ゆめのしま黙示録

鼓ブリキ

 それは夢の島、悪夢の島。



 よくもまあ、こんなオンボロ船が動くものだ、とひかるはぼんやり思う。エンジンは肺病持ちの咳のような音を立てて、灰色の海に白い波を束の間彫り上げる。船は彼と操縦士が一人いるだけだ。死刑執行人のような出で立ちのその人物からは性別、年齢、人種、その他如何なるプロフィールも見出せなかった。

 朝早い内に港を出てからというもの船は休みなく走り続け、水平線以外の物が見えたのは太陽が中天を通り過ぎた後の事。それは島だった。凝土の壁がぐるりを覆い、一部分だけ開かれた正面には針葉樹の木立が見える。さる高名な画家の絵にその島はよく似ていたが、彼はその画家の名前も作品名も覚えてはいなかった。

 操縦士は慣れた手つきで船を岸に寄せると輝の襟首をむんずと掴んで船から放り出した。操縦士が怪力なのではない、彼の肉体が余りにも貧弱なのだ。手荒なやり方に文句をつけるべく身を起こした時には、船はもう遠くに行ってしまっていた。そのまま船は進み続け、やがて水平線上の点となって彼の視界から消えた。

 ふと振り向けば、そこには大柄な青年がにこやかに立っていた。

「……ここの人ですか?」彼は尋ねる。

「まあそうだね。夢の島へようこそ、『人でなし』」青年は屈託なく笑いながらそう返した。「しかし、君はどうして『人でなし』になっちゃったのかな? オレより頭は良さそうなのに」

「――、生まれつき心臓に欠陥があったんです。色んな医者に診てもらってもダメで、結局治らないまま十五歳このとしに」どうせ隠す必要もない。ここには『人でなし』しかいないのだ。恥も外聞も最早、自分を戒める事は出来ない。

「そっか、大変だったね」青年は腕を組んで頷いた。「それで、早速なんだけど、君はここを出たいと思う?」

 輝は言われた言葉の真意が分からず、口を半開きにする他なかった。

「『魔法使い様』がね、この島を出たいと思う人を集めてるんだ。あ、人じゃなくて『人でなし』か。まあいいか。それで魔法使い様が言うには、みんなで力を合わせればここから出られるって。もといた国に帰れるって」

 彼は返答に窮した。夢の島からの帰還者など聞いた事がない。つまり違法、少なくとも非合法の手段である事は容易に推察出来る。『人でなし』の烙印が消えないのであれば仮に故郷に戻ったとしてもその後の人生が全うに営めるはずもない。長い逡巡の後に彼は口を開いた。

「戻った後は、どうなるんですか」

「へ?」『イエス』か『ノー』以外の返答をまるきり想定していなかったらしい青年が目を見開く。「そんなの考えた事もなかったなあ」

「じゃあ、とりあえずその『魔法使い』に合わせてくれませんか」

「うん、いいよ。ついて来て」青年は島の奥へ足を向ける。踏み出す前に輝の方を振り向いた。「あ、でもびっくりしないでね」

 ここは夢の島、悪夢の島。

 社会にとって無益であると認定された『人でなし』の収容所。



 木立の奥に隠れるようにして、白っぽい埃の積もる革で出来たテントがあった。 

 その中に鎮座する『魔法使い』は驚きよりも怖気を掻き立てる外見をしていた。おおよその体形はギリシャ神話のケンタウロスに似ているが、腕が一方の肩から三本ずつ合わせて六本あり、一対は天を、一対は地にてのひらを向け、残りの一組は祈るように組み合わされている。下顎がなく、巨大な針状の舌が青みがかった涎を常に滴らせている。腰から下は馬ではなく黒い蜘蛛であり、それに付属する脚は金属光沢を具えごつごつしていた。上半身は浅黒い人間の肌と艶のない真っ黒な髪、側頭部からは二対の角が捻じれながら天を衝いている。思わずひかるは後ずさりしかけたが、すぐ後ろに立っていた青年にぶつかって阻まれた。

「リューイチロー、その者は協力者か」獣の唸りに似た声が魔法使いから発せられた。およそ地上の如何なる動物にも存在しない器官によってそれは発話していた。

「訊きたい事があるんだって」リューイチローと呼ばれた青年は臆するでもなく輝をそっと前へ押しやった。

「成程。それでは追放の辱めを受けし者よ、我が知識の及ぶ限り汝の疑問を解くと誓おう」それは琥珀のような黄金の目を持っていた。

「えー、……あなたも『人でなし』なんですか?」奇形児の出生率が増加しているという話を人間だった頃に聞いた事があったが、目の前のそれは余りにもヒトという種から逸脱している。

 魔法使いは破裂音に似た音を立てた。どうやら笑ったらしい。「ああ、確かに我が在り様は人からかけ離れている。だが汝らと同類ではない。我は自分の意志で此処へ罷り越したのでな。人間どもの法に於いて『人でなし』はこの島へ収容されるが、それ以外の存在の立ち入りを禁ずる法はない。『人でなし』を集めて己が目的の為に使う事もな」

「それ、その目的は何なんですか。まさか慈善事業じゃないでしょう」

 また破裂音。「そのまさかだとも。我は汝らを解放すべく動いている。此処に送られる人間の多くは生まれつきの障害を規定年齢までに克服出来なかった者が大半だ。だが、それだけの理由であらゆる人権を剥奪しようなどと言語道断。世界を変え得る才覚を具えた者達を捨てていけばいずれ人類は破滅する。我は人の将来を憂いたが故にこの島に拠点を据えたのだ」

 輝は唇を舌で舐めようとして、口の中がカラカラに乾いているのに気付いた。「……もし僕が断ったら?」

「無理強いはしない、好きに生きるがいい。もっとも、此処で手に入る食料など同胞の死骸くらいのものだが。飢えを満たす為に『人でなし』を殺す者とている」

「あなたに協力したら、食事には困らないとでも?」

「仲間達と滋養を分かち合う事になるのでな」魔法使いは悠然と答えた。

 輝は何度か深呼吸をした。

「あなたに協力します。僕もここを出たい」

 眼前の異形は含み笑いのような音を立てた。



 魔法使いの後ろには穴があり、彼らはそこから地下へと降りていった。組まれていた手を解くとそこから発光する器官が現れ、辺りを照らした。

 緩やかな坂道を下りきるとそこには開けた空間があった。魔法使いは壁の一つを照らし出した。

 皮を剥がれた肉の色が一面に広がっていた。

 それらは不規則に蠢動していた。ふいにその一点から人間の眼球が現れ、一秒後には再び肉の海に沈んだ。

≪あ…………う≫

 形を失って尚、彼らはのだ。

 ひかるが悲鳴を上げても魔法使いとリューイチローは平然としている。

「これがお前の仲間達だ。始めは一人だったが、今やこれ程までに増えた。まもなく羽化するだろう――お前が加わる事によってな」発光器官を高く掲げ、壁の中央部に光を当てた。

 元は大柄な男性だったと思しき形の肉塊が、十字架に磔にされたような格好で肉に組み込まれていた。四肢が残っているのは彼だけだったが、その姿は異形化してしまっている。指先には怪物めいた鉤爪が生え、頭部は目のない蜥蜴のようだった。

「彼は最も古株の仲間だ。おのが家族を殺した罪を咎められ、精神に治療不可能な異常があるとして此処へ送られた。汝も知っているだろうが、今の時代は昔よりもずっと高い金を払わねばまともな治療など望めない。それが出来ない者がこうしてこの島へ連れて来られる。彼らの恨みルサンチマンは強力だ。己の肉体を変質させる程に」

「人間は自分達が思っているよりもずっと強力だ。妄念が本来の肉や骨格をも歪める事が可能な動物は決して多くない。お前とてそうだ。さあ、仲間達と共にそれを思い知るがいい」

 足が竦んで動けない。リューイチローはそんな彼を易々と引っ張り、海のような肉塊に彼の頭を押し付けた。

 生暖かい肉がにわかに湧き上がり、輝を静かに呑み込んだ。

 ここは夢の島、悪夢の島。怨念渦巻く呪いの島。



 輝は速やかに分解され、最早何人分かも分からない膨大な感情を脳髄の断片で聞いていた。彼が仲間達への新たな滋養であり、また彼自身も仲間と感覚を共有する事でそれを貪る事が出来た。

 どうしてワタシが人でなしなの成績だってずっと一番だったのにおれにどうしろって言うんだ他の生き方を教えてくれなかったのはお前達だろうがあんなに仲良しだった×××ちゃんも妹も人でなしと決まった途端ブベツの目であたしを見た嘘だ嘘だ嘘だ騙されたんだこんな目に合うって知ってたら絶対同意しなかったのにヒモジイのはもう嫌だよなんで一つ欠けてるだけで人でなし扱いを受けなきゃいけないんだぼくは悪くないどこも悪くない悪いのはそれをリカイしない奴らみんなの方なんだよ悲しい憎い殺してやりたいもう死にたいこんなの間違ってるおうちにかえりたいままとぱぱにあいたいさみしいここから出て行きたいああこんな肉にされなければあの船を奪う事だって出来たかもしれないのになあなんでも言う通りにします二たす二は五ですいいえあなたが決めたものが本当の答えです私のどこが病気だって言うんですか手足も指も全て揃っています全部ちゃんと動きます私は健康です普通の人間なんですもっとちゃんと調べてください畜生どいつもこいつも馬鹿にしやがって。

 表層意識に存在していた記憶が食い荒らされ、深層を覆う理性の膜を誰かが飢えに任せて喰い破った。輝の最後の意識は噴水のように飛び散りながらそれらの声の下で響く低音を捉えた。

 ――恨めしい。

 かつて個々の人間だった者達はその瞬間完全に一体となり、その音に同調して吠えた。

 ――許すまじ。



「ようやく完成しおったわ」魔法使いが悠然と肉塊を眺めて呟いた。それは急速に凝縮し、溶解した肉の塊から明確な形を作り出そうとしていた。「お前が入ればもう少し早かったのだがな、リューイチロー」

「そうは言ってもなあ」リューイチローは頬を掻く。「オレは別に帰りたいとか思わなかったし」

「まあ、もう終わった事だ。四の五の言っても後の祭り。どうだ、我と共に地の底の魔王サタンに謁見でもせぬか」

「……断ったらどうなるの?」

 笑い声。「この島諸共に海に沈むだけよ。それも一興ではあろうが」

「じゃあ一緒に行く。海で魚に喰われてるより楽しそうだし」

 肉塊だった物は胴体と首と尾を伸ばし、その頭は天井をぶち抜いて大小様々な瓦礫を撒き散らしながら地上に飛び出した。一人の人間と一体の悪魔の姿は瓦礫に埋もれ、二度と現れる事はなかった。

 背には一対の蝙蝠めいた巨大な翼が生え、物語の中で何度となく語られたドラゴンそのものとなった。

 竜は咆哮した。長々と、凄まじい声量は破壊兵器の如く小さな島のあらゆるものを引き裂いた。

 翼が上空へ伸び上がり、最後にとどめとばかりに猛烈な突風を島の残骸に叩きつけて竜は舞い上がった。行くべき場所は決まっている、の生まれた場所、ありったけの恨みを業火と吐き散らす為に。

 そこは夢の島、悪夢の島。人に造られ、人でなしに破壊された地獄の釜。




 その後、竜がどのような道を行き、どのような破壊を尽くしたのかについては、物語る者とてない故に今なお不明である。

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