第174話 許都・郭嘉との面談 ~才能と神算・後編~

「君なら、呂布りょふ袁術えんじゅつが組もうとしていたら、どのように仲間割れさせるかね?」

「その二人なら、離間の計は簡単です」


 郭嘉かくかあざなは奉孝ほうこうは淀みなく答える。


「袁術は皇帝を自称しております。国を乱す偽皇帝です。

彼を、反逆者、逆賊として討伐対象とするよう、帝に勅命を下していただくのです。

これなら、呂布だけでなく名誉を重んじる者は皆、袁術との関わりを断つでしょう」


 そして青年は曹司空そうしくうの瞳を注視する。……どう評価されるだろうか。

 しかし少女は無表情のまま顔を傾けると、思いがけない言葉を発した。

程昱ていいく殿と荀攸じゅんゆう殿は、どう思っているのか?」

 

 その問いで、少女の後ろに待機していた二人の男性の意味を察した。……ただの付き人ではなく、彼らも私を評価するのか。

 まず、高身長で白髪混じりの男が「はい」と応じたので、青年は思わず固唾を飲んだ。


「郭殿は、生活面の問題など些細と感じられるほどの、大きな才能をお持ちだと思いました。また彼の意見を聞ける機会があれば、嬉しく思います」

 その隣に座っている、寝起きの猫のようにぼんやりした顔つきの男も「同感です」と頷く。


 少女は「わかった」と返答すると、男性二人の絶賛で瞳を潤潤うるうるとさせている青年にも問うた。

「郭殿は、我々と働く気はおありですかな?」


「もちろん、ありますとも」

 即答し、すぐに「ああ」と、何か気にかかったらしく声を上げる。

「私が袁紹えんしょうと面談した後、彼のもとを去ったので、気持ちの確認されたのですね。

曹司空と皆様は、袁紹たちとはまるで違います。

素晴らしい皆様と働く機会を断るわけがありません」


 青年の快い返答と、持ち上げ気味では思いつつも高評価に安堵し、少女は小さく一息ついた。

 そして無表情を解くと、興味津々の視線をきょろっと向ける。

「へえ。私たちのどこら辺が、袁紹たちよりスバラシイのかな?」


「はい。最も感銘を受けたのは、その、私の遅刻を……いまの世の常識である儒教の礼に反した私を……皆様は、寛大に許して下さったことです。

これは、他の組織では考えられないことです。

大げさかもしれませんが、私は新しい時代に触れたような気さえしたのです」


……さては奉孝殿、袁紹との面談でも遅刻して、そちらでは怒られたかな。

と、荀彧じゅんいくは想像する。

……袁紹軍はとくに儒教や社会的礼節に厳しい名士らが多い。そういう面でも、奉孝殿にとっては合わなかったのかもしれないな。

 

 その間にも、青年は話を続けている。

「なんにせよ、無礼な私を許して下さった皆様には御恩も感じたのです。

いつか、皆さまに恩返しができれば、これほど嬉しい事はありません」

 と、深々と頭を下げる。


 もしかして媚ではなく、本当に良いと思ってくれたのかもしれないと感じた少女は、屈託ない喜びの笑顔を浮かべた。


「こちらこそ、素晴らしい褒め言葉をありがとう。

そうだね、儒教や常識も大切だが、そこに囚われ過ぎず、個人の能力が評価されるようになれば、もっと多くの人々が活躍できるだろう。

それはたしかに、私たちにとっては新しい時代かもしれない。そんな世界を一瞬でも作れたら、確かに素晴らしいと私も思う」


 青年は拱手し真剣な眼差しで相手を見つめた。

「曹司空は、まさに私が求めていた主人です」


「ありがとう。この混乱の世から理想とする世を構築するには、将来を見通す見識を持つ君の才能が必要だ。我らを助け大業を完成させてくれるのは、間違いなく君だ」

 二人は認め合うように顔を見合い、改めて拱手一礼を交わした。


「とは言え」と、頭を上げた少女は、どこか軽い口調で付け足した。

「遅刻を許し続けるのはさすがに難しいのじゃ。とくに戦場においては厳しく、軍規を破れば私も罰を受けるほどだ。君も、そこでは重々気を付けたまえ」


「曹司空。郭殿の問題に関して、提案があります」とすかさず荀彧が挙手し、発言が許された。


「郭殿は遅刻以外でも、忘れ物、失言、寄り道などの癖があります。これらは皆、多少なりとも心当たりのあるものですが、彼の場合、幼少時から続いており、どうやら気を付ければすぐに治せるものではないらしいのです」

 素行の悪さが詳しく公開されている中、青年はどんな表情をすればいいのかわからず、眉を八の字にしたり、照れ笑いをしたり、深刻になったりしていた。

「対策として、さきほど司空も秘書案を出されましたが、一人ではなく複数人をつけて対応してもらってはいかがでしょうか」


「ま、まさか、本当に針で刺す気じゃないでしょうね?しかも複数人で?」

 郭嘉は腕で身体を守るように抱え、肩をすくめた。


「まあ、絶対に遅刻してはいけない場合は、そうなるかもしれんね。しかし……」という返答を聞き、泣きそうな顔をしている青年に、少女は考えながら話を続ける。


「そうだな。とりあえず、戦場以外の遅刻は怒られないように配慮をしてあげよう。

君には軍師を頼むつもりだが、祭酒をつけて軍師祭酒ぐんしさいしゅとする。

君だけの職務さ。

特別な職務なら、荀令君じゅんれいくんが提案したように秘書が数名いて監視、いや、補佐しても不自然ではない、はずだ。


だが周りに甘えてばかりいると、良い仕事をしても反感を買ってしまうものだ。

何事もほどほどが大事だ。そして、慎ましく過ごすように努力するのだ」


「わかりました。ご配慮に感謝し、ご心配を掛けぬように努力いたします」

 青年は真剣な面持ちで一礼した。


 彼の様子に無言で頷いた後、少女は感慨深げにつぶやいた。

「それにしても、さっきは君には色々と言い当てられて誤魔化すのが大変だったよ。

まさか呂布と袁術への対処まで、我々と考えていることが同じだとは思わなかった。

ふと、戯志才ぎしさい殿と策略の相談をしているような気持ちになったほどだ」


 若くして亡くなった戯志才、曹操の最初の軍師ともいえる人物の名前が出て、荀彧じゅんいく程昱ていいくも寂しそうに目を伏せた。


「ここにいる皆とは、末永くともに働けることを願っている」

 

 少女の言葉が終わると、荀彧は神妙な顔つきになり、郭嘉に話しかけた。

「郭軍師祭酒。あなたは今日、なぜ面談に遅刻したのですか?

もしや、体調が悪くなったのですか?病が再発したのでは……」

 

 一斉に、気遣いの視線が青年に向く。


 一瞬、郭嘉の心に「ハイ。じつは倒れまして……」と嘘をつき、今日の失敗を無効にする出来心がよぎったが、しかし、どうも今はそんな気分ではなく、さらに、皆の心配を裏切ることが後ろめたく、馬鹿かもしれないと思いつつも、正直に話し出した。

 

「いえ。近頃はすこぶる体調が良いのです。実は寄り道をしておりました……」


 荀彧は困ったような表情になり、少女はふふっと笑うと「どこへ寄ったのじゃ?楽しかったのか?」と雑談を始めた。


 青年は最初、寄った店の名を伏せていた。

 しかし話しているうちに盛り上がり、やがて司空喫茶しくうきっさにて、司空娘娘しくうにゃんにゃんたちが「おいしくなあ~れ」と云うまじないをかけると、雑草茶と餅菓子がとたんに異様に美味くなる、という話まで披露したので、少女以外は心身ともに引き、絶句してしまった。

 

「不思議なもので、まるで暗示にかかったように食事が旨くなるのです。

おかげで、たらふく食べてしまいました」

 

 その感想に、少女はなにやら閃いたらしく、少し身を乗り出した。


「近々、その司空喫茶に私ともう一人、まじないが得意らしい娘がいるのだが、そやつも一緒に連れて行ってくれないか?まあ、その娘を誘ってみてからなのだが」

「なんと、ぜひ行きましょうっ。へえ、まじない娘ですか。そんな怪しげなものが得意とは、世の中、いろんな人がいるものですね。とにかく楽しみにしております」

 青年は失言めいた事を言いながら、瞳を輝かせている。


 荀攸は、曹司空が盧氏ろしの将来を気にしていたことを思い出しハッとしているが、彼以外は、やれやれという顔で、二人の約束を聞いていた。


 つづく

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もう一人の曹操さま 小庭加暖 @202112

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