バードケージ
青月クロエ
第1話
(1)
あのツリーハウスはまるで鳥籠だ。
城の裏手に植樹されたオークの樹々を見上げる度、僕は思う。
城の表側、よく手入れされた美しい花々咲き誇る庭園とはまったく違う。自然に任せきりの荒れた小さな森に近いし、オーク以外に名の付く花や木は存在しない。
オークの樹々のひとつに建てられたツリーハウスの真下、僕は掃除道具を手に、樹に立て掛けられた梯子階段を上っていく。
「おはよう。入るよ。いやって言っても入るけど」
形ばかりのノック。返事も待たずに扉を開ける。ぷん、と、檸檬と蜂蜜の香りが漂ってくる。
「ねぇ、もう九時過ぎてるけど」
そう広くない室内はベッドとサイドテーブル、雑に服が放り込まれた籠、あとは床に散らばった無数の楽譜しか見当たらない。
楽譜を拾い集め、順番にまとめる。
ちゃんと目を通したのかどうかも疑わしい。要確認しなきゃ。
でも、確認したくとも……、ベッドの上、シーツごと丸くなってる彼を軽く睨む。
「ねぇ、今夜も宴があるの、忘れてないよね??」
「……起床は最低でも歌う八時間前。宴は夜六時から。てことは一〇時までなら寝ててもいい」
「わけない。妙な計算できるくらいには目が覚めてるんだし起きれば??」
「ちょっと、待っ……」
シーツの端を無理やり引っ掴む。抵抗を物ともせず、おもいっきり床へと振り落としてやる。
「で、この歌、練習した?」
楽譜の束を、床に転がった彼の鼻先に突きつける。
彼は一瞬だけ紙面に視線を置くも、焦点の定まらない目で虚空を仰いだ。
「した、した」
「本当に??」
「しつこいなぁ、したってば」
顔の前で掌をひらひら振ると、彼は床の上で寝返りを打つ。
寝間着から覗く手足は折れそうに華奢で青白い。中途半端に伸びた黒髪に隠れた頬も痩せこけている。
「いい加減起きて朝飯食ったら。昨日の夜も全然食べてないんじゃ」
「いらない。飽きた。毎日毎日同じモンばっかり。たまにはパンとか肉食いたい。だいたい、それ、食いモンって言える??」
相変わらず起きようとせず、テーブルに指を指した。小枝並みに細い指先が示すのは檸檬の蜂蜜漬けの硝子瓶。
彼が口にして許されるのはツリーハウスに常備された水と細かく刻んだ檸檬の蜂蜜漬けのみ。
水以外の飲み物、固形物の摂取は禁止。他にも彼への制約はある。
「日焼けするから外に出るな。喉を傷めるから必要以上にしゃべるな。歌の練習はツリーハウス以外でするな。髪を勝手に切るな。毛や花粉で鼻や喉に炎症起こすから生き物も植物も部屋に持ち込むな。本番の宴で絶対音を外すな。脱走するな。万が一、音を外したり脱走した場合は処刑も辞さないと思え……、だろ??脅迫まがいのがんじがらめな監禁生活させられるなんてさ。まだ路上生活送ってた頃のがマシ。気が狂いそう」
「じゃ、気が狂う前に逃げてみる??」
「無理だからグチってる」
「じゃあ、あんまり愚痴らない方がいいよ。言えば言うだけむなしいし」
彼は起き上がって僕を睨みつけてきた。
気づかぬ振りで僕は部屋の奥へいき、箒で床を掃く。
朝からどうにもならない愚痴を聞いてあげるほど僕は優しくない。
彼の前、そのまた前のツリーハウスの住人たちにも優しくなんかしなかったけど。
彼らは声変わりが始まったらツリーハウスから強制退去させられる。
もしくは声変わりを待たず、心身を病んで人知れず姿を消す。
遅かれ早かれ、彼もいつかはいなくなる。
優しくしたところで意味なんか──
「二度寝するなよ」
人が掃除してる隙に性懲りもなくベッドに戻ろうとする。
ずかずかとベッドに近づき、箒を振り上げ叩く真似をすれば慌てて跳び起きる。箒の先が掠り、サイドテーブルの水差しがかたかた揺れる。
こいつ……、もとい、彼は歴代の住人の中でも飛び抜けて歌が上手い反面、やる気のなさも飛び抜けてる。
やる気を失っていく気持ちは、まぁ理解できる。でも、彼はここに来た当初からやる気皆無。曰く、雨風凌げる生活が送れるならなんだってよかった、とか。
「とにかくさ、簡単な復習でいいから練習しといてよ」
「イヤだ。代わりにあんたがやれば??」
まだベッドでぐだぐだと寝転がりながら彼は不貞腐れている。
ちょうど反抗期に差し掛かる年頃。僕は彼より少し年上なだけ。年齢の近い世話役だから舐めてるのかもしれない。
「だってさぁ、あんた、意外といい声してるじゃん??見た目も金髪の美少年って感じだし??オレが歌うよりよっぽど国の偉いさん喜ぶんじゃない?」
「そんなわけあるか。だいたい僕はとっくに声変わりしてるし」
表舞台に堂々と出られる人間じゃない。
というのは、彼に言う気がないので黙っておいた。
(2)
僕の国では、諸外国から訪れた王侯貴族や使者への宴で変声期前の美しい少年に歌を歌わせる習わしがある。
少年が少女と見紛う容姿、声でいられる時期は短い。
わずかな時期限定の美を愛で、楽しむために、見込みのある子どもを例のツリーハウスで囲う。
連れてこられる子どものほとんどは孤児か奴隷出身。行き場がない分取り込みやすいし、用済みになれば放棄しやすい。
なかなか人道に外れた最低な伝統。だけど、その最低な伝統は今宵も行われていた。
あいつ、もとい、彼が粛々と大広間の最奥、王座の前へ進み出ていく。
頬までかかる前髪を後ろに流し、金糸で刺繍した豪華な衣装を纏い、か細い体躯と薄化粧は独特の中性美を醸しだす。
僕はといえば、金の髪以外は黒一色、装飾ひとつない地味な衣装を着用。唯一の飾りは革紐ネックレス。それも服の中に隠してる。
逃走防止で彼の足首に括り付けた長い鎖を曳き、あとに続く。
誰の目にも、顔色の悪い、痩せぎすの少年から妖艶な少年と化けた彼しか見えてない。
照明の光でさえ僕を目立たせることはない。常に人目を引かないよう、振る舞うのは慣れきってる。
広間中の視線を浴びながら王は彼を侍らせ、何やら耳打ちする。
単に客人たちを楽しませろとか、まあ、軽い声がけかな。
短いやり取りが済むと、彼は王から離れ、姿勢を正し歌い始めた。
柔らかな高声は広すぎる空間を、高すぎる天井を余すことなく満たしていく。
春風に似た暖かさが胸の奥まで浸み込み、御婦人がたの中には感極まって泣き出す人まで現れた。
いいな。
どんな形であれ彼には輝ける場所がある。彼が望むとも望まざるとも。
僕は一瞬足りとも輝くことが許されないのに。
感動以上に強い羨望と嫉妬が胸中に渦巻いていく。
同時に己の浅ましさに強い嫌悪感が湧いてくる。
いっそのこと何もかも壊れてしまえばいい。
全て壊れてしまえばゼロから始められるのに。
無意識に噛みしめた唇に血が滲む。
鉄臭い味に我に返ると、すでに彼は歌い終わっていた。
ホッとするような、残念なような。
複雑な気持ちに駆られ、苦笑いを浮かべる。
彼は王に呼ばれ、早速侍ってる。思いの外近すぎる距離感に小さな苛立ち。
僕は父に……、いや、王にこんな風に甘やかされてもらわなかったのにな。
まぁ、妾腹の子だからしかたないけど。
ツリーハウス住人の世話とか、地味に極力目立たなく生きてなきゃ、たぶんお妃さまにいびり殺されてたかもしれないし。
別に王位に興味なんてこれっぽっちもない。
僕が興味あるのは何にも縛られない、自由で光に満ちた世界。
庭園の花から花へと飛び回る蝶。オークの樹々から空へ飛び立つ小鳥。
枝葉の影に差し込む木漏れ日。夜闇に瞬く星の光。
蝶や小鳥のようになれたらいいのに。太陽や星の光に負けない輝きを胸に生きたいのに。
ツリーハウスに閉じ込められてるのは彼だけじゃない。僕の心も閉じ込められている。
僕の感傷などおかまいなしに宴 もたけなわ、目の前では宴の客、外国から来た使者の一人が王の元へと挨拶しに来た。
周囲の歓談の騒がしさで二人の会話はまったく聞き取れない。僕の立ち位置も王座から少し離れた壁際、二人の姿をよく見ることができない。
ちらりと垣間見た使者の衣装に一抹の不安が過ぎる。
この国の同盟国と一触即発の仲だとか、王が二国の間に入り、仲裁を試みてるとか。国民の気質も粗暴な者が多いと聞くし、あまり手放しで歓迎できない国じゃ──
「なぁなぁ、オレ、腹減った」
「水以外は飲み食いするなよ」
「えー、たまにはいいじゃん」
王と使者が話す隙に彼はちゃっかり逃げてきた。
僕に対し、口を開けば愚痴か文句しか言わない割になんだかんだと懐いている、のか……??歌が終わると僕にまとわりついてくる。
かと言って、断じてかわいいなどとは思ってやらない。思ってやるもんか。
例え思ったとして、髪の毛一本程度、くらい……??
「あのさ、なんか、焦げ臭くない??」
「そう??オレはぜんぜん……」
ぜんぜんだけど、と彼が言い切る前に、爆発音が耳を劈く。
広間の壁が、床が、天井が木っ端微塵に砕け散った。
(3)
爆風の余波で吹き飛ばされたものの、僕と彼は運良く爆発に巻き込まれなかった。怪我も多少の擦傷や打ち身だけで済んでる。
喉が裂けんばかりの悲鳴を上げ、混乱する彼の背を繰り返し何度もさする。
「落ち着けよ!」
片手で暴れる彼を押さえつけ、もう片方で革ネックレスを引きちぎる。
服から引っ張り出した革紐の先には鍵がひとつ。その鍵で彼の足首の鎖を外しながら、王座へ視線を走らせる。
王座だった物は影も形も消え失せ、座していた王の変わり果てた姿に、うっ、と吐き気が込み上げる。
あの使者、最初から自爆覚悟だったのか……。
かつて壁や天井だった物の下敷きになり、助けを求める人々のうめき声、悲痛な叫びが至る所で聴こえてくる。落下したシャンデリアの蠟燭の炎があちこちに燃え拡がっていく。
煙を吸い込まないよう掌を宛がい、炎に怯える彼を強引に引きずっていく。
煙と舞い散る灰と粉塵が視界を阻む。死体を踏み越え、出入り口の扉を必死に探す。
ふらふらと覚束ない足取りで僕たちは姿勢を低め、出入口の扉へ突き進む。
ようやく扉の前へ辿り着くと、煤で汚れた彼の顔が恐怖から安堵へと変わっていく。
扉を開け放した直後、盛大な音を立てて天井が崩落し始めた。揃って命からがら飛び出す。
僕はこの瞬間を待ち望んでいた。ずっと、ずっと。
ずっと待ち望んでいた。
「行こう」
「ど、どこへ、だよ……」
泣きそうな顔、震える声が問いかける。
置いていってもよかった、筈、なんだけどな。彼と一緒だとイライラさせられっ放しになるの、目に見えてるのに。
背中越し、閉ざした扉の裏側では未だ阿鼻叫喚の地獄絵図が拡がっている。
かまうものか。僕を──、僕らを飼い殺す世界なんて壊れてしまえ。
(4)
闇に沈む城の影が遠ざかっていく。
空が白み始めるまでにはもっと遠くへいかなきゃ。
混乱に乗じ、城を抜け出した僕たちは街を囲む高い城壁の上を走っていた。
ただひたすらに、がむしゃらに彼の手を引いて走り続けていた──
「なぁ、まだ走らなきゃダメ??」
闇が薄れ、空が紫に染まりつつある頃だった。
「なぁ、なぁ、なぁってば!」
「……決まってるだろ??城からいちばん遠く離れた場所で脱出するって。わかった??止まってる暇ないよ??」
立ち止まったときに放した手を再び掴もうとして、振り払われた。
さっきまで息も絶え絶えだったのに。追い越していく、薄く頼りない背中のあとを追いかける。
遥か後方の城を振り返る。そろそろ頃合い、かな。
立ち止まって、麻の布袋から例の長い鎖を取り出す。鎖の先にはアンカーも付けてみた。
拘束用だったのが、皮肉にも脱走を手助けするために使われるとは。
「うおぉぉおおおー!!オレやったぜ!!」
彼の大絶叫が白み始めた空にキィーンとこだました。
バカ、やめろ、と止めかけて、口を噤む。
未だかつてない輝きに満ちた瞳、張りのある声音、溌溂とした笑顔。
自由を得た鳥のはしゃぎようがほほえましくも──、少し、妬ましい。
「オレ、今なら楽しく歌えそうだ!!」
「……ふーん、そ、よかったね」
「あんたも歌ってみれば?」
「イヤだ。衛兵がすっ飛んできそうだから歌わない」
「じゃあさ、こういうのはどう?無事脱出成功して新しい街で暮らし始めたら歌えよな??」
「だから歌わないって。その言い方だと君と一緒に暮らすこと前提みたいだけど」
「えー、違うのー?」
下からにやにやと笑いかける顔の憎たらしさときたら。あんまりにも憎たらしくて、額を指先で弾いてやった。
自由には少なからず代償が発生するなら、彼を助けたこと、かもしれない。
のちのち悪くないと思えるか、後悔するか──、予測不可能、かな。
(了)
バードケージ 青月クロエ @seigetsu_chloe
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