魔女の落とし物

蜜柑桜

第2話 姉さんの魔法

 月がもうすぐ頭の真上を通り越し西の空へ傾くと思う頃、金星の横を流れ星が通り過ぎた。魔女集会が終わった合図だ。もうエピィの家の臙脂色の屋根は二つ先の区画に見えている。エピィは箒に速度を上げるように命じ、そのまま真っ直ぐ斜めに家の前へ向かって急降下した。

「計画通り間に合った!」

 キノコのように丸みを帯びた家の壁にはまった丸窓からは、きらきらと明かりが漏れている。上空から銀の粉を巻き散らして家にかけた魔法を解くと、その明かりは瞬時に消えた。エピィがいないことを近所に悟られないようにしていたのだ。

「シュガー、いい? 今日のこと、ママには絶対に内緒だからね」

 玄関にかけた施錠魔法を解除し、暗闇の中に足を踏み入れる。早く箒を片付けて自分の部屋に戻らないとママが帰ってきて箒を持ち出したことに気づいてしまう。何せ箒は飛んだ後しばらく藤の蔦に縛っておかないと熱が冷めないのだから。

 玄関の鍵をもう一度閉じ、エピィは誰もいないと思いながらも無意識に忍足になって居間に入る。今度こそ本物の明かりをつけようとランプに手を伸ばしたとき、まだ指の先すら触ってもいないのにパッとあたりが明るくなった。

「お帰りなさい」

 仰天して固まったエピィの横から、涼やかな声がした。

「フェミアねえさん! どうしたの!?」

 声の方に振り向くと、姉のユーフェミアが腕を組んで壁に寄り掛かっていた。タイトなワンピースから出たすらりとした足を軽く交差し、エピィと同じターコイズ色の瞳でエピィをひたと見つめている。

「エピィ、あなたママの箒でどこまで行っていたの」

 ユーフェミアの声は厳しい。十七歳とはまるで思えない。エピィは背中の服がじわじわ濡れてくるのを感じながら、よく回らない舌でなんとか聞き返した。

「姉さん、今日は友達のおうちでお泊まりのはずじゃ……」

「『おばあちゃまの作ったお守りなら、孫のピンチを救おうと』思って当然でしょう?」

 ユーフェミアはエピィの質問に被せるようにして言いながら、シュガーそっくりの兎のぬいぐるみをポケットから取り出した。色違いだが、瞳の銀の色は全く同じである。ただしそのぬいぐるみはシュガーと違って意志を持っているように耳を動かし、ユーフェミアとエピィの顔を交互に見ていた。

《ユーフェ、あまり叱っちゃかわいそうよ》

「シュクレ。こういうことは大事なの。この子大変なものを森に落として来ちゃったんだから」

《でもこれからママにも叱られるのよ?》

「事の重大さを先に知っていないとママの怒りも倍増するでしょう」

 二人——正確には一人と一匹の会話を聞きながら、エピィはびくりともしないシュガーを握りしめる。エピィの視線に気がついたのか、喋る兎のぬいぐるみは耳をぴくぴくさせながらエピィに向き直った。

《初めましてじゃないわよ、エピィ。お婆様がシュガーと一緒にユーフェミアにあたしを預けたのは覚えていない?》

 ふるふると首を振るエピィに「仕方ないわね」と嘆息すると、シュクレは説明を続ける。

《シュガーとあたしは対なの。貴女に危ないことがあったらあたしに知らせるように大魔女のお婆様が魔法をかけたのよ。ユーフェは高等魔法が使えるからあたしは喋れるのだけれど、エピィはまだ無理ね》

 そういうことか、とエピィはシュガーの耳を掴み上げてまじまじと見る。要するにシュガーを落としたせいで姉に知られてしまったらしい。だが、エピィはまだよく分からず首を傾げた。落とした荷物はかき集めたはずだし、ママより前に帰ってきたから問題ないはずなのに。

「ちゃんと探したの? 拾い忘れたものがあるのじゃないの?」

 まるで心を見透かしたようにユーフェミアが言い、ツカツカとエピィに歩み寄る。その迫力に押されてエピィは思わず目を逸らし、鞄の中をまさぐった。安全守り、動物と話せる指輪、インクがなくならない羽根ペン、失せ物探しのコンパクトミラー、確かにある。あとは……

「あ」

「ほら」

 間抜けなエピィの声を聞いて、ユーフェミアは呆れ顔でコンパクトミラーを突き出した。

「彗星の力を捕まえる星型タルト型、食べられる薔薇を咲かせる絞り出し口金、それから疲労回復薬のドラゴンの鱗に、妖精の羽から取ったケーキの飾り粉、他にも三日月のクッキー型に雪結晶のアイスキューブ、どれも草の間に散らばったまま帰ってきてしまって」

 鏡には、エピィが持っていたはずの器具が地面に散らばっている様が映し出されていた。ギョッとして鞄の中を手が届く限り引っ掻き回してみても、確かにユーフェミアのいう通り魔法のお菓子用具がいくつも足りない。

「姉さん、お願い。ママには黙っていて」

「そうはいかないわよ」

 嘆願するのを険しい目で一蹴して、ユーフェミアは呪文を一言、鏡の図像を変える。一瞬だけ虹色に光った鏡は、次の瞬間には一人の老婆を映し出していた。老婆は難儀そうに腰を折ると、地面に腕を伸ばしては何かを拾って籠に入れていっている。

「このお婆さんが私の道具、取っちゃったの?」

「そういうこと。でもそれだけじゃないわよ。魔法の道具が人間の手に渡るとどうなるか知っていて?」

 真剣な姉の眼差しを受けてもエピィには訳がわからず、首を傾げるしかない。ユーフェミアは鏡を閉じ、形の良い眉を下げて溜息を吐いた。

「魔法の道具はね、人間の手に触れたら一定時間経つと効力を失ってしまうの。それだけじゃないわ。魔法の効力を失うまでの間に、持ち主の気持ちによっては人間の負の感情を吸って悪さをしだすことだってあるのよ。魔女の手元にある時には魔女の力を恐れて制御されているけれど、人間は弱いから、魔力を持った道具はどんな悪さを働き始めるか分からない」

 その話はエピィも聞いたことがあった。学校の授業で言われたはずだ。しかし自分には関係がないと聞き流していた。まさか自分が人間と関わるなんて全く思わなかったのだ。

「特に危ないのは、持ち主になってしまった人間が憎しみや疑念を増した時。特に道具にまつわる負の感情が強くなると、魔法の道具はその人間の負の感情を糧にしてしまう。そのあとにどんなことが起こるかはその人の性格や状況によるから未知だわ。その前に回収するか、持ち主になった人の気持ちを変えなければならない」

 段々とエピィにも事の重大さが分かってきた。こんなことがママに知られたら——その考えに至った時にはもう予想ができた。ユーフェミアが帰っているということはママなんてもう既にこのことは……。

「魔女集会から早退はやびけしてそろそろ家に着くわよ。私が連絡したからね」

「姉さんの裏切り者!」

「何言ってるの。遅くなったらもっとひどいことになるのよ。父さんが出張だから手伝ってもらうことも出来ないし」

 あくまで冷静なユーフェミアを前に、エピィの箒を持つ手が震え、立っている足ががくがくと震え、さらに何か言おうとしても唇まで震えてきた。

「大丈夫、エピィ」

 その震えを止めるように、ユーフェミアはエピィの肩に手を当てる。長い睫毛を動かしもせず、エピィの目をじっと見つめる。

「ママはきっと罰を下すけれど、早くに回収すれば最悪の事態は免れる。このお婆さんはユズさんよ。場所も突き止めたし、きっとママに内緒で私がなんとか遠隔で助けてあげることもできると思うわ。私が実習で作った箒を貸してあげるし、それからこの鏡も通信用に持っていって。回収が早ければ早いほどきっとママの怒りも……」

 その時である。突風が窓ガラスを叩いて激しい震動音を立てさせ、次の瞬間には大音声が家の中に響き渡った。

「エピィ!! 何をしてくれたっての、あんたって子は!!」




 ユーフェミアのとりなしも虚しくママの説教は鳩時計の鳩が十二回鳴くまでたっぷり続いた。鳩の鳴き声が一回一回、叱責に聞こえたのはきっとママが作った時計だからに違いない。

 次の朝早くから、エピィはいつも食べている大好きな「雲も顔負けふわふわパン太陽蜂蜜がけトースト」の代わりに苦い薬草が沢山入った「一日飛んでも疲れない栄養スムージー」を飲まされ、木の上でも眠れる鷹の羽で編んだ魔法寝袋と食料を詰め込んだ鞄を持たされて玄関から追い出された。制限時間は一週間。

 きのこ型の我が家を絶望感に満ちて見上げていると、二階の窓が開いてユーフェミアが何やら唱えている。そしてさっと杖を小さく一振りすると、虹色の光が箒につけたシュガーに向かって舞い降りてきた。

 びっくりしてユーフェミアにもらった箒を掲げる。何も変わったところは見られない。なんだろうとユーフェミアの方を見れば、長い髪を揺らしてウィンクをしてきた。そして口を動かし、人差し指をくるくる回してもう一つエピィの額に向けて一振り。そこから発した光の粒を当てる。

 ——何かあったら鏡を見てごらん。

 ユーフェミアの口の動きはそう言っているように読み取れた。コンパクトミラーを取り出して見せれば、ユーフェミアは満足げに頷く。

 姉に見守られて箒に跨ると、先端に結びつけたシュガーが、微かにエピィの方へ首を回して口を動かした気がした。

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