最終章「八月六日」③

 二機の伽藍人形が、それぞれに刃を携え、山中で睨み合っている。

 空は果てしなく青く、雲は白く輝き、木々は緑に萌えている。

 世界は、どこまでも美しい。

 幻想によって駆動するたった二機の機械だけが、ひどく醜く、悪夢の中から飛び出してきたかのように見えた。

(降伏は、すまい)

 神谷は、クニチカが自分を斬ろうとする理由を理解していた。

 敵意ではない。

 憎悪でもない。

 ただ、やらねばならぬ、と判断したからである。

 ここで神谷を生かしておけば、真国は同じ手を使って、米本土に原子爆弾を投下しうるからである。翻って言えば、神谷を斬れば、その手は使えなくなる。〈門〉を開いて、真国を防衛することもできなくなる。

 神谷にとっても同じだ。

 米国に、成層圏を突破出来る伽藍人形はこの一機しかない。

 ならば、クニチカを斬れば、もはや原爆を投下する術はなくなる。

 そして両機が共に戦場にあり、互いに互いを斬れる機会は、今をおいて他にない。

 なんということであろう――

 おそらくは人類史が始まって以来、もっとも神話に近い戦いが、これであった。

 たったふたりの男の肩に、それぞれの祖国の運命が委ねられているのである。

 たった二機の鋼鉄の人形が、幻想によって突き動かされて、数億の人の命という現実を掛け金に斬り合おうというのである。

 あまりにも神話的で――

 あまりにも痛切で――

 そしてあまりにも残酷だった。


 どこからか、歌が聞こえてくる。

 勤労奉仕をしている小学校の子供たちが歌っている歌だ。


兎追いし かの山

小鮒釣りし かの川

夢は今も めぐりて、

忘れがたき 故郷


 子供たちには、殺し合いのことはわからない。

 けれど子供たちは、戦争のない世界を知らない。

 戦争に勝てばすべてが良くなるのだ、と信じている。

 それは真国も米国も、世界のどこの国でも変わりは無いだろう。

 たとえその結果が、憎くもない相手とこうして殺し合うことであってもだ――。


如何に在ます 父母

恙なしや 友がき


 ――鋼鉄の巨人が、駆ける。

 ――白刃が、奔る。


雨に風に つけても

思い出(い)ずる 故郷


 背負うものは、祖国。

 捨てるものは、身命。

 同じことを考えながら、同じ言葉を話しながら、だが決定的に仰ぐ旗が違ってしまったふたりの男が、同じように丁寧に、互いを殺すために刃を振るう。

 

 何が違うのか?

 違うとして、それは殺す理由になるのか?

 理屈は、いくらでもつけられよう。


 太刀が、交錯する。


 神谷の白い伽藍人形が、ゆっくりと倒れる。

 草むらの中に、鋼鉄の機械が、崩れていく。

 青い伽藍人形はそれを横目で見ると、ロケットブースターに点火し、米国へと飛び立つべく、舞い上がっていく。


志(こころざし)を はたして

いつの日にか 帰らん

山は青き 故郷

水は清き 故郷


 そして、青い伽藍人形は、雲に届くことなく、焔に包まれた。

 神谷の斬撃が、ブースターの燃料タンクを切り割っていたのだ。

 破壊された伽藍人形から這い出し、神谷はその焔に、敬礼を捧げていた。

 同じ国に生まれていれば、友と呼べたはずの男だった。

 何ひとつ自分と変わることのない、実直で、素晴らしい戦士だった。

 その男を、斬った。

 心を込めて斬った。


 破壊された白い伽藍人形は、まるでガラクタのようにも、見えた。

 クズ鉄の塊が、よく見ると人の形をしているようにも、思えた。

 だが、それは殺人の道具なのだ。


 *


 その後のことは、歴史の教科書に記されている通りである。

 真国はフィリピン方面で反攻に出ようとしていた米艦隊に対し、原子爆弾を投下。

 同時に、広島で米国が行なおうとした原子爆弾、分けてもその放射線障害の危険性についての詳細なデータを第三国を通じて提出した。

 伽藍人形のみならず、原子物理学においても、数十年先を行く研究データを真国が保持していたことは、列強を驚愕させた。

 そして、米国の虐殺計画を糾弾するとともに、自分たちには核を防ぐ技術が存在するが連合国には存在せぬことを公開し、かつ、停戦がなされなければ米本土に対する伽藍人形による核攻撃を敢行することをほのめかしたのである。

 長い戦争に疲れていた米国は、太平洋方面での講和を行なうことで、欧州戦線に戦力を集中することを決意。

 太平洋を巡る四年間の戦いは、幕を閉じた。


 ――無論、その後の戦争――。

 すなわち、大陸を巡る長い撤退戦や、そのあとに巻き起こった民族独立紛争、長い冷戦については語るまでもない――。

 だがそれでも、伽藍人形のテクノロジーを独占し、愛国心によって国家そのものを防衛することを可能にした真国の繁栄は、疑うべくもなかった。どのような国も、真国のオーバーテクノロジーを凌駕することはできなかった。

 そして――長い繁栄の――あるいは頽廃の時が始まる。


 *


 桜が、咲いていた。

 年老いた神谷新八郎にとって、桜だけが帝都で変わらぬものである。

 どこのビルにも、愛国を叫ぶスローガンが溢れている。

 通りがかる人々は誰も彼も同じ顔をしていて、国家の標準服を身に纏っている。

 彼が覚えている帝都の賑わいは、そこにはない。

 芝居も、歌謡曲も、規制されて久しい。

 真国は今でも周辺諸国との果てしのない紛争と冷戦を戦っており、国家非常事態宣言は永続的なものとなっている。

 非常時には、どのような贅沢も許されない。

 そして、非常時が終わることはない。

 愛国心こそが、この国を支える“電池”なのだから――


 *


 神谷が尋ねた虎ノ門のビルディングには、信じられないほど大きなモニターがあった。

 その前に座している“大佐”には、年老いた様子がなかった。

 が、神谷が驚愕したのは、それではない。

 モニターに映し出されているのは、秋葉原である。

 正確には、“秋葉原”と書かれた都市である。

 だが、その街には、色と音が溢れていた。

 誰も彼もが笑顔だった。

 様々な服を着て、かつて神谷が若い頃に見たような芝居の本を買い、音楽に合わせて踊り、漫画を買い、それについて語っていた。

 配給券を出すこともなく諸国の食事を望むように買え、警察官は威張り散らすこともなく若者たちの笑顔をむしろ楽しむような顔をしていた。

 歌が聞こえていた。

 もうずっと聞くことのなかった、愚にもつかない歌だ。

 国への忠義も、英霊への鎮魂もない。

 ただ、恋や愛を歌う歌だ。

「――異界へ、侵攻すると聞きました」

「耳が早いな」

「まさか、これが」

「そうだ。幻の国――幻国だよ。こんな軟弱な文化を持ってしまい、狂ってしまった国がある。それを正すのは――我々の使命だと思わないか、神谷」

「―――思いません」

「ほう?」

 神谷は老いた喉を震わせた。

 怒りだった。

「確かに、ここに映し出されているものが、多元宇宙の果てにある真国のいまひとつの姿であるなら、堕落です。頽廃です。我々が必死に否定してきたものです。だが、それは我々が選んだ節制、我々の選んだ忠義に過ぎません。これは異国です。異国に我々の愛国を押しつける理由がどこにありますか。それでは我々は結局、鉄拳で正義を押しつける侵略者にすぎない――」

「おまえは、そう言うと思ったよ」

 愛しそうに、“大佐”は立ち上がり、そう言った。

「皆がおまえのようであったならば、と思う」

「――何をおっしゃっているのですか」

 手にした日本刀の鞘を、握った。

「なあ、神谷。ここに映っている秋葉原の住人たちが何を信じているかわかるか」

「信じる……? 神仏や国家のことですか」

「いいや。こいつらはな、芝居や、漫画映画や、歌手のことをな――国家よりも大切なものだと思っているのだ。ありもしないもの、ここではない場所について語ることが、今目の前にあるものより大事だと思っている。そしてな

「?」

「こいつらは、おまえと同じなんだ」

「――何を!?」

 神谷は当惑した。

 自分の何十年かの人生を根底から否定された気分だった。

 神谷新八郎は真国という国家とともにあった。

 そうであるから、伽藍人形を動かせたのではないか。

「ありもしないんだ。国も、民族も」

「真国は!」

「ここにあるか? あるのは土地と人間だ。本当は、民族も国家もそこにはない。プロパガンダでいくらでもでっち上げられる。どれだけの民族がかつて存在したことになり、あるいは突然同じものだったことにされるか知っているだろう? 国もそうだ。北海道や沖縄が、いつから真国だったか考えたことはあるか? 虚構なんだ。映画や小説や音楽と同じ、ものがたりなんだよ。国なんてものはな――おまえは本当にいい観客だった――真国推しだな……」

「…………!」

 モニターの中の若者たちは、確かに活動写真や歌手に向かって、若い頃の神谷がそうだったように、熱狂し、純真な瞳を向けていた。

 それは――同じものなのだろうか?

「俺はずっと幻国で、ああいうものを作って来た。アニメーションやグループアイドルをいくつも仕掛けて、ヒットをしてきた――だがもっとすごいものをプロデュースしたくなった。戦争だ――現実の戦争は幻国ではやりづらい。だからここに来た」

「あなたが……あそこから来た……」

「そうだ。楽しんでもらえただろう? みんな大好きなやつだ。真国の開発した夢と希望のスーパーロボットが、邪悪な侵略者を蹴散らして道義的に正しい戦争をする話だ――おまえは本当にいい主人公を演じてくれた。ただ、そろそろ観客が飽きてしまってな」

「観客――!?」

「俺のことだよ」

 “大佐”はにい、と笑った。

 その瞳はガラス玉のようで、何も映していないように思えた。

「テコいれだ――長期シリーズによくあるやつだ。今度は真国が幻国と戦うんだ。どうせ伽藍人形を動かせる愛国者も減っているからな。敵を設定してやらんといかん。幻国のオタクでも、伽藍人形は動かせる――そう聞いた軍部の連中は大喜びだ」

「今、わかった」

 神谷は刀を抜いた。

「私はあの日、登戸であなたを斬っておくべきだった。たとえその結果、米国に敗れても斬るべきだった」

「なぜだ?」

「あなたは、私が――いや、あのモニターに映る私たちが絵空事を信じていると言った。だが、違う」

 すう、と息を吸い込む。

 現役は引いたが、鍛錬は欠かしていない。

 斬れる。

「私たちが虚構を信じているのではない。あなたが現実にあるものを見ていないだけだ。私たちはここにいる。あなたがたとえ幻の国から来たとしても、幻の国の若者たちに見えているものと同じように、私たちはここにいる。ものがたりを現実として語れるのが人であるなら――ものがたりすら信じられないあなたには、何も見えてはいないんだ」

 走った。

 銃声が、響く。

 熱い血が、流れた。

「な」

 横合いの天幕の中に隠れていた、見慣れぬ軍服が、神谷を討ったのだ。

 その顔に見覚えがあった。

 神谷の、孫だ。

「逆賊め」

 その唇が、そう動いた。

「そうかもしれん」

 “大佐”は、愛しそうに、死に行く神谷の頭を撫でた。

「俺に見えているものはすべて虚構なのかもしれん。だが――虚構であるならば、なおさらその物語には結末が、因果応報が必要だ。おまえの物語の結末は、こういうものだ」

 違う。

 そう、言おうとしたが、唇がもう動かない。

 神谷はモニターを見た。

 モニターの向こうの若者たちを見た。

 これより過酷な運命を、押しつけられることになる少年少女たちを見た。

 彼らがもし、神谷と同じように、虚構を信じることができるのなら。

 そして、正義や真実というものが虚構に過ぎないというのなら。

 虚構を嘲笑し、物語を笑うこの男の産み出した悪夢の連鎖を止められるのではないかと、そう思った。

 それが神谷新八郎という男が信じた、最後の虚構だった。


 そしてそのまぼろしは、秋葉原の街で、現実となる。


『逆転世界ノ電池少女』


 その物語は、そう呼ばれる。

 虚構が現実に勝利する、そんな物語である。

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逆転世界ノ電池少女 伽藍戦記 小太刀右京/KADOKAWA 単行本・ノベライズ総合 @official_contents

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