誤訳☆聖書

@kumotarou

第1話  マタイによる福音書13章より

 ぼくが目を覚まして、いつものようにお師匠さまの家に行くと、口うるさい年上の先輩たちも含めて誰もいなかった。

 通りすがりの近所の人に声をかけてみると、近くの浜辺で人を集めて話をしているとのことだったので、慌てて心当たりの場所へ向かう。

 どういう訳か、毎度のことながら年長者たちは、ぼくをお師匠さまから遠ざけようとするのだ。

 そんなことをしても無駄なのに。

 ぼくだって、お師匠さまの弟子なのであり、彼らと同様に一生お師匠さまの傍を離れたりしない気持ちでいるのだから。

 浜辺に着くと、三十人ぐらいが突っ立って、なにやら海の方を見ていた。

 その視線の先には、ちっちゃい小舟の上で胡坐をかいて説法しているお師匠さまがいる。

 どうやら、小舟の上を教壇代わりにして、浜辺を教室に見立てて、民草たちに神の王国の教えを説いているようだ。

 でも、海の上からじゃあ距離が遠すぎて、波の音もうるさいし、まともに話なんか聞こうないだろうに。

 案の定、もっと傍に近寄らないとブツブツ言っているだけにしか聞こえない。

 近くに立っていた先輩弟子の一人に訊いてみた。


「ねえ、なんでお師匠さまは船に乗ってんの? こっちに話があんまり聞こえないよ」

「よく見ろ、ピラトのところの兵士がこっちを見張ってんだよ。そこで、いざとなったらずらかりやすいようにって、師が船を用意するようにおっしゃられたんだ。兵士どもが飛びかかってきたら、すぐに海の上に逃げちまえばいいってことさ。さすが、我らが師だ。先のことまで見据えた深いお考えをお持ちであるなあ」

「へえ、でも、大丈夫なの? お師匠さまって、よく船酔いするよね」

「……あ」


 先輩は、すっかり忘れていた、という誰にでもわかる表情を浮かべた。

 一緒にいた他の先輩とも顔を見合わせ、きょろきょろと落ち着きがなくなる。

 普段はうらやましいぐらい頭の回転も悪くないのに、どうしてこういううっかりをするんだろう。将来が心配だよ。

 そっちもそうだけど、お師匠さまの方も心配なので海の方を見やると、いつもよりなんか蒼黒い顔色をして吐きそうな感じの上、話の内容もなんかおかしい。

 どうやら、畑に種をまくのにはどうすればいいのか、答えは立派な土の上に撒きましょう、という百姓のための基礎知識についての講義をしているらしかった。

 あれ、神の王国の話はどうしたのだ? 

 そんな道路に種をまいたらカラスに食われるなんて、権兵衛さんでも知っているような話をしてどうするのだろう。

 あと、耕した立派な畑に種をまいても、百倍、六十倍、三十倍にはまずならないんじゃないかなあ。非現実的だしね。

 ほら、聞いているみんなも退屈そうに欠伸をしているよ。

 それに、船酔いしているみたいだから、なんか話もぽつりぽつりで聴き取りづらいし、……あ、えずいてるよ。そりゃあ、普段から船酔いしやすい人が長い間船に乗っていればねえ。……ん、声量まで減ってきた。 聴く人の立場に立たないと駄目でしょう。 どうせ、お師匠さまは聴衆のことなんか考えていないんだけど。

 立派なことを言っても、それが独りよがりになっちゃマイナスだよ。

 もう、先輩弟子たちもこういうところをきちんとフォローしてあげないと。


 しばらくして、お師匠さまの教えを聴いていた民草はぞろぞろと散って行った。

 いやあ、いい話だったねえとかいっているけど、絶対、農業の一言アドバイス程度にしか思っていないよね。

 ぼくらを見張っていた兵士たちもいつのまにかいなくなっていた。

 そして、小舟から降りてきて、げぇげぇ言っていたお師匠さまを、安静のために浜辺に横になっていただいた。

 先輩たちは、お師匠さまを敬愛の面持ちとわずかばかりの疑問の視線をもって囲んでいる。


「師よ、例えを使って彼らにお話しになったのはどうしてでしょうか?」

「おまえらは天の王国の神聖な奥義を理解することを聞き入れられるけど、あの連中は聞き入れられていないだろ。だから、例えを使ってわかりやすく説明したんだ。イザヤの預言の言うとおりだからさ」


 と、伝法な言葉づかいでお師匠さまが先輩の質問に答える。

 先輩たちは実は結構インテリだし、いいところの出だけど、お師匠さまはもともと場末の大工の出だからやたらと口が悪い。

 ちなみにイザヤの預言ってのは、「貴方がたは聞くには聞くが、決してその意味を悟らず、見るには見るが、決して見えないであろう」とかいう、自分の説明不足を棚に上げて、相手ばかりを責めるお話のことだ。

 ぼくからすれば、大衆向けにもっとわかりやすくした方がいいんじゃないかと思うけど、お師匠さまからすれば面倒がなくていいという内容なのかもしれないね。

 ちなみにさっきの農業についての基礎知識も、天の王国の農業技術の開陳ではなくて神聖な奥義に至る例えだったらしい。

 発想が飛躍しすぎていてどうだろう、とぼくなんかは思っちゃったりするけど、お師匠さまは変なおじさんなので仕方ないかな。

 どうせ、やり方を改める気はないだろうし。

 ちなみにお師匠さまはそのあと、さっきの例え話をもう少し注釈説明つきでみんなに話しだした。

 まあさっきよりはわかりやすいけど、話の途中でたびたび口を押さえて海の近くにまでいって反吐を吐いてくるので、非常にげんなりするのが余分だった。

 それにたびたび、お師匠さまが「お前らはよく奥義について悟ろうとしていることから、さっきの連中たちよりは話をする甲斐がある」と、他のみんなを褒めるおかげで先輩たちは満足そうにホクホクする。

 ぼくだって褒められるのは嬉しいけど、先輩たちはなんか「あなただけに」とか「これ限り」とかいう限定商品にひっかかりやすそうなタイプばかりなので、あまり調子にのせない方がいいと思うけど。


 この話は、お師匠さまの家で夜になるまで続いた。

 

「そういえば、師よ。ナザレの師の故郷の会堂において、師の教えを聴きたいというオファーが来ていますが、いかがしますか」


 と、ぼくらの一行のマネージャーみたいなことをしている先輩が、お師匠さまにいま来ている講演の依頼を告げてきた。

 これはあんまり意味がない。

 お師匠さまは自分の好きな方法や場所でしか布教しかしないし、好待遇のオファーが来たからと言って、ひょいひょい引き受けるほど打算的ではないからだ。

 それに、弟子のいうことを簡単に聞いてくれるお人よしタイプでもないので。

 今日だって、突然、海の上で布教しようと思い立って、何も考えずに決めたに違いない。

 おそらくピラトのおっさんの兵士から逃げやすいって話も、ぶっちゃけ適当ないいわけで、単に小舟の上から語りかけるというシチュエーションがやってみたかっただけのはずだ。

 お師匠さまの考えはだいたいそんなものばかりである。

 

「やだ」


 お師匠さまは無碍もなく断った。

 

「なぜでしょう、師よ」

「故郷(くに)の連中は、私がありがたい話をしても、『大工のせがれなのにインテリだなぁ』とか『兄弟のヤコブもヨセフもシモンもユダも、あいつの妹も、バカばっかりなのにおかしくない?』とか、『母親のマリアってのもこのあたりの出で俺らと変わらねえのに』

 とか、『ガキんときは鼻垂れてたんじゃん』とか、『俺なんか、あいつが寝しょんべんを何歳までしていたか知っているぜ』とか、『あいつの大工仕事の出来は酷いもんだったなあ』とか、いわれのない文句ばかり言うから嫌だ」

「……えーと」


 師の故郷の人々は、散々お師匠さまのことをつまずいているようだった(つまずくってのは「疑う」ってことや「怒る」ってこと。英語だとoffendだね)。

 行けばボロクソに言われるんだから、故郷に錦を飾りに行く気もしないだろうってことはぼくでもわかる。

 ぼくだって、小さい頃の悪行を知られている幼馴染なんかの傍には、今の友人を連れて行きたくないし。

 お師匠さまぐらい成功しちゃうともっとだろうね。

 でもまあ、故郷のひとたちの言っている大工についての内容は至極最もじゃないかな。

 お師匠さまは打ちこわしは好きだけど大工のくせに手先は不器用だし。

 まあ、本物の預言者であるお師匠さまだって、実家ではきまずい思いをすることもあるんだなと、ちょっとだけ親しみを感じた。


「師よ、ナザレでは奇跡を体現してほしいとのオファーもあって……」

「だから嫌だって。あいつら、信仰が欠けているんだから奇跡見せたって変わらないって。お前の責任で処理しておけよ」

「……師よ……」


 先輩がおろおろしているうちに、お師匠さまはさっさと床についてしまっていた。

  

 そこで、今日の教訓。


 予言者だって、実家で威厳はたもてない。



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