おまけと宣伝
帰国した
合間という合間、痛みを感じるほどの眼差しで、愛娘が戦場に出て危ない目にあったのは秋人のせいだと無言で訴えられていた。正確には、娘は何処にも嫁に行けなくなったなぁとぼやかれている。
氷塊の鬼神と恐れられてはいるが、凶悪なまでに娘が可愛くて仕方ないのだろう。
怪我をしたのは秋人のせいだとしても、戦場に現れたのは彼女の
岩蕗と秋人の無言の攻防は噂になるほどで、その理由を知るものはほぼいない。死神と恐れられる秋人ではあるが、地獄のような日々に慣れつつあった。美冬に会えないのは戦前と変わらないと慰めるしかない。
春うららかな風が吹く頃になっても、午前は隊員のしごきに付き合わされ、昼は娘の握り飯だとくれもしないのに自慢され、午後はお約束の書類仕事だ。月も高い位置に上がり、久しぶりに疲れていた秋人は窓から見えた花弁に一瞬、目を奪われた。
「桜だなぁ」
横から聞こえた声に秋人は目を据えた。恐らく、見たくもない者が横にいる。こちらの都合に関係なく現れる諜報員だろう。
「手柄はあったか?」
軽快な言葉に返事をしないことを不服に思う色はない。
口を開くのも億劫な秋人は部下の方へ目線だけを向けた。
佐久田は満面の笑顔で意図を汲み取って訊ねる。
「あーんと? 佐々木ーじゃないみたいだな。やーやーやー……? ああ、
「名字に特徴を求めるのもどうかと」
部下の山瀬は面倒くさそうに相手をしながら、簡単に状況を伝える。
つい先程、聞いたばかりの秋人は書類に戻った。報告が終わると同時に言ってやる。
「追い出せ」
「お前にいいこと教えてやろうと思ったのにー」
語尾を伸ばしても、鬱陶しさがかさ増ししただけだ。
死神の睨みに臆しない佐久田は薄い色の目を細める。
「扉を開けてみろよ。絶対、驚く」
声は嬉々としていた。
抵抗するのも疲れていた秋人は、肩を叩き背を押して急かしてくる佐久田に抵抗するのをやめた。促されるがままに扉の取っ手を回す。
「驚かそうと思ったのに。お前の反応、つまらないわね」
固まっている秋人にかけられた言葉は懐かしくも思える切れ味を伴っていた。相手の態度は出会った頃から潔いほど変わることがない。
弁明させてもらうと、後ろに続いていた山瀬が書類を落としたのと同様に驚いていた。ただ、顔にちっとも出ないだけだ。
真夜中の駐屯地で、萌黄の着物に梅を思い起こさせる帯を身に付けた美冬を見るなんて想像できただろうか。
昼夜問わず、軍内は女人の立ち入りは極めてわずかなものだ。いくら少将の娘だからといって来るところではない。庁舎の中ともなればなおさらだ。
何も言わない秋人に呆れたのか、美冬の半眼が山瀬に向く。
「あら、何処かで」
「お嬢、久しぶりですね」
山瀬に向いていた視線が佐久田に移された。その目はあからさまに冷めている。
あいまいな笑いを浮かべた山瀬は佐久田にちらりと謝辞の目を向けた後、書類を拾う。
佐久田の食えない顔を美冬は父親ゆずりの強い瞳で見返しながら口を開く。
「久しぶりと言えるほど、お前の顔は間を置かずに見ている気がするのだけど」
「毎日見ても、飽きないでしょう」
「鬱陶しい顔なんて年に一度で十分よ」
「見るのも嫌ではないのなら、俺のこと気に入ってるでしょう、お嬢」
「冗談はよしてちょうだい」
秋人が軍士官学校に入り、美冬の元を離れた後、彼女の護衛には佐久田がつけられた。美冬と佐久田が令嬢と従者の垣根を越えた会話をする姿を見たのはこれが初めてだ。
離れていた分だけ、確かに知らない時間が存在していた。
整った顔立ちである秋人は、残念なほどに表情を作り方を知らなかった。軽口を叩きあう美冬と佐久田を目の前にしても、胸の奥がきりりと引き締められるのを感じるだけだ。
「美冬。無駄話をしていないで、用件をさっさと済ませてしまいなさいな」
今まで静観していた美冬の叔母が頃合いを見て、横槍を入れる。
美冬の訪問も青天の霹靂だが、その隣に叔母もいることも不思議だ。
そうだったわ、と美冬は目を瞬いて、背筋をのばす。
「お前たち、
「そりゃまた、急な話ですね」
秋人よりも先に佐久田が驚きの声を上げた。
肩をすくめた美冬は事も無げに返す。
「家族で夜桜を楽しむ席だったのだけど、酒が入って父様の気分が上がったのよ。秋人を呼べと言い出して、手がつけられなくなったから、こうして、わざわざ、私が呼びに来たと言うわけ。ちゃんと門番にも言付けているから勝手に入ってきたわけではないわよ」
「旦那様に岩蕗卿を押し付けて、私達は涼みに来たのよ。門番は呼んでくるとおっしゃっていたけれど、何処かのせっかちさんが父親の権力をちらつかせて、ここまで来たわ」
美冬の説明に叔母が補足を入れる。
美冬の父は酒が入るとひたすら陽気になる質だ。その相手を叔父がしているということだろう。
門番に軽く同情したのは軍で働く三人同様だった。
「せっかくですけど、俺達は遠慮しますよ」
表情を変えずに聞いていた秋人の後ろから、非情な言葉が飛び出した。見れば、かわいた笑みを浮かべる佐久田がいる。俺達、は佐久田と山瀬を示しているのだろう。
「明日の朝、早いんですよ。お嬢と
すらすらと答えて、さっさと踵を返す佐久田に山瀬が続く。いつの間にか、机の上は片付けられていた。揃いも揃って要領のいい男達だ。
「今度はお前も必ず呼んでやるから」
美冬の声が追いかけるも一つのランプと二つの背中は闇に消えていた。
仕方ないわね、と小さく悪態をついた美冬が秋人に向きなおる。
「行くわよ、秋人」
「はい」
「しっかり食べなさいよ。暗い顔になっているわ」
進み始めた美冬の斜め後ろについていた秋人は伏せていた瞼を上げた。
灯りは美冬の手に残るランプのみ。前を見据える顔は秋人には見えない。
秋人の仕事が深夜まで働くのは珍しいことでもないし、連日になるわけでもない。今日もたまたま遅くなっただけだ。夜食をとったので空腹でもない。顔に如実に出るほど、精神を削られるようなことは一つもない。万が一でもあるとしたら、淀んだ感情がすけて見えたのだろうか。
光の輪郭に赤々と照らされた美冬が一瞬だけ秋人を振りかえる。
「遠征に言ったと父が言っていたわよ」
「……戦後処理をしない士官になった覚えはありませんが」
やっぱりね、と呟いた美冬はすました声で続ける。
「長い遠征から帰ってきたばかりなのだから、
「そう、ですね」
「叔母様、聞いたわね」
美冬の鋭い声にええと叔母は苦笑まじりに頷いた。
私、常々思っていたのよと前置きをした気高い令嬢は、秋人に視線をぶつける。ランプに照らされた瞳は燃えているようだ。
「秋人と力比べしたいって」
「は」
「は、じゃないでしょう。はい、でしょう。逃がさないわよ」
子供みたいね、という叔母の言葉は美冬の耳にも当然だ届いているだろうに完璧に無視されていた。
押し通された秋人は呆然と二人の背中を追うしかない。
ランプを持つ背から晴れやかな声が飛んでくる。
「思えば、お前と花を見上げるのは久しぶりね。母様の梅には負けるけど、美しいわよ。期待なさい」
「酒つきだけどね」
叔母の指摘に、美冬は可笑しそうに笑った。仲のいい二人に釣られるようにして、秋人の心の内も明るくなる。
「灯を持ちましょうか」
正常に回り始めた頭で、女性に先導させるわけには行かないと気付いた秋人は美冬に声をかけた。
「頼むわ」
ランプを差し出す顔は、灯りのせいか、あたたかい。
秋人はそっと目を細め、ランプを受け取った。
***
上の二人がどう転ぶのか全く読めないかこです、こちらではご無沙汰しております。
久しぶりに美冬を書きたくなったのと、宣伝目的で参りました。
『観音男爵 木の芽はる』
約1万4000字
https://kakuyomu.jp/works/16816927862564496140
静江さんの馴れ初めを含めた夫婦の成長物語です。タグをご確認の上、お読みいただけると幸いです。
『天と咲む』
約10万字
https://kakuyomu.jp/works/16817330648870257380
匠の弟、詞ともう一人の女性を主人公にした物語にしております。恋愛色強めですが、世で言う溺愛ではありません苦笑
秋人と匠は出ていますので、クロスオーバーとしてお楽しみいただけます。美冬は出てきませんので、あしからず。
『紅に染む』を改稿するする詐欺をしているので、書いた暁にはまたおまけをあげたいです。その頃には他の関連作品も生まれるといいなと思っております。
では、また宣伝する関連作品が生まれることを祈りつつ。
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