第173話 許都・郭嘉との面談 ~才能と神算・前編~

「失礼いたします。二人とも顔を上げて下さい。とくに荀尚書令じゅんしょうしょれい、あなたのその姿には、私を含め全員が恐縮してしまいます」


 恐る恐る、郭嘉かくかあざなは奉孝ほうこうは頭を上げた。

 曹司空そうしくうは薄墨色の着物を纏い、背後に男性二名を連れている。

 そして音もなく座ると、一歩下がった左に高身長で白髪交じりの男が、右に疲れたタヌキのようにぼんやりした顔の男が並んで腰を下ろす。

 

 青年は改めて頭を下げ、皆に遅刻を謝罪した。

「誰も怒っていないから、気にしないでほしい」と、少女は微笑んだ。

「欠点は誰にでもある。私も欠点が多いが、皆に助けてもらってここにいるのだ。

それに、もしも遅刻癖を治したいなら、対策は簡単じゃ」

 優しい言葉に、青年は瞳をうるっと滲ませた。


「秘書をつければいい。そして遅れそうになれば、針で刺してもらえばいいのじゃ。これなら、先を急ぐだろう?」


 うん、うん、ン?と感激した顔のまま、青年は固まった。


 しかし「ま、君の不得意については、これで終わろう。私は、君の得意な事について聞きたいのじゃ」と、荒治療の案はさらりと流されて本題に移行したので、青年の固まっていた顔も緊張の面持ちへと変化した。



「君は若いのに、人物や社会情勢に対して鋭い洞察力を持っているのだとか。

その精度は、まるで未来を知っているかの如くと聞いたが自分ではどう思うのか?」


「そう云われる時もあるだけです。勿論、未来など見えません。ですから当然、私は間違えます。

たとえば、私は袁紹えんしょうに仕えようとしておりましたので……」


 少女が吹き出したので、皆、びくりとした。


「ゴ、ゴホンッ。なるほどね。しかし、袁紹のもとには名士や貴族が集い、本拠地である冀州は豊かで、軍隊も強大だ。

安定感のある彼のもとを去る決断を、よくしたものだね」


 はい、と青年は頷く。

「私は、あの方と面談して気づいたのです。

あの方は優秀ですが、肝心な所がおろそかです。


たしかに、袁紹は名士たちを取り込み箔を付けています。ですがその為、部下である彼らに気を遣い、へりくだってさえいるようです。この状態が続けば、袁紹は……」


 青年は急に話を止めると、赤面する。

「すみません。簡潔に答えるよう気を付けます」

 しかし少女は「いや、続けたまえ」と促した。

 青年は恥ずかしそうに、しかし、嬉しそうに再開する。


「袁紹はやがて、彼らの操り人形になりかねません。あるいは、抵抗して対立する、もしくは、その両方が重なった歪な主従関係となるかもしれません。


この問題を放置している優柔不断ぶりに、私は彼の危うさを感じました。

この決断力の無さが、いつか彼の命取りになるかもしれません。


私は、いえ、人は誰でも安全確実に働きたいものです。

もしも袁紹を主人にすればそれは難しく、また、彼では天下の大難を救えないと思い、私は彼のもとを去ったのです」


 やや長い沈黙が続き、青年は後悔したようにうつむくと、再び顔を赤くした。

 

「私は袁紹と約二十年の付き合いがある」

 囁きのような少女の声は、やけに部屋に響いた。

「君は短時間の面接だけで、彼の性格をここまで看破するとは、正直、驚いた」

 青年はホッと胸をなでおろす。


「ではもう一つ。次は提案してほしい。思い付きでいいのだ。

仮定の話として、聞いてほしい。

組まれて困る将軍が二人いるのだが、近頃、彼らが親密になっているらしい。

彼らが絶対に組なくなるような、離間の計を考えてほしいのだ」


「へえ。絶対に組ませたくない二人の将軍、ですか……」


 計略ではなく、二人の将軍が気になった青年は、いかにも自分の道を行く人らしくそのまま思考を巡らせ、あっ、と閃く。


「もしや、その二人とは、袁術えんじゅつ呂布りょふですか?」


 無邪気に発せられた問いに、誰一人、何一つ反応しなかった。

 荀彧も顔色一つ変えなかったが、心の中では頭を抱えて嘆いていた。


……ああ、天然かな奉孝。司空の質問に答えていない上、核心を突く奴があるか。

いやはや、このようにして袁紹も短時間で痛い所を突かれたのかもしれん。

……それにしても、奉孝の問いに下手な反応や返答をすれば、袁術と呂布が組もうとしている軍事機密を面接にきた一般人に漏洩をしたという失態にもなりかねない。

まったく、私たちを追い込んでどうする……。

 

 少女は表情を変えず、ただ口角を少しだけ上げて、一つふっと笑った。

「君の見立てでは、その二名が私にとって脅威だと云うことかね?」

「はい。違いましたか?」

「違うね」と、目を細める。

「私にとって脅威は数えきれん。だから名前は出さず、仮定と言ったのだ」


……た、たしかに、それも事実。さすが、誤魔化し方が上手いな。

 荀彧が感心している間に、少女は今思いついたという顔をして尋ねる。


「ふむ、君が袁術と呂布の名前が出したから、その二名を対象にしてもよかろう。

君なら、もし彼らが組もうとしていたら、どのような作戦で仲間割れさせるかね?」


「ああ、その二名でしたら、離間の計は簡単ですね」

 子供のようにがっかりしていた青年だったが、新たな問いで気が軽くなったらしく、明るい表情に戻り答えた。


つづく

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