第4話

  鍵を開けて中に入ろうとすると…

やはりいつもと違う!

靴が…ある。

それも、女物だ。

(あれ?まさか…沙里?)

(何しに来たんだ?)

(ボクのことを…あざ笑いに来たのか?)

 靴を脱ぎ捨てると、ドスドスと部屋に入る。

電気もつけずに、彼女は…1つだけある椅子に、ポツンと腰をかけている。

「帰って来たのか?」

複雑な気分で、声をかける…

 灯りもつけずに、彼女はボーッとして、視線をこちらに向けると

「顔を見に来た」とだけ言う。

「別に…大した顔じゃないけどな」

彼がスイッチをパチンとつける。

彼女はまぶしそうに眼を細めると、彼を見つめた。


「メシは喰ったのか?」

わざとぶっきらぼうに、彼はレジ袋を流しに置く。

「変わらないのね」

椅子に座ったまま、彼女は淡々と言う。

「何が?」

冷蔵庫に買ってきたものを、背を向けて入れる。

その様子をチラリと見ると、彼女ははぁ~とため息をついた。

「あなた・・・やっぱり何にもわかってないのね」

「何が?」

勝手に出て行ったくせに…と彼はムッとする。

「どうしてた、とか、

 今どこにいる、とか

 元気にしているか…とか、聞くことは色々あるでしょうに…」

彼女は悲しそうな顔をした。

本当は、もっと…心配してくれてもいいのでは、と思うのに、

彼の反応があまりに冷たかったので、彼女はひどく落胆していた。


 それは…彼女にとって、最後の賭けだった。

もしも自分のことを、本当に気にかけてくれているのなら、

帰ってもいい…よりを戻してもいい、と思ってもいた。

だが…

「本当に、これで、おしまい」

彼女がポツリと言う。

その横顔は、愁いを帯びていた。

 だが恭介には、そんな彼女の思惑にまでは、思いが至らなかった。

フッと視線をずらすと

「おまえは…勝手だなぁ」

つい、言葉を投げかける。

「勝手?」

その言葉を耳にすると、彼女は思わず尖った声を出す。

「勝手って、どういうことよ。

 あなたが、それを言う?」

だが彼は、彼女の方を見ず、缶コーヒーを取り出すと

「いきなり理由も言わずに、飛び出して行ったか、と思ったら、

 今度は突然現れて…

 キミは一体、どうして欲しいんだ?」

ムッとした顔で、ぐぃっとコーヒーを一口飲んだ。


「ほら、また!」

彼女は声をあげる。

一体、どうしたというんだ?

彼には…彼女が何を考えているのか、さっぱり見当もつかない。

「あなたはいつも…自分のことしか、考えてはいなかった」

ポツリと彼女は言う。

「そんなことはない。キミのことだって…」

何だって、そんなことを言うんだ、と彼はイラついている。

「いいえ!あなたは私のことを、何一つ見ようとはしなかったわ!」

感情が高ぶってきたのか、激しい口調で言う。

それを聞いて、彼はまた始まった…とうんざりとした顔をする。

「そんなことを、言いに来たのか?」

そう言うと、彼女に背を向けて、今度はヤカンに水を入れて、

お湯を沸かし始める。

 ザーッという水の音にまぎれて、彼女はため息をつくと、

「あなた…本当は、私のことに、関心がなかったのよ」

小さくそうつぶやいた。


 それはまるで…すべてのことをあきらめたかのような、そんな灰色の瞳だった。

彼は聞こえないふりをして、ヤカンの側でコンロを見つめる。

「あなた…私が何を考えていたか、知ってる?

 私が好きなのは何か、も。

 私の誕生日がいつか、知ってる?

 私の血液型が、何か、わかる?」

静かな声で、聞かれるが…彼は黙り込んで答えない。

また、いつものケンカの続きか?

それはもう、勘弁してくれ…と、彼は耳をふさぎたくなる。

「いつも一緒にいるのに、私はいつも1人だった。

 あなたは家に、寝に帰って来るだけ。

 何もしないし、何も聞かない。

 花を買って来ても、何色の花かも、きっと見ていない。

 休みの日だってそうよ!

 テレビを見て、ゴロゴロするだけ。

 まるで中年の夫婦よね?」

彼女はこの機会に、思っていることを、すべて吐き出してしまおう…

そう心に決めているようだった。

 

 いつもはおとなしくて、うっすらと微笑んでいる彼女が、こんな風に変わるとは…

それが自分のせいなのか、と彼はひどく驚いているようだった。

「もちろん、あなたの言いたいことは、わかってるわ!」

それは…と、口を挟もうとした瞬間、彼女は手で押しとどめた。

「疲れているんでしょ?

 私だって、そうよ。

 疲れているのは同じ。

 でもね、私にだって、心があるのよ?

 せっかく一緒にいるのだから…

 話がしたいし、一緒に笑ったりしたい。

 美味しいね、と言い合いたいし、

 慰めたり、慰められたりしたいのよ。

 それなのにあなたは…

 まるで私のことを、部屋の一部か、家具かなにかのように、

 相手にはしてくれなかったわ」

彼女は雪崩のように、とめどなく話し続ける。

話し出したら、感情の制御がきかなくなったようだ。


 恭介は、そんないつになき饒舌な彼女のことを、驚きのまなざしで見ていた。

愚痴を言ったりするタイプには、見えなかったからだ。

「単に寝に帰って来る人ではなくて、

 血の通った人間として、私のことを扱って欲しかった…

 こんな風に、無視なんかして欲しくなかった」

静かにそう言うと、彼女はガタンと椅子から立ち上がった。


 てっきり罵倒されると思っていた彼は、目をパチパチとさせて、彼女を見る…

「残りの荷物、どうするんだ?」

もう彼女を引き留めるのは、無理だ…

彼はすっかり、気が抜けてしまい、ようやく思い出したように言う。

彼女の背中に向かって声をかけると、彼女は我に返ったように、ハッとして

彼を振りかえる。

「あっ、それ、適当に処分しておいて!

 いるものは、また取りに来る」

まるでつきものが取れたように、むしろ明るい声で彼女に言い返す。

その反対に、彼は途方に暮れる…

「適当にって、どうすればいいんだ?」

困った顔をして、彼女を見た。


 そんな彼を見るのは、初めてのようで…

「ふぅーん」

楽しそうに、しげしげと彼を見つめる。

彼の困り果てた様子に、仕方がない、と肩をすくめると

「わかった」

あきらめたように言う。

「じゃあ…何とかする」

早口で言う。

それから何か、気が付いたように、上を見上げると

「でも…あの時計、もらってもいい?」

泣き笑いの表情を浮かべる。

「いいけど…これから沙里はどうするんだ?}

ようやく彼の中で、折り合いがついたようだ。

 この時計は…2人で初めてこの部屋を決めた時、

記念に買いに行ったものだ。

これを買うのに、雑貨店や時計屋を何軒もはしごしたこと。

あまり装飾のない、シンプルなものなのだが、

文字盤の形が好きだ、と彼女はこだわり抜いて選んだもので、

これを見つけた時に、小躍りして喜んだものだ。

 だがすぐに、彼女の表情に憐みの色が浮かび、

「やっぱ、いい」と目を伏せた。


「本当にいいのか?」

 じぃっと彼女を見ていると、再び目を上げて

「だって、これを見ていると…恭介のことを、思い出すから…」

思いがけずそう言うと、机に乗せていたカバンを、肩に引っかけると

彼に背を向ける。

「いいのか?」

女々しい…とわかってはいても、これが最後だと思うと、彼は言わずにはいられない。

だが、それには答えず、彼女は彼の脇をすり抜けると、狭い台所を通って、

玄関へと向かう。

「カギは、ポストに落としておくね。

 後は…好きにして」

振りかえることなく、靴に足を突っ込むと

「元気で」

そう言うと、バタンとドアを閉めた。


(一体、ボクが何をした、というんだ)

思わず叫びだしたい気分になる。

せっかく同期の橋本のお陰で、気分が上向きになった…というのに。

一気に気持が落ち込んでくる。

 あらためて部屋の中をザッと見ると、散々かき回したあとがある。

さっきはバッグ1つで、帰って行ったけれど、本当は自分のいない間に、

持って出るつもりだったのかもしれない。

「とにかく明日は早いから…さっさと用意して寝よう」

むりやり気持ちをからっぽにしようとして…

あえて気にしないようにする。

「幽霊ホテルかぁ~

 いっそのこと、そのままとりついてくれたら、いいのになぁ」

ポソリとつぶやいて、恭介はクローゼットから、デイバッグを取り出し、

乱暴に着替えやタオルを突っ込んでいく。

 明日は1人でなくて、よかったなぁ~

 もしも1人だったら、とても出かける気持ちにはなれなかっただろう…

今さらのように、仲間のことをありがたく思う。

(まさかこのタイミングで、沙里と出くわすとは、思わなかったなぁ~)

だけどもそのおかげで、弾みがついた、と彼は感じていた。

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