第106話死に損ないの女性に囚われる必要もない
あの頃はまだ将来に何の不安もなく、婚約者はカイザル様で、身体も不自由ではあるけれども、まだそこまで酷くはなく、幸せの絶頂であったと今ならば思う。
どこで狂ってしまったのか。
それを聞かれれば自らの身体が他の人と比べてあまりにも病弱であり、すぐに風邪を引くし、体力も年々落ちていく自分の身体をカイザル殿下に知られれば、この婚約を破棄されるに違いないと思ってしまったあの頃からである。
そしてわたくしはわたくしの身体をどうにかできないのであれば、カイザル殿下に変な虫がくっつかないようにすれば良いという思考に行き着いてしまった。
もしかすればあの時に、カイザル殿下にわたくしの弱さを全て曝け出していれば、もしかしたらまた今とは違った人生を歩めているのかもしれないが、所詮はたらればに過ぎない。
わたくしの身体が病弱であるという事を理由にもっと早くに捨てられてしまう可能性だってあるのだから。
そう考えれば今こうして三人で平穏に過ごせているのだから、むしろある意味で最良なのかもしれない。
「どうした? マリー。 難しい顔をして」
「な、何もありませんわっ!? 少しだけ考え事をしていただけでございますわっ!!」
そんな事を考えていると、ウィリアムが心配そうに声をかけて来て、わたくしの額にその大きく硬い掌を翳してくるではないか。
流石に恥ずかしいのでわたくしはウィリアムの手を払い除ける。
違う意味で心臓が不整脈を起こしそうになるから止めて頂きたい。
しかし、とわたくしは思う。
当たり前なのだが、日々の稽古で分厚くなった皮膚や何度も豆が潰れて硬くなった皮膚はウィリアムの努力の結晶でもあり、そんな彼の夢を潰してしまった事を少しばかり後悔してしまう。
後悔はするのだが、それだけの事をしでかしたのだから間違った判断だとも思わない。
だからこそ早くわたくしから巣立ってほしいと強く思う。
その想いカイザル殿下にしてもそうだ。
きっとカイザル殿下も見えない所で皇帝になるべく努力をして来た筈である。
そんな彼らにはいつまでもこんな死に損ないの女性に囚われる必要もないだろう。
「辛そうなら今日は戻りましょうか?」
「大丈夫ですよ。 本当に考え事をしていただけですので。 それにしても、ここはやはりいつ来てもいい所ですわね。 風は心地よく、その風で擦れる草木の音もまたいい音色を奏で、小鳥や音虫たちが小気味良いリズムを刻み、それらを波の音が調和させる。 そして太陽がわたくしを温かく包み込んでくれ、ついついあまりの心地よさに眠ってしまいそうですわね」
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