早朝の楽しみ
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早朝の楽しみ
早朝の楽しみ
新型コロナ感染拡大により、全国に初めて緊急事態宣言が発令された。その真っただ中のゴールデンウィーク。まだ、完全に正体が解明されないコロナウイルスに、得体の知れない怖さを日本中の人たちが感じていた。不要不急の外出自粛、マスクを装着しながらの生活、密を避けて人との距離を意識しなければならない日用品の買い物。
いったいこれからどうなってしまうんだろう。明確にならない明るい明日がいつ来るかの期限。いつまで我慢をしたら明るい明日が来るの?
そんな時だからこそ出会えた早朝の楽しみ方。人はどんな状況の中でも、心の持ち方次第で、したたかになれる。そのしたたかさが、きっと明るい明日への鍵になる。
2020年ゴールデンウィークに感じたこと。それを今、思い出してみた。
五月に入って日中の最高気温だけでなく、朝(というかここでは早朝を指しているが)の気温もどんどん高くなってきた。
それまで日中の練習でさえもロングタイツを履いて行っていたが、五月に入ってからは半袖Tシャツと短いランニングパンツという格好で走っている。外に出た時に多少風の冷たさを感じるものの、肌寒さも走り出してしまえばすぐに気持ちの良い涼しさに変わる。
早朝三時五十分。五月に入ったばかりのこの時刻は夜と呼んで良いくらいに暗い。この日も早朝の練習場所と決めている芝生公園に直行をする。
西側の端に立てば、公園の全貌が見渡せるくらいの広さで、周りに全く囲いのないオープンな造りなので、暗い中でも全く恐怖感はない。
この時刻、当然公園には他に人はいない。いつも一人で走りながら空が白み始めるのを待つ。
今はゴールデンウィークの真っただ中。例年だと行楽地は観光客で溢れる絶好のシーズンだが、今年は新型コロナウイルス感染拡大により、四月七日に緊急事態宣言が発令されたことで、公園から近い、この街で一番大きいショッピングモールも休業をした。この影響でそれまで一晩中煌々としていたモールの外観を照らすライトも今は消されていて、人工の光がない時の本物の夜の暗さを教えてくれている。
街全体の光が半減した感じである。午前四時からオープンになる市営の自転車預かり所の明かりが灯るまでは、三本の路線が行き交う大きな駅の近くとは思えないほどに、暗闇が街中を包み込んでいる感じになっていた。
いつものように軽く腕を回してストレットを済ませてから、芝生広場を西から東に向かって走り出す。暗くて孤独な練習には欠かせない音楽が、イヤホンから流れているので周りの静けさは、そのまま寂しさには繋がらない。
西端から東端までの長さは約五十メートル。これを折り返しながら二時間程度走り続ける。東端に着き折り返した瞬間に、「えっ!」と思わず声を上げそうになった。
なんと暗闇の中に浮かぶ人の姿が目に飛び込んできたからだ。しかも複数名いる。完全に自分以外には人はいないと勝手に決め込んでいたので、想定外の光景が目に飛び込んできた瞬間に、同時に恐怖心が湧き上がってきた。夜遊びをしている若者という構図が頭の中を瞬時に駆け巡った。
「ヤバいかも」
練習を中断してこの場を離れようかと考えた。その人たちは西端の右側に設置されている懸垂台の近くにいた。
練習を中断するにしても西側の端までは帰る必要があるので、走り続けていると、その人たちとの距離がどんどん近くなって行き、その距離に正比例して姿も大きくなって行った。
「なんだ、家族連れなのか」と胸を撫で下ろす。
懸垂台の前には三人の人が居て、そのうち二人は明らかに小学生くらいの背丈だった。父親と子供たちという取り合わせである。まずは、夜遊びの若者ではなかったことにほっと胸を撫で下ろす。人の気持ちは現金なもので、自分に危害を及ぼす危険がないことが確認できると、今度は、「何をしているのだろう?」という興味が湧いてくる。
男の大人と二人の子供という姿ははっきりと捉えることはできるのだが、何をするためにこんな時刻に、小学生がこの公園にきているのか、その真相を突き止めるには、あまりに辺りが暗すぎた。ただ、練習は継続しても大丈夫だと判ったので、そのまま走り続けた。
親子から見れば、こんなに暗い早朝(夜中と表現するのが適切だろう)の公園の中を、まるでハムスターのように折り返しては走り続ける男を不審に思ったであろうことは、客観的に見て想像するのに難しくはない。
太陽の動きには寸分の狂いもなく、昨日と同じ時刻に公園内が白み始めた。そして、この明るさでやっと、懸垂台の前にいる親子の姿を鮮明に捉えることができた。やはり、父親と息子二人の親子連れだった。大きい方は小学生低学年という感じだが、もう一人はどう見ても幼稚園児の背格好だ。こんな小さな子供たちがなぜ真夜中の公園にきていたのか。
「そうだったのか」
その理由もすぐに判明をした。お兄ちゃんの横に天体望遠鏡が置いてあったからだ。親子は真夜中に天体観測をするためにこの公園にきていたのだ。
現在学校は休校中で、しかもゴールデンウィークの真っただ中だ。人ごみは避ける、人との間隔は広く取る。さらに、学校にも行けないので昼間はきっと自宅の中で過ごすことが大半なのだろう。
人ごみの中は避けるという条件は、この真夜中の公園では十分すぎるくらいに満たしていた。
「でも、なんでこんな街中で天体観測なんて?」
星の観察は人工的な光が少ないことが大前提だ。それなのになぜ?
「あっ、そうか」
この疑問にも自ら答えを導き出した。
日本政府から発令された緊急事態宣言により、大型ショッピングモールだけではなく、周辺の商業施設が全て休業しており、ビルを外側から照らす照明の数が最小限抑えられているから、こんな街中でも天体観測が可能になったのだ。
星のことが大好きな親子が、眠い目をこすりながら、何時にこの公園にやってきたのかは分からないが、この公園で天体観測ができる特殊な条件が揃うのは、周辺の商業施設が休業をしている今の時期しかないだろうことは明らかだ。
置かれている状況の中で、最大限にそれを楽しむ術を知っているこの親子に、人生の楽しみ方を教えてもらったような気がした。
すっかり公園内が明るくなったのを機に、親子は自転車で帰って行った。
それと入れ替わるタイミングで、この公園にくるようになってから良く見かける、犬を連れた老人がやってきた。
芝生が広いということもあって、犬を散歩させるためにこの公園にくる人は多い。そんな中でも、その老人のことが特に印象に残っていたのは、連れている犬が珍しい犬種だったからだ。
その犬は、スイス原産のバニーズマウンテンドッグという、スイス山岳犬四種のうちの一つの犬種だ。街中でこの犬を見かけることはほぼなく、この公園で見かけた時には、思わず目を疑ったほどだ。
バニーズマウンテンドッグは、スイスのベルグ地区の標高の高い山で、農耕犬として二千年前から現在まで他の犬種と混ざることもなく、今日まで血統を守ってきた貴重な犬なのだ。一時期絶滅の危惧の状況に陥ったこともあったが、この危機もなんとか乗り越えた。
白と黒、それに赤褐色のトライカラーがバニーズマウンテンドッグの特徴だ。そして、もう一つの大きな特徴が、赤褐色のマーキングが頬、目の上、胸、足にくっきりあることだ。この特徴が散歩の犬にもくっきりと入っていた。
最初は遠くから犬を眺めているだけだったが、ある日、飼い主の老人と挨拶をすることができた。この時に初めて近くで犬の顔を見た。
「えっ、目の色が違いますね」
そのバニーズマウンテンドッグの目は、右目が透き通った深いブルーで、左目が濃い漆黒だった。
「この目の色に惚れ込んで、どうしても飼いたいと思ったんですよ」
老人は嬉しそうにそう話してくれた。
「魅力的な目の色ですもんね」
「今日は、良い日だな。お前のことを褒めてもらったよ」
まるで子供のことを褒められたような喜びようで、老人は犬の頭を撫でた。
「もう少し経ったら、もう外で散歩させることができなくなります」
「えっ、どういうことですか?」
何か病気でもしているのだろうかという悲しい予感が、一瞬頭の中を掠めたが、その思いはすぐに無くなった。さっきまで元気よくジャンプしていた様子を思い浮かべると、病気という理由ではないなと思ったからだ。
「厳寒の山岳地帯が原産だから、暑さにはめっぽう弱くてね。夏場はぐったりして外に出たがらないんですよ。朝の気温が高くなるこれからの時期は、毎年クーラーのきいた家の中から一歩も出ませんよ」
「じゃあ、これからは会える日がとても貴重な日になりますね」
「また、寒くなったら毎日でも会えますから」
大袈裟なことを言いますねと、そんな顔をして老人は言った。
「そうですね。寒くなる楽しみができました」
「でも、私はバニーズ犬ではないので、暑くなっても散歩にはきますから、これからも宜しく。また、話をしましょう」
「はい、喜んで」
そう言って別れた。
この公園で早朝の練習始めてから、まだ一か月も経っていない。
でも、この早朝という特殊な時間のせいなのか、沢山の楽しみを見つけることができた。少しの時間の違いや、少しの場所の違いなど、ほんの少しの違いで、ものの見方や、出会える景色が違ってくる。そう思ったら、楽しみが無限大に待っているようで、すでに青く晴れ上がった空のような壮大な気持ちになった。
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