第3話 食べられるお月様?
【第2話】
https://kakuyomu.jp/works/16816927861144846254/episodes/16816927861144857643
カシの木立を抜けた先に、洗練された街並みが広がっている。エピィの家のように、小麦色のレンガは積み上げられていない。漆喰で作られた純白の外壁を、露出した黒い骨組みが引き締めていた。重々しい木枠の壁は、何時間でも眺めていられる。柱や梁の美しさは圧巻だ。昨夜も、わくわくしながら見下ろしていた。
家を追い出された今では、景色を楽しむ気分になれそうもない。エピィの小さな胸には、後悔でいっぱいになる。せっかく冬休みに入ったのに、ちっとも楽しくなかった。氷の結晶を集めてティアラにする計画が台無しだ。
ママのほうきでお出かけなんかしなきゃよかった。フェミア姉さんに乗せてもらえば、魔法道具を落として来たり叱られたりすることもなかったはずだ。しばらく鳩の鳴き声は聞きたくない。
寝袋と食料を詰め込んだ鞄は、丸まった背中にのしかかる。街の上空まで来たものの、ユズばあさんの店へ行く勇気が出なかった。
「フェミア姉さんは温かく送り出してくれたけど、鏡の力だけでどうにかなるのかしら。私は知らない人に話しかけるのが、この世で一番嫌いなことのに」
エピィはため息をついた。ユズばあさんから大金を求められれば、どんなふうに返事をするべきなのか考え込んでしまいそうだ。だから空の上で、対応の仕方を練習していたのだ。ざっと一時間くらい。
「ねぇ、シュガー。東の国では紙で作った人形を操って、自分の代わりにお使いをさせる術者がいるんですって。そんなすごい人と、ばったり出会えたらいいと思わない? ユズばあさんとお話しせずにすむもの」
エピィはシュガーの瞳を覗き込んだ。
いい加減、現実から逃げるのはやめたら。そんな囁きが聞こえてきそうで、ばつが悪そうな表情に変わる。
「分かったわよ。さっさとお店に行けばいいんでしょう?」
とげのある言い方をしたときだった。
ほうきの柄がブルンと揺れ、森へ急降下する。見えない糸に引っ張られたかのように、大木の幹へ進んでいく。
「もう! 昨日と同じ展開はお腹いっぱいなのよ。フェミア姉さんのほうきさんも、急にご機嫌ななめになっちゃうのね! 困ってしまうわ」
『エピィ。伝え忘れていたけど、雑な言い方をしたら落っこちる設計にしているの。この機会に言葉遣いを改めなさい。素敵なレディになってほしい、姉さんからのプレゼントよ』
コンパクトミラーを通じて、ユーフェミアの声が聞こえた。レタスとピクルスの咀嚼音とともに。エピィが予行練習をしている間、見守りと同時並行で昼食を作っていたのかもしれない。
「姉さんのおばか。ぜんっぜん、優しくないじゃない!」
エピィの絶叫に、ユーフェミアはガーンと声を上げる。
『失礼しちゃう。大好きな妹に、いじわるなんてするものですか』
風がエピィを包み込む。りんごの花のような甘い香りがした。
いい匂いと呟くと、足が地面についていた。森へ墜落していたはずだったが、一瞬で街中に運ばれた。擦れ違う人々は、エピィが現れたことに何の疑問も抱いていないようだ。恐るべし、高等魔法。
『ほら、目的地の店よ。さっさと用事をすませちゃいなさい。こればっかりはエピィにしかできないことだから、姉さんは見守っているわ』
目の前にはユズの古道具屋があった。大きなガラス窓のついた木製のドアは、コンパクトミラーで見たままの佇まいだ。ただし、風雨によって塗装はひび割れ、ところどころ木目が顔を出していた。店主のしわと同じように、長い月日を重ねてきたのだろう。真鍮のドアノブに描かれた星形の花は、傷付きながらも優美な姿を保っていた。
エピィがドアを開けると、一人の女性が出て来た。後ろに結んだ髪は一つにまとめられ、毛糸の帽子をつけていた。外套から覗くのは、白いブラウスとギャザーの入ったスカート。手編みレースの襟や刺繡のない、質素な格好だった。後ろにいる女の子も、母親のお古を仕立て直したようなワンピースを着ていた。一昔前のデザインに、エピィは目を丸くする。
「ココ、本当にそれがほしかったの? 綺麗なボタンも、くまのぬいぐるみもあったのに」
「うん。これがいいの」
ココと呼ばれた女の子は、両手で握りしめたものを頬ずりする。自分よりも幼いはずの少女に聞き分けのいい様子を見せつけられ、エピィの耳は赤くなった。
店に入って来たエピィに、ユズは眉をひそめた。
「うちに掃除婦はいらないよ。よその店に行きな」
エピィはぽかんとしたが、左手にほうきを持ったままだと気付く。人間にとって、ほうきは掃除道具のイメージが強いらしい。
「あの。昨日の夜、森で落とし物を拾いませんでしたか? お友達と遊んでいたのだけど、ママに呼ばれて途中で帰ってしまったの。今朝、後片付けをしに戻ってみたら、全部なくなっていてびっくりしたわ。ここにあるなら返してください」
エピィにとって初対面の人に話しかけるのは、勇気のいることだ。シュガーと二人で考えたセリフを言いながら、膝が震えてしまった。
ユズはエピィに歩み寄り、正面から見下ろした。ママとは違う威圧感に、泣き出したくなる。
「呆れた。遊び道具を置いたまま家に帰ったって言うのかい。あの子らは泣いているよ。ご主人様に愛されていないってね」
低い声がエピィの息を苦しくさせた。怒鳴られていないのに、胸の奥が痛くなった。
「本当に捨てていないんだから! ちゃんと大事にするもん」
「お断りだよ。あんたのところに戻っても、大切にされる未来が見えない。それに、もう新しいご主人と出会えた子もいるんだ。取り返したいのなら、購入した人と交渉したらどうだい。あんたに、そこまでの愛着があるとは思えないが」
エピィはうつむき、目のふちを拭った。くるりと背を向けて、店のドアを乱暴に開ける。
「お邪魔しました!」
嵐のように去るエピィを、ユズは苦々しげに見送った。よいしょと、曲げ木のロッキングチェアに腰を下ろす。
「言い方がきつかったかねぇ。森にゴミを捨てる若者が増えているから、必要以上に注意してしまったよ。でも、物の扱い方はあまり丁寧じゃなかった気がするんだ」
売られていったクッキー型も、幸せそうな声は聞こえてこなかった。しかし、涙を堪えながらユズと向き合った少女の言葉には、うさんくささはなかった気がする。
首をひねっていたユズのまぶたは重くなり、寝息を立て始めた。
「……シュガー。私、頑張ったよね。見ず知らずの人に頭を下げて、かんしゃくを起こさないように泣くの我慢したよ」
店を飛び出したエピィは、シュガーを抱きしめた。コンパクトミラーからはユーフェミアの鼻をすする音がした。
《ユーフェ、昨日は厳しかったのに今日は甘々ね》
シュクレがやれやれと呟いた。
《エピィ、逃げても事態が悪くなるだけよ。ユズさんの店に入りづらくなる去り方をしてどうするの? でも、収穫は一つだけあったんじゃない?》
「本当?」
エピィはコンパクトミラーを開けた。手をビシッと突き上げるシュクレの姿があった。
《すでに購入された魔法道具があるってこと。この鏡で居場所はたどれるでしょ。代わりになりそうなものを用意してから、交渉しに行くといいわ。人間界のお金なら鞄に入っているみたいよ。お昼ごはんを食べて、笑顔を作りなさい。まったくもう、エピィもユーフェも、涙もろいんだから》
ユズが話した新たなご主人様とは、ココのことだった。ユズの古道具屋に入ったときに、擦れ違った女の子。
エピィは緊張しながらドアを叩く。牛の頭の彫刻に目をそらすと、庭で遊んでいた女の子が駆け寄ってきた。
「もしかしてお客様?」
「こんにちは。私はエピィ。お母さんはお家にいるかしら」
「ううん。工場のお仕事に行ったよ。だからココがお家を守っているの。えらいでしょ」
年齢を尋ねると、よんちゃいと笑顔を見せた。妹が生まれたら、こんなふうに笑ってくれるのだろうか。
ココは小石を地面に叩いた。
「卵をお一つ入れまして。粉とまぜまぜ、ぺったんこ。うすーく伸ばした生地を型抜きしたら、食べられるお月様のできあがり」
「だめだめ! クッキー型を砂遊びに使ったらいけないわ」
歌に聴き入っていたエピィは、大声を上げる。ココが砂の中に入れたのは、三日月のクッキー型だった。
事情を知らないココは、きょとんとしていた。
「どうして?」
そのクッキー型でくり抜いたものは、暗い場所で発光するからだ。ココが砂遊びをするだけ、きらきらする砂が生み出されてしまう。
返事に困ったエピィは、話を逸らすことにした。
「本物のクッキーを作りましょうよ。砂で作ったお月様は食べられないもの」
「食べられなくていいの。だってバターは高級品だもん。トーストにバターを塗るのは、お金持ちしかできないんだよ。お姉ちゃん、知らないの?」
私はいつも贅沢な朝食を食べていたのね。冷めても硬くならない白パンを頬張り、指についた黄金の雫を舐めていたもの。厚切りトーストに沁み込んだ蜂蜜とバターの川は、一滴だってこぼしたくなかった。
あの味が人間界で再現できないことがつらい。すっかり「雲も顔負けふわふわパン太陽蜂蜜がけトースト」の口になっていた。
「ココちゃん。エピィお姉ちゃんに任せて。食料なら問題ないもの」
フライパンさえあれば、クッキーを作ることは可能なのだ。
キッチンでエピィとココの歌が響く。
「卵をお一つ入れまして。雪の国から届いた粉とまぜまぜします。お月様の光を浴びさせて固めましょ。雪と月の力が馴染んだら、うすーくうすーく伸ばします。生地を型抜きしたら、火の精霊の出番です。表も裏も焼き目が付いたら、食べられるお月様のできあがり」
きつね色に焼きあがったクッキーを、エピィは半分に割った。ふーふーと息を吹きかけ、ココの口元に差し出した。
「はむ。んんっ。お月様、美味しいよ」
「よかった。今度はママのいるときに作ってみて。バターがなくても作れるレシピ、紙に書いておくから」
エピィは半分こした欠片を口に放り込み、三日月のクッキー型を洗った。
ココが生地を混ぜている間、普通の抜き型と交換していた。すり替えに気付かれなかったのは、ココが疑うことを知らない子どもだったから。
魔法道具を回収する道は険しそうだ。
【第4話】
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