど、ちゃんと相手の目を見て話した方がいいと思うぞ。海、さっき話した時、少し疲れた表情してたし。それに、エリカとのことも気にしてないように見えて絶対気にしてると思うよ」

「分かってる。でも、大丈夫って言ってたし」

「その大丈夫が大丈夫じゃないんだよ!」

俺は優の言ってる意味が分からず困惑する。大丈夫が大丈夫じゃないってなんだよ。

「大丈夫ってさ、自分に言い聞かせたり、周りに迷惑かけないように言う言葉でもあるってこと分かってる?海が言ってる大丈夫は、本当はお前と一緒にいたいって、洸介にそばにいてほしいって意味なんじゃないのか?」

優の言葉にハッとする。確かに最近は海と電話してても、俺の話ばかりで海はただ相槌を打って聞いているだけ。俺は海の事を分かってるつもりだったけど、全然わかっていなかった。

「優」

「何?」

「ありがとう」

「どういたしまして」

俺は優にお礼を言って、急いで海のもとへと向かった。



海side

「海!」

「洸介先輩?」

「朋、ちょっと海借りるぞ」

「どうぞー」

急に声がしたと思ったら先輩が僕の腕を引いていた。

「洸介先輩?急にどうしたんですか?」

「いや、海の顔が見たくなっただけ。なんか最近ちゃんと顔見れて話せてないし…」

「先輩?」

先輩の視線が下へと向いた。やばい。慌てて腕を後ろに隠すが、手遅れだ。

「海、ブレスレットは?ずっとつけてるって言ったよね?」

「え、えっと…」

先輩は僕の顔を覗き込むように一歩近づいた。

「もしかして、俺といるの嫌になった?」

「そんなことないです!そんなことあるわけないです」

急いで否定した。僕が先輩を嫌いになることなんてきっとない。

「じゃあなんで?」

「…実は、どこかに落としてしまったみたいで…」

「落とした?」

「…はい。先週、器具庫の掃除をしたときに、なくしてしまったみたいなんです。器具庫探しても、部室探しても、見当たらなくて…。その、ごめんなさい。先輩が大事にしているものなのに」

「よかったー」

最後の言葉は先輩によってかき消された。

「え?」

「もう嫌になったかと思って焦ったわ」

「そんな、嫌になるなんてないです」

「また新しいのあげるからそんな暗い顔すんなって。な?」

「本当に?」

「うん。だから、待っててね」

「はい!」

「それより、最近ちゃんと面と向かって話せてなかったけど、なんか悩み事あるの?」

「な、ないですよ?」

先輩に顔を覗き込まれて、少し焦る。

「本当に?ブレスレットのことだけじゃないんじゃない?」

「本当ですよ」

精一杯の強がりだ。僕の事をこんなにも大切にしてくれる先輩を悲しませたくない。

「ならよろしい」

そう言って海の腰を引き寄せる。

「ちょ、先輩、みんないるから!」

顔がどんどん赤くなっていくのが分かる。渡り廊下とは言え、周りには作業している学生がいた。

「約束して。何か悩み事があるんだったら、言うこと。隠し事はなしだからね。分かった?」

「分かりました。先輩、そろそろ恥ずかしいので…」

先輩の腕を軽く叩き、ようやく解放される。

「もう少しだったのに…」

「なんか言いました?」

先輩がつぶやいた声がした。

「何も」

「そうですか。先輩こそ、隠し事なしですよ?」

「分かってる。約束な」

そう言って先輩と指切りを交わした。


先輩と話して少し気が楽になった。

「なんか嬉しそうじゃん。いいことあった?」

「うん。まあね」

先輩の言葉を思い出して、口元が緩むのが分かる。

「いーなー。俺の彼女さん最近全然かまってくれなくて悲しい」

「しょうがないだろ。きっと、夏菜ちゃんも準備で忙しいんだって」

「確かに家帰ってきてすぐ寝てるし、最近家でも話してないかも」

「マジ?」

「うん」

朋の驚きに頷く。夏菜は僕たち以上に文化祭の準備で忙しそうにしている。

「こういう時こそ彼氏の出番でしょ」

「彼氏の出番って何すればいいんだ?」

「うーん、さっきの洸介さんみたいに連れ出して、慰めてあげるとか?」

圭斗は腕を組み、提案する。

「いや、そんなことしたら夏菜怒るでしょ。途中で割り込むなんてことしたら、後がないよ。夏菜の場合」

「確かにそうだな。この前も勉強途中に休憩しようっておかし出しただけで怒られた」

「まじか」

圭斗が信じられないという顔をした。夏菜は小さい頃から自分が決めたことを途中で遮られるの嫌いだから、僕でも夏菜を慰めるのに苦労してきた。今回も一筋縄ではいかなそうだ。

「俺はどうしたらいいんだよ」

朋が頭を抱えている。

「んー、とりあえずは文化祭が終わるのを待つしかないね。あと3日で文化祭だしもう少しの辛抱だと思いなよ」

「そうだな。文化祭になれば休憩時間も遊べるし、少しは2人の時間作れるんじゃないか?」

「分かった」

朋はしぶしぶ納得して頷いた。















 文化祭

海side

慌ただしい文化祭の準備期間が過ぎていよいよ文化祭当日がやってきた。大学構内は文化祭モードになり、装飾がいたるところに施されている。

「海―、早く出ておいで」

「無理だって!こんなの恥ずかしいよ」

「最高にかわいいから大丈夫!ほら、早く準備しないと」

駄々をこねていると、ずるずると引き出されてしまった。恥ずかしすぎる。こんな格好で接客とか無理だし。

「めちゃくちゃかわいいじゃん!」

そう言ってケータイを取り出し、写真を撮りだす圭斗。

「マジで辞めて。圭斗、本当に怒るよ」

圭斗は僕と一緒に女装をするはずだったのに、ミスター彩色候補に選ばれたために、女装から免れたのだ。

「なんで僕だけこんなことに…」

「大丈夫だよ。ちゃんとかわいいから。それに、そんな顔してるより、笑ってる方がいいでしょ?」

そう言って涼さんが僕のほっぺをつまんだ。

「涼さん、それ慰めになってません」

「ごめんごめん。じゃあ、頑張って。とりあえず、店番は午前中だけだから。ね?」

「はい」

もうこれが運命なのだと受け入れるしかないのだ。なんでじゃんけん負けちゃったんだろう。肩を落としながらも開店の準備を始めた。


「いらっしゃいませー。チーズケーキと紅茶ですね。500円です」

「お姉さんかわいいですね。あとで私たちと写真撮ってくれませんか?」

「写真ですか?えっと…」

「どうぞどうぞ。食べ終わったら声をかけてくださいね」

「ちょっと朋、何勝手なこと言ってるの」

「いいじゃん。その方がお客さん入るし。自分の可愛さ自覚しろって」

「意味わかんないから」

はあとため息をつきながらも、仕事を再開する。午前の部、終了まであと1時間。もう少しの辛抱だ。

「いらっしゃいませー。って洸介先輩?」

「ちょっと海連れてくぞ」

「どうぞー」

「え、ちょっと朋!」

「いってらっしゃい」

急に現れた洸介先輩に腕をつかまれて教室を出る。

「先輩?急にどうしたんですか?それに、どこ行くんですか?」

先輩は何も答えず僕の腕をしっかりとん握ったまま、廊下を進んでいく。

「ここなら誰もいないな」

階段下に僕を連れてきた先輩はようやく手を離した。僕の後ろには壁があって、前には先輩が立って僕を見つめている。

「先輩?急にどうしたんですか?なんでこんなところに?」

「…お前、かわいすぎ。こんな格好されたら、誰にも見せたくなくなるだろ」

そう言って先輩は僕の頬に手を添え、僕の腰に手を回した。

「せ、先輩?」

「なに?」

先輩はいたずら気に微笑んだ。

「ち、近いです」

「恋人同士なんだから、普通でしょ。ねえ、海は俺のことかっこいいって言ってくれないの?」

「ううー。先輩のいじわる」

「いじわるで結構。それで?ほら早く」

先輩はどこまで僕をイジメるのが好きなの?

「せ、先輩も、かっこいいです」

「よくできました」

そう言って先輩は僕の頭を撫でで、僕のあごに手を添えた。先輩の顔がだんだんと近づき、2人の影が重なった。先輩の唇は柔らかくて、温かかった。

「海、赤くなりすぎ。こっちまで照れるだろ。」

「だって、先輩が…」

「何?もう1回したいの?」

「そ、そうじゃなくて。恥ずかしいんです」

チュッ

「んぁ、はぁ。せん、ぱい、苦し。んんぁ。はぁ」

その時、突然脳裏にエリカ先輩と笑っている洸介先輩の姿が映し出された。僕は先輩の胸を押し返し、先輩から距離を取った。

「海?どうしたんだ?」

先輩は心配そうに僕の顔を覗き込んできた。これがばれてしまったら、何かが壊れてしまう気がした。

「…先輩のキス長いです」

ひねり出した言葉に先輩は安心しているようだった。

チュッ。先輩が今度は軽く口づけをした。

「じゃあ、これからもっと練習しないとだな」

「え?」

先輩の言葉に思わず聞き返した。

「じゃあ、戻ろっか。仕事ほったらかしにして抜け出してきちゃったし。それに…」

「それに?」

「これ以上キスしたらその先もしたくなっちゃうでしょ?」

先輩の言葉に顔が赤く染まっていくのが分かる。ただ、さっきから尾の脳裏に焼き付いた映像が離れないでいた。



洸介side

「洸介これ見た?」

そう言いながら興奮気味の優がケータイを見せてきた。そこに映っていたのは、

「海?」

「そう!こんなに女装が似合うなんて思わなかったなー。しかもちゃんとかわいいし。もはや女子じゃん。って、洸介?聞いてる?」

「ごめんちょっと抜けるわ」

「え?今からお客さん来ちゃうんですけどー、ってもういないし」

優の声が聞こえるが内容は入ってこない。俺は譲渡会の会場を抜け出し、急いで海たちのいる教室へと向かう。海があんな格好するなんて。しかも似合いすぎだし。


「先輩?」

目的地に到着し海を見つけると、ぽかんとする海の手を引き、教室を抜け出した。

「…お前、かわいすぎ。こんな格好されたら、誰にも見せたくなくなるだろ」

不思議そうに俺を見上げる海はいつもと違ってかわいすぎる。俺は理性をおさえきれずに、海にキスをしてしまった。海の反応はやっぱりかわいくて、もっとイジメたくなる。

「んぁ、はぁ。せん、ぱい、苦し。んんぁ。はぁ」

海の唇は熱を帯びていて理性が飛びそうになる。

「じゃあ、戻ろっか。仕事ほったらかしにして抜け出してきちゃったし。それに…」

「それに?」

「これ以上キスしたらその先もしたくなっちゃうでしょ?」

顔を赤くした海の顔を見下ろしながら、必死で平然を保つ。俺の恋人はかわいすぎる。


「どうだった?生の海くん。」

「優、その言い方辞めろ」 

海を教室まで送り、譲渡会の会場に戻ると優がそんなことを言ってきた。

「はいはい。幸せそうで何よりです」

「海のやつ、マジでかわいいから誰にも見せたくねえ」

「こりゃ重症だな。海のこと考えるのはいいけど、仕事はちゃんとやれよー」

「分かってるって」

晴の一声にあいまいな返事を返しながらも、頭の中は海一色だ。

「まあ、明日には自由時間も増えるんだし、楽しんで」

「うん。そうする」


文化祭1日目、譲渡会にはたくさんの家族連れが来てくれて、何組か里親候補が決まろうとしていた。海たちのお店も大盛況で終わったみたいだ。文化祭中は部活がないから、自主練習をしにグラウンドへ向かう。

「洸介ー、俺も自主練したいからちょっと待ってて」

「了解」

優が俺を追いかけるように部室に入ってきた。自主練といえども、体がなまらないように軽く動くだけだから、話し相手がいた方が楽しい。

「最近どう?俺さ、全国終わってからなんか力が抜けないって言うか無理に走りすぎちゃうんだよね」

「切り替えがうまくできてないんじゃないか?もうオフシーズンになったんだし、来年の目標立て直してみたら?」

「そうだな」

優といつものように他愛のない話をしながら、アップをする。

「俺次軽くウエイトやるけどどうする?」

「俺、体幹にするわ。あでも、負荷付けたいからジムには行くわ」

アップを終えて2人でジムに向かう。優と練習する時はこのメニューが1番多い気がする。ジムに着くとそれぞれの定位置に着いてトレーニングを始める。俺らの大学のジムは運動部の強豪チームが在籍しているためか設備が充実している。

「ふう」

いつものメニューをこなし、一息つく。

「真面目さは変わらないんだね。はい、これ」

俺は急にかけられた声に顔を上げて、動きを止めた。水を差しだしてきたのは…。

「なんで…」

「なんでってここ大学のジムだよ?私も使ってよくない?」

「そうじゃなくて、なんで俺に話しかけるの?」

ようやく頭が追い付いてきた。

「だって久しぶりだし、それに、最近部活でも私のこと避けてるじゃない。だから、話しかけようと思って」

「別に避けてなんかねえよ。それに、話すことも別にないだろ」

「避けてるよ。文化祭で獣医学部と経済学部で一緒に活動するのに、私のチームには一切来ようとしてなかったでしょ」

「俺はもう迷惑ごとには巻き込まれたくないんだ。わかるだろ」

そう言って俺はトレーニングを再開した。

「あのことは誤解なの。ねえ、私の話を聞いてよ」

俺が無視をしているからか声を大きくするエリカ。

「ちょっとエリカうるさいよ。他の人もいるから」

エリカの声を聞いたのか、他の場所でトレーニングをしていた優が駆けつけた。

「だって…」

「もう終わったことだろ。トレーニングの邪魔しないでくれ」

「分かったわよ。」

冷たくあしらうとエリカは涙声で帰っていった。

「大丈夫か?」

「ああ。悪いなトレーニング中だったのに」

「いや、ちょうど終わって様子を見に来たら、なんか騒いでるし」

「助かったよ。なんか俺も動揺してた」

「だよな。あいつ、結構根に持つタイプだから気をつけろよ」

「分かってる」

エリカは大学1年から2年にかけて付き合ってた元カノで陸上部のマネージャーをやっていた。2年のシーズン真っ只中、俺は勉強と部活の両立に思い悩み、イライラがたまっていた。彼女であるエリカへのあたりも厳しくなっていた。そのせいか浮気をされてしまったんだ。

『私は洸介の事1番近くから応援してるつもりだったけど、洸介は私の事を一番に見てくれなかった』

別れ際、エリカは俺に言った。俺はエリカの事が本当に好きだったから、俺が招いてしまった浮気なんだって思ったのに、謝ってもエリカは戻ってきてくれなかった。俺を置いて俺の前から消えたんだ。

「おい、大丈夫か」

「あ、うん。ちょっと考え事」

「あんまり考えすぎるなよ」

「うん」

はあ、面倒なことになったな。エリカの性格上、今日の事があって簡単に手を引くとは限らないだろう。海に危害が及ばないといいんだけど。


文化祭2日目。今日も青空が広がるいい天気だ。しかし、俺の心は曇り空。昨日のことがあってから気分は沈んでいる。

「おい、なんでエリカがいんの?」

「担当を変えてほしいって1年生に頼んだらしい。1年も、エリカの頼みだからとか言ってすぐ言いなりだよ」

ちょろいやつらめ。

「まじか。洸介は平気なのか?」

「大丈夫だと思うか?」

後ろでこそこそと話している晴たちに顔を向けて言った。

「なんかあったら言えよ。俺らでも運営はできるし、無理だったら変わるから」

「それに、洸介の担当昼からだろ?早く遊んで来いって。海、待ってるとおもうよ」

「そんなの分かってるよ。でも、海、昨日の大盛況があったから今日も店番で抜けられないって。俺の事は後回しにされちまったよ」

自分で行っといて自分で落ち込んでしまう。こんな悲しいことあるかよ。彼氏より仕事優先だなんて。しょうがないのは分かるけどさ。

「こりゃ緊急事態だな」

「お手上げ状態。海が来てくれればいいのにな」

「本当だよ」

2人の会話は耳に入るが返事をする余裕もない。

「洸介、これ手伝ってー」

エリカが俺を呼ぶが、俺は完全に無視をする。

「先輩、今だれも手空いてないんで、エリカ先輩のとこ行ってもらっていいですか?」

「分かったよ」

後輩に言われ仕方なく、重い腰を上げる。

「これを組み立てるんだけど、やり方がわかんなくて」

「簡易テントか。説明書は?」

「これなんだけど」

説明書を読み、やってみるがなかなか組立たない。

「ここをひねるとはまるはずなんだけど」

カチっと部品がはまる音がして、ようやく完成した。

「よしっ、完成」

「やっとできた!ありがとう洸介」

俺はエリカとの距離が近いことに気づき、慌てて我に返った。やばい、素で笑ってしまった。

「ああ。もういいか?戻るぞ」

そう言って元いた場所に戻ろうとしたが、体が動かない。

「待って。お願い。私の話を聞いてほしいの」

エリカが後ろから抱きついてきた。

「離れろ」

「嫌よ。洸介が聞いてくれるまで離さない」

そう言って一層抱きしめる腕に力を込めてきた。

「分かったよ。話聞くから、放せって」

「どこにもいかないで私の話を聞いてね」

「分かった」

俺が返事をするとようやく解放された。

「それで、話って何?」

「誤解なの!」

「何が?」

急な言葉にわけもわからず聞き返す。

「あの時の浮気は誤解なの。あれは、その、私のいとこで、ちょっと協力してもらっただけなの」

いとこ?協力?エリカの言葉の意味が分からず困惑する。

「どういうことだ?」

「あの時、洸介学校ですごい人気あって、洸介を囲んでる女の子たちにいつも嫉妬してた。彼女は私で、洸介を一番応援してるのも私なのにって、ずっと思ってた」

「それで?俺にも嫉妬してほしくて浮気をしたと」

俺にはエリカの言っていることが理解できない。

「だから、浮気じゃないってば。私はただ、洸介の愛情が欲しかったのよ。私が1番好きなのは洸介で、洸介も1番好きなのは私っていう証拠を確かめたかったの」

「じゃあ、なんですぐに誤解を解かなかった?そんなことならすぐに話をしていただろ?」

「そ、それは…」

エリカは口をつぐんで黙り込む。

「ほら、やっぱり俺意外に好きな奴でもいたんじゃないのか?」

「違う。私が言えなかったのは洸介が私を軽蔑したからよ。私はそれにショックを受けて…」

俺はエリカの言葉に口をつぐむ。

「軽蔑なんてしてない。ただがっかりしただけだ。人にこんなにも裏切られるなんて思ってもみなかったし、まさかそれが自分の恋人だなんて信じられるかよ」

「本当にごめんなさい。今更だけど、ちゃんと謝りたいの」

「別にいいよ」

「本当に?もう怒ってない?」

「許すとか、そう言うんじゃなくて、そうやって聞かれるのももう疲れた。それに、陸部でも暗い雰囲気なのはこっちが悪いみたいでいやなんだよ」

エリカを許したわけじゃない。ただ、あの時は俺にも否があって、きっとどこかでエリカの事を傷つけていたんだ。

「浩介ありがとう!」

「ちょ、うわっ」

エリカは思い切り俺に抱きついてきた。俺はバランスを崩し、エリカが俺にまたがるような形で倒れこんだ。

「ったー。気をつけろよ」

衝撃を感じつつ、目を開けて息をのむ。エリカの顔が目の前にあったからだ。エリカはどこうとせず、顔を近づけてくる。ドクン。俺の胸は懐かしい音を立てた。俺は動揺して頭が追い付いてこない。もう少しで唇が触れそうなとき、慌てて起き上がった。

「大丈夫か?」

「う、うん。浩介こそケガない?」

「ああ、大丈夫だ」

「よかった」


ガッシャーン

その時、校舎の方で何かが落ちて割れる音が響き、顔を向けた。音の犯人は海だった。海は俺を見つめていた。もしかして、今の見てた?

「海?違うんだ今のは…」

海に説明をしようと海の方へと歩き出す。だけど、海は俺に背を向けて走り出した。

「海!待てって!」

海の名前を呼ぶが海は振り返ってくれない。

「先輩、いま行っても海を傷つけるだけです」

「は?」

誰かが海を追いかけようとする俺の腕をつかみ、俺の足を止めた。訳も分からず振り返ると、最近海とよく一緒に見かける奴がいた。

「放せ。お前には関係ない」

「関係あります。僕は海を高校時代から知ってるし、それに…」

「なんだよ?」

「俺は海が好きです。俺は先輩よりもずっと前から海を近くで守ってきたんだ」

まっすぐ俺を見つめて言うその眼は真剣そのものだった。俺は思わず頭にきて、そいつの胸ぐらをつかんだ。

「お前、それ以上言ったら殴るぞ。今、海は俺の恋人だ。誰かに触らせたりなんかするかよ」

「受けて立ちますよ。海を傷つけておいて絶対に許さない」

「おい、何の騒ぎだよ。ケンカはやめろって、他の人も見てるんだから」

もう少しでこいつに一発くらわすところだったのに、晴と優が間に入り引き離された。

「覚えておけよ」

睨みつけて言った。

「先輩こそ」

「おいおい、そこで喧嘩したって何も解決はしないだろ」

「…分かってるよ」

「浩介先輩、エリカ先輩、彩色コンテストの準備があるので急いで講堂に向かってください」

2人に説得されようやく落ち着きを取り戻したところで係の生徒に呼ばれてしまった。



海side

僕は何も考えずに走り出した。嘘だ先輩がそんなことするはずない。あれは僕の知ってる先輩じゃない。だけど、勝手に体が先輩から逃げてしまっていた。

「はあはあ、はあはあ」

久しぶりに息が上がるほど走った。やっと屋上に着き、膝に手をついて息を整える。

ズキっ

「痛っ」

足首に激痛が走って、フェンスに寄りかかる。やっぱり治ってないか。

「はあー。先輩の嘘つき」

大きく深呼吸をして大空を見上げてつぶやいた。全然吹っ切れてなんかないじゃんか。期待した僕がバカみたいだ。さっきの浩介先輩の上にエリカ先輩が乗っている場面が脳裏に焼き付いて離れない。

「海!それだけはやめろ!」

僕を追って屋上に飛び込んできた涼さんが叫んだ。僕はハッとなって顔を上げる。少し期待してしまった自分が憎い。浩介先輩なわけないじゃないか。

「もう、そんなことはしませんよ。少し空が見たくなっただけです」

「なら、いいんだ。あの時のことが浮かんじまって」


先輩に言われて思い出す。僕が高校2年の時、もう跳べなくなって、どん底だった僕に追い打ちをかけるように、ずっと好きだった人に男を好きなんて気持ち悪いと言われた。僕は自分なんかいなくなればいいんだと思った。屋上から見える空は青く広がっていた。僕は無意識にフェンスに手をかけて体を浮かせた。

『おい!なにやってるんだよ!』

急に後ろから身体をつかまれ、フェンスから引きはがされる。僕は気づかぬうちに泣きじゃくっていた。

『僕なんて何もない人間なんです。誰も必要としてくれないんです』

『今はいなくてもいつか現れるから、その時まで一生懸命生きてみろよ。もし、誰もそばにいないなら、俺がいてやるから』

涼さんは泣きじゃくる僕を受け止めて、助けてくれたんだ。涼さんとも出会いで僕は救われたんだ。涼さんが僕にもう1度生きる勇気をくれた。


「涼さんに助けてもらった命を簡単に捨てられないです」

「当たり前だ。死なれちゃ困る」

そう言って先輩は僕の隣に座った。

「涼さん」

「ん?」

「先輩は運命とか信じますか?」

「運命か、難しい質問だね。偶然が重なれば運命だと言う人もいるし、目を見て何かを感じて運命だと言う人もいるよね」

「はい」

「俺は…そうだな。もし運命が俺を引き寄せたり、運命が僕に気付かせたりしたら信じるんじゃないかな」

「そうですか」

「うん。運命がどうかしたの?」

涼さんは不思議そうに首をかしげた。

「僕、ずっと運命を信じてたんです。それで、浩介先輩に会って先輩の目を見た時、この人が自分の運命の人なんだって思って、嬉しくて。でも、先輩は違ったみたいです。先輩の運命の人は僕じゃなかった」

ふわっと頬に柔らかい感触を覚え顔をあげると、ハンカチがあてられた。

「これ使って。好きなだけ泣いていいから。何なら胸貸すよ?ほら」

そう言って涼さんは腕を広げた。僕は気づかぬうちに涙を流していた。

「ううー、涼さーん」

僕は声をあげて泣きじゃくりながら涼さんの胸に飛び込んだ。

「よーしよーし。辛かったね。話したいことあったら話してもいいんだよ。いつまでも聞くからね」

涼さんは泣きじゃくる僕の頭を撫でて優しく僕を包み込んでくれた。



涼side

海は泣きつかれるとすやすやと眠ってしまった。全く無防備な奴だ。眠っている海の顔は子供のようにかわいくて、泣きじゃくって晴れてしまった目の周りが赤くなっている。さっさと俺にしておけば、こんなに泣くこともないのに。

「好きだよ、海」

俺は海のおでこにキスを落とした。

「んん」

俺の膝の上で気持ちよさそうに眠る海。何やってるんだ俺は。でも、あいつがこれ以上海を苦しめるなら、俺が海を奪ってでも俺が幸せにする。



海side

「涼さん?」

「起きたか?そろそろコンテストの時間だけど、いけるか?」

寝ぼけて目をこすりながら起き上がる。

「もうそんな時間ですか?僕どんだけ寝てんだ」

いつの間にか昼を過ぎていて、時刻は午後2時。圭斗のコンテストが始まる時間になっていた。

「落ち着いたみたいだな」

「はい。ありがとうございます。あ、お店…」

カフェをほったらかしにしてきていることに気づいた。

「圭斗が出てくれたみたいだ」

「圭斗がですか?」

「ああ、俺らが帰ってないからって電話してきたんだ。事情を話したら、やるって言ってくれて。」

あの圭斗が散々嫌がってた女装をするなんて…。圭斗、大好きだ。コンテスト頑張れ。

「そうだったんだ…」

「ほら、講堂で結果発表だから行こう」

「はい」

僕は先輩と屋上を後にして講堂に向かった。


講堂の扉を引くと誰かが中から開けようとしていた。

「「あ」」

出てきた人と声が重なり、顔を上げると浩介先輩と目が合った。ズキっと胸の奥が音を鳴らした。僕は慌てて扉を押し開ける。

「海、ちょっと待ってくれ」

浩介先輩が僕の腕をつかみ僕を引き留める。先輩の手震えてる?

「今急いでるので」

先輩と目を合わせたところで涼さんが入ってきた。先輩の手は僕から離れて、先輩のぬくもりだけがわずかに残る。


「海―、こっちこっち」

講堂に入ると、朋が席を取って待っていてくれた。

「ありがとう」

「大丈夫か?」

「うん」

朋は何も聞かずにいてくれた。

「涼さん、海のこと、ありがとうございます」

「俺は何もしてないよ。ほら、始まる」

涼さんがそう言うと、講堂の照明が暗くなり、コンテストの候補者による最後のアピールが始まった。圭斗は後半の登場で、特技のピアノを披露していた。いつの間に練習してたんだ。披露したのは有名なバラード曲だ。今の僕の心にしみて涙を誘う。

「海、大丈夫か?やっぱり外行く?」

「ううん。大丈夫だよ」

圭斗の演奏が終わり、会場は拍手に包まれる。女子からは歓声が上がっている。


「では、まず初めに、今年の新入生ミスター・ミス彩色の発表です!」

司会の言葉に会場中が息を詰まらせる。

「今年のミスター彩色は社会学部、桃山圭斗さんです!」

「「きゃー!」」

会場から拍手と歓声が上がる。これでまた圭斗のファンが増えるんだろうな。

「そして、新入生ミス彩色は花崎夏菜さんです!」

「え、夏菜?なんで夏菜があんな所にいるの?ねえ、朋は知ってたの?」

「逆になんで兄貴の海が知らないんだよ。それにさっきもステージやってただろ」

全然気が付かなかった。朋は立ち上がってステージ上にいる夏菜に手を振っている。夏菜も気が付いたのかこちらに手を振り返している。まさか夏菜がミス彩色に選ばれるなんて、驚きだ。

「続いて、毎年恒例、彩色スターの発表です!今年の彩色スターはこの2人です!」

司会者の声と同時に舞台に登場した2人を見て思わず息をのんだ。だってそこに立っていたのは、洸介先輩とエリカ先輩だったから。2人は腕を組んで笑っていた。

「今年の彩色スターは、なんと今年で3連覇、経済学部の黒川洸介さんと獣医学部の西村エリカさんです!」

先輩の笑っている顔を見て、心がえぐられる。

「今年もあの2人かよー」

「ほんとお似合いだよなー」

周りの声がさらに僕の心をえぐる。

「それでは、3連覇の2人から一言ずつ頂きたいと思います」

「はい、みなさん今年も投票ありがとうございます!今年もこのステージに立つことができてうれしく思ってます。来年もぜひよろしくお願いします!」

「えー、今年もこのような賞をもらえて嬉しいです。いつも応援ありがとうございます」

「お2人は付き合っているという噂がありますが、本当ですか?」

「「おおー」」

司会の直球すぎる質問に会場が騒がしくなる。

「そこはご想像にお任せします」

エリカ先輩の言葉はさらに会場の興味を引いていた。洸介先輩はというと、エリカ先輩と組んだ腕を離すことなく黙って立っていた。僕は嫌でも2人の幸せそうな笑顔に目を向けていられなかった。

「海、大丈夫か?」

「え?」

気が付いたら何か冷たいものが僕の頬を伝っていた。

「海、ちょっと抜けるぞ」

うつむく僕の肩を抱き、朋が言った。

「うん」

僕たちは席を立ち、いまだ熱気に包まれる会場を後にする。


「はあー。ここなら大丈夫だな。少しは落ち着いたか?」

「うん」

講堂から離れたグラウンドについてベンチに腰を下ろす。

Prrr

その時、朋の携帯が鳴った。

「圭斗?今グラウンド。うん。わかった。夏菜には言っておいて。うん。ありがとう」

「圭斗なんだって?」

圭斗と電話を終えた朋に聞く。

「今から来るって。そんな顔すんなって。大丈夫だから」

「そっか。なんかごめんね。僕のために」

「謝るな。海はいつでも俺らの事を頼りなさい。わかった?」

「うん」

朋の言葉はいつも優しく僕の心に響く。それがまた涙を誘っちゃうわけで。

「お前ら、遠くに行きすぎだろ。先輩から逃げるのまじで大変だったんだからね」

そこへ圭斗が走ってやってきた。

「圭斗―、おめでとうー」

僕は思わず圭斗に抱き着いた。散々泣きじゃくった僕の顔はぐちゃぐちゃなのに圭斗はしっかりと抱きしめてくれた。

「ああ、ありがとう。それよりも大丈夫なのか?」

「これで大丈夫だったら圭斗いらないでしょ」

僕を指さしながら朋が言った。

「僕もうだめだ。先輩ばかりを責めちゃう自分が嫌になる」

「何言ってんだよ。先輩の話はちゃんと聞いたのか?」

「ううん」

圭斗の問いに首を振ってこたえる。

「まずは先輩の話を聞いてあげなよ。なにか誤解があるかもしれないだろ」

「でも、あの時の先輩の目、動揺してた。もし僕が先輩に捨てられたら?」

あれはきっと見間違いじゃない。エリカさんが洸介先輩に抱き着いた時先輩の目の色変わってた。きっと動揺してたんだよ。

「それはないから。考えすぎるなって」

「そうだよ。洸介さんだって海と話そうとしてただろ」

「そうだけど…でも…」

「でも禁止。洸介さんのこと好きなら、ちゃんと話聞く事。わかった?」

「…うん」

朋と圭斗の説得に頷く。

「よし、今日は部活もないことだし、俺んちでバーベキューしようぜ」

「ほんと?」

「ああ。父ちゃんが帰ってくるから、久しぶりにやることになったんだ」

「でも、俺らが行っていいのか?家族の時間邪魔しちゃわない?」

「何言ってんの。母ちゃんが呼べって言ったの。だから、来てもらわないと俺が困る」

「行く」

「え?」

ぼそっとつぶやいた僕の声に圭斗が反応する。

「行く!お肉食べる!」

「おう!そう来なくっちゃ!」

「じゃあお言葉に甘えて俺も」

「決定だな。海、もう悲しそうな顔するの禁止な。俺らがいるから。な?」

「うん!」

「海は笑ってるのが一番だな。」

朋に言われ少し照れくさい。2人は最高の友達だ。もし2人がいなかったら僕は悲しさに耐えきれなくなっていたはずだ。



洸介side

「俺どうしたらいい?海を傷つけた。海の事大事なのに、俺が守ってやらないといけないのに、裏切るようなことして、きっと海を泣かせた。俺が海を泣かせないってそう決めたのに」

「洸介は裏切ったわけじゃない。まあ、誤解はされちゃってるだろうけど」

「海とちゃんと話しなよ。本当のこと話せばわかってくれるはずだろ?」

「でも、さっき避けられた。しかも軽蔑するような目で俺のこと見てたし、絶対嫌われた」

行動の入り口で海と会った時を思い出す。


「「あ」」

講堂の扉を開けようと手をかけると、外からも扉が引かれて、開けていた人と声が重なり、目が合う。海の声だ。

「海、ちょっと待ってくれ」

俺は慌てて海に声をかけるが、海は何も言わずに行ってしまった。

「今急いでいるので」

海に続いて俺の前を通ったのは確か涼って言ったか?最近やたらと海と一緒にいるところを見かける。俺は通り過ぎる2人の後ろ姿を見ながら立ち尽くす。

「洸介早く!スタンバイ間に合わないから!」

「分かった」

彩色スターの授賞式を控えている俺は係の学生に呼ばれ、慌てて舞台裏へと回る。


「遅いじゃない。ほら、準備して」

「ああ、分かってる」

舞台裏に行くとすでにエリカが準備をしていた。3年連続2人で彩色スターの受賞らしい。

「彩色スターの2人は腕を組んで登場ね。去年と同じような感じでラブラブでお願いね!」

係の学生が声をかけてきた。まじかよ。

「はい!任せてください!」

隣にいるエリカは、はい喜んでと言わんばかりの返事をする。

「分かりました」

俺はため息をつきながらやむなく了承し、舞台袖で出番を待つ。

「ねえ、そんなに嫌がらなくてもよくない?」

「お前、よく普通でいられるな」

言い寄ってくるエリカに冷たくあしらう。

「そんなに冷たくしないでよ。傷つくじゃない。それにさっき仲直りしたんだし、仲良くしようよ」

「…」

「ねえ、聞いてる?」

今はエリカを相手にするほど余裕なんてない。頭の中は海のことだけだ。

「もうそろそろ準備です。2人とも笑ってくださいね!最高のスマイルでお願いします!」

登場の合図を出しに来た学生が言った。

「せめて舞台上だけでも笑ってよね。運営のみんなも盛り上げてくれてるんだから」

「分かってるよ。ほら、行くぞ」

「うん!」

エスコートのため、腕を出すとエリカはくっつくように腕を絡ませてきた。しょうがない。この瞬間だけだ。我慢しろ、俺。


「「「キャー」」」

俺たちが登場すると会場の歓声が響いた。ランウェイのように作られた舞台を2人で歩き、中央でトロフィーを受け取る。

「えー、今年もこのような賞をもらえて嬉しいです。いつも応援ありがとうございます」

司会者に一言求められ、お礼の言葉を述べた。俺は会場にいるはずの海を探して客席を見渡す。いた、海だ。舞台から見て1番右の中央の席に海が座っているのが見えた。しかし、海は隣にいた朋と席を立ち、講堂を出て行ってしまった。俺は海を追いかけることもできずに舞台に取り残される。


『了解。今からそっち行くから。ちょっと待ってて。あ、うん分かった』

舞台から降りると誰かと電話をしている圭斗を見つけた。もしかしてと思い話しかける。

「圭斗!今の電話、海か?どこにいるか教えてくれないか?」

「こ、洸介さん。すみません僕トイレ行きたいので。失礼します。」

しかし、圭斗は海について何も言わず、まるで俺から逃げるように出て行ってしまった。

「洸介、大丈夫か?」

「完全に避けられた。圭斗に居場所聞いても教えてくれないし、海の電話もつながらない」

呆然と立ち尽くす俺のもとに優と晴がやってきた。

「今言うのもなんだけど、さっきの見せつけられちゃったら誰でも傷つくよ。多分」

「しょうがないとはいえ、くっつきすぎだったしな」

2人の言葉が胸に突き刺さる。何やってるんだ、俺は。

「なあ、俺はどうしたらいい?」

「それはちゃんと本当のことを話して、誤解を解かないと」

「どうやって?」

「それは…」

晴は口をつぐんで黙ってしまった。俺は頭を抱え、ため息を吐く事しかできない。海、頼むから俺の話を聞いてくれ。



圭斗side

『了解。今からそっち行くから。ちょっと待ってて。あ、うん分かった。』

ミスターコン優勝後のインタビュー攻めを抜け、ようやく朋と連絡を取ることができた。

「圭斗!今の電話、海か?どこにいるか教えてくれないか?」

電話を切って出口へ向かおうとすると、洸介さんが僕を引き留めた。

「こ、洸介さん。すみません僕トイレ行きたいので。失礼します」

僕は洸介さんから逃げるように言い残し、急いで出口へと向かった。

「あ、夏菜、朋がこの後一緒に回れないだって」

「え、なんでよー。せっかくのデートになると思ったのに」

講堂の出口にいた夏菜に声をかける。俺だってお前らを一緒にいさせてやりたいわ。

「今、海が緊急事態なんだ。詳しくは家に帰ってから本人に聞いて。じゃ」

「あ、ちょっと…。もう」

それだけ言うと講堂を出て駆け出す。グラウンド集合とかどんだけ走らせるんだよ。


グラウンドに着いた俺を抱きしめた海の目は赤く腫れていて、しゃくりあげて泣いていた。こりゃだいぶやられてるな。やっとの思いで朋と2人で洸介さんの話を聞くように説得することが出来た。

「よし、今日は部活もないことだし、俺んちでバーベキューしようぜ」

前々から家族で計画していたバーベキューに2人を誘うことにした。家族同然の2人の参加は妹弟たちも喜ぶはずだ。それに、大勢でいた方が海も気が楽になると思った。


文化祭の片づけを終えて家に着くころにはすっかり日が落ちていて、庭からはお肉が焼けるいい匂いが漂っていた。

「おー、うまそー」

「いい匂いだね」

2人の表情も自然と明るくなっている。

「「おじゃましまーす」」

「ただいまー」

「いらっしゃい。ゆっくりしていってね」

家に入ると母さんが出迎えてくれた。

「手伝うよ。これ持って行けばいい?」

「うん。ありがとう。2人も先に庭に行っててね」

「はい」

「分かりました」

「あ、お兄ちゃんだ!」

「朋君と海君もいるー」

3人で庭に行くと、妹弟たちが俺たちを囲んだ。

「ただいま。みんなはもう食べちゃった?」

「うん。待ちきれなくてパパが焼いてくれたの」

「そっか」

コンロの方に目をむけると、父さんが立っていた。

「圭斗、久しぶりだな。元気だったか?」

「うん。おかえり」

「さあ、3人ともこっちに座りなさい。肉が焦げる前に食べてくれ」

「ありがとうございます。いただきます」

「いただきます」

父さんに席に促され、食事を始める。

「うま!久しぶりのバーベキューだけど、最高だわ。マジでうまいです!」

「それはよかった。2人には圭斗がいつもお世話になってるからね」

「お世話って…。そこまで迷惑かけてないし…」

久しぶりの父さんとの食事で話は盛り上がった。


「お兄ちゃん、優君はいないの?」

ご飯を食べ終え、リビングでくつろいでいると末っ子のねねがそんなことを聞いてきた。

「優君って優さんのこと?」

海が妹に聞くとコクっとうなずいた。

「今日はいないんだ。また、遊びに来てもらおうな」

「そっか、わかった!また連れてきてね」

「うん。約束する」

指切りをすると満足げに遊びに戻って行った。

「圭斗、いつの間に家族に紹介してたんだ?」

「そうだよ。付き合ってるなら1番に教えるって言ったじゃん」

「おい、声でかいって。それに、まだ付き合ってるわけじゃないから」

「どういうことだ?」

訳が分からないと2人そろって首をかしげる。

「だって圭斗、この前優先輩に告られたって言ってたよね?」

「そうだよ。もしかして、まだ返事してないとか?」

「…」

2人の質問に返す言葉が見つからない。

「まじかよ」

「だ、だって、なんて言ったらいいかわかんないじゃん。優さんには返事はいつでもいいって言われてるけど、もし俺のこともう好きじゃなかったら?振られて終わりじゃん」

「そんなこと考えてたの?」

海は呆れたように俺を見た。

「…はい」

2人の圧につぶれるように小さくまるまる。

「もし、優さんが圭斗のこと嫌いになったとしたらもう圭斗に近づくことはしないと思うな」

「そうだよ。優先輩はいつも通り、圭斗に接してると思うよ」

「そうだけどさ…」

「圭斗、話し合いが必要なのは圭斗もじゃない?いつまでも先輩のこと待たせてたらどこか手の届かない所に行っちゃうよ」

「誰かに取られる前に自分の物にしちゃえって。な?」

「…わかったよ」

2人に背中を押され、自分の心とちゃんと向き合ってみることにした。


「「おじゃましましたー」」

「じゃあ、また明日な」

「ごちそうさま。圭斗、ちゃんと先輩と話すんだよ」

「分かってる。海もちゃんと向き合えよ」

「うん」

2人を見送ると部屋に戻り、スマホを起動する。

ディスプレイには優さんの電話番号が表示されている。

Prrrr

電話を掛けようか迷っていると、優さんからの着信が鳴った。

「どうしよ」

出るべきだよな。

ふぅー

深呼吸をし、意を決して電話に出る。

「もしもし」

『もしもし圭斗?今時間あるか?』

「はい、大丈夫です」

優さんは少し真剣そうな声をしてた。

『海の様子はどうだ?洸介が電話をかけても出ないみたいでさ』

聞いてきたのは海の様子で内心落ち込む。まあ、そうだよね。今日の事があったし、仕方ないか。

「昼間は大変でしたけど、今は落ち着いてます。食欲もあるし元気ですよ。俺と朋からも洸介さんと話すよう説得はしたんですが、決心してるかどうかは俺にもわかりません」

『そうか。洸介がさ、ステージにいた時は平気そうだったけど、降りてからは抜け殻状態で、何を言っても空返事なんだ。ずっと海の名前呼び続けてるし』

「そんなに?」

洸介さんの様子を聞いて驚く。

『ああ、だから、俺たちで2人が話し合える場所を作ってやりたいんだ。協力してくれないか?』

「もちろんです」

2人のためだ。2人が仲良くないと俺たちの仲間で悪くなる気がした。

『よかった。ありがとな。じゃ』

「優さん、あの…」

電話を切ろうとする優さんを慌てて引き止める。頑張れ、自分。

『どうした?なんかあったか?』

「その、優さんの告白ってまだ有効ですか?」

『え?それって…』

「やっぱり何でもないです。忘れてください」

無理だ。手汗が止まらないし、緊張で思考が止まりそう。

『圭斗、ちゃんと言ってくれなきゃわからないよ?』

「その、俺と付き合ってくれませんか?」

『はい、喜んで。こちらこそよろしくお願いします』

優さんは俺の好きなあの声で返事をしてくれた。

「本当に?よかった」

『俺の方こそ、やっと圭斗が振り向いてくれて嬉しいよ』

「優さん、大好きです」

『急だな。俺も、ちゃんと好きだよ。今日は遅いからもう切るぞ』

「はい、おやすみなさい」

『ああ、おやすみ』

「はぁぁぁぁ」

電話を切ると布団にうずくまった。本当に、優さんが俺の恋人になったんだ。徐々に実感がわいてきて心臓の音が大きくなるのが分かった。



 二人の関係


圭斗side

「海、いい加減部活に来てよ」

文化祭から約1週間。すっかり日常が戻っている。しかし、海は洸介さんと話すことを説得したはずなのに、話すどころか部活にも来なくなり、俺と朋は海をどうにかして部活に連れて行こうと必死だ。

「マネージャーなら2人いるんだし、足りてるでしょ?それに、僕が行ったところで結局は雑用なんだし」

「そんなこと言うなって。俺らは海を頼りにしてるし、洸介さんだって海のこと待ってると思うぞ」

洸介さんという言葉に海の動きが止まった。

「べ、別に部活が嫌になったわけじゃないよ。ただ洸介先輩とエリカ先輩が2人でいるところを見たくないだけ。変なこと言ってごめん。とりあえず、自分の中で落ち着くまで、行きたくないんだ」

海の心にはまだ迷いがある様だ。

「あの時のことは誤解だったってわかってるだろ?洸介さんに直接聞けばいいじゃん」

「僕だってそんなことわかってる。でも、出来ないんだよ」

海は弱弱しい声で言った。

「だったらこれから確かめに行くぞ」

俺は海の手を引き、立ち上がって歩き出す。

「ちょ、圭斗?どこに連れて行く気?ねえ、聞いてる?」

海は俺の手を振りほどこうとするが俺は負けじと海を引っ張る。行く場所なんて1つしかないだろ。



海side

圭斗と朋に無理やり連れてこられたのは経済学部の棟だ。2人は僕が逃げないように両腕をがっちりと掴んで離してくれない。

「ねえ、いつまで僕を固定する気?」

「洸介さんが出てくるまで」

2人の目は真剣だった。

「圭斗?どうしたんだ?え、海?」

「海?来てくれたのか?」

丁度授業を終えたのか、3人が並んで出てきた。優先輩の声を聞いたのか、洸介先輩は2人の間を割るようにして僕の前に立った。

「海、自分の今の気持ちをちゃんと伝えてこい」

「…分かった」

両サイドにいた2人から解放されると、その場に洸介先輩と2人、取り残された。


「久しぶりだな。元気だったか?」

「お久しぶりです。僕は元気でしたよ」

先輩との久しぶりの会話で何を離せばいいのかわからない。

「あのさ、海、エリカとの事だけど…」

「分かってます。僕の誤解だったんですよね。大丈夫です」

洸介先輩の話を遮り、早口で話す。

「ならどうして、部活に来ない?」

「それは、最近ちょっと忙しくて。もうすぐ期末テストじゃないですか」

ありきたりな言い訳を言って、その場をしのぐ。

「じゃあ、どうして俺と目を合わせてくれないんだ?」

そういうと先輩は僕の顎をつかんで無理やり目を合わせた。

「そ、それは…」

「もしかして、俺のこと嫌いになった?」

久しぶりに見た先輩の目は不安にあふれていた。この原因はきっと僕だよね。

「違います。嫌いになったりしないです」

「良かった」

先輩は胸をなでおろした。

「でも、僕…少し先輩と距離を置きたいです」

「なんで?…やっぱり、俺のこと嫌になった?」

「僕が悪いんです。先輩は悪くない。僕が自分に自信を持てないから、いけないいんです」

「海は何も悪くないだろ。悪いのは俺だ。海を不安にさせて、ちゃんと話をしようとしなかった。俺のせいにしていい。だから、距離を置くなんて言わないでくれ。せめて部活だけは参加してくれ。頼む」

洸介先輩がここまで取り乱すのを見るのは初めてだった。目には涙が浮かび、僕の手を握っている。

「…先輩、ごめんなさい。僕に時間を下さい」

「海、頼む、俺から離れないでくれ」

僕はやっとの思いでそういうと、僕を引き留める先輩を1人残し、立ち去った。


あれから3週間が過ぎ、マフラーが手放せなくなってしまった。外に出るだけで、手は凍えるし、通学だけでも、大変だ。

「海、そろそろ部活に戻って来てよ。エリカ先輩、最近また来なくなって美花先輩1人で大変そうだぞ」

「それに冬合宿まであるし、洸介さんだって待ってる」

お昼の時間、朋と圭斗が話し始めた。洸介先輩とはあれ以来、直接会って話すことはなくなった。僕はというと、最近はぼーっとしていることが多く、勉強も手につかないような日が続いている。頭の中は洸介先輩のことだらけで、やっぱり僕は先輩のことが好きなんだと思わされる。

「うん。来週から復帰しようと思ってる。みんなに迷惑かけちゃったね」

「迷惑かけまくりだよ。海がいないと、メニューが回らないし、気合が入んないんだよ」

「やっと戻ってきてくれるのか。みんな喜ぶだろうね」

「そう言ってくれて嬉しいよ。また頑張らないとだね」


『来週の部活から復帰することにしました。またよろしくお願いします』

その夜、復帰の報告を洸介先輩にした。

Prrrr

携帯のディスプレイに表示された名前を見て息をのむ、洸介先輩だ。僕は緊張で震える手を押さえながら電話に出た。

「も、もしもし」

『もしもし海?復帰してくれるのか?』

「はい。そのつもりです」

久しぶりに聞く先輩の声は少し興奮している様子だった。

『ありがとう。戻ってきてくれて。海がいてくれるだけで嬉しいよ』

「はい」

僕、いつの間に先輩をこんなにも悲しませていたんだ。

『じゃあ、おやすみ。また来週』

「おやすみなさい」

先輩はそういうと電話を切った。先輩の声は僕の好きなあの声で、僕を包み込んでくれるようだった。でも、喜ぶ先輩の声を聴いて、改めて先輩をひとりにしてしまったことを反省する。


「「お疲れ様でしたー」」

翌週、部活に復帰すると、エリカ先輩の姿はなく、美花先輩が1人せわしなく動いていた。

「美花先輩、長く休んでしまってごめんなさい。迷惑をかけました」

美花先輩に改めて謝る。

「海君、ゆっくり休めた?」

「はい」

「良かった。私の方こそ海君の変化に気付いてあげられなくてごめんね。もっと気を配っておけばよかった」

「美花先輩は悪くないです。僕が弱かっただけです。でも、もう大丈夫です。すみません、お待たせしてしまって」

「これからは何かあったらちゃんと話してね。いつでも相談乗るんだから」

「ありがとうございます」

美花先輩は笑って言った。久しぶりの部活はすっかり冬練習のメニューになっていて、マネージャーの仕事も多く大変だったけど、みんなの頑張る姿を見ることができてやりがいを感じた。


「海」

「洸介先輩?どうしたんですか?」

着替えを終えて部室を出ると洸介先輩が僕の名前を呼んだ。

「海を待ってた。一緒に帰ろうと思って。ダメだったかな?」

「ダメじゃないです!一緒に帰りましょう!」

僕は慌てて返事をした。先輩と一緒に変えるなんていつぶりだろう。

「どうだった?久しぶりの部活は」

「うーん。久しぶりの部活で、冬練習って感じがして大変でした」

「そっか。これからもっと大変になるから、覚悟しないとだね」

「そうなんですか?構えときますね」

先輩とこうして話すのは久しぶりだけど、他愛ない話で盛り上がった。


「海、エリカのことだけど」

突然先輩がエリカ先輩の名前を出した。

「はい、何ですか?」

「もう、部活には来ないと思うから」

「え?」

先輩の言葉に思わず聞き返す。

「俺、ちゃんとエリカと話したよ。もう、俺はエリカのこと好きじゃないって。俺が今好きなのは海だってこと」

先輩の突然の告白に戸惑って、返す言葉が見当たらない。

「海?聞いてる?」

「は、はい。聞いてます」

「俺、もう一度海とちゃんと向き合いたい。それで、海とちゃんと付き合っていきたいんだ。海、もう1度俺と付き合ってください」

先輩の目は真剣そのもので、しっかり僕の目をとらえていた。

「僕の方こそ先輩を待たせてしまってごめんなさい。先輩が、洸介先輩が大好きです。これから改めてよろしくお願します」

僕は先輩の手を取り、先輩の目をしっかりと見てそう言った。

「ありがとう。俺のそばに戻ってきてくれて」

「どういたしまして」

先輩は僕を抱きしめて言った。先輩の腕の中は暖かくて僕を幸せしてくれた。先輩の腕に抱かれてるこの時間が一番好きだ。


「すっかりクリスマスモードですね」

駅に続く並木道はイルミネーションで飾られ、光り輝いている。

「そうだな。てか、海の手冷たすぎ。練習中は手袋してね」

「はーい。でも、こうして先輩と歩いてるときはいらないでしょ?」

「ああ。俺があっためてやるから」

そう言うと先輩は僕の手を取り、両手で包み込んだ。先輩とこうしてもう1度笑い合えて僕は幸せだ。
















第4話 冬到来

それぞれの恋


優side

海が部活に復帰してから1週間が経とうとしていた。俺はというと、恋人であるはずの圭斗に最近は避けられてばかりでろくに話もしていない。

「圭斗、一緒に帰ろう」

「優さん」

部活が終わり、部室から出てきた圭斗に話しかける。

「ほら、行くぞ」

突っ立っている圭斗の腕をつかみ、歩き出す。

「ちょ、優さん?力強いですって」

圭斗の言葉に力を緩めて振り返る。

「圭斗さ、最近俺のこと避けていないか?」

「避けてないですよ。電話だってちゃんと出てるし、メールも返してるじゃないですか」

「そうじゃなくて。外で俺と2人になりたがらないのはなんで?」

「そ、それは…」

圭斗は俺の質問に口をつぐむ。

「もしかして、もう俺といることに疲れた?それなら早く言ってくれた方がいいんだけど」

「違うから!」

「え?じゃあ、なんで?」

突然大声を出した圭斗に驚く。

「は、恥ずかしいんだよ。優さんと2人きりになるの。何話していいかわからなくなるし、緊張するんだよ」

「なんだ、そんなことか」

嫌われたんじゃないかと思った。よかった。

「そんなことかって、俺にとってはまじめなことなんだよ」

「でも、俺は圭斗が俺と2人の時、ちゃんと俺を見て話してくれるの好きだよ」

俯く圭斗にそう言った。圭斗はちゃんと俺の事を考えているっていうのが伝わってくるから。

「え?お、俺だって優さんのこと好きだし」

「分かってる。ねえ、こっち向いてよ」

そういうと圭斗の顔を両手で挟み圭斗の顔を覗き込む。自分でやったくせに思ったよりも距離が近くて時が止まったように感じた。

「優、さん?」

「圭斗、好きだ」

チュッ

「んんん。はぁ、んん。はぁぁんん。優、さん。んんん」

圭との唇は柔らかくて、思わず夢中になってしまった。

「優さん」

圭斗の声で我に返り、慌てて離れる。

「ごめん。急だったよな」

「いや、大丈夫です」

「じゃあ、帰ろうか」

「あの、優さん」

「ん?」

歩き出そうとする俺を圭斗が呼び止める。

チュッ

「行きましょ」

圭斗は俺の頬にキスをして満足そうに笑った。ずるい、あの笑顔で。


「お前ら、いつの間にそんな仲になってたんだ?」

圭斗と手をつないで正門を出ると晴が声をかけてきた。

「えっとー…」

急なことに圭斗と顔を見合わせる。

「付き合ってるんです。いいでしょー」

圭斗はそう言うとつないでる手を見せびらかした。俺は嬉しくて無意識のうちに笑っていた。

「幸せそうにしちゃってー。洸介も優まで恋人を作られたんなら俺は本当の独り身じゃん」

そう言って晴は頭を抱えたが、俺と圭斗は鈍すぎる晴に頭を抱える。

「晴さんにもいるじゃないですか。いつもそばにいてくれる人が」

「え?誰?いつもそばにいてくれる人って?」

晴はぽかんとして聞き返してきた。

「晴さん、お待たせしました。お疲れ様です」

そこに瞬がやってきた。

「お疲れ。まあ、せいぜい頑張りなよ。じゃ」

「お疲れ様でーす」

「おい、誰か教えてくれよー。そこまでとか意地悪するなよー」

騒ぎ立てる晴をおいて歩き出す。

「何で気が付かないんですかね」

「晴は鈍すぎるんだよ。そろそろ瞬が手を打つだろ」

「そうですね」

本当に鈍いやつだ。いい加減気づけよ、瞬のためにも。



瞬side

『正門にいる』

部活を終え、部室で着替えてメールを確認すると晴さんからメールが入っていた。急いで荷物をまとめて部室を飛び出した。

「晴さんにもいるじゃないですか。いつもそばにいてくれる人が」

「え?誰?いつもそばにいてくれる人って?」

正門に近づき、聞こえてきたのはそんな会話。優さんと圭斗が帰ろうとしていた。先輩は鈍すぎるからわかるはずもない。

「晴さん、お待たせしました。お疲れ様です」

正門を出て、挨拶をする。

「お疲れ。まあ、せいぜい頑張りなよ。じゃ」

「お疲れ様でーす」

「おい、誰か教えてくれよー。そこまでとか意地悪するなよー」

優さんたちの後ろ姿に声をかける晴さんは本当に鈍い。これで僕の気持ちを知っているとしたら、ひどいと思えるほどだ。


「何の話してたんですか?」

駅に続く並木道を歩きながらつぶやく。

「なあ、瞬はさ優と圭斗がくっついてるって知ってた?」

「はい、なんとなくですけど」

「瞬も知ってたのかよー。洸介にも優にも恋人がいるんじゃ、俺独り身じゃんって話したらさ、近くにそばにいてくれる人がいるじゃんって言われてね。誰だかわかる?」

晴さんは純粋な瞳で俺を見つめて言った。俺はこの瞳に弱い。

「気づいてくださいよ。いい加減」

「え?どういうこと?誰だか知ってるの?教えてよ。誰なの?」

「…俺、晴さんのこと好きです。ずっと好きだったんです」

言ってしまった。気づいた時にはもう遅く、晴さんは口を開けてぽかんとしていた。

「瞬が俺を好き?ウソだろ?」

「嘘じゃありません。本当に晴さんのことが好きなんです。俺の気持ち、分かってくれますか?」

「ご、ごめん。急すぎてついていけない」

詰め寄る俺に晴さんは1歩引いて距離をとった。嫌われた?俺から離れた晴さんを見ると、目が泳いでいて動揺しているのが伝わってくる。

「晴さん、俺」

「ごめん瞬。少し時間をくれないか」

「…はい」

「じゃあ、俺、先に帰るから」

そう言うと晴さんは俺をおいて駆け出して行ってしまった。やってしまった。完全に嫌われた。晴さんを困らせてどうするんだ。どうにもならない現実に頭を抱え、後悔の念がこみあげてくる。



晴side

あの夜、瞬に告白されてから1週間が経とうとしていた。次の日の練習から瞬は俺を避けるようになり、いつも組んでいた2人組のダッシュも他の奴と組んでいた。

『瞬、一緒にトライアルやらないか』

『すみません今日はウエイト行くので』

俺が練習に誘おうとしても、避けるように他のことをする。練習が終わったら1番に帰ってるし、明らかに俺を避けている。

「はあ」

「どうした?晴がため息なんて珍しいな」

自主練のために、競技場に残っていると、自然とため息が出ていた。そんな俺に話しかけてきたのは、絶賛幸せオーラ全開の洸介だ。

「優は?」

いつも一緒についてくるはずの優がいない。

「あいつは圭斗だろ。それで、何があったんだ?」

「…実は、瞬に告られたんだ」

「やっと言ったか」

「え?洸介知ってたの?」

洸介の意外な反応に驚く。そんなに俺って気づいていなかったのか?

「あんなに好き好きアピール全開なのに気が付かない方がおかしい。それで?んて答えたの?」

「…逃げた」

「は?」

「だってなんて返したらいいかわかんないし、それに、瞬のことそういう風に見たことないんだもん」

「でも、気になるんでしょ?」

「そりゃあ練習中も一緒にいたのに、いきなり離れるから俺独りになってるし、帰りだって長い並木道をひとりで歩いてるんだよ?」

「晴、それってさ、瞬と一緒に居たいってことじゃないのか?」

「そうなのか?でももし、そうだとしたら好きっていう感情とは違くないか?」

「好きってさ、そういうことだと思うよ」

「どういうこと?」

洸介の言ってる意味が分からない。

「だから、誰かと一緒にいて落ち着いたり安心を覚えたりして、その人がいなくなると1人取り残されたように寂しくなることだよ」

「じゃあ、俺は瞬のことが好きなのか?」

「本人が分からないんじゃ何とも言えないけど、少なくとも、晴のその感情はきっと瞬を好いている証拠だと思うよ」

「そうなのか」

洸介の言葉にもう1度自分の気持ちを見つめ直す。これが好きっていうのか。


「よし」

今日こそはと思い、部室の前で待ち伏せをする。

「あ」

「瞬、待ってくれ。話をさせてくれないか?」

俺に気付き、踵を返して逃げようとする瞬を呼び止める。

「…なんですか?」

「俺、この一週間、寂しかった。俺がいつも部活とか、家帰る時とか、暇しないで楽しめていたのは、瞬がいたからだって気づいたんだ。瞬がいつも俺のそばにいてくれたから、俺は笑っていられたし、楽しかった」

「…」

瞬は黙って俺の話を聞く。

「俺、多分、瞬のことが好きだ」

「え?」

瞬が目を丸くして俺を見る。

「俺、好きとかいう感情よくわからないけど、瞬は大事だ。俺のそばにいてほしい。これって好きって言っちゃダメかな」

瞬は黙って俺に近づき、俺を抱き締めた。

「俺、ちょー幸せです。晴さん、ありがとう」

「うん。こちらこそ、気づかなくてごめん」

「本当ですよ。ずっと待ってたんだから」

そういって抱きしめ返すと瞬はさらに強く抱きしめてきた。

「瞬!苦しいから!」

「ごめんなさい。嬉しくてつい」

瞬ははにかんだ。












 冬合宿


海side

気づけば季節は冬真っ只中。12月の練習は厳しさを増していた。来週からの冬合宿に向けてみんな気合いが入っているようだ。

「ファイトー」

「次レスト10分です」

「「はーい」」

冬練の醍醐味は何と言ってもこの走量の多さである。陸上競技は冬がオフシーズンの為、大会のない冬に追い込んだ練習をするのだ。


「「お疲れ様でしたー!」」

選手たちの挨拶がグラウンドに響き渡ると、練習が終了した合図だ。片付けを早く終わらせ、急いで着替える。

「お疲れ様です。お待たせしました」

「お疲れ。早く帰ろ」

「はい」

部室を出るとすでに洸介先輩が僕を待っていた。コートを着込んで寒そうだ。最近は毎日、特別な用事がない限り、こうして洸介先輩と2人で帰ることがほとんどだ。

「ん」

歩き始めるとすぐに洸介先輩が左手を差し出してきた。

「はい」

僕はその手を取ってしっかりと握る。洸介先輩の手は温かくてずっと握っていたい。

「海、手冷たすぎ。手袋してって言ったでしょ」

「キーパーとか作るたびに手袋外すの面倒くさくて」

先輩が心配してくれているが、しょうがない。こればかりはどうにもできない。

「はぁー。しょうがないかー。じゃあ、俺があっためてやるから」

そう言って先輩は再び僕の手を握りしめた。

「はい。これからも温めてくださいね」

この時間が好きだ。先輩が僕を見てくれて、僕を大事にしてくれているのが良く伝わる。


Pppp

カチ

「はぁ」

もう朝か。今日から冬合宿が始まる。合宿の朝は早いが、夏と違って寒すぎて布団から出るのをためらう。

「海―、早く起きないと遅刻するわよー」

「はーい」

お母さんの呼びかけにずるずると布団から抜け出し、着替え始める。冬合宿は2泊3日なので、夏合宿よりは1日短いプランだ。その代わり、練習量はとにかく多くなるらしい。毎年、泣きながら走る人もいるとか…。

「いってきまーす」


「洸介先輩?おはようございます」

「おはよう、海」

すばやく準備を終わらせ、荷物を持って家を出ると洸介先輩が立っていた。

「どうしたんですか?こんなに早く」

「海が家出るのこれくらいかなと思って。そしたらドンピシャ。早く行こ」

「はい」

先輩は僕を喜ばすのが特技らしい。2人で肩を並べて駅まで続く道を歩いた。


「よく聞けー。30分後にグラウンドに集合して、今日は短距離走をやる。午後からはロングを入れていくから、気合い入れて行けよ」

「「はい」」

合宿所に着くと早速監督からの指示が入った。

「まじかー」

「いきなりきつそうだな」

監督の指示に1年生はもうダメージを受けている。

「海君、この後すぐ集合で」

「了解です」

夏合宿同様、キーパーや用具準備のため、マネージャーは早めにグラウンド入りをする。


「ファイトー」

「あー、もう無理!しんどすぎない?」

「マジできつい。これはやばいわ」

圭斗と朋が悲鳴を上げながらベンチに戻って来た。2人は倒れこむと空を見上げて放心状態になっているようだ。

「2人とも頑張れ。あと1セットで終わるから」

「海、鬼マネージャーすぎ」

「ほんとだよ。なんで洸介さんが海を嫌わないかが不思議だわ」

「なんか文句あるの?」

2人の愚痴に受けて立つ。

「海を責めないでやってくれよ。冬練を乗り越えたやつが来シーズンも勝っていくんだってお前ら分かってるだろ?」

気づくと僕の後ろには先輩が立っていて、僕の肩を抱き、2人を見下している。

「わかってます!」

「ごめんなさい!ちゃんとやりますから!」

2人は先輩の圧力にビビったのか、練習に戻っていった。

「先輩怖すぎますよ」

「海が責められてるの見るの好きじゃないからね。それに、今頑張んないとあいつらが夏、悲しむことになるだろ」

先輩はちゃんと僕たち後輩の事を見てくれているんだ。そう感じた。2人は練習に戻ると、しんどそうにしながらも先輩たちを追って、練習について行っていた。


「お疲れ様。はいこれ、僕からの差し入れ」

「「おー」」

「さすがは海だ。俺らをよくわかってるな」

その夜、圭斗と朋に差し入れを買ってきた。冬の練習では食事トレーニングも取り入れられるため、夜ご飯プラス夜食を食べることになっている。今日は、初日の練習でつぶれてしまった2人のために僕が買い出しに行った。

「うま!これめっちゃうまい!」

「ほんとだ!」

2人は喜んで食べてくれてこっちまで元気になる。


「そう言えば、なんで海、洸介さんと部屋別れたんだ?」

「そうだよ。もしかして喧嘩でもした?」

そう、なぜ僕が2人と同じ部屋にいるかというと、喧嘩でも何でもない。

「部長がさ、夏合宿の時の事ちゃんと覚えてたらしくて、今度はちゃんと部屋分けたから!って言われて、なんかなんも言えなかったって言うか…」

「確かに、あの部長じゃ何にも言い返せないわ」

「うん。癖強すぎてついていけない時あるもん」

3人で頭の中に部長の顔を思い浮かべる。

「ぷっ」

3人で顔を見合わせると噴き出して笑った。

「僕は先輩と同じ部屋が良かったのにー」

思わず本音がこぼれる。

「そう言って、一緒になったら、海が襲われるだけだろ?」

「なっ、圭斗、急に何言ってんの!」

「海、動揺しすぎ。顔真っ赤だよ」

2人は僕の顔を指して言った。

「そ、そう言う圭斗だって優先輩と同じ部屋がいいとか言ってたじゃん!」

僕は負けじと言い返す。

「言ってねえよ。あれは、向こうが勝手に一緒の部屋になろうとか言ってきただけだから!」

「でも、圭斗嬉しそうにしてたじゃん」

「まあ、嫌なわけないだろ」

「「おおー」」

圭斗の強気な発言に朋と2人、関心する。

「もう俺の話はいいだろ!もう遅いから寝るぞ!」

「ちょっともうちょっとだけ話そうよー」

茶化すように圭斗をたたき起こそうとする朋。時刻は11時を回り、周りの部屋も静かになっている。

「確かに。そろそろ寝ないとだね」

「そんなあ。俺もっと恋バナしたいのに」

「朋、明日の朝、誰が2人を起こすと思ってんの。いいから早く寝てよ。早朝練起きれなくて遅刻しても知らないよ」

駄々をこねる朋に一括入れて布団に潜った。合宿1日目は冬練の厳しさを感じつつも騒がしいスタートとなった。


合宿2日目。今日は朝から雪が降っていたため、体育館での練習となった。

「ファイトー」

「あと5分で交代です」

「「はい!」」

体育館では走り込みができない為、主に、筋トレと体幹トレーニングをやる。マネージャーもタイムのコール等で忙しく働く。夏合宿よりも練習量が多く、寒さも厳しいこの場所でのトレーニングは選手を精神的にも鍛えさせることになるだろうと思った。


「「お疲れさまでしたー」」

終了の挨拶が終わり、それぞれが部屋へと戻っていく。僕はこれから夕ご飯の支度だ。みんなお腹を空かせているから早く作らないと。

「海君!今日のレシピこれね。片付け終わった?」

「はい。今終わったところです。行きましょう」

「海」

「洸介先輩?」

美花先輩と食堂へ向かおうとしたとき、洸介先輩に呼び止められた。

「あ、私、先に行ってるね。ごゆっくりー」

「あ、美花先輩…」

僕の呼び止める声も届かず、美花先輩は僕を置いて、先に行ってしまった。

「お疲れ」

「お疲れ様です。調子はどうですか?」

「いい感じ。普段より走る量が多いから、結構きついけど、いい練習になってると思う」

洸介先輩はさすがだ。苦しい練習にも弱音一つ吐くことなく、真剣に取り組んでいる。圭斗たちにも見習ってほしい。

「そうなんですね。疲労は大丈夫ですか?」

「うーん、ちょっとあるかも。何?マッサージでもしてくれるの?」

洸介先輩がいきなり顔を近づけて言ってきた。

「マ、マッサージですか?えっとー、先輩がしてほしいというなら…」

「海、動揺しすぎ。冗談だって。でも、本当に疲れた時はお願しようかな」

「なっ。は、恥ずかしい」

またからかわれた。きっと今の僕の顔は真っ赤になっているだろう。

「楽しみにしてるよ、海のマッサージ。じゃ、また後で。ご飯づくり頑張って」

「はい。お疲れ様です…」

洸介先輩はいたずらに言うと部屋に戻っていった。

「うぅ」

1人取り残された僕は膝に顔をうずめ、小さく丸くなった。先輩は僕をドキドキさせる天才だ。


「はあー、今日も疲れたー。もう動けない」

「圭斗、そんなこと言わないで。まだあと1日あるんだから。ここで頑張らないと。ね?そうでしょ?」

ベッドに飛び込んだ圭斗に声をかける。

「はい。分かりました。海さん」

「さすがは海。選手の心のケアもばっちりだね」

「それはどうも。って朋、今までどこに行ってたの?」

「夏菜と電話だろ。彼女の声一つで頑張れちゃう朋はすごいよなー」

朋と夏菜は前にもまして順調なようだ。

「そう言う圭斗だって優さんが隣で走ってない時はタイム落ちてるじゃんかよ」

「うるせえ。それは別に言わなくてもいいだろ」

「圭斗、そんなに優先輩のこと?」

「あー、もう、俺の話はいいから!」

「あ、話そらした」

「そらしたね」

圭斗に朋と2人で詰め寄る。

「分かったよ!俺は優さんが隣にいた方がいいの!その方がリラックスできんだって」

「おおー、圭斗も優さんのことを大事に思ってるってことか」

「そう言う、海だって今日の練習の後、先輩と仲良さそうにしてたじゃん」

「あ、あれは…」

圭斗の言葉にさっきの先輩とのことを思い出して体が熱を帯びていくのが分かる。

「海、顔赤いぞ。さては、お前らもうそんなところまでいってんのかよ」

「そこまでって?」

朋の言っている意味が分からず、聞き返す。

「海、ぶっちゃけ、洸介先輩とはどうなんだ?もうヤッたの?」

「な、何言ってんの!」

圭斗の爆弾発言に思わず近くにあった枕を投げつけた。

「その反応…マジかよ」

「まだだから!先輩とはそういうのまだだから!」

心の動揺が収まらない。

「まだってことはいずれはそう言うコト考えてるんだ」

「ふぅーん」

「いやだから、そういう意味じゃなくて!」

慌てて否定するが、2人は僕の顔を覗き込むようににやにやしてる。

「まあいいじゃん。進展あったら教えてよ。よーく聞いてあげるからさ」

朋が僕をじろりと見た。

「そう言う朋はどうなんだ?夏菜ちゃんとどこまで行ったの?」

「やめて。2人の話は聞きたくない。なんか妹の恋愛事情とか生々しいよ」

圭斗が朋から聞き出そうとして慌てて止める。朋と夏菜のことは、できれば深堀りしたくない。

「分かったよ。何も言わないから。順調とだけ言っておく」

「それならよし」

「つまんないの。もっと聞きたかったのに」

「ほら、もうその話はいいでしょ。もう遅いから寝るよ」

話に区切りを付け布団に潜りこむ。

「もうちょっと話したかったのにー」

「いいから」


コンコン

駄々をこねる圭斗を布団に引きずり込もうとしたとき部屋の扉が叩かれた。

「やべ。俺ら騒ぎすぎた?部長だったらどうする?」

「マジかよ。俺らつぶされるぞ。海、お前行ってこい」

「え、僕?」

2人は僕を布団から追い出し、慌てて布団に入っている。マジか。怒られたらどうしよう…。不安を胸に、ドアノブに手を掛けた。


「先輩?」

「海、遅くにごめん。もしかして起こしちゃったかな?」

扉を開けると、洸介先輩が立っていた。

「いや、これから寝るところです。2人はもう布団に入ってますよ」

「そうか。あのさ、実は晴が瞬のところに行ったから、部屋が空いてるんだ」

「え」

これってもしかして。

「良かったら今日、一緒に寝ないか?」

「えっと」

心臓の音が聞こえる。僕の顔はきっと赤くなっているだろう。

「俺らもう寝るから電気消すぞ」

「海、行ってきな。良い夢を」

「あ、ちょっと」

朋と圭斗は僕を半ば強引に部屋から押し出しながら言った。先輩はくすくす笑ってる。

「じゃあ、行こうか」

「は、はい」

先輩に手を握られ、歩き出す。


「どうぞ。そっちのベッド使って。俺はこっちで寝るから」

「あ、はい」

一緒に寝るんじゃないのか…。どうやら僕は勘違いしていたみたいだ。少し瞬となりながらも、先輩に言われた通り、ベッドに入る。

「海、どうした?なんか元気ない?」

「そんなことないですよ。ちょっと寒いですけど、元気です」

布団に入ると先輩と何気ない会話を交わす。冬の夜はやっぱり寒い。布団に入ると暖かいが、手足は少し冷えている。

「先輩?」

「うん?」

「先輩のとこ、行ってもいいですか?」

気づいたらそんなことを口走っていた。先輩の温もりを感じていたいと思った。

「いいよ。おいで」

先輩の声に誘われながら、先輩の布団に潜りこむ。

「先輩の布団、暖かいですね」

「俺が暖めてるからな」

先輩は得意そうに言った。

「先輩、大好きです」

「俺も、海が好きだぞ」

先輩に抱き着くと、先輩が僕を包み込むようにして抱きしめてくれた。この瞬間が幸せだ。先輩を独り占めできるから。



洸介side

「海、そろそろさ、俺のこと名前で呼んでくれないかな?」

「なんでですか?洸介先輩って呼んでるじゃないですか」

俺の腕の中で不満そうに海が言った。

「そうじゃなくて、付き合ってるのに、先輩って呼ばれると距離感じるって言うか…。海に名前だけで呼んでほしいんだ」

「こう、すけ?」

戸惑いながらも俺を見上げて上目遣いで俺の名前を呼ぶ海に理性が飛びそうになる。やばい。おさえないと。

「うん。よくできました」

そう言って海のおでこにキスを落とした。海は母猫のもとで安心しきった子猫のように俺にくっついて丸くなった。

「海、ずっと俺のそばにいてね。愛してる」

「んん」

俺の腕の中で眠っている海を見ながらつぶやいた。ずっと一緒にいてほしい。そう強く思った。



海side

冬合宿3日目は午前中に走り込みを詰めこんだ最終日スペシャルメニューだ。選手はみんな悲鳴を上げながらも、ひたむきに練習と向き合っている。来シーズンに向けての戦いはもうすでに始まっているという監督の言葉は選手の胸に強く残っているのかもしれない。

「ファイトー」

「長距離レストです!短距離用意してください!」

「「はい!」」

メニューにのっとり、練習を進めていく。選手にとってここが1番の頑張りどころだと先輩が言っていた。1人1人の走る姿を見ながら選手がいかに真剣にその教義に取り組んでいるかが伝わってくる。僕も一生懸命、応援して、サポートしよう。そう思えるのも、選手たちの頑張りを見てきたからだ。来シーズンはさらなる高み手に入れることだろう。


「「お疲れさまでした!」」

選手たちの挨拶がグラウンドに響き渡り、ようやく合宿の全日程が終わった。

「マジ疲れたー。もう足が動かないよー」

「圭斗頑張ってよ。あとは帰るだけでしょ」

「ほら、立って。それとも俺にお姫様抱っこされたいの?」

「ち、ちがっ。そういうわけじゃ…」

優先輩と圭斗のやり取りはいつ見ても笑える。特に、圭斗がいじられているのが、本当に面白い。

「海、笑ってないで、手貸してよー」

「優先輩がいるからいいでしょ。僕は洸介先輩が待ってるから。じゃ」

「おーい」

圭斗の引き留める声を無視して、洸介先輩のもとへと向かう。

「洸介先輩、お疲れ様です。あとは帰るだけですね」

「どうしたんだ?そんな嬉しそうな顔して」

「やっと休暇ですよ?好きなもの食べまくって、幸せになってやるんです」

「それは楽しそうだ。俺は、海と会えないのが寂しいけどな」

急に先輩が僕に顔を近づけて言ってきた。

「そ、それは、僕も寂しい、です」

「あのさ、海」

「はい。なんですか?」

「良かったら、明日から俺んち泊りに来ないか?」

「え?先輩の家?」

「うん」

思わぬ提案に思考が停止する。先輩の家?それって今度こそ、2人っきりってことだよね…。

「海?大丈夫か?」

「だ、大丈夫です。先輩こそ今日の明日で僕が行ってもいいんですか?」

「ああ。部屋ならもう片付けてあるし、明日はどうせ俺も暇だから、家まで迎えに行くよ」

「分かりました」

僕はすっかり先輩の波に乗せられていた。心臓の音がさっきからだんだんうるさくなってきた。僕、遂に、先輩と?だめだ。そんなことばかり頭に浮かんでしまう。先輩はそう人じゃない。ちゃんとしてるんだから、そう考えちゃだめだ。

















第5話 大事な人

 

海side

先輩の家は僕の家から10分ほど歩いたところにある、大学の寮の一室だ。

「結構広いんですね」

部屋の中は日当たりが良く、奥行きもあって、広く感じた。

「うん。適当に座って。お茶入れてくる」

「はい」

先輩に促され、ソファに腰かけた。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

先輩が入れてくれた温かいお茶を一口飲んで一息つく。

「最近どう?」

「どうって何がですか?」

「部活のこととか、勉強のこととか?」

「うーん。休み中の課題が多いってところですかね。夏休みよりも倍くらい多いんですよ?」

冬季休業中の課題はレポート2つに研究1つ、その他もろもろなど、山盛りの課題が出た。大学は休み中ゆっくりできると思っていたのに、残念なほどだ。

「さすが社会学部だな。毎年、そこの教授は学生を休ませることをしないんだよ」

「そうなんですか?」

「ああ。4年になるまでは毎年その量が出るらしい。夏休みより、冬の方が多いのは謎なんだけどね」

「そうなんだ…」

少しショック。勉強は2の次だとか思っていた僕がバカだった。

「そう落ち込むなって。俺も手伝ってやるからさ」

「本当に?」

「うん。経済学部も社会の一部だし、重なってるところもあると思うし」

「やった!先輩ありがとうございます!」

「おお」

僕は嬉しくてつい先輩に抱き着いてしまった。先輩はおどおどしながらも、僕を受け止めてくれたけど、2人の間に、沈黙が流れる。

「あ、すみません」

「だ、大丈夫。あ、映画でも見るか?」

「はい」

「好きなジャンルとかある?」

「何でも。先輩が見たいもので」

「了解」

先輩に誘われて映画を見始めたが、先輩が選んだのは去年一世を風靡した洋画のラブロマンスだ。しかも字幕。僕は文系だけど、英語は弱い。いつもリスニングの英語を聞くだけで眠くなってしまう。

「海?眠い?映画辞める?」

「大丈夫です」

先輩が好きなものの邪魔はしたくない。僕は頑張って起きようと伸びをしたがもう充電が切れる寸前だ。



洸介side

「海?眠い?映画辞める?」

「大丈夫です」

その1分後海は俺の肩にもたれかかって寝落ちした。昨日までの合宿で海もかなり疲れがたまっているみたいだ。すやすやと寝息を立てて眠る海をいとおしく感じる。

「海、ベッド行くよ」

「ん。先輩連れてって」

「はいはい」

座り込んで俺の方に手を伸ばす寝ぼけている海の手を引いてお姫様抱っこをする。海ってこんなに軽かったっけ。海をベッドに寝かせて布団をかける。

「先輩も一緒に寝よ?」

「え…」

海は俺を求めるように俺の手を握って離さない。

「ほら、早く」

「わ、わかったよ。おいで」

そう言ってベッドに入り、海を抱きしめた。俺に引っ付いて頬を擦り付けてくる海はかわいすぎる。俺にこんなにも幸せをくれる海は、俺の心の癒しで、最高のマネージャーで、最愛の恋人だ。

「そうだ」

俺は忘れていたことを思い出し、ベッドの引き出しからあるものを取りだし、海の手首に着けた。



海side

先輩の腕の中は暖かくて、僕を幸せにする。

「んん。先輩?」

「おはよう。よく眠れた?」

「はい。え、これって…」

手首に違和感を覚えて、見ると、ブレスレットがついていた。先輩が前にくれたものとよく似ている。

「本当は前と同じのが良かったんだけど…。でも、ほら。今度は同じのつけれる」

先輩は自分の腕を見せながら言った。先輩の手首には僕と同じブレスレットが光っていた。

「洸介先輩、ありがとうございます。宝物にします!」

「それは嬉しいな。次こそ無くすなよ?」

「もちろんです!」

約束を交わすように先輩に抱き着いた。ひとめぼれから始まった僕の恋。洸介先輩は、僕の一部になっていて、僕に幸せをくれる場所になった。僕が寂しいと感じた時、そばにいてくれるし、僕が先輩を探したら現れてくれる。先輩は僕が探していた運命の人なのかもしれない。運命なんて信じないって、そんなのあるわけないって言う人がいるかもしれないけど、僕は、運命はきっとあるって思うんだ。その人のための幸せを考えて、その人を幸せにしてあげたい、そう願うことが自分が幸せになる一歩になるんだ。きっと。


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