子どもを持つこと

あかり香

子どもを持つこと

私が初めて子どもを持つことができないと思ったのは、中学2年生の時だった。もっとも、子どもを持てないと思ったのは、自分自身は結婚できないと思ったからで、子どもを実際に産んで育てることを想定して考えていたことではなかった。


結婚できないと思ったのは、大人になることへの恥ずかしさからではない。小学校のときも結婚したくないなんて言ったことがあるが、それは結婚するという行為に対する幼少期特有の恥ずかしさからだった。でも、高学年のお姉さんにそんなことを言ったら、社会のためにも結婚しなければいけないと思っていると言われた。その時は全く理解できなかったけれど、今思えば、よく考えているお姉さんだったなと思う。


何故結婚できないと、自分ではっきり自覚したのかというと、当時から、私は感情の起伏が激しく、ちょっとしたことで感情的に泣いたり怒ったりした。姉との喧嘩で赤信号待ちに車から飛び降りたこともあるし、ドアをピシャリと閉めたり、とにかく何らかの手段で自分の気持ちを表さないと気が済まなかったのだ。まぁ、実際のところはそれでも気は済まないのだけど。


そんな風に感情的に気持ちを表しても、家族なら許してくれると、私は心のどこかではわかっていて、感謝もしていたのだと思う。だから、他人にそんな我慢を強いることはできないと考えて、結婚できないというよりも、しない方が良いのだろうと結論づけたのだった。それに、自分が他人とくっついて、境界を曖昧にすることは想像できなかった。


けれど、高校生になると考えが変わった。結婚して、将来を供にする相手が欲しいと思うようになった。きっかけや理由は全く覚えていないのだが、私の気持ちや考えを理解し、共有してくれる人が欲しいと望むようになった。高校のときは悩みが多く、でもどうしようもないことが多かったので、自分が頑張っていることを誰かにわかってほしくて、そう思うようになったのかもしれない。そんな風に考えが変わっても、私は子どもを持ちたいとは思えなかった。その時は、自分の子どもが悪いことをしたときに社会的責任を果たす覚悟は持てないと考え、また自分のように悩んで苦しむ子を産みたくないと思っていて、そしてそんな子どもを、自分が愛しいと思って育てることは想像できなかった。


その考え方は、長い間変わらなかった。変わらないどころか、より具体的になった。自分に自信がなかったし、私のような人のところに生まれる子どもはかわいそうだと考えるようになった。別の人間だとしても、どうしても似てしまうところはあるから、自分が直接その影響を誰かに与えるのは怖いと思うようになった。


また、私はそのころ、お腹の中に別の命を宿すことは気持ち悪く思えた。自分の意思とは関係なく、誰かが自分の腹の中にいることを想像すると、何とも言えない気持ち悪さが私の中に残った。姉の妊娠した姿を見て、幸せそうだと思う反面、自分だったら気持ち悪いと思ってしまうという考えを持った罪悪感にさいなまれた。


加えて、自分の体が変化することへの恐怖感もあった。子どもを妊娠すると体型も大きく変わるし、産んだ後も子育てに体が順応する。私は、自分の体が大きく変化して、そして戻ることがないということが怖く感じた。私は変わっていくことやものに苦手意識を持っているので、それも影響した。また、実際に子どもを産んでいない祖母と母の違いを目の当たりにしていることも大きかったと思う。


けれども、私は子どもを産む行為に否定的なわけではなかった。新しく命を宿すことも、子どもが産まれることも、本当に神秘的で感動的なことだと思っていた。甥や姪が産まれて、成長するにつれて、余計にそう思うようになった。何もできない小さいころから、自分の手で育てて、一つ一つできることが増えて大きくなっていくのを実感できるのは、どれだけ近くにいようと、実際に育てている人だけだと思う。


だから、子を持つことに否定的なのではなく、あくまで自分の子を持てないと思っていた。それは自分に原因があると思っていたからだし、むしろ周りの人たちが母になることに疑問を感じたことはなかった。


そんなわけで、私はとにかく自分は子どもは持てないしいらないと思っていた。だから、縁あって結婚することになった人にも、子どもは欲しくないと伝えていて、彼はどちらでもよいから私の意志を尊重すると言ってくれた。2人で仲良く暮らせる夫婦になれればよいと思っていた。


だが、ここ最近になって、私は子どもが欲しいのかもしれないと思うようになった。最初はほとんど無意識だったが、子どもが生まれたらとかもし子どもを産んだらという発言が増えた。(それもかなり他人事的な言い方ではあるが)インスタでよく見る育児漫画では、以前は可愛いなぁと思うだけか、大変そうだなぁと他人事だったが、最近ではいいなぁと思うようになった。どうしてこんな変化があったのかはわからない。ただ、2人の生活もいいけれど、子どもが仲間入りしても楽しいかもしれないと今は感じている。


こうしてみると、人にはどんな変化があるか本当にわからないなと思う。私は変化することに苦手意識を持つから、あんなに嫌だと思ってたのになぁと自分に対して、なんだよ、と思う気持ちもある。でも、子どもが欲しいと思う人の気持ちを身をもって知ることができたのは、本当に初めてのことだし、初めての気持ちを持ったり考えを持つことは新しい自分を知ることに繋がる。そうやって、たくさんの気持ちを知りながら生きていけるのなら、生きるのも悪くないと思う。


もし本当に子どもを産むことに決めた時に、うまくできるかはもちろんわからない。でも、もし生むことができたら、自分の子どもにも自分を知って生きていく悦びを感じて欲しいと願う。

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