ニセモノのオリジン
ギリギリの戦いだった。
「オレの勝ちだな」
「ああ。俺の負けだよ」
うつ伏せに倒れたまま動かない悪党は、そんな状態でも声を絞り出して自分の負けを認めた。敵ながら、潔いヤツだと思った。
あの村での出来事以来、自分の名前をシナヤ・ライバックと改めてから、オレは一度も人を殺してこなかった。
それは自分の勇者としての役目を放棄したのと同時に、という魔法の進化を諦めたことを意味する。
だけど今日、またオレは人を殺してしまった。足元まで流れてくる、赤い血の川を見ればわかる。こいつはもう、助からない。
楽にしてやるために、剣の柄に手をかける。一つだけ、最後に聞いておきたいことがあった。
「なあ、バルド。どうしてお前、ルーシェを人質に取らなかったんだ?」
しゃがみ込んで、問いかける。ついた膝に、じんわりと血が染み込むのを感じた。
息も絶え絶えに、けれどバルドはオレの質問を、鼻で笑った。
「バカバカしい。何を聞くのかと思えば、そんなことか……俺の魔法の特性は、もう理解しただろう? アンタがハーフエルフの嬢ちゃんを守りながら戦ってくれた方が、都合がよかった。それだけだ」
「そうか」
「ああ。まさか、後ろに嬢ちゃんを庇った方が強くなるとは、思わなかったけどなぁ……」
皮肉を多分に含んだ言葉。
しかし、この悪党の言い分は、ある意味正しかった。
だからオレは、素直にその指摘を肯定した。
「そうだな。アンタの言う通りだよ、バルド」
世界を救うため、とか。
人々を助けるため、とか。
そんな輪郭の見えない動機で、オレは戦うことはできない。戦うことが、できなくなってしまった。
勇者ではなくなったシナヤ・ライバックが、剣を握って、魔法を振るう理由は、たった一つだけ。
「オレはきっと、ルーシェを守るためじゃないと、人を殺せない」
「そりゃあいい……嫉妬するのもバカらしくなる。最高だ」
まるで首を差し出すように。
バルドは寝返りを打って、血に塗れた胸元をこちらに見せびらかした。
「アンタは、オレの魔法を奪うのか?」
「ああ」
「そうかい。なら、地獄の底で鬼でも抱きながら、アンタがこっちに落ちてくるのを待ってるよ」
悪党はこちらを見上げて、血が溢れる口元を釣り上げた。
バルド・シリューカスは、生きるために奴隷たちを売っていた。エルフたちの自由を、奪っていた。
オレは、ルーシェを救い、奴隷たちを助けるために、バルドを命を奪おうとしている。
人として正しいのは、きっとオレだろう。
だが、オレもバルドも、その本質は変わらない。
生きるために、誰かから何かを奪っている。
別人のように振る舞っていても、オレの心は黒く汚れたままだ。
ひさびさに斬る首は、重かった。
「シナヤ!」
「大丈夫」
それでも、今日救えたものがあった。
ここに勇者がいなくても、オレのようなちっぽけな人間でも、助けられたものがあった。
鎖から解き放たれて、抱き合うエルフたちを見て、少なくともそう思えた。
◆
……一つだけ、誤算があったとすれば。
救うという行為には責任が伴うということを、オレがすっかり忘れていた、ということだった。
「はぁ……? 村を、作る?」
「うんっ!」
オレの彼女は、とても元気な笑顔で頷いた。
うん、かわいい。いや、そうではなく。
「だって、助けた人たち、みんな行くところないらしいし、暮らす場所は必要でしょう?」
「いや、いやいやいや……ちょっと待ってくれ、ルーシェ」
「待たないわ。だってシナヤってこういう時、いつもやらない理由を探そうとするでしょ? だから、待ってあげない。作るよ、村!」
「ぐっ……ぐぅ」
オレの彼女は、オレのことをオレ以上によくわかっていた。
あと、オレはすでに尻に敷かれつつあった。いや、うれしいけど。
無駄とはわかりつつ、反論してみる。
「村を作るっていったって、そんな簡単にはいかないぞ。そもそも、場所のあてもないし……」
「エルフのおじいさんの一人が、廃村になった場所を知ってるんだって。谷の奥らしいけど、とりあえずそこを生活の拠点にしようって」
「元手がいる。暮らしていくなら、生活基盤が必要だ。畑を耕すには鍬が必要だし……」
「そういうのは、ほら! 私の『
「村っていうのは共同体だ。食っていけなきゃどうにもならない。食料だって……」
「『
「家を建てるためには材木が……」
「『
「……」
オレのささやかな反論は、すべて「私の魔法があればわりとなんとかなると思います」というルーシェの主張によって完封されてしまった。実際問題、本当になんとかなってしまいそうだから、反論できないのがこまる。
ちょっと便利すぎるだろ、白の色魔法。どうなってんだ。
「ね? なんとかなりそうでしょう?」
ドヤ顔で胸を張るルーシェはかわいかったが、それはそれ。
気持ちを切り替えるために、咳払いを一つ挟んで、オレは切り返した。
「実現できるかもしれないっていうのは、わかったよ。でも、ルーシェはそれでいいのか?」
「え?」
奴隷のエルフたちを見る。背中の翅を毟られ、逃げられないように傷つけられ、ひどい扱いを受けていた彼らの境遇には、同情する。
でも、オレはまだ納得できていない。
ルーシェだって、彼らと同じように彼らから虐げられていたはずなのに。
そんな風に考えてしまう自分が……彼らを助けることに、納得していない自分がいる。
「……ありがとう。でも、ちがうよ。シナヤ」
翡翠色の瞳が笑う。
オレの心を見透かしたように、肩に頭をのせて、ルーシェは呟いた。
「私はたしかに、エルフの奴隷だった。でも、あの人たちが、私を鎖に繋いでいたわけじゃない。ただ、同じ種族ってだけ。それだけで、私はあの人たちを恨めないし、恨む気もない」
「……ルーシェ」
「ねぇ、こっちに来て」
ルーシェに手を引かれて歩いていくと、お腹の大きな母親がいた。寄り添うようにして何人かの子どもたちが、その大きくなったお腹に、ぴったりとくっついている。
母親とルーシェは、もう顔見知りなのだろう。軽く会釈をしてから、ルーシェも子どもたちと一緒に、お腹に手を触れた。
「この子のお父さんね。人間なんだって」
さらりと、ルーシェはそう言ったけれど。
オレは、耳を疑った。
「……それは」
「びっくりした? 私もね、びっくりしたよ。私以外にも、そういう人がいたんだって。すごく驚いて、でもうれしかった」
近くを見回しても、父親らしき男の姿はない。そもそも、バルドたちはエルフだけを捕まえて、奴隷にしていた。
ここに父親がいないということは、そういうことなのだろう。
「私とシナヤの気持ちは、一緒だよ。私も、シナヤだけいれば幸せだと思ってたし……シナヤだって、私だけいれば幸せでしょう?」
「……うん」
「でもね、幸せの形ってそれだけじゃないんだな、って。ちょっと最近、そう思えるようになってきたの」
周りのエルフたちを見回して、ルーシェはやさしく微笑んだ。
「この子が、安心して大きくなれるように。この子が、私みたいにならないように。みんなが、安心して暮らせるように。そういう村を、もう一度作れたらいいなって。本当の本当に、私はそう思ってるんだ」
「……ルーシェ」
「それにねっ!」
「うおっ!?」
真正面から、容赦のない抱きつき。
タックルと言い換えてもいいそれをもろに受けて、オレは後ろに倒れ込んだ。
太ももで、がっしりとオレの腰をホールドして。
すべての体重を乗せて、馬乗りになったルーシェは、今度はいたずらっぽい笑みを浮かべて、言い切った。
「私も、子どもがほしい!」
「……ああ、はいはいこど……え?」
「二人っきりじゃなくて、私はシナヤとちゃんと家族になりたい!」
「……あー、それはつまり……」
「うん! そういうこと!」
本当に、屈託のない、朗らかで、たちの悪い、色気のある、かわいすぎる笑顔だった。
勘弁してくれ、と思った。
こっちがどれだけいろいろ我慢して……うん、いやまぁオレも、もちろんそのつもりだったとはいえ。
こんな形で、こんなことを言われるのは、ちょっと想定していなかった。
ひゅーひゅー、と。
周囲で見守るエルフどもの、やかましい口笛が響く。
「わかったよ。オレの負けだ。作ろう、村」
「ほんとに!?」
「ああ。でも、色々と……諸々なことは、ちゃんと順序を踏んでから、だ」
一緒に暮らせる場所をつくる。
みんなで、幸せに暮らせる村をつくる。
悪くない。世界を救うよりも、シナヤ・ライバックという凡人の身の丈にあった生き方ができそうだ。
けれど、やるからには手を抜くつもりはない。
「ルーシェ」
「なに? シナヤ」
「前にも言ったけど、もう一度言っておく」
懐から小さな箱を取り出して、開く。
オレの全財産が、エルフたちを買い叩くのにまったく足りなかった理由が、そこにあった。
指輪である。
こちらを見下ろしていたルーシェの表情が硬直し、小悪魔な可愛さが、一瞬で真っ赤な驚愕に塗り変わった。
「おれのすべてをかけて、きみを幸せにする」
返事は聞かなかった。そのまま、指にはめさせてもらった。
これくらいの反撃は、許されるだろう。
とはいえ、まったくもって、格好がつかない。
どこの世界に、年下の彼女に馬乗りでマウントを取られながらプロポーズをする男がいるのだろうか?
ああ、そうだとも。ここにいる。
まあ、オレは勇者じゃないし。
少しばかり締まらないのは、許してもらうとしよう。
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