プロローグ

「あんた、本当に行く気か?

 あそこは、不良のたまり場になっている、と聞くぞ。

 やめた方がいい」

 ゴーストホテルの噂を聞きつけて、彼がその場所がどこか、と地元の老人に

尋ねていた。

「もう何年も、使っていないというし…

 崩れでもしたら、危険だぞ。

 それでもアンタは行くのか?」

戸惑う様子で、彼が本気か、とうかがっている。

「そんなの、かまわないよ。

 別に惜しい命でもないし」

捨て鉢のように言うと、彼は隈の浮き出た目を細めて、出来るだけ笑ってみせた。

だがわずかに、口の端が横にひんむいているだけで、かなりぎこちなくにらんでいるように見える。

「そうか?

 アンタも、物好きだなぁ」

あんな面白くもない場所に…

村の老人は、このやけに憔悴しきった顔の男を、じぃっと見つめる。

最近の若いモンは、向こうみずなヤツが多いからなぁ~と、ため息をついた。

「まぁ行っても、もう何も残ってはいないだろうけどな」

 何とかして、気を変えさせようと言葉を並べるのだが、どうもこの男には、

そんな言葉も響かないようだ。

「まぁ、いいけどね」

老人は、さして気にしていない顔をする。

「たまにいるんだよなぁ~

 アンタみたいな、都会の人間が」

物好きなもんだ、と老人は笑う。

「そうなんですか?」

「あぁ」

老人は、タバコを口にくわえる。

 歯がヤニで黄ばんでいる。

乱くい歯を見せて、にぃっと笑うと、

「まぁ行っても、ただの空き家なんだけどな!」

なんであんなもの、見たがるんだか…

カカカと老人は笑う。

「ま、夜になると、何かが出るそうだが」

そう言うと、彼の瞳をのぞき込む。

「何か、出るんですか?」

ドキドキしながらも、平静を装って聞くと

「さぁ、知らないな」

そう言う割には、あっさりと否定した。

(なんだよ、それ…)

 彼はカメラマンを名乗ってはいるけれど、実際のところは、つぶれそうな

出版社の契約社員だ。

何でもいいから、面白い写真を撮ってこい、と編集に命ぜられている。

けれどもそんなことは、こっちの知ったこっちゃない。


「ま、それでもいいのなら、行くがいいさ」

 彼の反応が、あまりにも薄いので、老人はつまらなさそうに言うと、

手に持っている地図に目をおとす。

デスクに渡された地図のコピーだ。

胸ポケットから、老眼鏡を取り出すと、じぃっとのぞき込む。

「現在地が、この雑貨屋だろ?

 この道をまっすぐに、道なりに行くと、川沿いの細い道に出るから、

 その道を山の方に目掛けて、歩くといい」

今度はあっさりと、行き方を説明する。

「ちょっと、ここから遠いぞ、大丈夫か?」

そう言うと、男は黙ってうなづく。

老人が老眼鏡をまたもしまい込むと、すぐに地図を彼に返す。

「いいのか?」

男は遠慮がちに、老人を見る。

さっきまで、幽霊が出るだの、あそこはよくないだの、悪い気が出るだの…

散々やめておけ…と言っていたのだ。

「だってアンタ、行かないといけないんだろ?

 好きにすればいいさ」

別に、そのホテルのオーナーでもないし、とくわえタバコの灰を地面に落とした。


「ありがとうございます」

 男はペコリと頭を下げると、使い古しの薄っぺらいサイフを取り出す。

なけなしの札をつまみ出そうとすると、

「あ~、そんなものはいらない、いらない!

 何かあって、ワシのせいにされたら、かなわんからなぁ」

あわててまだ、火のついたタバコを持つ手を振った。

「すみません」

助かった…

彼はホッとする。

ギャラが入るまでは、自腹だからだ。

(ま、どっちみち…何が何でも、経費で落とすつもりだったけどな)

男はさっさとサイフを折り畳むと、ポケットに乱暴に突っ込んだ。


「まぁ、ここは…バスの便が悪いから…早く戻って来るには越したことがないな!」

 頭をペコリと下げる男に、老人は酒荒れしたガラガラ声をかける。

(あっ、そうだった)

男はあわてて、老人を見詰める。

「最終のバスって、何時ですか?」

「あぁ~」

老人は店の奥に入ると、ガラス戸をカララと開ける。

その戸のすき間から、チラリと畳の上に、古びた布団が敷きっ放しなのが見えた。

「6時だな。

 それを逃すと…あとは野宿するしかないな!」

大きな声で言う。

「6時?」

早いなぁ~と時計を見ると、

「ま、時間通りに来るかどうか…保障は出来ないけどな!」

のんびりとした口調で言う。

「それでも行くかい?」

少し濁った眼で、彼を見た。

老人の目の端には、目ヤニがこびりついている。

白い無精ひげも長い。

「はい、タクシーとかはないんですか?」

「タクシー?そんなの、ここらに来るかなぁ」

からかうでもなく、何とものどかな声で言う。

これは、ないなぁ~

男はすぐにあきらめた。


(でも、なんでこんなド田舎に、来たんだろう)

男はすぐに、後悔する。

『何が何でも、面白い画を撮って来い!』

ヤツの威圧的な言葉がよみがえる。

(ま、仕方がないな!生きて行かないといけないし…)

はぁ~とため息をつく。

「泊まるトコって、ありますか?」

彼はあきらめたように聞いた。

「泊まるトコ?そんな大そうなトコ、こんな田舎にあったかなぁ~」

老人はわざとからかうように、大きな声で言った。

(相手にされていない)

 それは、彼にも何となくわかっていた。

なぜならば、自分は《よそ者》だからだ。

彼らは…彼がうろうろするのを、あまり快くは思っていない、

そう感じていた。

彼自身は、若い頃のように、理想とか希望とか、そういうキラキラしたものは

すでにあきらめていたので、

「まぁ、ダメなら野宿しますよ」

思いのほかあっさりと、彼はそう言った。


「若いの…

 まぁ、悪いことは言わない。

 あんな…気味の悪い所は行かないか、さっさと引き返して来た方がいい」

 老人は意味あり気に言う。

(どういうことなんだ?)

何か引っかかるものを感じるけれど、どうとでもなれ、という気持ちもあった。

「はぁ」

気のない返事をすると、

「まぁ、とりあえずは…行くだけ行ってみます」

これ以上、事情を知らない老人に、話しかけてもしかたがない…

彼はさっさと見切りをつけて、言われた方向へと歩き出す。


「物好きだねぇ」

 またも老人の声がする。

「いいか、悪いことは言わない。

 野宿するくらいなら、うちに声をかけてくれ。

 一晩くらいなら、泊めてあげてもいいから」

 ついに根負けしたのか、

「アンタも頑固だねぇ」

老人は苦笑いしながら、彼の背中に声をかけた。

「あ、ありがとうございます!」

クルリと振り返ると、ペコリと頭を下げる。

(こんな仕事…さっさと写真を撮って、引き上げるか)

その時の彼は、そう軽く考えていた。

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