第3話・森の魔女

「……ッ!」


 一人と一匹が歩き始めてどれくらいの時間と距離が過ぎただろうか。おそらく、どちらも大したことはないはずだ。

 現代っ子な葉月が裸足で外を歩くなんて、土台無理な話。しかも、草や枝、砂利などが転がっている足場の悪い道なき道をだ。

 ほんの数分でも移動できただけ、マシだとさえ思える。


 あっという間に足裏は擦り傷だらけになり、部屋着だったスウェットは動く度に何かに引っ掛かってしまうから汚れたり傷ついてしまった。短時間でとにかくボロボロだ。もし、この格好で自宅周辺を歩いていたら、間違いなく不審者で通報される。


「くーちゃん、どこに向かってるの?」

「みゃーん」


 訳知り顔で前を歩いている猫へ、とりあえず問い掛けてみる。が、いつも通りの返事が戻ってくるだけで、全く要領を得ない。


 けれど、ただ闇雲に移動している訳ではなさそうで、数歩を歩くごとに葉月の方を振り返り、ちゃんと付いて来ているかを確認している素振りを見せる。


「もしかして、くーちゃんはここがどこだか分かってるの?」

「みゃん」


 ただの相槌か、それとも意味を理解して返事しているのかすら分からない。


「もう、くーちゃんの野生の勘だけが頼りだよ……」


 人間の勘よりはマシな気もするし、何よりも今のくーは普通の猫とは思えない。翼もあるし、何か分からない物まで口から発射して獣まで倒してしまうし。


「痛っ! ……ちょっとだけ、休憩しない?」


 避け切れずに小枝か何かを踏んでしまったようで、足裏に小さな痛みが走る。

 くーは背中の翼は使わず折り畳んで、葉月の歩き易い道を選んで進んでくれているようだったが、なんせ猫は肉球持ちだ。裸足の人間とは足裏のクッション性が違う。


 猫は仕方ないなーとでも言いたげに、フンッと鼻を鳴らしてから、手近な倒木の上にちょこんと座る。そして、後ろをヘロヘロと歩く飼い主が追い付いてくるのを静かに待った。


「ふぅ、なかなか大変だ……」


 舗装されていない場所を足下の安全を気にしながら歩くのは、思っていた以上に体力を奪っていく。しかも葉月は裸足だ。

 さらには、今どこにいるかも、どこへ向かっているのかも分からない状態。身体中に擦り傷は増えていくし、精神も確実に削られていっている。


 今、葉月が平静をかろうじて保てているのは、飼い猫がなぜか強くて頼もしいから。また何か出てきても、さっきみたいに口から何かを出してやっつけてくれるだろうと思えるから。


 ――じゃなきゃ、発狂してるよね、とっくに。


 愛猫が飼い主を見捨てて、翼を使って好きなところへ飛んで行ってしまうかもなんていう不安はない。長く一緒にいた分、ちゃんと信頼関係は築けている自信だけはある。ずっと一緒にいてくれると信じている。

 と、くーが葉月の斜め後ろへ向かって威嚇し、例の光の塊を出す。


「シャー!」


 すぐに物が燃える熱を感じて振り向くと、先ほどの獣の時の半分くらい、何かの消し炭が地面に散らばっている。早速、何かが出てきたらしい……。

 頼もしいを通り越して、若干の恐ろしさすら感じる。あまりにも呆気ない。


「あら、何かと思ったら――」


 今度は反対側の斜め後ろから、人の声が聞こえてくる。ガサガサと枝をかき分けて近付いてくる気配。


「まあ、珍しいわね」


 穏やかな声と共に姿を見せたのは、黒いローブを纏った黒ずくめの女性。ぱっと見の年齢は三十台半ばというところだろうが、手入れされていない艶の無い肌や髪が実際よりも上に見せていそうだ。

 よく見れば、羽織っているローブもヨレヨレで汚れきっている。


 ――うわーっ、美人さんなのに勿体ない……。


 ま、今の葉月には人の身なりをとやかっく言える資格もないが。靴を履いている分、この女性の方が幾分はマシだ。


「この子は……もしかして、猫かしら?」


 ローブの女はくーの姿を見つけて、あからさまに興味深い視線を送っている。


「みゃーん」


 問いには葉月より先に、本人が答えるように鳴いてみせる。そして、鍵尻尾をピンと伸ばしながら、挨拶でもするかのように女の足下に擦り寄っていく。


「実物を見たのは初めてだけれど、猫って人懐っこいのね。この子はあなたの契約獣なのかしら?」


 恐る恐るという風に手が差し出されると、くーはその手にも頭をスリスリし始める。家族以外に擦り寄っているところを見たのは初めてだ。


 契約獣? 聞き慣れない単語に、葉月は首を傾げる。猫と何の契約をするんだろう?


「くーは、うちの飼い猫です」

「契約じゃなくて、飼ってるのね、凄いわ」


 猫を飼っていて感心されたのは初だ。別にくーは血統書付きのお高い猫ではないし、元は捨て猫で、見るからに雑種だ。何が凄いのか、さっぱり理解できない。


 一通りの愛想を振り撒き終えたのか、くーが葉月の元に戻ってくる。すぐに抱き上げてやると、肩までよじ登って頬へスリスリ。たまに勢いが強過ぎて頭突きされてる風になるのもいつものことだ。


「よく懐いてるわね。ところであなた達、こんなところで何してたのかしら?」

「あの……ここって、どこなんですか?」

「ここはグラン領の魔の森よ。もしかして、あなた……」


 何かに気付いたらしく、葉月の姿を頭から爪先までマジマジと見直している。そして、少し呆れ顔をしながら、今度は猫へと話しかける。


「あなたが、連れて来ちゃったのかしら?」

「みゃーん」

「仕方ないわね。とりあえず、うちに来るといいわ。それと……私のブーツでサイズが合うと良いんだけれど」


 身なりに構わなそうな彼女も、さすがに葉月の裸足は気になったらしい。

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