魔女の落とし物
羽間慧
第1話 ほうきさん、しっかりして!
「夜の散歩って、とっても気持ちがいいのね。よい子は寝る時間だってママは言うけど、こんな楽しみを大人だけ味わうのはずるいと思わない? シュガー」
エピィは風で乱れた髪をかきあげる。ママの仕草を真似る様子に、シュガーは沈黙を貫いた。
エピィが話しかけた相手は、うさぎのぬいぐるみだ。銀色の瞳がまばたきをすることもなければ、小さな鼻がひくひくと動くこともない。
もしもシュガーが生きていたら、自身とほうきの柄を繋ぐリボンが丈夫なことを祈るだろう。空を飛ぶほうきは、ふらふらと漂っていた。
元々、ほうきの主はエピィではない。ママのほうきを内緒で持ち出していた。飛行の練習をしたくても、肝心のほうきを買ってくれないのだ。
『魔女見習いのあなたには木の枝で十分です。魔力の制御をしっかり練習しなさい』
九歳のほかの子は、かっこいい新型ほうきを誕生日にもらっている。「自動ブレーキと落下防止システムを搭載した、初心者に安心の設計」とセールスのお姉さんが売りに来たこともあった。ママはうちの子には一兆年早いって追い返していたけれど。ママがケチなだけだと思う。
「意外と操縦ができちゃう私って天才かもしれないわ。ほうきに乗ったのは今夜が初めてなのに」
エピィは眼下の街を見下ろした。目隠しの魔法の効き目はバッチリだ。本物の魔女が現れたと、街の人々が大騒ぎする様子はない。呪文を一人で練習した成果が出ていると嬉しくなる。
「そろそろ帰ろうかしら。ママが魔女集会から帰るより、先にベッドにいなきゃいけないもの」
ほうきが大きく揺れた。とっさに柄を握りしめて制御しようとしたが、落下する一方だ。
「ふええええーん。どうして言うこと聞かなくなっちゃったの?」
ほうきの機嫌を損ねることは言っていないはずだ。エピィはシュガーを睨みつける。
「シュガー! 黙っていないで助けてよ。おばあちゃまの作ったお守りなら、孫のピンチを救おうとは思わないの?」
返事の代わりに、シュガーの首元につけていたリボンがほどける。前のめりでシュガーの手を掴もうとしたとき、エピィは体勢を崩した。
ふわっと体が浮き上がる感触に、ほうきから落ちたことを理解する。
「枝よ。しなやかな腕となり、我の体を支えよ!」
呪文に応じた森の木が、落下の衝撃を和らげた。そばの古びた街灯の光が消える。
「あいたたた」
エピィは顔に当たる枝を払う。呪文を唱えるのが一秒でも遅ければ、大怪我をしていた。落下したときのためにお守りを入れてよかった。優しく鞄を撫でると、ボタンが開いていた。
「大変だわ」
眼下の草むらに中身が散乱していた。エピィは飛び降りて拾い上げる。
魔法道具は人間に見せてはいけないのだ。勝手にママのほうきを借りた上に、魔女の掟を破ったことがバレたら、外出禁止よりも重くなる。かつて門限を破ったとき、ママは手作りビーズアクセサリーの紐を容赦なく切った。次はシュガーの首が飛ぶかもしれない。
エピィは必死になって探した。
「安全守り、動物と話せる指輪、インクがなくならない羽根ペン、失せ物探しのコンパクトミラー、それからシュガー!」
エピィは、シュガーのお腹についた土を払う。
「じっとしていないと駄目じゃない。次はもっと強めに結ばなきゃ」
シュガーのふわふわの毛が逆立つ。
エピィは口笛を吹き、ほうきを呼び寄せた。
「ほうきさん、お家まで安全運転よ」
夕闇色のドレスが再び夜空に馴染んだ。
エピィのほうきが遠ざかると、街灯の光が元に戻る。草むらには、きらりと光るものがあった。
鞄の容量は無限にある。入れっぱなしにしておいたお菓子作りの道具、ドラゴンのうろこ。持ち主から忘れ去られた品々が散らばっていた。マンドラゴラの種は、拗ねたように地面に潜る。
一人のおばあさんが通りかかった。セージグリーンのタートルネックに顔を埋めている。
「ひっく。種がひとりでに入ってしまった気がしたのだけど、酒の飲みすぎかねぇ」
おばあさんはタルトの型を拾い上げた。使い込まれたものらしく、小さな傷が目立つ。
「駄目じゃないか、こんなところにゴミを捨てて。安心おし。新しいご主人様に出会わせてあげるからね。あんたみたいな風合いは好かれそうだ。小物置きとして購入する人もいるかもしれないよ」
おばあさんは両手いっぱいに品々を抱え込む。目指す場所は、大きなガラス窓のついた木製のドアが目印の店。
外壁に吊るされた看板には、ユズの古道具屋と記されていた。
この看板をエピィが見上げる日は近い。無断外出とほうきの持ち出しの罰を帳消しにする代わりに、落とした魔法道具を回収するよう命じられるからだ。ママの説教が終わるまで残り六時間と六分六秒。
【第2話】
https://kakuyomu.jp/works/16816927861144846254/episodes/16816927861144857643
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