第9話 薔薇よりも危険な植物
【第8話】
https://kakuyomu.jp/works/16816927861144846254/episodes/16817139557606386520
薔薇の花の口金は、どこにいっちゃったの。
絞り出し袋は水に浸かっているのに、口金が見当たらない。
「不思議だな。厨房に花びらが降っているぞ」
「僕らのケーキは、奇跡を起こすほど最高だってことだよ。さすが世界一の菓子職人だね」
マサキとマユミが囁いているのを聞いて、エピィは怖々と振り返る。室内にいるというのに、薔薇の花びらが降っていた。
レーズン、オレンジ、プラム、さまざまな果物の香りが部屋中に満ちている。厨房にあるもの全てを、力の源にしているのだ。貝殻型の焼き菓子も、黄金トカゲの卵のようなお菓子も。
口金を放置したままだと、部屋が花びらで埋まっちゃう。早く見つけないと。
「捕まえてごらんなさい」
エピィの耳が、りんとした声をとらえる。使い込まれた魔法道具の持つ、誇り高い声色。エピィがきょろきょろと辺りを見回しても、口金は視界に入らない。
「うふふ。よそ見は厳禁ですのよ」
空中から飛び出た蔓が、エピィの目の前に迫る。無数の棘にたじろいだせいで、よけきれない。目をつぶるエピィの体に、かすり傷は一つもつかなかった。
エピィが目を開けると、安全守りが床に落ちていた。ナナカマドの花が刺繍されていた巾着は、中央から裂けている。中に入れていた呪符は、役目を果たしたように煙を上げる。
「これで、あなたの身を守るものはなくなりましたね。不安で仕方がないでしょう? あんなにべったりしていたシュガーと、離れ離れになっているのですから」
くすくすと笑う口金の声に、エピィの胸は恐怖でいっぱいになった。
蔓に触れてしまったら、私もあんな風に切り裂かれてしまうのかな。
いけない。後ろ向きになったら、掴めるチャンスが掴めなくなる。動いて。私の足。
エピィは自分を奮い立たせた。蔓から逃げながら、探索の魔法を唱える。
口金は浮きながら空中を移動しているらしい。エピィが呪文を唱え終わる前に、別の場所から蔓が出てくる。攻撃をよけて、探索の詠唱をやり直す。このままでは、エピィの体力が先に底を尽きてしまう。
「どうしたんだい? 慌てて流し台に行ったかと思えば、厨房をうろうろして」
「顔色が悪いよ。美味しいものを食べて、嫌なことを忘れようよ」
マサキとマユミはエピィに追いつくと、マドレーヌを差し出した。
部屋中に伸びていく蔓を、二人は認識できていないらしい。ウエディングベールのときと同じだ。鳥の姿に、カリンや撮影スタッフは何も反応しなかった。
マサキとマユミの二人を守りながら、蔓に立ち向かえるかしら。
考え込まずとも、答えはすぐに出た。
「おやすみなさい!」
倒れ込むマサキとマユミを、エピィは必死で受け止めた。トレーからこぼれたマドレーヌが、花びらの雨に姿を変える。
「あらあら。背中が空いていますわよ」
蔓がエピィの背中に斬りかかる。棘が刺さったところからは、糸が飛び散った。
「さぁ、大人しく糧になりなさい」
口金が勝ち誇ったように叫ぶ。エピィは首を振り、音もなく床に座り込む。夕闇色のドレスは、小さな鞄に変わっていた。
「身代わり? 一体いつから?」
口金の余裕が初めて崩れた。
「自分で変えた薔薇の花と、そうじゃない花の区別もつかないのね」
エピィの指が口金に触れる。一瞬の隙をついて、探索に成功したのだ。手のひらが口金を覆いかぶさったとき、金属が怪しく光る。
「甘いですわ」
エピィを蔓が払い除け、壁に叩きつける。すぐに起き上がろうとしたが、腰の痛みに顔をしかめた。腰だけではなく、喉も火傷したようにヒリヒリする。
「わたくしの芸術の邪魔をしないでくださる? 薔薇の香りに酔いしれなさいな」
自信たっぷりな口ぶりは、持ち主そっくりだ。マサキとマユミが所有したことで、少なからず影響を受けたのだ。
「芸術? どんなものを作ろうっていうの?」
口金に気づかれないよう、鞄から取り出していたタルト型の破片を握り直す。体力を回復するまで、自慢話で時間を稼ぎたかった。
「おーい。おーい」
エピィの頭上で、窓がコツコツと音を立てる。
「お兄さん達、遅いね」
「いつもなら、すぐにお菓子を持ってくるのに」
「愚痴を聞いてあげるから、早く来てよね。どうせ今日もお客さんはいないんでしょうし」
鳴き声が人語に聞こえるのは、エピィが動物と話せる指輪をはめていたからだ。
あの自信満々な二人でも、愚痴なんて言うんだ。それにしても、お客さんがいないって聞こえたのは空耳だよね?
いつだって完璧。欠点なんて存在しない。
マサキとマユミは、自分達のことを天才だと信じきっている。そう思っていた。
お客様が来ないのは、自分達のケーキのせいじゃない。一口食べてもらえさえすれば、良さを分かってくれるはず。二人なら、そんな言い訳をするだろう。
確かに、マサキとマユミの作るお菓子は、非の打ちどころがない。豊富なフレーバーも、幸せな匂いも食欲をかきたてる。満月の夜に摘んだカモミールティーとともに、少しずつ味わいたくなる。
ただ、大切な何かが欠けている気がする。そのことを口金に話せば、力の源を失うかもしれない。
「まぁ、わたくしとしたことが。物騒なものを持っていることに気がつきませんでしたわ」
蔓が星型タルトに狙いを定める。
厨房では、火の魔法は使えない。水をあげても元気になるだけ。考えるのよ、エピィ。
悩むエピィを元気付けるように、厨房のドアが勢いよく開いた。
「主、持ち堪えているか? 助っ人を連れてきたぞ。マンドラゴラの力があれば、撃退できるはずだ」
「きゃー! 天使よ。天使がいるー!」
どちらさま、でしょう? 爽やかな声で話すぬいぐるみと、人の形をした植物なんて知り合いにいないよ。
ユーフェミアとの通話の後で、シュガーは外に走り出した。
タイミングを図ったように、地面にヒビが入る。シュクレの言っていた、マンドラゴラの葉っぱだろう。
シュガーは頼れる仲間の到着に、ほっと胸をなで下ろした。
「はあーい! 幼女の頼れる味方、リューちゃんでぇーすっ! ユーフェミア似の可愛い妹を泣かせやがったのは、どこの馬の骨かなぁ? 貴様か? 貴様なのか?」
マンドラゴラは、緑色の髪を揺らした。
自分より一回り大きいせいで、恐怖が倍になる。シュガーは、うぴゃっと叫び声を上げたくなるのを我慢した。
「あ、人違いです。どうか地中にお戻りください」
「そんな訳ないでしょ。リューちゃんの登場をありがたがりなさい!」
冗談じゃない。こんな危険植物を、主に近づけたくはない。球根じゃなくてロリコンじゃないか。
「そっけないのね。でも、嫌いじゃないわ!」
握手を求めるように、蔓がうねうねと動く。
「抜くの手伝って。一人じゃ届かないのよ。もう少しで行けるのにいいぃぃ!」
リューは地面をぽかぽかと叩く。その光景を、シュガーは冷めた目で見つめていた。
「嫌ですよ。あなたを抜けば、叫び声を聞いた人が死んでしまう。マサキとマユミを死なせる訳にはいかないんですよ。むかつく奴だけど」
「ふうーん」
リューの目が細くなる。
「冷静なところはシュクレより上ね。気に入ったわ」
よっとこらっしょい。リューは地面から這い出てきた。
「あなた、自力で出られたんですか? さっきまでの茶番は一体……」
「手順ってものがあるんですぅー! お望みとあらば、死に至る叫び声をサービスしちゃいますよぉ?」
にこやかに笑うリューを放置し、シュガーは厨房へ向かった。
「話しすぎた。主の元へ急がなきゃ」
「あんたの名前、シュガーじゃなくてソルトの間違いじゃないの? 少しぐらい、年上に優しくしなさいよー! あんたの小さな体だと、ドアノブに届かないくせにぃぃー!」
リューはむくれながら、シュガーについていったのだった。
【第10話】
https://kakuyomu.jp/works/16816927861144846254/episodes/16817139558466659313
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