メメント・モリ(4)


「ハーブティーにしてみたよ。最近は、メセチナ様にもよく淹れているんだ」 

 紅茶とは異なる柔らかな色のお茶を、ルカは立ったまま手際良く注いでいく。ティーポットの中身などオズワルドには分からないが、置かれたカップからは落ち着く香りがした。

「メセチナが国境から帰還したのは最近なんだろ。マグヌスが遅すぎると痺れを切らしていた」

「ああ、七日程前に。急な配置替えだったから、引き継ぎに少しかかったらしくてね。後任の方と新たな防衛の強化をしてから帰還されようだ。俺は事前に手紙をもらっていたけれど、君にはそれも知らせることが出来なかったな」

 椅子に腰を下ろしたルカは、置かれていたプリズムを一つずつ端に寄せながら答える。プリズムの放つ虹色の光が、移動されるごとに机上を揺れ動いていく。

「……もしかしてお前、何度か俺の家へ行こうと試みていたのか?」

「勿論だとも。あの日、見舞いに行ったアデルからメセチナ様は無事だと聞いて、君にも報告をしたかったからね。でも辿り着けなかった。場所は分かっているのに、気付いたら通り過ぎているんだ。何度か試すうちに、術式の誤作動なんじゃないかと思い始めたよ。それからも日を改めて試してみたけれど、やっぱり弾かれてしまってね。王都へ帰還したメセチナ様から事情を聞くまで、術式の内容が変更されたとは思いもよらなかった」

 気まずい面持ちでルカの話を聞いていたオズワルドは、ゆっくりと眉間に皺を寄せる。ルカも最近まで、あの家に入れなくなった原因を知らなかったとは。マグヌスときたら、周囲への配慮が足りないにも程がある。

「無駄な手間をかけたようだな」

「気にしてないさ。術式の変更は君の師の意向で突然決まったらしいし。君の方も、俺が訪問出来なくなっていたのに気付かなかったんだろ?」

 ルカは不満を口にしない。けれど一ヶ月近くも会いに来るのを諦めず、試行錯誤していたのだ。普通ならば文句くらいあって然るべきではないか。

「怒っていいんだぞ。お前が家に来られなくなっていると俺が知ったのは、ついさっきこれを受け取ったからなんだ。今日まで伝えなかったマグヌスも最悪だが、確認しないままでいた俺にも非はあると思ってる」

 マグヌスから受け取った地図を、胸のポケットから取り出す。ルカは自身が記した覚えのあるそれを目の端で認めると、オズワルドに呆れ気味の表情を向ける。

「そりゃ、俺だって少しは怒るつもりだったさ。君は友人の存在を忘れてしまったのかってね。けど会って君の酷い顔を見たら、そんな気持ちは吹き飛んだ」

 ハーブティーに口をつけたルカは、一呼吸置いてから言葉を続ける。

「それにさっきも言ったけど、訪ねてきてくれたタイミングが良かった。君が来なかったら今もプレツィオーザ公と膝を突き合わせたまま、堂々巡りの会話をしていただろう」

 先程のプレツィオーザ公という義手の貴族は去り際、頼み事をした旨をオズワルドにも仄めかしていた。手伝ってもらうのもいいだろうとルカに言い残していったのだから、その内容を尋ねてみても構わないだろう。ルカの様子から察するに、面倒な話に違いないが。 

「なあ。あの貴族がどんな用事で来ていたのか教えてみろよ。家の術式の件で手間をかけた詫びになりそうなら、手伝ってやってもいい」 

 言えば、ルカはふと目を逸らして考え込む。やはり厄介事に巻き込むまいと、詳しい話はしないつもりだったようだ。  

「そんなつもりで君を呼んだ訳でもないし」 

「あの貴族は、お前一人じゃ荷が重いと分かっている口ぶりだったぞ? まあ別に、俺じゃなくて教室の仲間に頼むつもりなら構わないけどさ」

 テーブル上に砂糖の類が無いのをちらりと確認した後で、オズワルドもカップを口に運ぶ。ハーブティーは酸味や苦味が皆無で飲みやすく、仄かに甘かった。

 わりと好みの味だと満足していると、ルカが徐ろに口を開く。

「女王の教室の友人にも、協力は求めないつもりだ。プレツィオーザ公の要求に応じてアデルと気まずくなってしまうのは、皆も避けたいだろうからな」

「……アデル? あの日見舞いに行ったっていう、あのアデルか?」

 一ヶ月前に聞いた名だと思い出して、問いを投げてみる。ルカは手にしたカップをソーサーへ戻さず、微かに揺れている中身をじっと見詰めたままだ。

「ああ。アデル・メアージュは女王の教室での学友だった。つい最近成人して、国境の町へ赴任していた独創者だ。彼女はプレツィオーザ公爵家の令嬢で、さっきのプレツィオーザ公は父君にあたる」 

「父親が、娘の元学友に頼み事とはな。もしかして娘の容態が悪いのか?」 

「逆だ。アデルは凄く元気だったよ」

 ひとつ溜息をつくと、ルカは再び視線を上げた。

「君は教室に通う俺達とは考えが違う。意見を聞いてみるのも、存外いいかもしれないな」

 オズワルドは、そうするべきだと促すように軽く頷いてみせた。

「詫びとしての手伝いは求めていないからな。これは、ただの相談だと思って聞いてくれ」 

 前置きすると、ルカはプレツィオーザ公からの頼み事に関する話を語り始めた。

「俺達が病院へ見舞いに行った日、アデルは明日にでも国境の町へ戻りたいと言っていた。膝に浅い擦り傷があるだけの、軽傷だったからだ。王都へは念の為に検査しておくべきだと、師に説き伏せられて戻ってきたらしい。でも実の所その帰還には、父君であるプレツィオーザ公の手回しがあった。プレツィオーザ公は娘をもう、戦場へはやらないつもりでいる」 

 

 

 ──アデル・メアージュ、二十歳。

 公爵家に生を受けた彼の令嬢は、父親のプレツィオーザ公曰くじゃじゃ馬である。ルカの評では志が高く意思の強い、尊敬に値する学友だ。つまり己の意見を曲げない、気の強い女なのだろうとオズワルドは思う。

 アデルは今年成人して国境へ向かったが、女王の教室に参加し始めたのは歳下のルカ達よりも後だった。稀有な独創者とはいえ、公爵家の娘である。普通の貴族の娘のように嫁がせるのが最良と考えるプレツィオーザ公は、国境行きを前提とする教室へは通わせまいと猛反対していたのだ。

 

 アデルの父親のプレツィオーザ公は、独創者ではない。並の魔力を持つ魔術師だ。

 貴族の男達には、国の領土を守るのも勤めだとする考えが今も根強く残っている。魔術師であるか否かに関わらず、すすんで重要箇所の守りを手伝うのが正しい行いだとされているのだ。貴族男性の在るべき姿に従い、若かりし頃のプレツィオーザ公もヴァレリオス駐屯軍部隊に三年間身を置いていた。アデルがまだ幼い頃の話だ。

 安全な地での形ばかりの奉仕だなとオズワルドはぼやいたが、ルカは魔術師でなくとも務めるのだから十分勇気ある選択だと異論を唱える。貴族には人々の模範となる振る舞いが求められるので、その社会的義務は大変なものであるらしい。


 実際、プレツィオーザ公のヴァレリオス駐屯はオズワルドの想像とは異なり、形ばかりの奉仕とはいかなかった。

 ヴァレリオスは敵の魔術師に狙われた。技術の要である研究都市の壊滅を目的に襲来した敵と、それを食い止めようと追ってきた我が国の独創者達の魔術攻撃が交戦する、闘いの庭となったのである。国境が独創者に守られて以降、最大のヴァレリオスの危機だった。

 駐屯軍部隊は銃を携えた非魔術師が殆どで、魔術師は一割にも満たない。故に戦いへの加勢よりも一般人の避難誘導を最優先としたが、それでも負傷者が数多く出た。当時を知るヴァレリオス住人曰く、プレツィオーザ公は逃げ惑う者達を守る為に率先して退路の指揮を取り、危険を顧みず勇敢に行動したという。彼の右手は、その最中に失われてしまった。


 プレツィオーザ公がアデルの魔術の才を認めながらも出来る限り普通の娘として育てようとしたのは、ヴァレリオスで右手を失った苦い経験が少なからず影響している。無論、子の幸せを願う親心というやつだ。

 けれども年頃となったアデルは、父親の望み通り淑女としての振る舞いを身につけた上で賜った。

『わたくし、魔術を極めるまではどなたとも結婚致しません。お父様の女の幸せは結婚だというお考えは、我が家の蔵奥に眠るワインと同等に古いものですわ。レディたるもの、磨ける才は全て磨いてこそ輝くと申します。わたくしの気が済むまで、独創者としての義務に従事させてくださいませ』

 優雅にお辞儀をしたアデルに、プレツィオーザ公は激怒した。したのだが、アデルが皇太女ウィステリアに直談判すると家を飛び出した折に事が大きくなり、結局はプレツィオーザ公の知人である独創者が親子を取り持って騒動を収めた。

 件の独創者は、ルナリアという名の女性だ。彼女はアデルの自由を認めるようプレツィオーザ公に提案し、アデルの身の安全は自らが師弟関係を結んで守ると約束した。プレツィオーザ公がルカリアの案に了承を示したのは、彼女が独創者の中でも特に秀でた者であると認めていたからだ。そして他の独創者と同じ手順で師を得たいと考えていたアデルが不服を唱えなかったのは、ルナリアとは存外馬が合ったからである。

 こうしてアデルは女王の教室へ通う許可を得て、国境の町へもルナリアと共にならば行ける手筈となった。

 

 

「それでアデルは、予定通り成人すると国境の町へ行った。だが今回の襲撃事件で、プレツィオーザ公は再び娘の安全に疑念を抱いたと。そういう事だろ」

 オズワルドが要点を確認するべく述べれば、ルカが頷く。

「そういう事だ。プレツィオーザ公はルナリアに手紙を出して、アデルを帰還させるよう強く要求した。つまり王都での検査入院は王都へ帰らせる為の口実で、必須ではなかった」

 互いに中身を減らしたカップにハーブティーを足しながら、ルカは話を続ける。

「入院中の説得にも首を縦に振らず、国境の町へ戻る意志を曲げなかったアデルを、プレツィオーザ公は屋敷に連れ帰った。以降は目付け役を置いて、外出禁止を命じた。屋敷を抜け出してウィステリア様に直談判しようとした前例があるから、今回の監視はかなり厳しくなったようだ。でもアデルは、それで諦めるような性格ではないから」 

「父親の頭を悩ませる、何かをしでかしたんだな?」

「ハンストだ。魔術拠点とする部屋に閉じ籠って、今日で四日目になるらしい。声を掛ければ返事はあるが、国境の町へ戻るのを許さなければ絶対に部屋から出ないし、食事は取らないと」

「いい籠城だ。自身の魔術拠点なら、外から扉を破れないよう工夫を施しやすい」

「流石はアデルと言うべきだろう。実際プレツィオーザ公には効果覿面で、胃をキリキリと痛ませているようだ。何せ人間は飲まず食わずじゃ三日が限度だというのに、四日も粘っているんだからね。教室で共に学んできた俺と違って、プレツィオーザ公はアデルが安全な飲み水を作り出せるのをご存知ない。彼女なら魔法薬の材料として岩塩も貯蔵している筈だから、父親との根比べに勝てると考えて実行したんだろう」

 行儀よく座っているのが窮屈になってきて、オズワルドは一旦体勢を崩す。足を伸ばして大きく伸びをした。

「なんだ、アデルの勝ち筋が見えてるんじゃないか。どのみちプレツィオーザ公が折れるしかなくなるんだ。放っておけばいいだろ」

 緊張感のない口調で結論付けた。しかし、ルカは真剣な目を向けて反論してくる。

「そうもいかないよ。アデルが心配だ、水と塩だけでは日に日に衰弱してしまうだろ。プレツィオーザ公は今、娘の我儘を許したのは間違いだったと頑なになっているんだ。諍いはこれで二度目だし、そう簡単に折れてくれそうにない。このままアデルが国境の町へ行く意志を曲げずにハンストを続けるならば、衰弱によって魔術拠点の守りが弱まるのを待つつもりだと言っていた」

「頑固者同士の親子喧嘩だな。プレツィオーザ公は、具体的にはお前に何をしろと?」

「部屋から出てプレツィオーザ公と話し合うように、説得して欲しいと。でも難しいと思う、アデルは口が立つからね。そもそも俺は国境の町へ赴く意思を持つ同志として、アデル側に賛同してきた立場だ。説得力に欠ける」 

「同志か。全くお前達ときたら、危険も顧みずご苦労なことだね。国を守りたいというなら、志願するのは正義なんだろうけど」

 理解を示すような言葉を付け加えてみたところで、本心では全くそう思っていないのは隠せなかった。

 二度と戦争への加担はしなくない。オズワルドのその思いは、ルカと距離を縮めてからも変わっていないのだ。王都の住人には国境を守る独創者を労う心がないのだと知ってからは、尚更ルカ達のような考えには同意しかねる。

「今回は、貴族であるヴァンジェーロ卿が……最優先で守るべき皇太女の婚約者が不幸に見舞われたから、プレツィオーザ公が国境の町を危険だと判断したのも分かるんだ。大切な人を危険に晒さずに済む日を願って、プレツィオーザ公はかつて右手を犠牲にしたのだろう。けれど俺達も、同じ覚悟で戦うことを選んでいる。皆、戦争を厭う気持ちは同じなんだよ」

「……近年の戦争で犠牲になるのは、魔術師ばかりだ。俺は嫌だね。理不尽だと思うよ。魔術は戦争と共に発展してきたものだけど、俺達は戦争の為に存在している訳じゃない」

 

『悪いのは戦争だ』

『つまらない争いに魔術を利用してる奴らなんだ』 

 突如、頭の中に声が響く。──これは、いつ何処で聞いた言葉だったのだろう。

 誰かの悲痛な叫びだったように思う。それとも、いつか見た夢の出来事だっただろうか。

 大切な言葉だったような気がする。正しい言葉だと納得も出来る。なのに俺は何故か、この言葉に心臓が押しつぶされそうになる。


「どうしたオズワルド、胸が苦しいのか」

 急に早まった鼓動につい胸を押さえると、ルカは慌てた様子で椅子から少し腰を浮かせた。

「ただの動悸だ。もう治まった。寝不足が祟ってるだけだろう」

「帰って少し寝た方がいいな。このハーブティーは安眠効果もあるんだ、沢山あるから土産に持っていくといい」 

「帰ったって寝られるかよ。いま何時だと思ってるんだ」 

「三時だな。話を聞いてくれてありがとう。アフターヌーンティーを君と過ごせて楽しかったよ」

 さあもう家へ帰れとばかりに、ルカがすくりと立ち上がる。

 オズワルドはルカを見上げて、俺を呼んだのはそちらの癖に話の途中で帰す気かと、目で訴えてみた。しかしルカは、再び座る気など無さそうだ。ならばこちらにも考えがあると、オズワルドも遅れて立ち上がる。

「ルカ、俺の眠気覚ましに付き合え。アデルを魔術拠点から出してやる」

「えっ……。君、説得に自信があるのか?」 

「何としても出せというのなら、説得より確実な方法を選ぶさ。ひと暴れするぞ」

多くを語らずとも、何をする気なのか察しがついたようだ。ルカは素早く逡巡した後に、決意をした顔で頷く。

「分かった。頼む、オズワルド」

 残っていたハーブティーを、オズワルドは立ったままゆっくりと飲み干す。

 するとその様子に目を向けていたルカが、妙に関心した声色で告げてきた。  

「そういえば君、暫く見ないうちにカップの持ち方が綺麗になったな。師匠に教わったのか?」


  

 

*** 

 

 

 アデルの魔術拠点の入り口は、ルカとオズワルド共同の魔術によって木っ端微塵に破壊された。侵入を防いでいた魔術は力技でねじ切られたかのように歪んで壊れてしまったし、扉そのものも塵になった。 


 後方で見守っていた使用人達とプレツィオーザ公が、若い二人の暴挙に唖然としている。防御魔術を破壊すると説明されて許可したものの、まさか屋敷の扉が物理的に消失するとは思っていなかったのだろう。

 爆風に晒された直後の魔術拠点から、怒りを露わにしたアデルの姿が現れる。知った顔と見知らぬ顔の独創者二人を交互に睨むと、迷わずオズワルドの方に詰め寄った。こんな方法がルカからの発案である筈がないと、正しく判断したらしい。

「首謀者はあなたね。法律をご存知ないのかしら? 対人の攻撃魔術は、特別な理由のない限り禁じられていましてよ。これは立派な犯罪行為、傷害罪に問われても文句は言えませんわね!」 

 二人が力を合わせて放出した魔術は、正しい手順を踏んだ高度な解術とは程遠い。異なる魔術をぶつけ合う事で生じる無理矢理の破壊だ。アデルに指摘された通り、人に危害が及ぶと知っていて攻撃魔術を使用したと見なされれば罪に問われる。本来ならば王都でこんな荒事が許可されるのは、犯罪者を相手にする場合くらいのものであろう。

「済まないアデル。彼に協力を頼んだのは俺だ。君の身が心配だった」  

「いや、二人に頼んだのは私だ。これが犯罪だというならば私を訴えなさい」  

 アデルを止めようと、プレツィオーザ公とルカが冷静に助け舟を出す。そちらに気を逸らしかけたアデルに向かって、オズワルドは悪びれもせずに告げる。

「傷害罪とは大袈裟だ。国境を守る独創者だと聞いて、これくらい容易く防御出来ると判断したんだが。違ったか?」 

 オズワルドの言葉を受けて、アデルは再びきつい視線を向けた。

「仰る通り、完璧に防御したわたくしには傷一つありませんわ。でもレディに攻撃を仕掛けるなんて、随分発想が野蛮な方ですのね。見たところ独創者のようですけれど、何処のどなたかしら。教室でもお見かけしませんでしたわ」 

「野蛮人の素性なんか聞いてどうする? レディなら、父親の考えに行儀よく耳を傾ける方が余程有益だ」


 言い終えたオズワルドは、用は済んだとばかりにさっさと去ろうとする。その背中に向かってアデルが叫んだ。

「お待ちなさい! わたくしの矜持はあなたに傷つけられましたわ! 魔術拠点も、将来計画も滅茶苦茶になりましてよ! 」

 廊下を進む足を止めないオズワルドに、アデルは更に畳み掛ける。

「その力で、国境を守りたいとは思いませんの? 不甲斐ない独創者ですのね! あなたには、ニコラシュ共和国のならず者達を相手にする度胸は無いのかしら!」

「アデル……!」

 叫びを止めようと発したルカの声には、アデルを窘める響きが伴った。オズワルドが何処から来た者であるのかを、語られずとも察しているからこその反応だ。


 ぴくりと反応して振り返ったオズワルドは、底冷えのするような暗い目をしていた。

 数歩廊下を戻り、アデルの方へ僅かに歩み寄る。その瞳が示しているのは怒りでも軽蔑でもなく、絶対に相手と分かり合えないという強い拒絶であった。

「守ると言ったって、どうせ貴族は三年もすれば王都へ戻って来るんだろう。お前は贅沢だ。いざとなったら戦場で犬死にする以外の選択肢が、他にいくらでもあるくせに。そういう自分だけが安全圏にいると勘違いしてる奴が、戦場では最初に死ぬんだ。ヴァンジェーロ卿は、死ぬべくして死んだ──」 

 言いかけたオズワルドの鳩尾に、プレツィオーザ公が素早い一撃を入れる。銀色の義手の、硬い拳であった。

 不意打ちに倒れて咳き込むオズワルドにルカが駆け寄って、隣にしゃがみ込んだ。

「失礼。しかし亡き友への冒涜を制止するには、こちらの腕が相応しいかと」 

 プレツィオーザ公は、声も粗げず淡々と言い放つ。

 皇太女の婚約者であったヴァンジェーロ卿は、プレツィオーザ公と歳近い貴族である。当然二人には面識があったに違いない。失った友を侮辱された怒りを、失った右腕で叩き込んだのだ。苦しげなオズワルドの代わりに、ルカが口を開いた。

「非礼をお詫びします、プレツィオーザ公。彼は今、感情的になっていて」 

「いや。みなまで言わなくとも、先程のルカ殿の制止で理解出来ている。娘の言葉が、彼の琴線に触れてしまった故の失言なのだろう。己の価値観を押し付け他者を責めるのは等しく過誤である。アデル、彼へ謝罪を」

 謝るよう促されたアデルは、納得いかないという不満げな顔でプレツィオーザ公を睨む。ふいと顔を背むけたかと思えば、扉のない魔術拠点の中へと姿を消してしまった。

「……いつもならば、あそこまで子供ではないのだが。娘の虫の居所が悪いのは私に非がある。君、申し訳なかったね」

 プレツィオーザ公から謝罪を受けて、オズワルはまだ痛む鳩尾を押さえながらゆるりと立ち上がった。

「気が済まなければ、君も私を殴っていい。その右腕の機械は義手とは違う物のようだが、威力がありそうだ」

「いい。あんた手加減しただろ」

 提案を拒否したオズワルドは、魔術拠点の扉であった辺りをちらと見てからプレツィオーザ公に向き直る。

「アデルからの謝罪も必要ない。あいつは俺に悪いことをしたとは思ってないだろうし、俺も譲歩する気なんか無いんだからな。俺はあいつとは徹底的に、気が済むまで応酬で殴り合いたいね」   

「……うむ?」

 予想していなかった発言に、プレツィオーザ公は面食らった。

 

「おいアデル! 聞こえているんだろ! そっちから仕掛けてきた癖に逃げるのか! 度胸がないのはどっちだ!」

「上等ですわね! 受けて立ちますわ!」 

 挑発に乗って、アデルが再び魔術拠点から飛び出してきた。

 

 プレツィオーザ公は、暫し手出しは無用とルカに目配せする。

 オズワルドは王都にいる独創者にしては珍しい、女王の教室に参加する意志の無い人物だ。アデルとは逆の意見を持つ故に、遠回しにアデルの説得を申し出たのかもしれないとプレツィオーザ公は考えた。出来た人間であるばかりに、オズワルドの言葉を額面通りではなく良い方に湾曲して受け取ったのである。

 計らずも意図を察したルカは、こくりと頷く。


 二人の罵り合いが始まった。

 それは、人としてどうなのかと思える無遠慮な指摘と悪言に溢れた口汚いものだった。既に一線を踏み抜いていた為に、相手への配慮など欠片もない。プレツィオーザ公使用人達には見せられたものではないと判断し、廊下に集まっていた彼らを早々に下がらせた。

 言い負かす事だけが目的のように見える、まるきり子供の喧嘩である。否、語彙力が身につく前の子供の方が余程ましかもしれない。相手が傷ついて泣けばいいとでも思っているような、手加減無しの罵倒が続く。

「ルカ殿。これをどう見るかね」

「これは、なんと言うか……埒が明かないな、と」 

 アデルは国境の町へ行く事を志願しないオズワルドを臆病者だと罵り、オズワルドはアデルの抱く理想を夢物語だと切り捨てては現実の厳しさを語る。

 ところが二人とも、相手が皮肉を込めて指摘してくる己の弱さや甘さに対しては、否定も過度な反発もしないのだった。そんな事はとうに分かっている、それでも我を通すのだという強い意志が、二人の瞳に灯っている。そうして少しの妥協もせず主張ばかりを口にするので、二人の意見はいつまで経っても平行線だ。

「若さというのは力だね。聞くに絶えない口論ではあるが、その激しさが羨ましくもある」

「プレツィオーザ公ほどの方だと、そのようにご覧になるんですね。俺はさっきから、使わないように心掛けたい言葉が増え続けてますよ」 

 二人の止まらない応酬を目の当たりにしているルカとプレツィオーザ公は、逆に冷静になっていた。各々、淡々と感想を述べ始る。

「俺の考えは元々アデル側に近いものですが、オズワルドの主張も間違っていない気がします。個の持つ魔術は兵器ではない。この前提でニコラシュ共和国を糾弾する国は、確かにありません。独創者が多く犠牲を払う形で、この先も世界の戦争は続いていくのでしょう。独創者なら戦うべきだという風潮が変わらない限り」

「私の中にも、いま目の当たりにしている二人と似た衝突がある。多くの人々を守る行いを美徳としながらも、娘は危険に晒したくないと考えているのだからね。二人の主張のどちらかが間違っている、などとは言えまいな」 

 

 アデルが、淀みなく吐き出していた罵詈雑言を途切れさせたのはその時だ。

 よろけた娘を見るなり、プレツィオーザ公が走り寄る。がっしりとした生身の腕で、倒れかけたアデルを支えた。

「……わたくしは、負けを認めた訳ではなくてよ」 

 消え入るような声で言い、アデルは父親であるプレツィオーザ公を仰ぎ見た。

「お前の決意の強さは、私にもよく伝わった。この勝負、今日のところは私が預かろう」 

 アデルが静かに目を閉じる。意識は保っているが、どうやら目眩を起こしているようだ。食を断っていた無理がたたったのだろう。

「君も、それで良いかね?」

 オズワルドが頷いて了承すると、プレツィオーザ公は魔術を使用してアデルの身を浮かせ、それから腕に乗せる形で抱き上げた。片腕が義手であるばかりに、女性を軽々と運べる体格であっても引き上げる動きは困難であるようだ。


「此度は、私の頼みに応えてくれた事に感謝する。日を改めて、君達とはまた話をしてみたいものだ。ルカ殿と、名も知らぬ若者よ」  

「……オズワルド・ミーティアだ。機会があればまた会おう、プレツィオーザ公」 

 オズワルドが名乗ると、プレツィオーザ公は貴族らしい上品な微笑を浮かべる。

「ささやかなものだが、謝礼の品を渡したい。暫し、この場で待っていて欲しい」

 二人にそう言葉をかけると、公爵はアデルを休ませるべくゆるりと歩き始めた。

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Wisteria─ウィステリア─<Oswald・過去編> リオン @Licht_Rion

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