ほしつ:失ったものを保つ
次に目覚めたとき、いつものベッドの上だった。病院ではなく、自分の部屋。
バネ仕掛けみたい上半身を勢いよく起こして、顔を触る。恐る恐る、ぺた、ぺたと。
何ともなっていない。へこんだり、かさかさしてたりということはなく、いつもの当たり前にそこにあった私の肌だ。
当然、鏡を探した。洗面台まで行く勇気はまだなくて、部屋にある手鏡を取った。
「よかった……」
安堵した。そして涙ぐんだ。私の顔は元のままだった。
そのあとの両親の反応を見て、え?となった。
「おっ、起きてきたか。何かうなされていたけれども怖い夢でも見たか」
「あら、きれいに治ったじゃない。これでお友達が誘いに来ても大丈夫ね」
娘が化け物みたいなニキビになっていたというのに、その反応はない。
混乱する頭でカレンダーを見ると、まだ連休二日目だった。私は長い悪夢を見ていたのだ、多分。
大学を出て社会人になった今も、時折同じ悪夢を見る。たいていは、顔が決壊するまで目が覚めない。
きっと戒めなんだろう。あんな悪夢を見たあとでも、大人になってからも私はたまに傲慢で高慢で自己満の塊になる。そんな私を諫めるために、どこかで誰かが見せてくれる悪夢。そこから目覚めると決まって一つ、ニキビが鼻の頭にできている。
このニキビがかなりしつこい。できる度に、ニキビ用のクリームを変えてみているけれども、どれも似たような効果しかない。このままじゃ同じ場所にできるせいでいずれ完治しても痕になりそう。
今日もニキビができていることを確かめると、出勤途中でドラッグストアに立ち寄った。新しい商品を試そうと手に取る。
毎回同じ店を利用しているから、店員さんには気付かれているだろう。あの人、いつも定位置にニキビできてるって。笑われているかもしれない。
でもかまわない。
かつて私が見下していた人の気持ちが、今ならよく分かる気がする。仕方がないことってあるものだ。高校のとき同級生だった例のフケの多い男子は、あれからしばらくして病院でフケ症だと診断を受けて本格的に治療を始めた。
私の大人ニキビは罰なのかもしれないし、傲りの心根がまだ残っている印なのかもしれない。悪い心が治るまでのかさぶたみたいなもの。一生付き合うことになっても仕方がない。
クリームは何となく気になった商品を選んだ。レジで会計を済ませ、外に出るなり、コンパクトを取り出し、鼻の頭のニキビにクリームを塗った。
それから三、四日経った週末。お昼を食べにオフィスを離れ、仕事仲間と一緒に通路を歩いていると、
「――よう」
前から来た男性社員から声が掛かった。同期入社で研修中に親しくなったけれども、配属先が全然違ったのでプライベートで会う時間が取れず、いい感じだなと思いつつもまったく発展しなかった。社内では割とよく顔を合わせるというのに。
「久しぶり。業務のことで何かあった?」
「いや、仕事の話じゃない。個人的な用事」
彼は私の同僚――もちろんみんな女性――をちらと見やる。同僚も心得たもので、
「そういうことならお邪魔にならないよう、退散するわ」
「あとで何かおごってもらえるのかしら」
なんてことを言いながら立ち去った。
「物分かりのいい友達ばかりで助かる」
彼女らが完全に見えなくなるまで待って、彼は私の方を見た。顔をじっと見つめてくる。
「何の真似?」
「しっ。動かないで。確認してるところ。――やっぱりな」
「何なのよ」
「最近、キレイになった?」
「はあ?」
「悪く取らないでくれよ。元々美人な顔立ちだと思ってたけど、不透明な薄皮が一枚張り付いている感じがしててさ。それが今週ぐらいから違って見えてるんだ。うん、掛け値なしにキレイになった」
「……誘うんだったら、変に凝ったこと言わなくても」
「いやいや、本心から言ってる。その上で誘う。とりあえずランチからだけどね」
「分かった。おなか空いたし」
私は嬉しさを隠しつつ、社屋ビルの壁を見た。
黒光りする大理石に映る私の姿は、確かに今までとは違うように感じられた。
この前試したクリームのおかげかしら。心のかさぶたは取れていた。
膨張 小石原淳 @koIshiara-Jun
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます