閑話:ある夜のある場所で。
「家に着いた。明日は休みだけど、何かあったら遠慮なく繋いでこい。……ハンナだけだと、まだ色々不安だ」
「了解です。おやすみなさい、団長」
通信と共にエンジンが切られ、歌を止めたピックアップトラックから男が現れる。
『水無月商会』の二代目頭目として、合衆国のみならず北部アメイアント大陸全土でそれなりの知名度を誇る男。水無月蓮華は欠伸を噛み殺しながら両腕を回す。
空飛ぶ船を操っての宝探しや、その過程で生じる戦闘はあくまで副業。貿易からスポーツチーム運営まで幅広くこなす会社の運営が、彼の本業なのだ。
十代で引き継いだ会社を順調に拡大させ、黒字経営を維持する手腕は適性の高さを示しているが、血筋か気質の問題なのか当人は特段の喜びはない。
――やっぱりさ、色々読めてきてつまらないんだよな。いや、俺には風切や黄泉討の血統ほどの才は無いんだけど。
ついひと月前の事件で、副業かつ本懐を実行する人員の多くを失った事実と、それによって生じた迷いを、彼は未だ消化しきれていない。
本業に徹しているのはその為だが、それでも抑え難い疑問は残る。
――あの影は明らかに普通じゃない。飛竜と見るのが妥当だろうが、それにしちゃ強過ぎる。ハンナの前じゃあぁ言ったけど、正直俺如きがってのは……。
「飯食って寝るか」
膨らみ始めた怯えと、それに引き摺られて不吉な着地点に向かう思考を打ち切り、蓮華は冷蔵庫の中身に思いを馳せる。
嘗て保護者役を担っていた部下に口煩く言われているが、彼は未だ独身。目の前の家で過ごすのは一年の四分の一程度。
マトモな食材がある訳でもなく、必然的に冷凍食品の類が基盤になる。
パックの米に、鶏肉やほうれん草といった食材が脳裏を過り、侘しさで溜息を吐きながら扉を開ける。
「ただいま」
「おーおかえり。遅かったじゃないの」
誰もいないと分かっているのに声を出す。そんな滑稽さにツッコミを入れようとした蓮華の耳に、間の抜けた若い男の声。
僅かな停滞の後、声の主におよそのアタリを付けてリビングに乗り込む。
「おいっす。この家、何も食べ物ないんだな。お陰で死にそうなんだけど」
一部に蛍光グリーンが踊る黒髪。翠と金と色違いの目は鋭いが、二十六歳の実年齢よりも男を若く見せる。
頭髪と同じ配色のジャケットやカーゴパンツには、歪な牙を模した模様が刻まれ、無造作に置かれた銃口と一体化した剣は男の仕事を明朗に語っていた。
「いちいち鍵をピッキングして開けるな。叩き出すぞ、エミリア」
「俺とお前の仲だろうよ。それとレミーと呼びやがれ我が永遠のライバル」
「ライバル設定はいい加減無くせ。そもそも、そんな関係になった記憶はない」
苦い顔で蓮華は否定するが、名をエミリア・『レミー』・ホプキンスと呼ぶ目前の男との関係を客観的に見れば、そのように見えなくもないだろう。
世界屈指のシェアを誇るエナジードリンクメーカーが組織した、傭兵部隊の長を務めるレミーとは、仕事で何度も激突している。
現時点で二十六勝二十敗一引き分け。直近の戦いで蓮華は右足を切り落とされたが、レミーの両腕を破壊して勝利した。
常人ならリベンジマッチを想像するだろうが、この妙な男は仕事以外では極めて友好的に接してくる。こうして家に来る事も少なくないのだ。
「今日は何しに来たんだ」
「話をしにきた。それなりにマジな奴。その前に何か飯食おうぜ」
「……お前、メシ目当てに来たろ」
「そんな……ごっふ!」
戯けた笑みを浮かべるレミーに拳を一発撃ち込み、蓮華は手元の冊子を引き抜いた。
◆
配達員が突き出してきた伝票にサインを書き込み、直径一メクトル近い器をテーブルに置いて蓋を取り払う。
整然と並べられた、海苔が内側に巻かれた寿司をレミーは器用に箸で口へ放り込んでいく。日ノ本の文化が輸出されてからそれなりの年月が経っているが、それでも拒否反応を示す者は多い。
あっさりと箸を使いこなし、軽快に寿司を食らうレミーの順応性は高いと評するべきだろう。例え、ツナマヨネーズを巻いた物しか食べなくても。
「やっぱりこの『グレード・ツナロール』が一番だよな。他のは考えられんわ」
「勿体ないから他も食えよ。というか、お前飽きないのか?」
「好きな物は幾ら食っても飽きない。レンゲが悪魔の魚を食ってる方がこえぇよ」
「タコは日ノ本じゃ普通に食べる。お前の出身国でよくあるイカみたいなモンだ」
ツナロールを只管食べ続けるレミーに呆れながら、蓮華は多種多様な握りを口に運び、時折タコの唐揚げを食していく。亡き父が作った物よりスパイスの気が強いが、それでもノスタルジーを喚起する味に蓮華の手も知らず早くなっていく。
特性的に前衛職は大飯喰らいであり、そうでない者も含めた社員全員分を出前で賄うと出費が嵩み、個々の好みへの対応が難しくなる。そのような理由もあって普段取らないが、出前で故郷の味を食するのは気分が高揚する。
奇縁で結ばれた関係ではあるものの、交戦しなければレミーは気の良い男だ。他愛のない話を繰り広げながら食事は進み、やがて器が空になる。
出資企業が製造する、丁度構成する物と同色のドリンクを煽りながら、レミーは爆弾を切り出した。
「今日来たのはさ、一応別れの挨拶しに来たって訳。仕事でインファリスに行く」
「インファリスに? 何しに行くんだ」
広告塔の役割も担う傭兵部隊に所属する彼が、販売網の存在するインファリスへ向かうのは何らおかしな話ではない。過去に何度か別大陸に赴いた話も聞いている。
だが、幾らレミーが傾奇な人間性と言えど、このような前振りで持ち出すのは稀だ。心なしか姿勢を正し、蓮華は相手の言葉を待った。
数秒の空白を経た後、派手な色彩を纏う男は一枚の紙を卓上に滑らせる。受け取った蓮華が目を落とすと同時、調子を幾分落とした声が放たれる。
「インファリス大陸のどっかが旗振って、大規模な合同作戦をやるらしい。で、ウチの社長がそれに乗ったって訳」
スポーツから芸術、果ては傭兵部隊まで。レミーの所属企業は莫大な金額を多方面に出資しているが、どこに金を出すかは全て社長が決定していると伝え聞く。
二十年弱の短期間で世界中にシェアを広げた豪腕社長の判断基準は、彼の言を信じるなら「目立つか否か」だ。多数の国から戦士を募る大規模作戦なら、間違いなくお眼鏡に叶うだろう。
懸念があるとするなら、討伐相手が判明していない点だ。
「罠の可能性はないのか。そうじゃなかったとしても、お前ら一軍をいきなり出す必要は……」
「前金が払い込まれたらしい。俺達を半年遊ばせることが出来る額なら、社長もそりゃ俺達を出すだろ」
殺し合いの経験が十年も満たない内に、アメイアント大陸で屈指の強者に登り詰めたレミーを頭に据えた一軍を雇うのはかなりの金が掛かる。前金で半年分の給金を支払うなど、蓮華に言わせれば酔狂に他ならない。
それほどまでの相手にも関わらず、詳細が開示されないまま異国の地に向かう。目前の男が、死への片道列車に放り込まれたような錯覚を覚える蓮華は、しかし制止の言葉は履けなかった。
『エミリア』の本名で悟る者も多いが、彼の出自はロザリスからの不法移民。市民権こそ得ているが、雇い主からの命に背けば社会に於ける立場を失いかねない。
何より、流浪の苦しみを知る者が仲間を放り捨て、安全な道を通るなど出来る筈も無い。死すらも覚悟の上で詳細不明の依頼に乗った男の真意を解し、蓮華は小さく息を吐く。
「死ぬなよ」
「何自分は関係ない風に言ってんだ。これがマジモンの案件なら、あんたん所も狙われるぜ」
「水無月怪戦団は人員と装備を失って開店休業中だ。その強敵が狙うなら、もっと別枠に行くさ」
「魔剣継承者を引き入れといて、その言い草はないなぁ。何かデカいヤマを狙ってるんじゃないかって、ギョーカイ中で噂だぜ」
ハンナ・アヴェンタドールの肉体を修復し、半ば強制的に加え入れたのは善意以外の打算があるのは確かだ。
とは言え周囲で噂が立っている事に気付かず、想像が及ばなかった。これは明らかに余裕が無くなっている証左と、思わず苦笑が零れる。
「少し前に変な物を見たんでな。ハンナを引き入れたのは備えって奴だ。デカいヤマなんて、考えてもない」
「そうかねぇ。俺には、到底そうは思えないけどな」
なかなか煙に巻かれてくれない年下の同類とのやり取りは、ここから更に二時間程続いた。
◆
「長々悪かったな。ツケで頼む」
「お前が俺に飯の金を払った記憶が無いんだが」
「出世払いにしといてくれよ」
戯けた言葉を放って、年下の傭兵はレーサーレプリカに跨る。
実際のレースでも少数派になりつつある、直列四気筒のエンジン音を盛大に響く。
「そんじゃまたな。生きてたら会おうぜ!」
「死ぬなよ!」
近所迷惑なエンジン音に負けぬよう、張り上げた声は届いたのか。答えを示さぬまま、レミーの姿は加速度的に遠ざかり、やがて蓮華は静寂と共に取り残される。
濁したものの、巨大な山を狙っているのは本当だ。読みが正しければ、最終的に同じ相手と対峙すると確信染みた予感も蓮華は抱いている。
口にして協力を仰ぐ。もしくは彼等に同道する選択をしなかったのは、あの時に見た存在への闘争心よりも、まだ恐れが上回っていたからだ。
戦いで名を上げる事を望みながらも、戦わずとも生きている道が見えた途端に揺らぐ。
嘗て言葉を交わし、そして一振りを見せただけで才能の限界を見抜いた怪物、風切鈴羽のようにはどう足掻こうとなれない事実は、胸が掻き毟られるような痛みを齎す。
「まぁ、それならそれで切り替えるしかない。……俺も水無月家の当代、そして集団の頭だからな」
世界が揺らごうとするならば、その波を乗りこなして勝者の座を得ねばならない。道中に戦いが避けられないならば、どのような手段を用いてでも最善の結末を手繰り寄せる義務が長たる自分にはある。
その為に、高コストとリスクを承知で魔剣継承者を招き入れたのだ。
生まれつつあった迷いと怯懦が、突然の訪問者によって振り払われた蓮華は、自身と部下が指すべき手を模索しながら家に戻っていく。
彼の変化を見届けたのは、エンジン音の残響すら飲み込んだ漆黒の空だけだった。
Blood wave 白山基史 @shiroHBAstd
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