僕よりちょっと高い場所

寺音

僕よりちょっと高い場所



 足を投げ出すようにして、僕は縁側に腰掛けた。実家の庭はまめな母さんが今も手入れをしているようで、昔からほとんど変わらない。

 仄かに梅の香りが鼻孔をくすぐる。この庭に梅はないから、これはきっと隣家から香ってきたのだろう。あの木は昔から、綺麗な花を咲かせていたから。


「男の子だったよ」

 隣で薄い藍色の座布団にあぐらをかいている親父。目を細めて日向ぼっこをする姿が、妙に板についてきた。これは〝おじいちゃん〟という肩書きに相応しい年齢になった証拠だろうか。


「今日、病院で検査してもらったんだ。たぶん間違いないだろうって」

「そうか」

 親父は目じりの皺を深くして微笑む。感慨深そうにしみじみと頷いて、僕に柔らかい瞳を向けた。


「とうとうお前も〝お父さん〟か」

「親父は〝おじいちゃん〟だろ?」


 揶揄すると、親父はむっとした表情を作ってみせたが、まんざらでもなさそうだ。やはり孫ができるというのは嬉しいものなのだろう。

 ふと、親父の肩に視線が止まった。痩せて昔のようなたくましさはないが、昔も今も、僕より少し高い位置にある。昔はこの肩に乗って散歩をすることが大好きだった。


「親父はさ」

 思いきって声をかけた。しかし、親父と目が合うとつい、言いかけた言葉と違うことを言った。

「まだまだ当分元気でいてさ、孫にも肩車してやってくれよ。僕の時みたいに」

「それは父親であるお前の役目だろう」


 親父はそう言って、お茶を一口すすった。釣られて僕も母さんの入れてくれたお茶を飲む。温かい緑茶が喉に沁み渡る。

 どうやら、僕は喉が渇いていたらしい。

 僕はまだ、実感のない肩書きに緊張している。


「僕じゃ、楽しくないだろ」

 僕は、楽しかった。幼稚園の運動会、親父に肩車をしてもらうとその周囲にいた誰よりも、幼稚園の先生よりも高い所にいけた。初めて見下ろした母さんのつむじが、強く印象に残っている。

「親父、僕の身長知ってる? 僕、下手したら女性にも負けるんだ」

 僕の奥さんは小柄なので肩身の狭い思いをすることはないが、街に出れば僕より身長の高い人はいくらでもいる。父親。もちろん嬉しくないわけじゃない。ただ、自信がないだけだ。



「お前はこれくらいだったか」

 先程よりも少し強めの声で親父が言った。両手で何かの大きさを示すようにしている。両手の間隔は、肩幅より少し狭いくらい。急に何を言い出したのか分からず、僕は首を傾げた。


「小さかったなぁ。孫はもっと小さく感じるかもしれないなぁ」

 ああ、僕が生まれた時の大きさということか。改めて親父の両手を眺めると、そこに写真でしか見たことのない赤ん坊の僕が見えた。


「こんな小さかった子が、こんなにでかくなるとはな」

 親父が目を細めて、僕の顔をしげしげと眺める。なんだか照れ臭くなって、親父から視線を逸らした。

 泳ぐ視線をどこかに落ちつけようとして、僕は自分の両手に視線を落とす。



 試しに赤ん坊だった自分を思い浮かべながら、自分の手を同じように開いてみた。

 今度はそこに、まだ見ぬ僕の息子が見えた。小さくて、温かくて――。そんな息子がいつか成長していく。


 そうだ。いつか僕も、こんな風に息子と話す日がくるのだろう。


「父親の役目、か……」

 息子が肩車をしてやれるまで大きくなったら、僕も親父のように、息子に肩車をしてやろう。

 親父の肩車よりは低いかもしれない。それでも、僕よりちょっとだけ高い場所からの世界を見せてやろう。息子が、大きくなるまで。


 僕はおもむろに立ち上がり、伸びをした。

 少し冷たい風に乗って陽だまりの香りが僕の元に届く。親父を見下ろすと、そこに随分白くなった頭があった。


「親父、少し縮んだ?」

「縮むかもなぁ。お前が父親になるんだから」


 親父の白いつむじを見下ろしたまま、僕は少し笑った。

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