第2話 その時彼女はそこにいた
「…冗談でも、そういうのやめなよ」
「冗談でも嘘でもないよ。私はあと一年以内に死んじゃうし、さから、真那に私と付き合ってほしい」
僕は何も言えなかった。咲良があと一年の命で、だから僕と付き合いたい…? そんなこと、あるわけない。あっていいわけがない。ずっと前から一緒にいる、まだ高校一年生の桜の余命があと一年だなんて、そんな話、嘘に決まってる。クラスの人気者が不治の病に侵されて地味なクラスメイトと付き合う? そんな理不尽な話、小説以外であっていいわけがないじゃないか。
だから、黙って咲良の言葉を待った。しばらくしたらニヤニヤしながら舌でも出して、「今の嘘だよー、真に受けちゃった?」とでも言ってくれるんじゃないかって。
でも、お互いに何も言わないまま時間だけが過ぎていく。丘の下で遊ぶ子供たちを見ながら、それでも僕はじっと待つ。咲良の方を向く勇気は、僕にはなかった。顔を見てしまったら、本当か嘘かきっとわかってしまうから。もし、万に一つでも咲良の話が本当だったら、どうすればいいのかわからないから。
沈黙は続く。楽しそうに遊ぶ子供たちが、どんどん遠くにいってしまうような気がした。
「…なんで」
じっと前の方だけを見つめて、どうにか声を絞り出す。
「それは、私が死んじゃう理由? それとも、真那と付き合いたい理由?」」
「…どっちも」
「まったく、知りたがりな男ってモテないんだよ? そういうのいちいち聞いちゃう?」
「それは、だって…」
「まあいいよ、真那には教えてあげる。私、病気なの。最近見つかってね、その時にはもう手遅れだった。余命一年で、手のほどこしようがないんだって。でもさ、すごいよね。余命一年でも、死ぬ二、三か月前までは薬さえ飲めば普通に生活できるらしくて。だからさ、人生最後の年に何をしたいかなって考えて。で、それが真那と付き合うことだったってこと」
不自然に明るいトーンで咲良が言った。その様子があまりに痛々しくて、もうどうすればいいのかわからなかった。頭の中でいろんな言葉がうずまいて、吐き気すらも湧き上がってくる。どうして、咲良が病気になった? どうして今まで見つからなかった? どうしてその病気には治療法がない? どうして、まだ高校生の咲良が死ななきゃいけない? どうして、僕みたいな人間でも当たり前に思い描ける未来を、咲良には許さない? どうして、どうして、どうして、どうして…
視界が黒く染まっていく。光が見えない。息ができない。何も見えない。苦しい。辛い。もどかしい。何もできない。何もしたくない…
「ねえ、返事は?」
「…返事?」
どこまでも落ちていきそうだった僕の心を、咲良の声が現実に引き戻す。
「そ。真那は、私と付き合ってくれるの?」
「…それ、今そんな大事?」
「大事だよ、そりゃ! ずっと前から真那のこと好きでさ、今やっと勇気出して告白したんだよ? その返事より大事なものって何よ」
「…残りの時間を一緒に過ごすのが僕なんかでいいの?」
「私は、『真那なんか』がいいんじゃなくて『真那が』いいの」
「じゃあ、いいよ。咲良がいいなら、それで」
「うん、ありがと」
「もっと喜んでくれるかと思ってたんだけど」
「でもさ、さすがにこの流れで私のこと振れないでしょ? 余命一年の可愛い幼馴染から告白されて断るなんて鬼みたいなこと真那にはできないよなってわかってたから」
「じゃあ…」
「あ、でも、余命一年なのは本当だけどね」
「…そういうこと言って、僕が困るとは思わないわけ?」
「いいじゃん、私だけに許された鉄板ネタなんだから使わせてよ」
「鉄板どころか、一瞬で空気が凍り付くでしょ」
「真那にしか言わないから、だいじょぶ」
「僕が大丈夫じゃないんだけどね」
そこで会話が途切れて、ふと咲良の顔を見た。そしたらちょうど咲良と目が合って、その顔があまりにもいつも通り過ぎて、なんだか笑いがこみ上げてきた。一瞬不思議そうな顔をした桜もすぐに一緒に笑い始めて、そのまましばらく、馬鹿みたいに大きな口を開けて。十年前に訪れた桜の木の下で、大好きな幼馴染と二人きり、腹を抱えて笑い転げる。どこからどうみても幸せな青春のワンシーンで、だからいっそう、この笑顔を見られるのがあと一年しかないんだって悲しくなって、でも涙は出てこなくて、そんなどうしようもない気持ちをふきとばそうと、もっと大きな声を出して笑って。
いつのまにか、僕と咲良の唇が重なりあっていた。多分どちらにとっても初めてのキスだったけど、びっくりするくらいに違和感がなくて、口元に伝わる咲良の唇の柔らかさとか、体温とか、気持ちとか、全部、大好きだなって思った。
その時の僕らは、世界で一番幸せだった。
咲良は、確かにそこにいた。
死にゆく彼女と過ごした時は うぉあみ @crygray
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