手のかかるロボほど可愛い
オジョンボンX/八潮久道
手のかかるロボほど可愛い
ビーチリゾートで名高い観光地に、大きくはない戦争博物館があった。他に客のいない館内で、おじいさんはツアーガイドのロボットと二人きりでゆっくり歩いていた。
きっかけは娘夫婦だった。両親を連れて、有名なリゾート地への観光旅行を計画した。最初おじいさんは断った。娘夫婦は一種の義務感からそうしているように思われたからだった。それに義足で出かけるのは億劫だった。この数十年は市内からも出ていない。しかし妻に、娘の好意を無下にするなと窘められて行くことになったのだった。
人気の観光地にふさわしく、人造ビーチは美しく、ショッピング街とレストラン街は清潔で充実し、外国人を含めた観光客でごった返していた。おじいさんはひどく疲れていた。人ごみが苦痛だった。
地図を眺めて、ホテルからそう遠くない距離に博物館があることに気付いた。博物館や美術館ならゆっくり過ごせるだろうと考えた。戦争博物館だった。ここは観光地でもあるが、地政学上重要な地点でもあって、ずっと以前から軍基地が設置されていた。他の家族は「せっかくの観光なのに」「みんなで一緒に過ごそう」と反対したが、おじいさんは一人で博物館を訪れた。
博物館は案の定とても空いていた。他の利用者を誰も見かけないほどだった。あえて足を運ぶ者がいない。
窓口でおじいさんの義足を見た職員が、退役軍人の割引料金をさりげなく案内したが、おじいさんは一般料金を支払った。入口脇のロッカーは生体認証ではなく、利用者が数字を設定するタイプだった。おじいさんは他の種々の暗証番号でいつもそうしていたように「5409」と入れた。施設は建物全体だけでなく、ロッカーやトイレなどの館内設備も古いままのようだった。
オーディオガイドを借りようとしたが用意がなく、代わりにAIロボットのガイドが無料で利用できるという。本来は十名程度のグループを案内するものだが、他に利用客はいなかったから、おじいさんとロボットの二人連れになった。
今時AIと呼ぶにはあまりに粗末なロボットだった。ガイドはタイミングに合わせて録音された音声を流すだけで、会話などはできなかった。センサーで現在位置を認識して移動していたが、それもあらかじめプログラムされた経路を進んでいるだけのようだった。全く動的な応答ができないロボを、どうしてAIと呼べるのかとおじいさんは思った。
ロボちゃんとゆっくり連れ立って歩きながら、おじいさんは何か懐かしさを覚え、穏やかな気持ちになっていた。
ロボがこちらの言うことを何も認識せず、周囲に誰もいない気安さもあって、おじいさんはロボちゃんと歩きながら、問わず語りに語り始めた。
「俺も昔は軍人だったんだ」
「こちらは当時の一般兵が身につけていた装備一式です」
展示内容に導かれるように、おじいさんの話題は自然と軍人時代のものへと寄せられていった。
どんな訓練を受けたか、どこへ派遣されたか、どんな任務に就いたか、当時の仲間達との関係、退役後の暮らし、妻との出会い……。任務中に負傷した戦友を必死で助けようとして、自身も負傷し片足を失った話にさしかかり、おじいさんは義足をぽんと叩くと、ややバランスを崩し、ロボちゃんに寄りかかって支えにした。ロボちゃんはさして気にした様子もなく解説を続けた。
おじいさんが任務に就いたその戦争は、主要な戦闘そのものは短期間で終わったものの、治安維持と体制構築に多大な時間と労力と犠牲を費やした。国家を統一するには、国内の暴力装置を一旦武装解除した後、警察と国軍へ再編成する過程が必要だが、国土の広さと民族の多様性により反体制派の存立基盤が維持され、殲滅することも、新体制へ組み込むこともできずにいた。最終的に新体制は崩壊し、反体制組織が覇権を握り直す結果となり、払われた犠牲は無に帰した。おじいさんの任務はその治安維持の一部で、反体制組織との武力衝突が散発的に起きていた地域での活動だった。
「そいつは無口だったが、仕事熱心で真面目なやつだったよ。自分の足を失ったが、後悔はしていない。もし同じ状況にあっても、同じことをしただろう。もっとも、その後そいつがどうなったかは知らないが……」
「あああ~」
「何だお前どうしたオイ」
「ああ~」
「何だ何だ」
「…………次の部屋へ移動しましょう」
ロボちゃんは突然変な声を出した後、解説を再開し普通に動き始めたように見えたが、少しずつ進路がおかしくなっていった。解説の内容と、実際の展示物との進行にズレも生じていった。おじいさんが寄りかかった衝撃で、その場は平気だったのに、何かが狂ってしまっていた。
どんどんルートを外れていき、ロボちゃんは自分が通れない幅の壁と柱の隙間へ突っ込んでいって動けなくなってしまった。それでも前進をやめず、のんびりと解説を続けていた。
おじいさんは職員を呼んだが誰も来なかった。他の客もいない。自力でロボちゃんを助けようと必死で押し戻すが、案外力が強く、義足で十分に踏ん張れなかったこともあり、どうにもならなかった。
「オイコラロボコラバカコラタココラロボオイイィ」
「こちらの展示は、1991年に発生した湾岸戦争に関するものです」
おじいさんはロボちゃんをボロクソに罵って額に汗を浮かべながら、どうして自分が今こんなところで、こんなことをしているのか、わけが分からなくなっていた。いつもの生活から遠く離れた観光地で、誰もいない博物館の中で、たった一人でロボを何とかしようとしているこの状況は、一体なんなんだ、と何か途方もないような気持ちになっていた。
ふいにロボちゃんのパワーが緩み、何とか押し戻して隙間から脱出させることができた。解説は既に何部屋分も進んでしまっていた。
再びロボちゃんは進み出し、部屋をゆっくり一周したかと思うと、おじいさんが止める間もなくすうーっとさっきの隙間に吸い込まれるように突っ込んでいって、また動けなくなっていた。
「なぜだ」
おじいさんは再度ロボちゃんを脱出させようと必死に頑張った。
「ウォオッ、オォンッ」
「この時代には、兵士の生命を守るため、無人機が使われるようになりました」
「オイコラロボコノタコオイロボコノヤロ」
「空ばかりではなく、地上でもAIを搭載したロボットが活躍しました」
「ロボコラ戻れオイ」
「無人機は兵士に代わって危険な任務を担いました。兵士が感情移入しないよう、ヒト型や動物型を避けた無機質なデザインが採用されました」
ふとロボちゃんは静かになり、前進も止めた。おじいさんはロボちゃんを押し戻して、今度は再びはまらないように部屋の中央まで押して移動させた。
部屋の真ん中で無言で立つロボちゃんの顔をおじいさんはじっと見つめた。「顔」と言っても、目の形をしたシールが2つ貼り付けられただけのもので、そのシールも端がところどころ剥がれかけたり破れていた。
意識もなく単に音声を流しているだけ、視覚もなく単に目の形をしているだけ、たったそれだけのことで、そこに生き物のような存在を認識してしまう人間の他愛なさを、おじいさんは少し考えていた。
このロボちゃんは、兵士と兵器の関係ではなく、客と解説者の関係を前提しているから、無機質である必要はなく、親近感を湧かせる方向へと寄せられている。
「しかし、無機質なデザインが採用されても、ロボットと共に任務をこなすうちに、愛着を持つ兵士も多くいました。道具ではなく、同僚や相棒、戦友といった感覚を抱く者も少なくありませんでした」
その場を動かず、ロボちゃんはただのシールの目でおじいさんをじっと見つめたまま、解説を再開した。
「任務の中で破壊されそうになったロボットを、危険を顧みず救おうとする兵士もいました」
過ごした時間の長さやかけた手間の多さが、無機質さのもたらす愛着への距離や隙間を埋めてしまう。
「私も、そうして助けられた一人でした。登録番号MZK005409。私の戦友は、片足を失いながらも、私を救いました。その後、私は改修を加えられ、当博物館でツアーガイドとして新しい人生を送っています」
おじいさんは驚いた様子も見せなかった。一瞬、何の言葉も考えも思い浮かばず、ただ黙ってロボちゃんを見ていた。
「……お前…………こんなポンコツだったか?」
ようやく出てきたのはそんな言葉だった。現代の優れたロボットやAIを見慣れた視点からは、以前から変わっていなくても相対的にポンコツに見えるのだろうかとも思ったが、いくらなんでもこれでは戦場で使えないから、やはり劣化しているのだろう。
だが、ポンコツになったのは俺も同じだ、とおじいさんは思った。ほんの一時期を一緒に過ごし、命のやり取りをして、その後はお互い無関係の人生を送り、老いてまるで縁もゆかりもない場所でふいに再開した。
おじいさんは哄笑した。その偶然と時間の長さが冗談のように思えて、途方もなく感動していたが、涙が出るというより、どうしようもなく笑ってしまうのだった。
「私を助けたその兵士は、『ブジン』と呼ばれていました」
「えっ」
「それは日本語で『ウォーリアー』を意味する言葉でした。特に戦果や強さから自然とそう呼ばれたわけではなく、本人が自らそう呼ぶよう周囲にお願いしていました」
「待ってその解説いる?」
おじいさんはこの40年間、かっこいい綽名を自分で他人に呼ばせたことを、しかもティーンエイジャーではない立派な大人になってからそうしたことを、時々ふいに思い出して恥ずかしさに呻いていた。それを何十年にも渡って大量の見知らぬ人々へ「解説」されていたと知って、脳がむちゃくちゃになった。おじいさんはロボちゃんに近寄り、懇願するように言った。
「お前、やめなさい……そういうことを、拡散してはいけない……」
「解説ロボットに触れないで下さい! 離れて下さい!」
おじいさんがロボちゃんに触れた瞬間、ロボちゃんは大音量で警告を発した。今までも散々触れていたのに、何かの拍子に警告システムが起動したようだった。警告音がけたたましく鳴り響き、ようやく職員が走って現れた。
職員は走ってきた勢いそのままに、なめらかにロボちゃんをぶん殴った。
「ああ~」
「すいません、うるさくして。こうしてやると止まるんですよ」
職員はロボちゃんをまたぶん殴った。
「あ~あぁ~私はMZK005409」
「静かにしなさい!」
また殴った。おじいさんは激怒して職員をぶん殴った。
「えっどうして」
「ロボを殴るな……かつて戦場でブジンと呼ばれたこの俺が許さない……」
「なんと、あなたがあの……でも『ブジンと呼ばれた』というより、呼ばせていたんですよね自分で……? 同僚に……」
「黙れ!!!」
おじいさんは職員に飛びかかった。
全身に血液が行き渡り、力がみなぎるのを感じた。アドレナリンが大量に出ているのもはっきりと感じた。これほどの感覚は、戦場で感じて以来だった。
しかし年老いた肉体はどうしようもなかった。緩慢な動きだった。一方の職員の男も、普段は全く運動もしておらず、とても痩せていた。学生時代は体育が大の苦手で、自分の身体の動かし方をまるで理解していなかった。二人の戦いはふにゃふにゃして、一見するとじゃれ合っているようにも見えた。
「あっあっ、やめて……叩かないで……」
「コノヤロコノヤロ」
ロボちゃんは二人の周りを歩き回っていた。職員は殴ればロボが止まると言っていたが、ロボの症状は悪化しているようだった。二人の戦いを観戦しているようでもあった。
揉み合いの中で、おじいさんは職員の袖口と襟元を掴むと自動的に背負い投げが発動し、そのまま背中から床に叩きつけられた職員は、受け身の取り方など知らず息も上手くできずに苦しんで唸っていた。おじいさんは子供の頃、親に連れられて近所のジュードー場へ通っていた。ほんの数年通っただけで、大会に出たわけでもなく、ずっと技をかけたことなどなかったのに、体は覚えていた。技をかけたおじいさんの方が驚いていた。たとえ片足を失って義足になったとしても、どれだけ時間が経っていたとしても、この技というもの、型とは、変わらず生きている。その道場の、日系人の先生の綽名が「ブジン」だった。
ロボちゃんは歩き回るのをやめ、今度はその場で高速で回転していた。
「私はMZK005409!」
「そうだな、お前は5409だな」
「あああ~このこのこのこのこの展示。この。1991年。1965年。2003年。1966年。1994年。」
そして回転を止め、
「これでツアーは終わりです。ありがとうございました」
と言うと、
「ふわぁ~」
と言いながらすごい速さでどこかへ行ってしまった。
おじいさんはしばらくぼんやりしていたが、床でまだ伸びている職員を残して、部屋を後にした。
駐車場には、妻と娘夫婦が待っていた。孫はレンタカーの中で疲れて眠っているようだった。
「オミャアーッ! なんべん電話とメッセージしたと思っとんだギャァ!!」
妻は激怒していた。
「お父さん、楽しめた? 今日はいい日だった?」
と娘は少し心配そうに聞いた。
「いい日だった。とてもいい日だ。お前達のおかげだ。ありがとう」
おじいさんはそう答えて、自分でも少し驚いた。自他ともに偏屈ジジイだと思っていたから、これほど素直に感謝の言葉が自分の口から出たことに驚いていた。娘の夫と目が合い、お互いに軽くうなずいていた。
この旅行は彼が提案したという。娘婿は感情表現に乏しく、いまいち何を考えているかわからない男だった。離れて暮らしていることもあり、娘の結婚以来ほとんど会話らしい会話をしていない。今回、娘婿が義両親との旅行を提案した意図もよく分からない。しかし娘とは上手くやっているようだったから、別に構わなかった。
「楽しめたんならッ! そんでエエがねッ!!」
娘の運転するレンタカーに乗って、みんなで娘婿の予約した海の見える素敵なレストランへ食事に向かった。
手のかかるロボほど可愛い オジョンボンX/八潮久道 @OjohmbonX
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