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 私は唇を噛み締めると、先生の胸ぐらを掴んで自分のほうに引き寄せた。今日イチ驚いた顔をしているが、数分前のようにキスはしない。

 

 たっぷりと間をおいて、


「先生、よく見て。私の顔。よく見てよく……」

 

 先生は、悪い魔女に魔法をかけられたかのように青白い顔をして私を見つめた。


「すまんが、そういう気持ちには、そういう目では……菊池のことは見られない」


 カッとした。


「ちがう! よく見ろよ!! 思い出せよ!! 私たち似てるってよく言われたんだよ!!! 似てんだろ! 向井ひよりに!」


 だからもっと後に言うべきだった言葉が、こぼれ落ちた。


 それはまるで、姉が私の唇にそれこそ魔法をかけたかのようで。私は小さく舌を打っていた。


 お姉ちゃん、何してくれてんの。これじゃ分かんないじゃん。決定的なこと。


「お前、まさか……向井の」


 緩慢な舌の動きで先生はなんとか言葉を紡ぐ。


 あーあ、もっと狼狽えさせてやるつもりだったしもっともっと追い詰めてやるつもりだったのにな。まぁいいや。


 先生の上に馬乗りになって、彼シャツ(仮)を脱ごうとボタンを外した。正直、ほとんど引きちぎるに近い。


「ちょ、菊池、何し」


 脚で鼻を押さえてやる。声にならない声をあげ、私の体の下で先生がもがく。


「もうめんどくさいです。せんせ、私とシましょう」


 本音だった。もう駆け引きとかどうでもいい。だいたい恋のひとつもしたことがなく、ただ穢れている私にはそんな回りくどいことは向いてなかったのだ。


 もう完全に開き直っていた。


「いや、だから! 菊池のことそんな目で見られないって!」


 叫びながら勢いよく起き上がった先生は、私をいとも簡単に床に転がらせた。


「いたぁい」


 したたか頭をぶつけたので、さする。

 先生が息荒く小声で「すまん」と言うのが聞こえた。


 私は分かりやすく唇を尖らせるとブーたれる。


「抱いてはくれないんですね」


「……お前がその、本気なら、それはすまん」


「すまんばっかじゃないですか」


「すまん。本当にその、向井の……お姉さんのことも」


 私はふっと唇をゆるめる。


「ほっとしたような少し残念なような気持ちです」


 言いながら、ポケットに忍ばせていた折り畳みナイフをぽいっと放り投げた。通販で買った本格的なサバイバルナイフ。


 雨の音は少しマシになったように思うが、まだ降り続いている。


 先生が息を呑むのが分かった。


「挑発にのって私とセックスしたらこれで刺すつもりでした。元々、それが目的で今日ここに来ましたし」


 私の告白に先生は目を白黒させている。


「じゃあ、さっきのキスは?」


「罠です。あそこでなし崩しになってたら殺すつもりでした」


 今度はわざと殺すという言葉をつかう。


「陽動作戦ってやつですよ。でも、陥落せずだったので、もう認めます。先生はシロです。お姉ちゃんは嘘ついてない」


「お、おぅ。ほうほうぅ」


 喉の奥から声を絞り出して、先生はなんとか今のこの状況を呑み込もうとした。


 それでもやっぱり嚥下困難を起こすらしく、


「お姉ちゃんは嘘ついてない? シロ?」


 そこのとこが気になるらしい。そりゃそうか。最大の謎だよな。そして今回の最重要事項はそこだった。


 私はこくんと頷いてみせる。


「あの日。お姉ちゃんが死んじゃったあの大雨の日、私実は直前までお姉ちゃんとLINEでやり取りしてたんです」


 雨はまだ降っている。昔語りをするのにはちょうどいいだろう。


 私は一度目を閉じ、


「話しますね。ぜんぶ」


 ゆっくりと目を開くと、先生を見据えた。

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