第7話 彗星の輝きと双子

【第6話】

 https://kakuyomu.jp/works/16816927861144846254/episodes/16817139555581298553




 朝日を思わせる強い光が、辺りを覆い尽くした。雪原にたたずんでいるときのように、青と白の二色だけが視界に飛び込む。両目がまばゆい光に慣れたとき、エピィは息をのんだ。


 カリンの涙は止まっていなかった。カリンを包んでいた黒い光は、彗星の輝きを浴びても全然消えていない。妖精の粉は、今や彼女の顔まで飲み込もうとしていた。


 このままだと、あの鳥に意識を乗っ取られちゃう。お願い、もう少し風量を上げられないの?


 エピィは、必死に風車を作り続ける。がんばれ自分と言い聞かせながら。


 だが、わずかに残っていた希望は、ピキピキという音を立てて崩れ落ちた。老人の持っていたタルト型が、まっぷたつに割れたのだ。


「料理長、もう少し慎重に扱ってくださいよ。小道具を壊すのは、これで七回目じゃないですか?」

「壊したくて壊している訳じゃないわい。台本に従って、体をちょっぴり鍛えたせいじゃ」


 青年と老人が言い争っていた。彼らはタルト型が壊れた原因を、老人が握りすぎたせいだと考えているらしい。もちろん、本当の理由は違う。タルト型に封じていた、彗星の輝きが底を尽きたのだ。


 やっぱり半人前の私には、魔法道具が力を貸してくれないのかもしれない。フェミア姉さんなら、失敗なんかしないのに。


 肩を落としたエピィの頭に、一つの疑問が浮かんだ。


 私の魔法が上手くいかないのは、本当に道具のせいなの?


 ――違う。上手くいかない理由は、自分でも分かっているだろう?


 エピィの中の誰かが、キッパリと答える。初めて聞くはずなのに、ずっと前から知っているような懐かしい声がした。エピィが想像したのは、声変わり前のあどけない少年だった。ウェーブのかかった前髪が、風になびいた気がした。


 ――やっと僕の声が届いたのかな。だとしたら、このピンチを乗り越えられるかもしれない。大きな一歩だよ。


 大きな一歩なのかな。エピィは少年の声に首を振りかけた。どうして自分が魔法を失敗するのか、今なら理由を説明できると思った。


 今までの自分は、道具の力に頼って楽をすることばかり考えていたのかもしれない。ほうきが上手く飛ばないときも、ユズが映画スタジオの地図を書いたときも。自分は、何の努力もしてこなかった。自分は何もしていないくせに、道具のせいにした。そんな態度では、魔法道具は力を貸してくれないはずだ。それに。


 エピィは自分に問いかける。


 私は自分から行動していたっけ? もしも立派な魔女になりたかったら、授業も宿題も手を抜くことはしないんじゃないの? 学校で優秀な姉さんと比べられて、いじけた挙げ句、ふまじめな生徒になっちゃって。かっこわるーい。


 だから、かっこわるい自分とは、今日でさよならする。


 エピィは風の鳥を見上げた。最初に見たときより、吹き荒れる風は勢いを増している。かつての虹色の美しい羽はおもかげを失い、外の夕闇に紛れてしまいそうだった。


 ――闇が深ければ、照らす光の量は多くなる。どうやって、このピンチを切り抜けるつもり?


 心配そうな少年の声に、エピィは呪文で応えた。


「空気中に消えていった彗星の輝きよ。我の前に再び集い、奇跡を起こす力となれ」


 タルト型の彗星の輝きは、完全な形で呼び出せていないはず。だから、タルト型が半分に割れてしまったんだわ。残りの光は空気の中にあるだけで、まだ完全に消滅したわけじゃない。もう一度、私の元に集まってきて。


 祈るように、エピィは両手を握った。重ねた指の間に、青白い光の粒が入っていく。


 よかった。自分の呪文に、彗星の輝きが反応してくれている。


 エピィは息をつきながらも、まだまだ光が足りないと焦りを感じていた。


 ほかに、彗星と相性のいいものを、呼び出すことができたらいいのに。


 エピィの心の声を聞いたかのように、スカートのポケットから光が湧き上がる。淡い光の正体は、バターを使わないクッキーだった。ココと一緒に作ったクッキーを、小さな包みに入れていたのだ。


「雪と月の力が馴染んだら、うすーくうすーく伸ばします……ココちゃんに歌った歌詞が、こんなところで役に立つなんて」


 半人前とはいえ、エピィも魔法使いの一人だ。普通の卵と小麦粉に魔力を宿すことは、ありえない話ではない。


 カリンさん、あなたの願いも叶えてあげる。心にかかった霧を晴らしてみせる。

 エピィは高らかに叫んだ。


「カリンさん! あなたの好きになったアウロラは、人の顔を気にするような王女様なの? そんなアウロラのママも、周りの意見に流されてキラキラのベールを選ぶような人だったの?」

「そんなこと……ない」


 カリンの短い髪が揺れた。赤い目をこすり、ベールを撫でる。


「私には才能なんてない。原作を何度も読み直すことしかできない。それが唯一の取り柄だって言うのに、大切なことをどうして忘れていたんだろう」


 カリンの目に光が灯る。涙はもう流れていなかった。


 今だ!

 鳥の羽ばたきが弱まったところを見計らい、エピィは指を十字に重ね合わせる。


「私が好きになったアウロラは、民のためなら多少の危険を省みない。危なっかしくてハラハラする。だけど、アウロラがお城を抜け出すことを期待してしまう自分がいる。私に足りないのは、伝える勇気。監督に怒鳴られるかもしれないと、臆病になってはだめ。お説教にしり込みするような王女なんて、誰が見たいの? いいえ、そんなの私が許さないんだから!」


 カリンが強気な言葉をささやく度に、黒かった鳥の色は薄くなる。もう少し、あともう少しで、自分の魔法でも完全に消せるはずだ。

 エピィは、期待を込めてカリンを見つめる。カリンは立ち上がると、監督に近付いた。

 

「監督。ウエディングベールのデザインですが、変更するべき点はありません。ベールのほつれを修正しますので、どうかこのまま撮影を続けさせてください」

「頭がいかれたのか? 問題大ありだろう! わしの構想は、宝石をたくさん使っているような、王族らしいものだ。こんなウエディングベールを採用するくらいなら、そこのカーテンを被らせたほうがマシだ」


 エピィの肩は震えた。

 以前のカリンなら、監督の言葉に言い返さなかったかもしれない。だが、今のカリンの顔には迷いがなかった。


「シレアの王族に、ぜいたくが好きな人はいません。作中に登場する宝石だって、ご先祖さまから大切に受け継がれてきたものばかり。それに、観客が期待しているものは、派手な見た目の結婚式ではありません」


 弱々しかった少女は、監督から目をそらさなかった。


「観客が見たいものは、繰り返し読んだ物語の世界。あまりにも世界観から離れすぎたら、熱烈なファンが暴動を起こしますよ。もちろん、作者様やファンよりも先に、私が暴れますけどね」


 監督の口が、ぽかんと開く。静まり返ったスタジオから、拍手の波が広がっていく。


「カリン、よくぞ言ってくれた!」

「私もね、あんな派手なベールにするのはどうかと思っていたのよ。カリンちゃんの作ったデザインの方が、何倍も素敵だわ」


 監督は、力なく膝をついた。石像のように固まった監督に、話しかける人はいなかった。


「はーい! 今日の撮影はここまでにします! 皆さん、お疲れ様でした」


 二番目のえらい人が、撮影の終わりを告げる。


「やっと眠れる! でも、壊れたタルト型は借り物だから、謝る内容を考えてから寝ないと……」


 割れたタルト型と、絞り出し口金を回収できるチャンスだ。

 頭を抱える青年に、エピィは話しかけた。


「あの。それ、私が行きます。お手伝いさせてください」


 エピィは知らなかった。

 申し出をしたことについて、すぐに後悔すると。




「いらっしゃいませ」

「ようこそ、マサキ兄さんと僕の店に」


 翌日、エピィがケーキ屋のドアを開くと、二人の青年が出迎えてくれた。

 茶色の髪に、深緑色の瞳。髪型も、ほくろの位置も、エプロンもお揃いだった。


 エピィは、ユズばあさんの言葉を思い出す。

 この双子が手強い? とてもそんな風には見えないけど。


 エピィはタルト型を二人に差し出した。割れたタルト型とよく似た新品に、すり替え済だ。


「映画撮影に貸していただいたタルト型を、お返しします。この度は、ありがとうございました」


 並んでいるケーキの中に、薔薇の花をかたどったデコレーションケーキがあった。


「どうしたの? 真剣に見て」

「この生クリームが」


 エピィが言い終わる前に、マサキが話し出した。


「俺とマユミのケーキは、いつだって完璧だ」

「完璧以外の何ものでもないと思うな。このクリーム、本物の薔薇そっくりでしょう?」


 だって本物だもの。エピィは、そう答えたくなるのを我慢した。おずおずと、二人に問いかける。


「クリームの味見はしたの?」

「もちろん確認したぞ。できあがったケーキは味見していないけどな。だって」

「欠点なんてあるはずないからね」

「あぁ。欠点なんて存在しない!」


 圧を感じて、エピィの体は震え上がった。話を聞いてもらえる相手とは思えない。真夜中に忍び込めばよかったかもしれない。


 エピィの顔を、マユミが覗き込んだ。


「きみ、まだ納得できないの? そんなに文句を言いたいだったら」


 次の瞬間、マサキとマユミの声が重なった。


「厨房の中を見せてあげる!」


 見ず知らずの自分に、そこまで尽くしていいのだろうか。二人の誘いに、エピィはためらった。


「厨房って、お店の人以外立ち入り禁止なんじゃ」


 エピィの右手をマサキが、左手をマユミが握る。


「俺らが見せてあげるって言っているのに、断るつもりなのか?」

「遠慮しないで。気が済むまで見ていってよ。重たそうな荷物を置いてさ」


 半ば強引に、厨房の中へ案内される。エピィの荷物を置き去りにして、ドアが閉まった。


「あいかわらず、僕の主は流されやすい性格らしい。そんなところが愛らしいのだけど」


 マサキでもマユミでもない声が、店内に響き渡る。


「僕のちみっちゃい体では、ドアノブに手が届きそうもないな。どうやって厨房に入るか考えないと。なんだか嫌な予感がする」


 背伸びをしても、ドアノブに触れることは叶わなかった。ふわふわの手を下ろし、長いため息をついた。



【第8話】

https://kakuyomu.jp/works/16816927861144846254/episodes/16817139557606386520

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