第4話・森の館

「こっちよ」


 自分のことを森の魔女のベルと名乗る黒いローブの女は、すぐ近くにあるという彼女の住む館へと葉月達を誘う。


 魔女だと自己紹介されて反射的に「正気?」と疑ってしまった葉月だったが、よくよく考えてみると、飼い猫は翼が生えた上に何かよく分からない物で攻撃するようになっているし、魔女くらいはいてもおかしくないのかもしれない。


 もう、自分の常識は通じない気がしてきた。


 ――何でもいいから、とりあえず落ち着いて休みたい……足痛い……。


 ベルと出会った所からはそう遠くない場所に、魔女の館はあった。煉瓦と木を組み合わせられた洋館。お屋敷というには小さめで、森の中の建造物としては立派なサイズ。でも、その姿のほとんどが蔦に覆われていたので、遠目からだと人工の建物がそこにあると気付くのは難しい。

 陸上自衛隊も真っ青な、完璧なカモフラージュ。自然が作り上げた保護色だ。

 そして何より、人が現在進行形で住んでいるとは思えない廃墟感。


 建物の周りには膝下くらいの高さの草がびっしりと茂っていて、入口らしき扉へと向かう通路は目を凝らさないと分からない獣道のようだ。


 何年もここに住んでいるという魔女の言葉を心底疑ってしまいそうになる。彼女はいつもこの庭を行き来しているのだろうか。

 と、館の有様に呆気に取られている葉月の隣で、くーが背中の毛を逆立てたのが見えた。


「フンッ」


 小さくくしゃみのような音を鼻から出して、ブルブルと身体を一振り。猫の毛流れはすぐに元に戻っていく。そして、何も無かったかのように、また二人と一緒に歩き始める。


「あら、さすがね」

「?」

「結界が張ってあるのよ、そこ」


 面白いものが見れたわと感心しながら、魔女ベルは満足げに頷いている。褒められたのが分かったのか、くーも尻尾を真っすぐに伸ばして機嫌良さそうに歩いていた。


「結界って?」

「この辺り、いろいろと出るのよね。だから、入って来ないように結界を張ってるのよ」

「あー、ベルさんと出会う前にも何かいましたよ。大きくて角のあるやつとか」


 くーが一瞬で退治してくれたけど、思い出すだけでも恐怖で身体が固まってしまいそうになる。


「そうね、魔獣とかだと、そこまで細かいのは張らなくて平気なんだけど――」

「ま、魔獣?」

「そうそう、魔獣。かなりいるのよ、魔の森って呼ばれるくらいだから、それがここのウリなのかしらね」


 そう言いながら、草をかき分けてようやく辿り着いた館の入口扉を開く。結界を張っていると言っていたくらいだから、鍵をかける必要が無いのか、開錠の素振りはない。


「細かいのを張っておかないと、虫も入って来ちゃうでしょ」

「虫、ですか?」

「放っておくと、いっぱい入ってくるのよ。困ったものよね」


 葉月の抱いていた『結界』のイメージとは少しかけ離れているのかとも思ったが、獣を防ぐ効果も勿論あるようだ。というか、本来の使い方は獣避けのようだったが、ベルはその結界を強化することで虫も寄せ付けないようにしているらしい。


 防虫用の結界……蚊帳みたなものだろうか。

 その理由は、扉が完全に開かれた時、一瞬で判明した。


「えっ?!」


 扉が開いたと同時に部屋の灯りが点き、館内が一気に明るくなる。窓も外壁と同じように蔦で覆われているから、自然光は全くない。けれども十分に中の様子は見渡せる。


 そして、扉の中の凄まじさに、葉月だけでなく猫まで動きを止めてしまう。目の前にあるのは、完全なるゴミ屋敷だ。


 ――マジですか……。


 足の踏み場がないほどではなかったが、至る所に物が積み上げられ、棚やテーブル、椅子までもが物置化していて本来の役割を果たしていない。

 素人目にはゴミにしか見えないし、おそらく大半が不要物だと思われるが、ゴミ以外にも干した草の束や何かの液体の入った瓶など、魔女の商売道具らしき物も同じくらい溢れている。


 遠慮しないで入ってねと言われても、生理的に入るのを躊躇ってしまう。

 室内に入ったのに、足裏がジャリジャリしたままだ。床も家具も砂と埃まみれだし、窓が開かないからか、空気もどんよりと淀んでいる。

 確かに、この館なら虫が大量に湧きそうだ。


「そうそう。このブーツなら、葉月でも履けるかしら?」


 窓際の床に置かれた木箱から、黒い革製のショートブーツを取り出すと、入口近くで立ちすくんだままの葉月へと差し出してくる。


「く、靴―! ありがとうございますっ」


 念願の靴。これでようやく、裸足とはお別れだ。

 少しくらい埃っぽくても、少しくらいカビ臭くても、素足で歩くよりは何万倍もマシ。


「あら、擦り傷だらけじゃない。ここで足を洗いなさい。傷薬もどこかにあったはずよ……」


 書籍置き場になっていた椅子から上に乗っている物を避けて、葉月に座るよう言ってくる。そして、その足元に両足が入るサイズの桶を置き、その淵に両手を添えてから、魔女はすっと目を伏せる。


 空だったはずの桶の底から、シュワシュワと温かいお湯が沸き上がってくる。目の前の不思議な現象に、葉月は目を見開いた。

 魔女といっても、せいぜい薬の調合とかそういう類いだと思い込んでいた。


「本物の、魔女?!」

「ふふふ。さあ、これで足を洗うと良いわ」


 恐る恐る桶の中に足を浸すと、擦り傷にピリピリとした刺激を少し感じる。じんわりとしたお湯の温かさに、緊張していた足裏がほぐれていく。足先が温まったおかげか、気分も幾分かは和らいだ気がした。

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