第4話 フェミア姉さんの助言
第三話 https://kakuyomu.jp/works/16816700429598600377/episodes/16816927861177078163
ココがクッキーを大事そうに食べているのを眺めていたら、エピィのコンパクトミラーからポンポンと音がした。ハッとして壁掛け時計に目をやるともうすぐ日暮の時刻になるところだ。そろそろ母親が帰ってきてしまうかもしれない。
——大変、早く出ないと不審者扱いされちゃう。
急いで荷物をまとめてエピィが玄関に向かおうとすると、またもミラーが音を立てる。しぶしぶ開くと、ユーフェミアが目を吊り上げていた。
「エピィ、その子はクッキーを全部食べたの?」
「えっ」
思いがけない質問に食卓を振り返る。お皿の上にはあと一つ、クッキーが残っていた。
「まだあと少しあるみたい」
「だめじゃない。母親が帰った時に何かと思って心配させるでしょう! 全部食べてもらうか、どうにかして消さないと。それから台所は片付けたの?」
何から何までユーフェミアの言う通りだった。エピィは反論も出来ず、怒りの視線を避けようとミラーを閉じてココの方に戻る。
「ココちゃん、そのクッキー、残さず全部食べようね」
「ええ? ダメ。ママにもとっておくんだもの」
そう言いながらもココはまだ食べ足りないのか、最後から二つ目のクッキーを小さく割ってひとかけひとかけ食べていた。エピィが困り顔になっているのも気がつかず、慎重にクッキーを咀嚼している。
「えっとね、でもココちゃんが食べてくれないと、お姉ちゃんお片付けできないの。えっと、えっと……」
ココが首を傾げてじっとエピィを見つめてくるのでますます戸惑ってしまう。人と話すのは苦手なのに。頭の中を隅から隅までひっくり返す気持ちでエピィは言い訳を考えた。ココに見つめられていると落ち着かなく、何とはなしに部屋の中をぐるりと見回す。
すると、窓際にあった机の上に、一枚の写真があるのに気がついた。写真の下には「そらいろえんのはっぴょうかい」と書かれている。
——はっぴょうかい……発表会……そうだ!
「あのね、ココちゃんが今日作ったのはお試し。練習。だから人にプレゼントするのはもっと素敵なのにするの」
「お試し?」
「そうよ。ココちゃん、あのお写真はお芝居だよね。練習中のお芝居は人に見せた?」
ふるふるとココは首を振り、そっかぁと納得したように頷いた。エピィはここぞと畳み掛ける。
「ねっ。だから今度、ママの前で本番をやってあげよう。お姉ちゃん、作り方を書いておくからね」
鞄の中から緑の紙とインクを取り出し、エピィは急いでそれにレシピを書き留めていく。水仙の葉っぱから作ったこの紙と名残雪の水を使った魔法のインクなら、長い時間が経っても色褪せることはない。ココがクッキーの最後の一枚に手を伸ばしたのを見て、内心でこれまで感じたこともない安堵を覚えながら、エピィは文字を綴っていく。その間にコンパクトミラーからまたもひそひそ声がした。
『エピィ、怪しまれないようにね。広告とか、保育園のお知らせとか、そういうのに見えるよう作るのよ』
「そんな」
『姉さんが教える呪文を繰り返しなさい』
焦る気持ちでペンを走らせながら、エピィは必死でユーフェミアの言葉を繰り返す。すると見る間にエピィの文字は自分のものではない筆跡に変わっていき、紙の余白にいかにもお知らせらしい絵柄が浮かび上がった。
「それじゃぁ、お姉ちゃんもう行くね。今日のことはココちゃんとお姉ちゃんとの秘密。ママをびっくりさせてね」
「うん!」
疑いも知らず屈託なく言う笑顔にエピィの良心がちくりとしたが、ぐずぐずしてはいられない。掃除の魔法を台所に向かって放ち、エピィは逃げるように玄関から出て大急ぎで通りの反対へ渡る。するとちょうど角からユズ婆さんの店で見た婦人が歩いてくるのが見えた。間一髪だ。
「ふぅ、危なかった。間に合ってよかったわ」
『良かったじゃないわよエピィ。ココちゃんがあんなレシピを持っていたら怪しまれちゃうでしょう。人間界で魔法を使うって言うのは危険を伴うの。配慮が足りないわ」
「そんなぁ」
『そんなぁじゃありません。未熟な魔法使いが人間界に行くのを制限されている理由は習ったでしょう。母さんがなかなか箒をくれないのはなぜなのか、よくよく考えることよ』
ユーフェミアの説教は時としてママよりも厳しい。コンパクトミラー越しでなければ、きっとエピィはすぐに逃げたくなっていただろう。
『まあ……それでも一つ取り戻せたのだから頑張ったわね』
しょげ返っているのが伝わったのか、ユーフェミアの声音が和らいだ。元気づけるように明るくなり、先ほどよりもゆっくりと話だす。
『さっきはもう買って行ってしまったのが誰か分かっていたし、人間界のお店で代わりの物もすぐに手に入ったから運が良かったわ。問題はここからね。他の道具の持ち主を一つ一つ探すのと、ユズさんのお店にまだある道具をどうやって売ってもらうかが問題よ』
「ユズ婆さんのお店にあるのは買えばいいのじゃなあい?」
さっき人間界のお金で代わりの型を買ったのだ。ユズ婆さんはエピィが行ったら嫌な顔をするかもしれないが、商売なのだしお金を払ったら売ってくれるに違いない。
しかしユーフェミアはまたも首を振る。
『エピィ、人間界のお金と言ってもお財布に入っているだけよ。いくらでも使えるわけではないの』
「えぇ、どうして? 魔女の力で増やしちゃダメなの?」
『魔女と人間が併存するにはお互いの領域を犯しちゃだめ。人間界のルールを守らないと大変な犯罪が起きてしまうでしょう。今そこに入っているのはね、姉さんが人間界研修で稼いだうちの一部だからね。使い切ったら終わりよ』
高等魔法を会得するには人間界で一定期間、働いて修行をすることが課せられている。確かユーフェミアも一年前に行ったはずだ。その時のお金をまだ貯金しているなんて。今のエピィなら途端に使ってしまいそうなのに。
よく考えているなぁと感心していると、シュクレが間に入って喧しく騒ぎ始めた。
『とにかくエピィ、ユズ婆さんのところでもう一度、誰が買って行ったのかとか聞いてみないことには仕方ないわ。ココちゃんとお話しできたのだから大丈夫よ。早くしないと時間ばっかり過ぎちゃう。しっかり頼んで……』
「あのお婆さん相手なんて出来っこないわよう」
ココは子供だったからエピィも話しかけられたのだ。もし母親だったらこうは行っていいない。
『勇気を出してやってみて。あのお婆さんは悪い人じゃないし、それに……あっ』
突然、ブツっという音がしてユーフェミアの声が途切れた。仰天して鏡を覗くと、面上に彗星が流れている。しまった、今日は流星群の日だ。天空の星の巡りの力を借りた遠隔通信は、流星が盛んな日には通信が不安定になってしまうのだ。
コンパクトミラーを手にしたまま、路地裏で途方に暮れて立ち尽くした。太陽が西側に傾いて橙色を増しており、もう少しで日が暮れてしまいそうだ。
「どうしよう……」
鞄に括りつけたシュガーの顔を見ると、心なしシュガーも困り顔をしているような気がする。
ともあれ、気は進まないがまずはユズ婆さんの店に戻ってみるしかない。エピィは通りへ足を踏み出し、また路地に戻り、また踏み出し、そしてもう一度えいやっと飛び出した。
——どん!
「ったぁ……」
右腕に衝撃を受け、エピィは思い切りよろけて転んでしまった。目を瞑って勢いよく出たせいで、右側から来た何かとぶつかったようだ。
「ごめんなさい、大丈夫ですか」
頭の上に優しそうな声が降ってきた。そうっと瞼を開けると、目の前でユーフェミアと同じくらいの年頃の娘がこちらへ手を差し伸ばしている。
「怪我していない? 立てます?」
そう言いながら早くも娘はエピィを支えて起こしてくれる。短く切った髪の毛と見開いた大きな目が快活そうな印象を与え、ユーフェミアとは別の意味での美人だった。
「すみません、私も撮影に行かなきゃいけないから急いでいて……」
エピィの服についてしまった砂を払い、娘は鞄からハンカチを取り出した。その時、鞄の中から小さなケースがこぼれ落ちる。
ケースの中で煌めいた粉は、妖精の羽からとった飾り粉——
——続く——
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