最終章「八月六日」②

 共通歴1945年、八月六日早朝。

 高度一万メートルの成層圏はどこまでも青かった。

 この高度をまともに飛べる真国軍の戦闘機は陸海軍で共同開発中の超音速レシプロ戦闘機〈キ-99〉をのぞけば存在しない。

 すなわち、ターボ過給器を装備した米国機と、神谷を始めとするごくわずかな操縦士の愛国心を原動力とした伽藍人形のみが、この透き通った青空を飛ぶことができるのである。

 神の庭場、と呼ぶ飛行機乗りも多い。

 人間の存在、人間の飛翔そのものを許していない、宇宙と大地のあわいにある領域が、成層圏だ。

 そして、真国上空に侵入可能な米機となると、これは伽藍人形をおいて他にない。

 米軍が誇る超高空の要塞、B-29〈スーパーフォートレス〉はその絶大な威力によって、欧州およびインド戦線において圧倒的な威力を振るっていたが、真国本土に対する爆撃の手段としてはおぼつかないものだった。

 依然として硫黄島はもちろん、サイパンを含む南マリアナ諸島は真国の勢力圏にあり、わずかに大陸から九州への強行爆撃も試みられてはいたが、真国の電探(レーダー)網と防空戦闘機隊は“大佐”の指導を得て強化されており、本土への侵入は事実上不可能となっていた。

 故に、真国の空に侵入する術があるとすれば、それは伽藍人形をおいて他にない。

 超低空からの超長距離侵入は至難の業であり、不安定な原子爆弾を積載して実行するのは不可能である、と“大佐”は判断した。

 真国本土近海に肉薄した空母から発艦、迎撃戦闘機に捕らえられることない成層圏から侵入して主要都市に対し原子爆弾を投下、その威力を持って無条件降伏を迫る。

 それが、米国の肚である。

 成層圏を飛べる伽藍人形――。

 神谷が知る限り、そんな離れ業をやってのけることができる操縦士は、真国にひとり、そして、米国のひとりしかおらぬ。

 そして、その男は来た。

 青い――空の青よりもなお青い、伽藍人形である。

 背部に巨大なロケット・ブースターを搭載しているのは、飛行技術の不足を補い、加速力を確保するためであろう。

 腹に抱いている不格好なまでに巨大な爆弾は、伽藍人形の顔よりも大きく、全長で3メートルはあろう。あれが原子爆弾であることは、間違いなかった。

 もはや人型の兵器とは言えぬ。

 異形の殺戮機械に、手足が生えて、顔がある、というほうが正しかろう。

 それでもなお人の形をしているのは、伽藍人形がその形をしていることで、操縦者が無敵を信じられるからに他ならぬ。

 神谷の伽藍人形も、同様である。

 その背には、仏像の光背を思わせる巨大な追加装備と電池、そして大量の観測用無人カメラが搭載されており、やはり、人の姿をしているとは言えぬ。

(クニチカ・タケイと言ったか――)

 あの機体の胎内にいる男が、それをどう感じているのかはわからなかった。

 科学というものが産み出した殺人の道具に身を覆う鋼鉄の巨人、その巨人を動かしているものはまったくの非科学、国家への忠義なのだ。

 眼下には、広島の街がある。

 陸軍第五師団の司令部である広島は、西日本における真国の要というべき都市だ。

 攻撃目標として選ばれたのは、妥当といえる。

 かつて人口42万を数えた広島も、強制疎開と戦時動員で人口は23万に激減している。

 が、それは数字である。

 そこには23万の人生、23万の尊厳がある。

 それを惨たらしく殺す“妥当”があるか。

 ない。

 だが、それに数倍、数十倍する死を、人類はまき散らし続けている。

 それに荷担しているのが、神谷の愛国である。

 クニチカの伽藍人形は、雲中に潜む神谷の機体に気付いてはいない。

 よもや己が、否、自軍が同胞によって情報を売られた存在だとは気付いていないのだろう。

(そうだろう)

 神谷がそうであるように、彼はアメリカ合衆国という国を信じている。信じているから、伽藍人形を動かすことができる。そんな男が、自国の裏切りを信じるはずがないのである。

 たとえ、どれだけ国家によって虐げられていたとしても、愛国の情とは別のものだからだ。

 今飛び出して、クニチカを斬ることはたやすい。

 そうしたい、と願う。

 だが、それはならぬという厳命があった。

 故に、神谷はただ、待つ。

 そして、爆弾が投下された。


 *


 その光は、地上からも見えたという。

 キラキラと落下する爆弾は、空の中ではほんの一点にすぎない。

 が、その爆弾がもたらす死は、数十万人を殺すに値する。

(今だ!)

 歯を食いしばり、神谷は急降下をかけ、爆弾を追う。

 見る間に広島の街が大きく眼下に広がってくる。

 広島城が見え、太田川のせせらぎが見え、路面電車が見え、爆弾を見上げている勤労奉仕の母子が見える。

 産業奨励館のモダンな丸いドームが見える。

 “大佐”の予測通り、高度600メートル前後で、起爆が始まった。

 その時には、すでに神谷の伽藍人形はその下方、高度300メートル程度に機体を固定している。

 光が、広がる。

「うおおおおおおおおおお!」

 吼えた。

 神谷は人生のすべてを懸けて、吼えた。

 TNT火薬1.5万トン、B29にして三千機分に相当する爆発の火球。

 摂氏30万度の超高熱線。

 そして膨大な量の放射線。

 死である。

 これを開発したものたちが、インドの破壊神シヴァになぞらえたというのもうなずける、この世にあってはならぬ輝きである。

 これがこの地上に落ちれば、“大佐”に見せられた悪夢が現実のものとなることは、わかる。

 そのすべてを、たった一機の伽藍人形が押しとどめている。

 光の壁を展開し、ただ、押しとどめている。

 たったひとりの人間の愛国心、たったひとりの人間の郷土愛、たったひとりの人間の家族への愛が、それをなさしめている。

 その輝きは、地上からも見え、光輪を背負って飛ぶ人型の機械が焔の嵐を食い止めたその光景を、人々は長く神仏と信じ、語り継いだ。

 たったひとつの虚構、たったひとつの幻想。

 それが、人を護る形となって、そこにある。

 だが、それは幻想に過ぎない。

 

 *


 四年間の戦いで疲弊した機体が、次々と砕けていく。

「まだだ……!」

 神谷は、愛機に鞭打ち、操縦席に追加したスイッチに点火していく。

 背部に装備した追加装備に、光が灯る。

 空が、割れる。

 比喩ではない。

 増加ユニットによって強化された神谷の力場が、原子爆弾の衝撃に呼応して、〈門〉を開いているのである。

 異なる世界への〈門〉だ、と“大佐”は言っていた。

『神仏の世界とか、そういうものですか』

 神谷はそう問うたが、“大佐”は肩をすくめてこう返した。

『前世紀にアメリカで唱えられた多元宇宙と呼ばれる考え方だ。我々の住む銀河系を含むあらゆる宇宙、それと隣り合って存在するまったく異なる世界。伽藍人形の力をフルに使えば、〈門〉すら開きうる』

 理解できない概念だったが、想像することはできた。

 常世、浄土ということだ。

 原子爆弾の穢れた焔すら、その地ならば浄化してくれよう、と祈る!

「ぐああああああああああ!」

 装甲が砕ける。

 センサーが割れる。

 光背が崩壊する。

 熱を、衝撃を、放射線を、まき散らされるはずだった放射性降下物を、割れた空が飲み込んでいく。

 それがどれほど幸福なことであるのか、神谷は知らない。

 はるか果ての生命なき宇宙が飲み込む災厄がどれほど凄惨なものか、彼は知らない。

 ただ、光と熱の衝撃の中で、その下にいる人々を護れよ、と祈るのみである。

 祈りは純粋であり、清らかなものであったが、それを人類全体が共有出来ないことは、哀しい。

 それは伽藍人形の力をもってしても、不可能なことである。

 それでも、〈門〉を支えながら、神谷は祈り続けた。


 *


 クニチカ・タケイが目覚めたのは、広島にほど近い山中であった。

 青い伽藍人形は半ば砕け、フレームが大きく歪んではいたが、かろうじて駆動に支障はないようだった。

 原子爆弾の起爆と、真国側の伽藍人形が引き起こした巨大な力場に巻き込まれたことで、墜落していた、とわかる。

 右腰部の短砲身8インチ砲と、特殊鋼のサーベルは生きていた。

 戦える、ということである。

 無論――

 原子爆弾による広島攻撃は失敗に終わった。

 離脱すべきだ、という考え方もあろう。

 が、クニチカはそうしない。

 捨て鉢になっているわけではないのだ。

 考えることは、ひとつ。

 百メートルほど離れた地点に、着陸音があった。

 伽藍人形だ。

 操縦士は、ひとりしかいない。

 クニチカは、ヤツを斬る、と決めた。

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