死にゆく彼女と過ごした時は

うぉあみ

第1話 告白

 

 五月になってもまだ花の残る、小さなころによく遊びに来た丘の桜の木。その木の下で、彼女は言った。 

 「あと一年で死んじゃうんだけどさ、私と、付き合ってくれない?」

 



 時は戻って、今日の六時間目。

 「じゃあ、最後にこの問題を…三峰、説明できるか?」

 「はい」

 「それじゃあ前に出てきてくれ」


背筋の伸びた凛とした姿勢で立ち上がり、細くて長い綺麗な指で手に取ったチョークでスラスラと問題を解いていく。難しすぎて僕にはチンプンカンプンだった数学の問題が、あっというまに丸裸にされていく。


 一分もしないうちに咲良はチョークを置いた。理路整然とした綺麗な解法が、すでに黒板に書き終えられている。


 「うん、正解だ。よくできたな。一応、みんなのために解説してくれ」


 「はい。まず、この問題のポイントはnが自然数であるという条件から数学的帰納法を用いる、という発想に至ることです。無理やり式変形をしていっても解くことはできますが、帰納法を使えば複雑な計算をせずにとくことができます。与えられた条件から漸化式を立てて、その式の形から今回はn=1,2の時で成立することを示した上でk=1,2で成立することを仮定していけばいいとわかるので、あとは帰納法の答案の書き方に当てはめて解いていけば、題意を簡単に証明できます」


 透き通るようなよく響く声で、流れるように説明をしていく。残念なことに僕には何を言っているのかわからないけど、先生は満足げな顔で「うん、完璧だ」とうなずいている。


 頭がよくて、勉強ができる優等生で、バドミントン部の一年生エースで、明るくて、友達が多くて、顔がとても良い。神様から二物ところか三物も四物も与えられているような、小説の登場人物にしてもできすぎな完璧才女。それが、「地味なクラスメイト君」の幼馴染だって、本当になんのアニメだよって、笑いさえこみ上げてくる。


 でもそれが現実で、高校に入学してから一か月もたっているっていうのにいまだに友達が一人もいない僕は、クラスの人気者、三峰咲良の幼馴染だ。

 で、たくさんの人に囲まれるそんな人気者の幼馴染に引け目を感じる地味で冴えないクラスメイトの僕は、そそくさと荷物をまとめて教室を出ようとしていた。そんな僕に、咲良が言った。


 「今日の五時、五月の桜の木の下で」


 戸惑うクラスメイトの顔。そりゃそうだ。カーストトップの美少女が、カーストの枠組みにすら入れてもらえない僕に声をかけたんだから。ニコニコと笑いながら手を振る咲良と、得体のしれないものを見るような顔のクラスメイト。「わかった」とだけ言って、僕は教室を出た。


 荷物を家において、五月の桜の木に向かう。小さなころによく咲良と遊んだ丘のてっぺんにある、本当は桜じゃない名前のついている木。久しぶりに見たその木には五月の今でもやっぱりピンクの花がついていて、なんとなく懐かしく思えてくる。「昔の思い出が蘇ってくる」なんて言えるほど年をとってはいないけど、なぜだか泣きそうになった。


 そうやって大した意味もなく感傷的な気分に浸っていると、「真那、お待たせー!」と、小走で咲良がやってきた。


 「ごめん、待った?」

 「いや、今来たとこ」

 「そう? なら良かった」


 そう言うと咲良は芝生の上に座り込んだ。それにならって僕も芝生に座る。少し湿ったひんやりとした感じが伝わってくる。


 「懐かしいね。昔、ここでよく真那と追いかけっこしたりしたよね」

 「そうだね。すごい久しぶりに来たけど、ここは全然変わってない」

 「『ここは』って何よ、私は変わったって言いたいの?」

 「咲良は変わったよ。小さなころは僕にくっついてたおとなしい子だったのに、今じゃクラスの人気者になった」

 「それを言ったら、真那の方こそ変わったよ。昔はもっと元気だったのに、今はこんな内気になって」

 「まあ、ここで遊んでたのももう十年も前の話だからね」

 「そうだね。時間が経つと、いろんなものが変わっちゃうよね」


 座って、あの頃と同じ高さから見る景色は本当に何一つ変わっていない。ブランコ、滑り台、鉄棒、花のあるところ、木の場所、建物の形。何もかもが、完璧に記憶の中と重なる。それでもこの景色がどこかよそよそしく見えるのは、やっぱり、僕や咲良が変わったからなんだろう。ふと横を見ると、咲良もじっと丘からの景色を見ていた。あの頃の面影が残る横顔だけど、それもまた、遠くに行ってしまったものの一つだ。そう思うと。少し寂しく思えてくる。


 「でさ、ここによんだのは真那に話したいことがあったからなんだけど…」

 咲良が、ためらいがちに口を開く。


 「うん、わかってるよ。何を話したかったの?」

 僕が答えても、咲良は口をつぐんだまま何も言おうとしない。足を伸ばして座って、自分の靴のあたりをじっと見つめている。


 僕は黙って、咲良の言葉を待った。


 「あと一年で死んじゃうんだけどさ、私と、付き合ってくれない?」

 絞り出すように、彼女は言った。

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