第6話・ゴミ屋敷

 窓を覆い隠す蔦の隙間から朝の優しい光を感じて、猫は目を覚ました。風が吹く度に蔦の葉がゆらゆらと揺れているのが、差し込んでくる光の動きでよく分かった。

 同じベッドで眠っている飼い主は、まだ目覚める気配がなさそうだ。スンスンと葉月の頰を嗅いでから、いつものように耳のすぐ側で鳴いてみる。


「みゃーん」

「んー、くーちゃん……」


 まだ寝惚けたまま手探りで猫の頭を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らして手に擦り寄ってくる。頭から身体へと毛並みに沿って触れていると、忘れ掛けていた存在に気付いた。


「あ、翼……」


 いつも通りの朝のつもりでいたが、全然いつも通りじゃなかった。猫の毛触りを堪能している場合じゃないと、驚いて一瞬で飛び起きた。


 森の魔女から与えてもらった部屋は例に漏れず埃まみれで、こんなところで眠れるわけないとげんなりしていたが……意外と熟睡だった。人間、いざという時はどこでも眠れるようだ。


 いろいろ起こり過ぎて身体的にも精神的にも疲れていたのだろう。よくよく考えてみると真夜中に元の世界を出たことになるので、完全に時差ボケなのもある。この場合は転移ボケとでも呼ぶのだろうか?


「ふぁぁ……」


 ベッドの上で半身を起こして、大きく伸びする。一緒に起き上った猫が胴の辺りに擦り寄ってまとわりついてくる。長い尻尾が首筋や顎を掠めて、少しくすぐったい。


「くしゅんっ」


 小さくて愛らしいクシャミ。可愛いけれど、猫は人間のように口や鼻を手で隠したりはしないから、いろいろと飛んでくるのは仕方ない。この程度を気にしていては、猫飼いは務まらない。


「埃っぽいもんね……」


 釣られて自分の鼻もムズムズした気になってくる。心なしか、くーの毛並みも前に比べてゴワゴワしていて埃っぽいような気もするし、これは大問題。


「猫だって、ハウスダストはダメだよね」

「くしゅん」


 この館の荒れ具合はハウスダストと呼んでいいレベルじゃない気もするが、猫だってアレルギーを発症することがある。愛猫の健康管理は飼い主の義務だ。




「お掃除したいから道具を借りていいですか?」

「あら。お掃除なんて別にいいのに」


 朝食にと用意してもらったパンとスープを食べながら聞いてみると、別にいいとか軽く言ってのけられる。


 ――いや、全然良くないし……。このままじゃ、くーも自分もハウスダストにやられてしまう。


 森で出会ってから今までのほんの一日足らずだったが、彼女の性格については一言で表せるようになった。”ずぼら”だ。身なりや館のゴミ屋敷っぷりもそうだが、食べる物も気にならないようで、昨日の夕食にもまた干し肉が皿に出てきていた。酒の肴か携帯食のイメージしかなかったが、ベルにとって干し肉は定番食のようだった。さすがに朝食としては出てこなかったが。


 森の中だから食料不足なのかと思っていけれど、10日に一度くらいの頻度で街から物資が運ばれて来るらしく、その辺りは特に不便はしていないらしい。でも単に手軽だからという理由でつい干し肉ばかりの食生活になっていたようだった。


「そうね。箒なら、あっちの物置部屋にあると思うんだけど……。随分と出してないから、使えるのかしら?」

「ベルさん、箒で飛んだりはしないの?」

「まあ! 葉月のところでは箒が飛ぶの? 凄いわね」


 どうやら、この世界の魔女は箒に乗って飛んだりしないようだ。




「ダメ! くーちゃん、それはダメ!」


 翼を広げて口から光の塊を発射しようとしている猫を、葉月は慌てて止めた。


「くーちゃんがそれやると、火事になっちゃうから!」

「みゃぅ」


 何となく不服そうな表情にも見えたが、おとなしく翼を折り畳む。


 お掃除の前にまずは換気をしようと館の窓を開こうとしたが、1階も2階もどの部屋の窓も固くてピクリともしなかった。外の壁面にびっしりと覆い茂った植物の蔦が邪魔をしていて、それを取り除かないことには空気の入れ替えすらまともにできない状態だ。


 そこで外に出て、壁や窓に這っている蔦を引っ張り剥がして回っていたのだが、これがなかなか手強い。何本もが絡み合って根付いてしまっているから、力いっぱい引っ張っても簡単には剥がせない。


「はぁ……いつからこの状態なんだろうね……」


 軽く息を切らしながら、葉月が溜息交じりに呟いた。


 そして、そんな葉月を横で見ていた猫が、一肌脱いであげるとばかりに光魔法を使おうとしたところ、必死で止められたという訳である。確かに焼き切るのも一つの手かもしれないが、くーの場合は威力があり過ぎて館ごと消し炭になってしまう可能性がある。


 館周りの全部の蔦を剥がすのは無理でも、せめて窓のところだけでも何とかしたい。窓開けて換気ができるようにしたい。ただそれだけ。

 自然相手の綱引きは半日がかりの大仕事だった。

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