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「あの日、私はお姉ちゃんから『好きな人の家にいる』とLINEをもらいました。その少し前から誰か好きな人がいるらしいことは知ってたんですが、まさか教師だとは思いませんでしたね」
先生が目線を左上に向けた。
「お姉ちゃん、先生の家にあがりこんでからずっとスマホいじってませんでした? あれ、相手私です」
先生の首がぎごちなく動く。
「お姉ちゃんの名誉のために言っときますが、別にあの人は先生が来るのを狙ってずぶ濡れになってた訳じゃないですから。私と違って。普通に傘忘れただけですから。あの人ってそういうちょっとイケてないとこあったんですよね」
目の前の先生の表情が痛々しくて。わざと明るく言い放つ。
「ほんとうに計算とかそういうの苦手で天真爛漫で。同じ家庭環境で育ったとは思えないくらい人を疑わない姉でした」
「菊池と向井はその……」
もごもごと口ごもる先生に、
「はい。お察しのとおりです。私たちは親が離婚して一緒には暮らしてはいませんでした」
言おうとしたであろう言葉を代わりに口にする。
「でも、親と違って私たちはとても仲が良かったから。しょっちゅうLINEとかFaceTimeとかで話してたし、あのときも次の土曜に会う約束してました」
先生が私から目をそらす。いたたまれないよね。自分のせいでその日は永遠に来なかったのだもの。
私はわざと大きなため息をついてやった。
「急にLINEが返ってこなくなって、すごく不安になっていた私に次に知らされたのは、姉の死でした。お父さんから聞かされたとき、真っ先にあなたのことが浮かびました。正直、先生がお姉ちゃんを殺したんだって。きっと陵辱した挙句、殺したんだって思っていたら、死因は交通事故だと聞かされて……この感情をどこにやればいいのって……!」
私は一度言葉を切る。あのときのことを思い出すと、無意識に体が震えて息が荒くなった。
「菊池、これ本物なんだよな?」
先生がぽつりと声を落とした。
人間の声なのにまるでみずうみの波紋のように静かで危ういそれ――私は反射的に先生に飛びついていた。
「!! ダメ! 先生っ……!」
危うさの正体はすぐに知れた。
先生はばちんとナイフを開くと微塵のためらいも見せず自分の喉元に真っ直ぐ向ける。
すんでのところで私の脚がそれを払い落とし、乾いた音がころがった。
「知ってたよ」
自嘲気味に笑う先生が言葉をもらす。
みずうみが溢れた瞬間だった。
私は耳を疑った。え? いま、なんて言った? 体勢のせいで仰ぎ見る形になった先生の目は不気味にひかっていた。
「知ってたよ。お前が向井の妹だって。入学して来たときからずっと」
なぜ? と聞こうとしてハッとする。私が先生のことをお姉ちゃんから聞かされていて知っていたように、先生もお姉ちゃんから聞いていたのだと。
『わたしには妹がいるの』
あの日、いやそれ以前からそんな会話をしていてもおかしくはないだろう。だって単なる家族構成だ。世間話程度のものだ。
途端にぶわぁっと肌が粟立ち、怖気が走った。
ということはこの人は――。
やられた。そりゃそうだ。私の色じかけなんて効くわけがない。あの異様なまでの落ち着きようにも合点がいった。じゃあ、私が向井ひよりの妹と知ってからの動揺は……
演技。
なるほど、私のほうがずっと踊らされていたんだ。先生は私に最高のチャンスを与えようとしたんだ。ずっと、タイミングを見計らっていたんだ。
ようやくたどり着いた答えを、
「先生、あなた最初から私に殺されるつもりだったんですね……」
息も絶え絶えに、吐き出した。
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