第6話 希望の流れ星と、アウロラ

 羽間慧様の第五話https://kakuyomu.jp/works/16816700429598600377/episodes/16816927861922007834


 その鳥はエピィの頭よりも遥か高く浮かび上がった。ひゅっと頬をかすめた風は冷たく、途端に背筋までがゾッとする。窓もない撮影現場でこんな風が起きるわけがない。吹き寄せ続ける風の筋を追ってみる。それは素肌の出たエピィの足を触り、スカートをはためかせてながら上に上がってくる。

 間違えようもない。風の源はウェディング・ベールだ。


 ——でも、待って。風なんて普通は目に見えるはずがないわ。


 エピィはウェディング・ベールを振り返った。

 床に投げつけられたベールは無惨にも形が崩れてしまっている。半円の弧状になっている部分はきっと額にかぶさるところなのだろうが、そこに沿って縫い止められた色とりどりの花々は潰れ、花弁もところどころ取れている。美しいはずの花の彩りが散らばり、シミのように点々と床を汚す。

 幾重にも重なったレースはどう目を凝らしてもぼやけて見える。光の塵をまとっているように輪郭線が芒洋として、自分の目を擦ってもそれは直らなかった。ただ、繰り返し床から浮き上がっては下がっているのははっきり見て取れる。


 ——これが妖精の羽根? 妖精の粉の力って、こうなるの!?


 妖精の羽根はめくるめく色を変え、舞い落ちる鱗粉の彩りも同様に定まらない。確かに授業でも羽根の不思議な色については習ったし、実際にエピィが箱に入れていた時の粉も一色に定まっていることなどなかった。

 ということは、カリンがベールの飾りに使った羽根の粉が風を作り出しているとしか思えない。

 エピィの頭上で鳥の翼が大きく広げられ、くうを仰ぐ。風が額を痛烈に打ち、頭蓋の奥まで痛みが浸透する。妖精の粉は、元となる羽根の力と同じく風を操る魔力があるのだ。だが羽根と同じように飛翔する鳥の姿を作るなど、授業でも教えてもらっていない。


 ——聞いてないよう、こんなのぉ。ちゃんと授業中起きてればよかったぁ。


 風はどんどん強くなり、勢いを増して旋回し始める。疾風に撃たれたらきっとエピィなど吹き飛んでしまうだろう。


 ——た、か、風魔法っ!


 指を十字に重ね合わせて風車のように宙で回す。瞬間的に小さな風が起こり、鳥に向かって飛んでいく。

 風は鳥の足先にぶつかり、長い爪の形が一時崩れた。風は逆風とぶつかれば衝突で勢いが削がれるのだ。

 空を飛ぶのが魔法使いの基礎中の基礎であるように、空気の扱いは魔道具を使わない魔法の中でも初歩の部類に属する。風を飛ばす対抗魔法は、自分で身を守れるようにエピィのような低学年の習得課題だ。

 しかし実技授業中に友達同士で発動するのと実践とでは全く都合が違う。全身が適度に弛緩した状態が魔法の力を引き出す最高の条件であるはずなのに、指先が緊張してうまく動かない。


 ——追い風を作る風車は、時計と同じ方向、対抗する風車は、時計と逆の向き。


 頭の中で教師の注意を反復しながら、エピィは指の組み替えを繰り返した。深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。回す速さは等しく保ち、それでいて一定の間隔で揺らすこと。空中に流れる風の中に不意打ちの突風が起こる時のように。

 エピィの手から鳥の方向へ、空を切って風が飛ぶ。さっきよりも速度を増し、かまいたちのように鳥の右翼を打った。翼の形状が崩れて鳥が空中で傾ぐ。やった、と一声、続けて左の翼を刺激し均衡を崩させる。

 だが妙なことに、エピィが風を当てても鳥の輪郭は歪むだけで、その数秒後にはまた翼が再生してしまう。


 ——どうして? なんで鳥の姿が消えないの? それに……


 またも鳥は羽ばたく。対抗魔法を発して衝撃を緩めるが、今度は足元にも風が吹きつけた。しかも下から突き上げる風の力はむしろ強くなっている気がする。

 もしや、とウェディング・ベールを横目に見ると、案の定、ベールを纏う光がさっきよりも強くなっていた。その光が四方に飛び散ったかと思うと、布に手が伸ばされて床から拾い上げられる。


「あぁ、このデザインじゃ監督のイメージとは違ったのかしら。私のシレアの想像が間違っていたの? 何が足りなかったのかしら。いつも、こう、私は……」


 布を胸に当て、カリンは鼻声になりながら床に膝をついてしまった。


 ——カリンさん? もしかしてカリンさんには、風が分かっていないの?


 ますます風力は強まっているが、抱きしめられて布のはためきは押さえられている。そうはいってもエピィにははっきり感じられるのに、カリン本人は風に気がついていないようだ。他の撮影スタッフもそれぞれ忙しそうに自分の仕事をしていて、エピィとカリンには無頓着だ。


 ——まだ、まだ間に合うかも……


 エピィは風車を作る手に力を込めた。希望は残っているのだ。

 魔力で起きた風が物理的に見えているのは、魔法使いのエピィだけなのだ。魔力はある程度の強さまでなら人間界に影響を及ぼすことはなく、あくまで魔法使いの制御内に留まる。ということは、現段階では風の魔力が人間に認識可能になるまで至っていないという意味だ。


「どうしよう……結婚式のシーンはすぐなのに……どうしたら正解だったの……」


 言いながらカリンの目から涙が流れ、頬を伝い、雫がベールに落ちる。そしてそのたびに光は怪しく暗い色へ変わっていき、エピィに対峙する鳥の羽ばたきも速度を増していく。エピィが風を当てても鳥の姿はすぐに元の形状を取り戻し、それどころか、元の輪郭を作り直すまでの間隔がさっきよりも短くなっている気がする。


 ——道具の魔力は人間の負の感情を吸収して悪さをしだす——


 もしユーフェミアの説明が正しいなら、カリンの負の感情を吸収して妖精の粉の力が強くなっているのだ。このまま粉がカリンの感情を吸い続ければ、エピィの対抗魔法も効かなくなり、カリンだけでなくスタジオの人々にまで突風が襲いかかるだろう。


「カリンさん! ねぇ、カリンさん!」


 重ね合わせた手指の間に汗が出る。手首が疲れて動きを止めそうになるのに耐えながら、エピィはカリンを呼び続けた。


「カリンさん、ベールは一生懸命作ったのでしょ? たくさん想像して、素敵な結婚式を作ろうって思ったんでしょ?」


 エピィの呼びかけが届かないのか、カリンはうずくまってベールに顔を押し当て泣き続けている。布の間から漏れた嗚咽がエピィの耳まで届くと、濁った光の粒が宙に舞った。


「いますぐ直せなんてそんな……さ、さつえいまでになんて……」


 布を取り囲んでいた粒子は次第にカリンの体の周りまで伸びてきた。まるでカリンを包み込もうとしているように見える。


 ——私の言葉だけじゃ足りないんだわ。


 魔法使いの声には、普通の言葉ですら人間よりも力があるはずだ。呪文を詠唱し、魔力を発することができるのはそのためだ。だが、まだ半人前のエピィは道具の助けなしに強い魔力を発動することはできない。


 ——こんな時に星形タルト型があったらよかったのに! あの中に捕まえた流れ星の力があったら……


 流れ星が流れたら願い事を唱えるように、彗星は希望の魔力を発する。もしタルト型に封じた彗星の輝きがあれば、今のカリンのように絶望した状態を吹き飛ばす助けになるはずだ。

 しかしタルト型を落としてしまったのは自分の責任で、ユズ婆さんの店からどこに行ってしまったのかも分からない。このままではカリン本人が妖精の魔力に飲み込まれてしまう。そうなった時にどんな結果が待っているのか。

 想像するのすら恐ろしく、エピィは頭から不吉な思いを消そうと頭を振った。カリンが作り直すのに何か役立ちそうなものはないのだろうか。撮影現場の端から端まで見渡す。カメラの三脚に絡まったケーブル。機材の中にベールの材料なんてあるわけはない。壁際の台は? 朱色と紅のドレスに紺色とレースの服の山、色とりどりの花々に木でできた小箱……もう完成品で、これから使うなら分解なんてできない。


 ——だめだわ。向こうの机は……


 大道具らしい木彫の机に視線を走らせる。調理場か何かの場面に使うのだろうか。やたら台所用品が多い。真っ白なお皿とパンが積まれた編み籠、水差しや泡立て器、包丁と菜箸、それから……


「そろそろかのう。厨房の撮影は」


 白い白衣を着て帽子を被った老人が机のそばに寄り、机の上の調理器具をひょいひょいと取り上げた。

 その途端、白金の輝きが一瞬、老人が手にした道具の面に光った。


「おじさん! それっ!」


 ん? と老人が振り返り、タルト型をエピィとカリンのいる方へ向ける。見間違えるはずがない。タルト型に一筋、また一筋と金銀の煌めきが走る。

 タルト型は双子が買っていったとユズ婆さんは言っていた。もしかしたら、もしかしたら双子もこのそばにいるのかもしれない。

 自分も泣き出しそうになっていたエピィは、意識的に目を見開いた。息切れがしてきた喉に思い切り空気を吸い込む。魔法使いの声音には魔法がこもる。ありったけの力を込めて、エピィは叫んだ。


「しっかりしてカリンさん! シレアの王女様……アウロラはそんなことでへこたれちゃうほど弱い王女様なの!?」


 ☆続く☆


シレア国はこちらです、と置かせてください笑


https://kakuyomu.jp/works/1177354054889868322

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