ディストピアの日常(改稿版)

広晴

ディストピアの日常(改稿版)

<作者より>

この小説は拙作「ディストピアの日常」の「01.学生さんたち」に加筆、修正を行ったものです。

話の筋はまったく同じですので、あらかじめご了承ください。


<本文>

◆◆◆


この社会はもうずいぶん昔から上位者によって管理されている。


上位者が具体的にどんな存在であるかは、統治が始まった当時から様々に論議されてきたが、はっきりしたことは分からないままで、分からなくとも問題は何も起こらなかった。

僕らの生活は「代理人」と呼ばれる存在に常に監視され、まじめに努力していれば生活水準は徐々に向上していき、手を抜くことが多い人間や、やる気を見せない人間はその逆となる。

犯罪者は多くの場合、C級市民に落とされて別の町へ移送され、会うことはなくなる。

自由を求めてデモ行進を行う人たちはまだ時々いて報道されているが、犯罪や迷惑行為がない限り、放置されている。


僕はB級市民の普通の学生だ。

この時代にも学校はあり、家から通学を行っている。

健康維持のために通勤・通学は有効である、という理由らしい。


あまり変わり映えのない穏やかな日々だけれども、少し前はややごたついていた。

それというのも隣家の幼馴染(といくらかは僕)が原因だった。



幼馴染は美しい少女で、物心ついたころにはもう隣家に住んでいた。

家族の交流もあり、はっきりと男女の間柄であると口に出すことはなかったが、自然と互いに自身のパートナーとして見做すようになっていった。

休日にはできるだけ同じ時間を過ごし、買い物、映画、散策、互いの部屋でのんびり、と少しずつ仲を深めていった。

クラスも常に同じで、学校でも公認の仲と言って良かった。


18歳になった春に僕は自分の部屋で幼馴染をベッドに優しく押し倒した。

幼馴染が目を閉じ、体から力を抜いた時、それは起こった。


「代理人より警告。『野村由美』は統治歴352年5月2日より男性のパートナーがおり、現在の行為は不貞行為に当たる可能性があります。

現在の野村由美の等級では複数のパートナーを持つことは認められていません。

現在のパートナー『江口明泰』を含む全員に通知が送られましたので、『野村由美』『江口明泰』『原田大樹』の3名およびその保護者で相互確認の上、適切な対応を協議してください。」


その無機質な音声が部屋に響いてからは大騒動であった。

幼馴染は泣きながら「違うの」「好きなのは大樹だけ」と繰り返し、江口とかいう男(同級生らしい。クラスが違うから知らない。)は「由美は俺の女だヘタレ野郎!」と叫び、うちの両親は険しい顔で黙り、野村、江口両家の親はお通夜状態であった。


◆◆◆


僕はといえば、「やっぱりこうなったか」とため息をついていた。

統治歴352年5月2日、今からおよそ1年前に僕には「代理人」から携帯端末へメッセージ通知が来ていた。


「代理人より通知。『原田大樹』のパートナー候補と見做されていた『野村由美』が別の男性からの申請に応え、パートナー関係になりました。

『野村由美』に通知を行いましたが、現在のところ返答はありません。」


この通知があったとき、僕は信じられなかった。信じたくなかった。

でも「代理人」は嘘をつかない。

最初の通告から約2時間、呆然としていた僕に、代理人からの「助言」という珍しい文面が追加で届いて僕を打ちのめした。


「代理人より助言。『野村由美』が代理人からの警告を無視して本日パートナー関係となった相手と性的関係を結びました。

即座に『野村由美』との関係を解消し、物理的に距離を置くことを推奨します。

その場合、『野村由美』の転校、野村家の転居等、『原田大樹』の希望に沿う形にすることができます。」


僕は、すぐには何も言えず、自室のベッドから立ち上がることもできなかった。

何度も「代理人」からのメッセージを読み返し、ようやく状況を理解し、しばらく一人で泣いた。


その日は夕食を断り、部屋から出なかった。

幼馴染から、いつもと変わりない就寝のメッセージが届き、僕はごみ箱に吐いた。


どうして、なぜ、という言葉しか浮かばない。

僕ではない人と初めてのキスをし、体を許した。どういうことなのか、何も理解できない。

考えたくないのに想像してしまう。僕の知らない幼馴染を。


いつの間にか眠り、まだ薄暗い中で目覚めた時、「代理人」からの提案メッセージが着信していた。

僕はその提案を受け入れた。

1か月の間、政府のランダムモニターという名目で、家を離れ、一切の連絡を絶ってもらうことになった。

早朝にも関わらず、返信から30分も経たずに迎えの車両は現れた。

両親にも「代理人」からモニターの件は連絡があったらしく、僕は文字通り身一つで、ほとんど誰にも何も言わず、家を後にした。

家族、幼馴染、学校の友人から連絡があったそうだと後で知らされた。



与えられた広めの1DKで一人暮らしをする間、「代理人」に依頼すれば、たいていのことは受け入れてもらえたが、健康を維持するために部屋に備え付けの器具で毎日の運動を強制され、食事は栄養が完璧に管理された。食事はすごく美味しかった。


はじめのうちは無気力に過ごしていた

食事と運動以外では1日中ベッドの上に腰かけて過ごし、そうして僕の落ち度について考えていた。

僕が彼女と一緒でない時間は、あまりなかった。休日もほとんど一緒だったし、互いの友人とも一緒に遊んでいた。夕食をどちらかの家で食べることもあったし、互いの部屋でのんびり過ごす時間もあった。

思い出の中の幼馴染は、いつも笑顔だった。

二人が笑顔で同じ時間を積み重ねることが愛情を示すことだと思っていたし、それがまったく苦ではなく、じんわりとした幸せを感じていた。

幼馴染もそうだと思っていたけれど、本当は息苦しかったりしたのだろうか。やりたいことを我慢していたのだろうか。

時々、「やりたいことや、一人になりたい時があったら言ってね」と伝えてはいたが、そのたび、花が咲くように笑いながら「大丈夫だよ、幸せだよ」と言ってくれた、あの透き通るような笑顔は偽りだったのだろうか。

もっと強引に踏み込めば、何かを語ってくれたのだろうか。

僕に何ができたんだろう。


日々の運動の時間が少しずつ伸びていった。徐々に体を動かすことに没頭していった。

今まで授業以外では何も体を動かしてこなかったが、汗を流している間は辛さを、無力さを忘れていられた。

体をいじめることで逃避していたのだろう。



あっという間に1か月が経ち、家に帰った。

「モニターの内容は話すなと言われている」と伝えればそれ以上は誰からも追及されなかった。

こうした政府からの急なモニター依頼は過去にも年一、二回、学年に数人くらいはあると皆知っていたからだ。

幼馴染も何も言わず、「おつかれさま。大変だった?」と笑いかけてくれた。

あのタイミングで僕が消えたことについて、どう思っているのか、その態度からは何も読み取れなかった。



1か月を一人で過ごして僕が思ったのは、幼馴染に新しいパートナーのことを話して欲しいということだった。

「別の男から申請されて幼馴染はそれに応えた」と「代理人」は言っていた。

それは紛れもなく幼馴染自身の選択だった。

何かの理由で幼馴染は僕じゃない男を選んだ。それは本当につらくて、正直まだ全然納得できないけど、それが結果だ。

わがままを言えば男女の関係になったりする前に話して欲しかったが、話してくれれば何も言わずに距離を置くつもりだった。


「代理人」からは何度も離れることを勧められた。

幼馴染とそのパートナーの関係は、僕がいない1か月の間も、その後も続いていて、

彼らが会うたびに僕に「助言」があるようだった。

一度だけの過ちなどではないと、はっきり伝えられていたのだ。

が、別れを勧められる都度、「代理人」にはもう少し時間を欲しいとお願いした。


半年経っても幼馴染からは何も言われなかった。

まったく変わりなく笑う幼馴染の姿におぞましさを感じ、趣味になった運動に没頭し、学校の友人と遊ぶ時間を増やして、幼馴染と過ごす時間を減らした。

それでも休日には幼馴染と過ごす時間を作り、互いの部屋を行き来する時間も作ったのは、踏ん切りがつかなかったのと、やはり半ば諦めながらも話してくれることを期待していたのだろう。

違うかな。本当はただ、僕は、僕の手で、十数年積み重ねたものを終わらせるのが、怖かったんだと思う。もうとっくに終わっているのに。



両親はなんだか優しくなった。

いろいろな理由で、隣家と過ごす時間があからさまに減った。

助かったと思っていたが、今思えば、両親には早い段階で本当のことが知らされていたんだと思う。



さらに半年が過ぎたが、幼馴染は何も変わらなかった。

毎週のように「代理人」から、幼馴染と距離を取るよう勧められたが、それにも慣れてしまっていた。


ある週末の下校中、幼馴染から「最近、一緒にいられなくて寂しい」と目に涙を浮かべながら言われた。

切なげで、本心から僕と一緒にいたいと思っているように見えた。


僕は何も感じなかった。

かつては確かにあった守ってあげたくなる気持ちも。

1年前のあの日のような悲しみも、無力感も、憤りも、何も。

何も感じないまま、それらしい言葉を並べて笑顔まで見せた。

「寂しい思いをさせてごめんね。身体を鍛えることも、友人付き合いも、自分を高めるために大切なことなんだ。君も協力してくれると嬉しいな。」


その瞬間、携帯端末に「代理人」からのメッセージが着信した。


「代理人から警告。『野村由美』と距離を置くことを、強く、推奨します。

『原田大樹』に著しい悪影響がみられています。」


幼馴染と家の前で別れて自室に帰り、すぐに「代理人」と相談した。

この1年間、ずっと体を鍛えていた。

それは1年間ずっと何かから目を背けて、見ないように、考えないようにしていたということだった。

それ以外に何をしていたのかうまく思い出せない。

もうとっくに僕は限界になっていることがようやく自覚できた。

いつの間にか、久しぶりに涙が流れていた。

僕は質問し、できること、できないことを確認して、「代理人」のおすすめと僕の希望をすり合わせていった。



翌日の土曜日、僕の部屋へ招かれた幼馴染を僕はベッドへ押し倒した。


拒絶して欲しかった。

そして、どうして拒絶したのか、話して欲しかった。

拒絶してくれれば、僕を振ってくれれば、嫌だけど、辛いけど、僕たちの間に起こった、ただの気持ちのすれ違いとして、誰にも迷惑を掛けず、きれいに終わらせられる。


まだ僕は幼馴染のことが好きだった。

好きな女の子に卑怯なことをして欲しくなかった。

きちんと引くべき線を引いて、次へ進んでほしかった。

僕はまだ、彼女の「正式なパートナー」ではなかった。

「代理人」のいうように「パートナー候補」でしかなかった。

だから僕以外の男に体を許したのは、そういうことだってあるだろう。

でも。

パートナー以外の男に体を許す女であってほしくない。

好きあっている男がいるのに、古い馴染みにも同情で優しくするような女であってほしくない。

パートナーがいて体の関係まであるのに、何もないことにして別の男とも、なんて。

そんな卑怯で、浅ましくて、自己中心的な女が、僕の好きな人だった、なんてことがあってほしくないんだ。

僕のわがままだってわかってる。でも嫌なんだ。僕が好きになった女の子は素敵な女の子だったって思わせてくれ。



でも幼馴染は、目を閉じ、体から力を抜いた。

とても美しく微笑んでいた。

やっと好きな人と結ばれると、喜んでいるようにさえ見えた。



ああ、やっぱりか。

君のもとへも「代理人」からのメッセージは何度も届いていたはずなのに。

部屋中に響き渡る無機質な「代理人」の声をただ僕は聞いていた。


◆◆◆



話し合いの間中、ずっと僕への暴言を吐いていた「江口明泰」は転校した。

もう僕と会うことはないらしい。

僕と幼馴染の関係を知りながら関係を持ち掛けたこと。幼馴染とメッセージアプリで1年間にわたって交わした、僕を嘲弄する言葉。直接吐かれた暴言。反省が見られない態度。それらにより、彼はC級市民となった。

彼のもとにも「代理人」から警告が送られていたらしいが、それはずっと無視されていたようだ。

彼の両親は最後まで真摯に謝罪しているように見えた。



「野村家」は引っ越した。

僕が1か月間いなくなったときに何も感じなかったのか、彼らにも送られていたであろう「代理人」からの警告をどう受け止めていたのか聞いたが、野村夫妻は何もそれに答えなかった。

ただ一言、「娘に1年もチャンスを与えてくれて、ありがとう。」とだけ、苦しげな顔で言ってくれた。



「野村由美」はまだ同じ学校に通っているらしい。

「ずっと好きだった。魔が差しただけ。転校はイヤ!」と頑なに主張したため、それが容れられた形だ。

「1年間とはずいぶん長いこと魔が差し続けたものだね。」と言ったら一瞬黙って、あとは「ごめんなさい」と「イヤ」しか言わなくなった。

もう一度、転校を勧めたが、聞き入れられなかった。


仕方がないので、幼馴染側から僕へ近づくことを禁止にした。

幼馴染は泣き喚いて嫌がったが、この点は決して譲らなかった。

「1年前、僕が1か月いなくなっている間に何回セックスしたのか『代理人』から聞いてる。」

幼馴染の泣き声が一瞬、止まった。

「それから1年間、誰かにずっと股を開き、何もなかったことにして別の男に腕を絡めて幸福だと笑う人を、僕は心底、軽蔑する。」と言ったら、それきり俯いてもう何も言わなくなった。



結局その話し合いの日が、幼馴染と会った最後の日になった。

すぐに幼馴染はまったく別のカリキュラムのコースへ移された。

教室も、グラウンドと林を挟んだ別棟なので、もう後ろ姿さえ見かけない。

「野村家」の引っ越しによって帰る方向も真逆になり、使う校門も別だ。

普段は使わないルートをあえて選択しない限り、偶然にも会うことはない。


一度、昼休みに遠い廊下でけたたましい警告音が鳴り響き、僕以外のクラスメイト全員の携帯端末が鳴動したことがあった。

般若のような顔をした女のクラスメイトたちが廊下へ飛び出していき、僕の友人たちが僕の近くへ急にやってきて生涯収入の話を始めた。

「どの職種がねらい目なの?」と聞いたら「知らん」と言われた。


街中でも時折、遠くから警告音が聞こえることがあったが、それは割とよくあることなので、それが誰の、何の警告なのかは分からない。

スタンガンアームを伸ばした警備ドローンが頭上を飛んでいくのもありふれた日常の風景だ。


数年経ってから、ニュースで報道された、自由を求めるデモ行進を行う人たちの中に、幼馴染に似た顔を見た気がしたが、すぐに他の人に隠れて見えなくなった。



両親には相談しなかったことを謝った。

父には「少し淋しかったが、『代理人』から話を聞いていたし、隣家との仲を考えると言いにくかっただろう。気にするな。」と言われた。

母からは「辛かったね。食べたいメニューがあったら言いなさいね。」と言われたので「大和屋さんのカツカレーデラックス」と言ったら「こういう時は母の手作りメニューを希望しなさい」と怒られた。久しぶりに三人で笑った。

いずれ、家族旅行に行こうということになったので、夕食のたびに三者三様の希望(京都vsラスベガスvsハワイ)を互いに戦わせあっている。

父は枯れすぎ、母は自重して欲しいと思う。



あれ以来、正直にいって女性全般に対して引き気味であったが、なんとなく気になる女性ができた。

般若のような顔をして廊下へ飛び出していった子らの一人だ。


ある日、生涯収入の友人と下校中に、急に後ろから呼び止められた。

振り向くと般若三人娘ちゃんたちが勢揃いしており、思わず一歩後ろへ下がったが、生涯収入が僕の後ろに隠れたせいで下がり損ねた。


左右の子から背中とお尻をバシンッッ!!っとすごい音で叩かれた真ん中の子が、一歩前に押し出されながら、「好きなプロテインは何ですかっ!?」と僕に向かって叫んだ。

「プロテインって食べたことないんだけど、おすすめある?」と聞いたら、「わかりませんっ!」と言われた。

真ん中般若ちゃんの顔は真っ赤で、改めて見ると可愛らしい顔立ちをしていた。


生涯収入と般若三人娘ちゃんたちと過ごす休日は、楽しい。




<終>

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ディストピアの日常(改稿版) 広晴 @JouleGr

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